燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









皆と生きる未来を
皆が生きる未来に
決意の前夜、聳える十字架
――そうだ、いつだって
俺の世界の、在り処は



Night.21 あの日――神の望まぬ世界









――伯爵に……殺されるのか?
――お願いです……隊長の遺体を……
――そんな無慈悲な……
――世界の為に戦っているのに……



百四十八名の殉教者。
コムイは司令室で、一人佇む。

「考えるんだ、勝つことだけを……」

震える呟き。
散らばる書類の上に膝をついて、俯いた。
強がっても、考えないようにしても、離れない声と光。
支えが欲しい。
世界を生かす、彼の微笑みを。

「…………」

今、一瞬でも目にすることが出来たなら



――いつか、俺が迷った時に、教えてよ――



それは二年前、聖典の恐ろしさを知った「あの日」のこと。









「――いいかい!? キミはボク達の希望なんだよ……!」

頭がかっとなって、自分でも心の奥底を吐き出してしまったように思う。
けれどその言葉さえ、深い漆黒の瞳は力強く、それでいて穏やかに、受け止めてくれるのだ。
全てを、赦してくれるのだ。

「――だから、さ」

コムイは唇を噛み、拳を握る。
俯いて、崩れるように椅子に腰を下ろした。
彼を頼ることが、彼を縛り付けると分かっていても。
他に頼るものが、もう、無いのだ。

「……ねぇ」

が静かに空気を震わせた。

「犠牲者、どれくらい……?」

俯いたままのコムイに代わり、リーバーが答えた。

「お前と神田の部隊は、全員無事だ」
「他は」

囁くような、静かな声。
コムイは顔を上げた。

「……来るかい?」






並ぶ棺、取り縋る人々、聳える十字架。
白と黒の、大聖堂。
それまで支えにしていたリーバーの手を抜け、が一歩進み出る。

「……こんなに……」

膝をつき、呟いた。

「……負け戦、か……」

リーバーは屈んで、の肩に手を置く。
二人を見下ろし、コムイは聖堂を見渡した。
棺に縋りついて泣く団員達。
誰もが肩を落とし、項垂れる。
遠くで棺の傍に座り込むリナリーも、傍らのも、リーバーもまた然り。

殿……?」
様だ……」

こちらに気付いた何人かが、縋るようにの名を呼んだ。
呟きはさざめきを作り、流れていく。
ある者は肩を支えあいながら、ある者は杖をつき足を引きながら、ある者は顔を半分も包帯で覆って。
やってきた彼らは、一様に膝をついて、に頭を下げた。

「申し訳ありません、様!」
「お前ら……」

戸惑うリーバーの声も意に介さず、彼らはただすすり泣く。

「私を庇って、隊は全滅したんです……!」
「俺達はイノセンスを守ることが出来ず……」
「我らは、何のお役にも立てずに、こうして帰ってきてしまいました……」
「申し訳ない……」
「申し訳ない……!」

が、ゆっくり顔を上げた。
自分の前で涙を流す人々を、一人ずつ目に収めている。
やがて彼はふらりと立ち上がり、微笑をよぎらせた。

「生きていてくれて、ありがとう」

団員達はその言葉に、堰を切ったように大声を上げて泣き出した。
手近な人の肩を優しく叩く
そんな中、こちらへ近づいてくる荒々しい足音があった。



探索部隊の一人が、振り返ったの胸倉を掴んだ。

「どうして!」

大聖堂に声が響く。

「どうして守ってくれなかった……!!」

傷だらけのその男は、大粒の涙を止めどなく流し、怒鳴り立てる。

「お前……俺達を必ず守るって、言ったじゃないか!」
「おい、やめろ!」

リーバーが間に入ろうとするが、男は一歩も引かず、もされるがままに視線を逸らすだけだった。

「お前さえ来てくれていたら……俺の隊員達が死ぬことだって、なかったんだ!!」

周囲の探索部隊達が慌てて男の腕を引く。

「お前に謝って死んだ奴が何人もいたのに……!」

男は数人がかりでから引き離され、仲間の手で床に組み伏される。
静観していたコムイは、惰性で一歩二歩後退したの背を無言で支えた。
男がを睨み上げる。
それはまさに。

