燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









彼のようになりたいと
彼女のようになりたいと
願った途端にその人は
永遠に手の届かぬ高みへと
ひとり取り残されてしまう



Night.99 足を止めたら、消えていた









ヘブラスカ。
フロワ・ティエドール、ウィンターズ・ソカロ、クラウド・ナイン、クロス・マリアン。
ノイズ・マリ、リナリー・リー、神田ユウ、
ブックマン、ラビ、アレン・ウォーカー。
ミランダ・ロットー、アレイスター・クロウリー三世、チャオジー・ハン、ティモシー・ハースト。
エクソシストの名前なら、何も見ずに言える。
彼らのイノセンスの名も、それがどんな形状なのかも。
誕生日も、好きな食べ物も、日課も、団服のシルエットだって、知らないことは何もない。
それは、自分だけじゃないはずだ。
ヘルメスは一人頷く。
自分と同じ探索部隊ならば、いや、サポート派ならばきっと分かってくれるだろう。
つい見てしまう。
つい知りたくなってしまう。
憧れる。
だって。

――彼らは、希望なんだ

世界の存亡は、彼らエクソシストの肩に懸かっている。
なにも、望んで人任せにしているわけではない。
ヘルメスだって出来ることなら父を奪ったこの聖戦を自分の手で終わらせたいし、千年伯爵を倒したい。
けれど、ヘルメスにその資格はない。
ヘルメスたちは、神に選ばれなかった人間なのだから。

「大変だ……大変なことになった!」

叫びながら廊下を駆ける。
急ぎ部屋に戻り、伝えなければ。
ついでに服を着替えたい。
大変なことになった。

「(様との任務だって……!?)」


名高い「教団の神様」。
ヘルメスは恥ずかしげもなく、大きな声で、胸を張って言える。
彼を敬愛してやまない、と。
エクソシストの派遣を要請しに本部へ戻った翌日、修練場で久々に彼を見かけた。
ヘルメスととのこれまでの関わりは、ほんの一瞬だ。
だから彼はきっと、ヘルメスのことなど覚えていないだろう。
それでも、うたた寝から目を覚ましたは、笑いかけてくれたのだ。
勘違いではない、あの時彼の深い深い漆黒は、確かに自分を映していた。
――あれから五日。
任地へ派遣されるエクソシストにようやく目処がたったという。
今は元帥まで駆り出してアクマとの戦いを続けている最中だ。
調整が難航することは、ままある。
本当は、先輩だって分かっていたはずだ。
割り当てられるエクソシストが「アレン・ウォーカー」である可能性くらい。
彼の力は、確かにこの任務に役立つだろうということくらい。

「『ノアの手先』を奇怪の元へ案内せよ、と?」

後輩思いで知られるあの人は、人一倍、千年伯爵やアクマへの恨みが深い。

「お言葉ですが、室長。この任務が万が一アタリだとしたら……些か不用心ではありませんか」

室長がその言葉に難しい顔をしたのも、やはり先輩の人柄を知ってこそだろう。
エクソシストの数は、ただでさえ足りない。
「ノアの手先」と渡り合えて、任務の成功率と味方の生存率が高い人物。
イノセンスを守り切ることの出来る人物。

「――ということで、を同行させることにした。出発は四時間後、アジア支部で彼と合流してくれ」

エゴールに伝えてくれるかい?
室長から直に呼び出されただけでも緊張したというのに。
相手は、これなら文句もないだろうと微笑んでいたけれど、此方は腰が抜けるかと思ったほどだ。
ヘルメスは部屋の戸を思い切り開け放った。

「先輩! 大変なことに……!」









第三の目で、覗いた。
見覚えのない姿だったから。

「(何者だ、この男は)」

第5使徒『智(ワイズリー)』の覚醒を以て、ノアの一族全員の転生が確認された。
惜しまれるは、第8使徒『怒(ラースラ)』だけが既に亡いということ。
長髪のエクソシストと戦い、方舟で果てたらしい。
だがそれも、人の世の常だ。
ノアとて同じ。
我らは、不死身では無いのだから。
ワイズリーは目を眇める。
他のノアと異なり、転生前の記憶を保持する『智』のメモリー。
自身以外に三十五年前のことを覚えているのは、生き延びた千年伯爵と、ロードだけだ。
その二人が、違和感もなく接している銀髪の男。