「望んだ時に応えてくれないで、何が神だ!」

神へ向けられた憎悪。
その黒い炎は、見る者の心を凍らせる。

「お前なんかが神であるものか! 仲間を……俺の仲間を返せェェェ!!」






叫び、男は固く目を瞑って項垂れた。
が、言った。

「……満足か……?」

呆然と目を開けた男の前に片膝をつき、は微かに笑って言った。

「俺は、悪魔でもいいよ」

水を打ったように静まり返る大聖堂。

「貴方がそれで救われるなら、俺は何て呼ばれようと構わない。だけど、知ってる筈だ」

が男の肩に手を乗せた。

「何をしても、死んだ人は帰ってこない」

男が、泣き濡れた顔を上げる。

「そう望むのが悪いことだとは思わない。でも、それを叶えるのは千年伯爵の仕事だ。貴方は、」

深淵の瞳にかち合って、男の炎が揺らぐ。

「もう一度仲間を殺したいか?」






嗚咽だけが、虚しく響く。

「……悔しかった……」
「……うん」
「……悔しい……悔しいんだ……」
「……うん……」
「ちくしょ……畜生ぉ……!」

声を詰まらせ、男は泣き崩れる。

「どうして、俺だけ帰って来ちまったんだ……ッ!!」

拳を床に叩きつけて、叫ぶ。
コムイは手を振って、男を放すように合図する。
が、男の握り締めた拳を、上から包んだ。

「帰ってきてくれて、ありがとう」
「赦してくれ……赦してくれ……」

項垂れる男に、神の瞳は優しく微笑みかけた。

「生きていてくれて……よかった」
「う……ううっ……」






やがて、月が顔を見せ、他に人が居なくなった頃。
コムイは十字架を見上げた。
大聖堂。
神に仕える黒の教団の、象徴ともいえるこの場所で首を垂れるなんて。
まるで。

「運命に、屈したみたいだ……」

その声に、十字架の前の影が、顔を上げた。
止めるのも聞かず、あれからずっとそこに跪いていた彼が、立ち上がり、振り返る。
蒼白い顔が、暗闇に浮き立った。

「……コムイは、屈さないね」

当意即妙。
コムイは微笑みに、苦笑を返す。

……心、読んだでしょ」
「声に出てたよ。……それに」

彼は十字架に背を向け、風を攫うように微笑った。

「多分、考えが同じなんだ」

少し頼りない足取りで、祭壇を下りる少年。
コムイは、彼と十字架を一つの視界に捉えた。

「ボクが屈さないのは」

が目を上げる。

「キミが、ボクを支えてくれるからだよ」

足を止めて、彼はコムイを見つめる。
コムイは笑みを消して、帽子をとり、頭を下げた。

「ごめん。結局キミを一番苦しめるのは」
「……顔」
「え?」
「顔、上げて」

は笑う。

「俺を頼るっていうなら、コムイは顔を上げてて」

靴音の間隔が、常よりも長い。
コムイは言われるままに顔を上げる。

「顔を上げて、俺の目には映らない世界を見ていて」

目の前に来た彼は、口許に笑みを乗せて、深い瞳をコムイに向ける。

「いつか、俺が迷った時に教えてよ」

吸い込まれる。

「この世界は、命を懸けるに値するものだって」






その微笑みが。
ボクらの世界だというのに。









嗚呼、神様……









「……室長?」

後ろに首を廻らすと、リーバーが怪訝な顔をして立っていた。
コムイは立ち上がり、笑って彼を迎える。

「どうかした?」
「いや、あの……何やってんスか」
「ちょっとね……自分に気合を」

リーバーの手許に一枚の紙を見つけ、首を傾げた。

「それは?」
「あっ……」

戸惑ったように、彼は視線を彷徨わせた。

「室長……プレイベルって村の名前に、聞き覚えありますか?」
「プレイ、……ベル?」

腕を組んで考えてみても、記憶の中に見当たらない。

「いや、無いけど……」

リーバーが、やっぱり、と呟き唇を噛んだ。

「さっき、片付けの最中にジョニーが見つけました。多分、室長が本部に来る、何年か前の書類かと」

手渡された紙の上部に視線を飛ばすと、確かにプレイベル、とある。

「こんなの、どこにあったの?」
「それが……」

リーバーは言い淀み、困惑した顔を上げた。

「クロス元帥が趣味で科学班に置いていた、棚の中に」
「クロス?」

彼が失踪する前に、よく使っていた棚のことだ。

「その内容を見たジョニーが、驚いて俺の所に持ってきたんです。他の奴には、まだ見せていません」

コムイは、少し躊躇した。



クロスが隠した書類。
得体の知れない箱を開ける、緊張。









『グレートブリテン島北部、プレイベル。
人口約三百人、近隣の町からは汽車でおよそ一時間。
村の中心に、大きな教会。田園風景が広がっていたと思われる。



証言:隣町カーターの業者



月に一度、村人全員が教会に集まるミサが行われる日に、村唯一の店に物資を入れていた。
業者は、十二月二十四日、午前に村へ入った。
年内最後の仕事を済ませ、昼過ぎにはカーターへ戻る。
が、手違いが発覚。
十二月二十五日。
早朝にプレイベルへ戻ると、そこには人の姿がなく、閑散とした村があるだけだった。



汽車の乗降者記録、無し。



集会が行われていたはずの教会と、外れの民家に、それぞれ一体ずつアクマの残骸を発見。
鐘だけを残し、教会は原形を留めないほどに崩壊。
十字架の欠片と、椅子と思われる木片が数個、辛うじて見つかった。