「(『裏切り』のノア)」

そんなノアメモリーは「知らない」。
長い銀髪、紫色のスカーフで目隠しをされたその男は、輪の隅にひっそりと佇んでいる。
ティキに首根を摘ままれてここへ現れたときには、既に片手に人の心臓と思しき物を携えていた。
手元など見えないだろうに、鮮やかな手付きでくるりとメスを持ち、躊躇いなく臓器を切り開く。

「あっ! あー、何やってんだよミザン、こんなところで」

気付いたティキが片手で額を押さえ、声をあげた。
男が小首を傾げる。

「何、とは? 私なりに大人しく大人しーく趣味に没頭していただけですが」
「ここ! 屋外! どうすんだソレ」
「どうするもこうするも……丁重に棄てます」
「棄てんのかよ」
「そりゃあそうでしょう。こんな『生きてもいないモノ』」

ミザン・デスベッド。
スイスで生まれ、家族に疎まれ、医師を志し、友に先立たれ、そして「目覚めた」というノア。
方舟戦で「教団の神様」と戦い、メモリーを消去され、記憶を失った。
異色な存在だ。
「14番目」よりも、余程。
ずぶ、ミザンが持っていた心臓の中に指を挿し入れた。
ゆっくり、ぐるりと指を回しては引き上げ、また突き立ててかき回し、口許に恍惚とした笑みを浮かる。
内壁の感触を楽しんでいるようで、ワイズリーは思わず頬を引き攣らせた。

「おぬし、なかなか悪趣味だのぅ」

ミザンが笑みを消して、ワイズリーの方へ顔を向ける。

「どちら様です?」
「ワイズリーっていうんだよぉ」

ロードがミザンの首に纏わりついた。

「ワイズリーはねぇ、おでこにも目があるのぉ」
「それはそれは……倒錯的でよろしいですね」
「よろしいんかーい」

思わず突っ込んでしまった。
この間もやはりミザンの指先は血液で滑る臓器の内壁を楽しんでいる。
ロードが肩を竦めた。

「ミザニーは見えないからさぁ。ワイズリーもちゃんと喋ってあげてぇ」

――見えて、おるがのぅ

ワイズリーは苦笑する。
この男、見えているのだ。
とぼけた顔で、わざと目隠しをされたままでいるのだ。

「(奇妙な奴よ)」

不便なはずの目隠しを外さない理由が、愛されたいから、だなんて。
笑わせる。

「ワタシはワイズリー。よろしくしてくれ、ミザニー」
「ミザニーではありません、ミザンです」

律儀な訂正の直後に、ロードが彼の薄い頬を引っ張った。

「いいじゃん、ボクが考えたあだ名だよぉ? 可愛いだろぉー」

こちらもどうやら、努めて奔放に振る舞っている節がある。
呆れ顔のティキがロードの額に手をやり、ぐいと押し退けた。
気に食わないらしいロードは、その手を振りほどいて噛みつく。

「噛ーむーなー! 痛ってェ」

「14番目」と瓜二つな『快楽(ジョイド)』、ティキ・ミック。
ティキは、自分の服の裾でミザンが手を拭いていることに全く気付いていないらしい。
ワイズリーは声を堪えきれず、ふくくくく、と笑った。
ティキは変人を見る目で此方を見たが、ロードは彼の白服の裾に気付いたようだ。
ミザンの首から離れて、転げ回って笑っている。

「なかなかのやるのぅ、ミザン。もう『能力』に慣れたとは。優秀優秀」
「慣れた、なんて……まだまだ私は拙いですよ、ええと……ワイズリー?」
「謙遜はよい。ワタシの額の目は魔眼だからな、見抜くことは割合容易いのだ」
「そうなのですか。何でもお分かりになる、と」
「そうだのぅ、例えばほら、ティキ・ミック。あれの昨日の晩飯なんかも丸見え……」
「は? なんでオレ」
「……うげ、鯉か」
「マジでやめて」

ふふ、と声を漏らして、ミザンが手を開いた。
散々弄ばれた心臓が、地面に落ちる。

「慣れた……慣れた、ねぇ……」

何もわざわざ足を動かし、踏みつけずともよいものを。
ベチャ、グチャ、生温かい音の遥か上でキン、と空気が冷え固まった。

「何故だか、随分しっくりくるのです。ふふ、千年公のお見立てが正しかったということでしょうね」

氷の蝶がワイズリーの頭の周りを優雅に飛び回る。
瞬きの後に、蝶は、空中から出現した氷柱に串刺しにされた。

「……お腹が、空きました」

淡々と、彼は呟いた。
ティキが目を瞠ったことに、気付かないままで。
ノアのメモリーを引き剥がされた「ただの人間」が。
生身のままアクマの細胞を移植され、融合し、生き永らえるなんて。
況してダークマターの能力を使いこなすなんて。愛を渇望する力というのは、大したものだ。

「(愛)」

ワイズリーはただ微笑む。

「(それは愛などではないぞ、ミザンよ)」

不確かな言葉に惑わされ思考を止めた愚かな人間の、末路を思って。









きょうもロッテは、「きゅうけつき」をさがしてる。
こじいんのおともだちは、あんまりロッテとあそんでくれないけど、さみしくないよ。
「きゅうけつき」をつかまえるほうが、ずっとずっとだいじだもの。
でも、パパはダメだっていう。
「きゅうけつき」たいじはダメ。
「しんぴのいずみ」にいくのもダメ。
ダメ、ダメ、ダメダメダメ。
パパはロッテよりダメがすきなのかな。
ロッテはパパがだいすきなのに。
パパがだいすきだから、「いずみ」におねがいしたいのに。
「きゅうけつき」つかまえたいのに。
ロッテには、パパだけ。
ママはいない。
パパよりやわらかくて、いいにおいがしたことは、よくおぼえてる。
ロッテがもっと小さいときに、いなくなっちゃった。
「きゅうけつき」のせいなんだ。
だから、ロッテは。

「こんにちは、ロッテ。何をしているのかな」

はらばいのまま、ロッテは神父さまを見上げる。

「こんにちは! 神父さま!」

あいさつはだいじだよ、ってパパはいう。
神父さまは、かぜのとおりみちからでてきたロッテをつまみ上げて、ホコリをはたいてくれた。

「あのね、ロッテね、たんけんちゅうなのっ」

「きゅうけつき」たいじのことは、ないしょなんだ。
だれが「きゅうけつき」のなかまか、わかんないもん。

「このみちね、ロッテ、ひとりでみつけたんだよ! すごい? すごいっ?」
「そうか。でもその道は通ってはいけないよ。こんなに服を汚したら、パパに叱られてしまうだろう」
「うん、でもね、あのね、ロッテね、」
「いけないよ」
「んむっ、む、うぅぅぅ……うぅ……はぁーい……」

神父さまは、わらわない。
でも、ロッテをむししない。
いつどこからだいせいどうに入っても、いつもロッテをみつけてくれる。
おいだされるけど。

「さあ、行きなさい。ここは遊び場ではないんだ」

せなかをおされて、ロッテはくびだけふりかえる。
ガラスのひつぎでおねんねしてる、きれいな女の子。
あの子はまだおきない。
あの子はおともだちがいないから、ロッテがおともだちになってあげるんだ。
どんな子かな。
おともだちになったら、ロッテといっしょに「きゅうけつき」さがしてくれるかな。
いっしょにたんけん、してくれるかな。
あなたがいった「しんぴのいずみ」で、ロッテもママをとりかえしたいの。

「……またくるね」

小さなこえでつぶやいて、ロッテはあの子に手をふった。









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