半壊した民家の家主は、ロンドンに勤めていた学者、モージス・
彼は休暇を使い、二十四日夕刻に到着する、最終の汽車で村へ帰る予定だった。
二十三日、定時に職場を出たのを同僚が確認。
以後の消息は不明。
その家の実質の住人であったモージスの長男・と長女・も、他の村人と同様に消息を絶っている』









「あ、茶柱……」
「え、見せて見せて」
「ホレ」
「おお……っ」

アレンとラビの言い争いを、完全に背景に追いやりながら、はブックマンの茶碗を覗き込んだ。
クロウリーと共に、小さな感動に包まれる。

「俺、茶柱初めて見たよ」
「私もである!」

中国に入った一行は現在、猫に捕まったティムキャンピーを追っていた。
向こうに轟音を立ててリナリーが降り立つ。
呆然とするアレンとラビを見て、彼女は小首を傾げた。

「おかえり、リナリー」
「あ、ただいま、お兄ちゃん!」

愛らしい笑顔を返すリナリー。
の横で、奇怪な音がした。
ブックマンが、ラビの首に飛び乗ったようだ。

「お帰り、リナ嬢。どうじゃった?」
「うん、捕まえてきたわ」

リナリーに抱えられ、ティムキャンピーをくわえた猫がぶるぶる震えている。
の隣でも、ラビがぷるぷる震えている。

「はい、まだ胃袋に入ってないわよ」
「うがああああ」
「うむ」

ブックマンが地面に下りる。
涙目で首を擦るラビ。

「いてーさ……」
「凄い音したもんな」

は苦笑して、ラビの肩を軽く叩いた。
アレンに叱られたティムキャンピーが、の頭に避難する。

「お。どうした? ティム」
「兄さん、ティムにも反抗期ってあるんですか?」
「さぁ……師匠に聞いてくれ」
「え、嫌ですよ」

指先で撫でると、ティムキャンピーはくすぐったそうに羽を動かした。

「それにしても、一体いつになったらクロス元帥に辿りつけるんであるか?」

クロウリーが溜め息をつく。

「中国大陸に入ってもう四日。ティムの示す道を行けど、一向に姿も手掛かりも無し……まさか元帥はもうすでに殺され……」

一人で暗い想像に入るクロウリー。
とアレンは笑って、同時にまさか、と言った。

「あの人見たら、鬼だって逃げていくのに」
「あの人は殺されても死にませんよ」
「その信用の仕方ってどーなんさ……」

ラビが呆れたように呟いた。
苦笑いをしたリナリーも、困ったように言う。

「でも、こんな東の国まで……元帥は何の任務で動いているのかしら」

そして視線を外し、急に表情を変えた。

「ちょっと左腕見せて、アレンくん」
「あっ」

アレンの腕を引き、袖を捲くる。
ラビが驚いて声を上げた。

「腕が崩れてんぞ、おい!?」

ところどころが崩れているその腕に、も目を見張った。

「だ、大丈夫! 怪我じゃないですよ? ホラ! 最近ずっとアクマと交戦続きだから、武器が疲れちゃったっていうか……」

アレンが慌てて笑う。
はその腕を掴み、アレンを見据えた。
ビクッと震えて固まるアレン。

「何で黙ってた」
「ご……、ごめん、なさい……」

溜め息をついて、は十字架を見る。
先程の発動状態から考えても、特に異常は見られず、手を離す。

「武器が疲れるなんて、聞いたことねぇぞ?」

なぁ? とこちらに顔を向けるラビに、は頷いた。
多分、自分のような副作用ではないだろう。
ブックマンを見ると、隣で首を捻っていた。

「しかし、確かに左目が開くようになってから、わしらの倍は戦っとるからな」
「……前から思ってたんだけど……」

リナリーが消え入るような声で呟いた。

「アレンくんの左腕って……少し、脆いよね……」

俯いてしまったリナリーを覗き込んでアレンが声を掛けるが、返事が無い。
三人がアレンを責める中、は小さく震えるリナリーの手を包んだ。
リナリーが、目に力を込めてこちらを見上げる。
瞬く間に盛り上がる涙に気付き、は彼女を抱き寄せた。
背中に手を当てて、ゆっくり叩く。
肩に預けられる、頭。
口を開閉させるラビの耳を摘まみ、ブックマンがを見た。

「任せてよいな?」
「ああ」
「わしらは聞き込みに行くとしよう」

クロウリーとアレンが頷く。
ラビは師に文句を言い立てていた。
老人は知らん顔で歩き出す。

「ティム」

呼ぶと、ティムキャンピーは目の前で羽ばたいた。

「アレンについてけ」

黄金色のゴーレムは、言葉に従って白髪へ飛ぶ。
窺うような表情の弟弟子に、は微笑を返した。









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