燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
忍び佇むは 漆黒の髪
潜み嗤うは 黄金の瞳
進み出るは 漆黒の闇
――踊り狂うは黄金の光
振り仰ぐは 漆黒の瞳
流れ輝くは 黄金の髪
立ち上るは 漆黒の光
――歪み狂うは黄金の闇
Night.9 天使が追い立てる声
轟音、爆風。
突然の襲撃に、ラビとは飛び起きた。
鳴りやまぬ音と、押し寄せる風。
通りに面した壁が音を立てて崩れるのを、枕元の武器を手に取りながら見遣る。
ラビはバンダナを装着しながら、僅かに苛立った不敵な表情で。
は大儀そうに髪をかき上げて、珍しく不機嫌に。
二人は、来訪者たるアクマ達を睨みつけた。
「やっぱ団服で寝て正解さね、」
「……折角寝れたのに……」
「怖ェよ! 激怒?」
引きつり笑いを浮かべ、ラビは槌を握る。
数十体のレベル1を見据え、の前に出た。
「エクソ、シスト」
「オレらのを怒らせた罪は重いぜ? アクマ」
「鉄槌」を発動させる。
後ろで「福音」が発動したのが分かった。
「大槌小槌――!」
目前に迫っていたアクマを数体、吹き飛ばして壊す。
大きく広がった壁の穴。
その先に広がる夜の闇。
白い月を覆う、アクマの群れ。
「こいつら……一カ所から来てる……?」
の呟きに、焦った。
「! アイザック頼むさ!」
「! 分かった」
壁の穴からが飛び降りる。
入れ違いに、大きな人形の形をしたアクマがやってきた。
アクマはラビを見て笑う。
「仲間、離さない方がいいよぉ」
「レベル2もいたんか」
ラビは槌を肩に預け、アクマを見た。
「ここだとアイツ、無茶すっからな。オレの気が休まらねーのさ。さて……」
――イノセンス第二開放 「判」――
「火判!」
通りに、炎の大蛇が渦を作った。
大方のアクマを焼き尽くし、ラビが一息ついたその時。
穴の向こう、アクマが来る所。
もう一カ所から、火柱が上がった。
「あれは……!?」
「よそ見するなよ、エクソシスト」
驚くラビの背後に、レベル2のアクマが回り込む。
ラビは振り返り、咄嗟に槌を突き出して攻撃を受け止めた。
「くそっ!」
アクマが笑った。
「だから、仲間を離すなって、言ったんだ」
「(……ッ!)」
月が、を急かす。
宿で起こる轟音を背中に聞きながら、飾り立てられた大時計を通り過ぎる。
花が、を急かす。
立ち並ぶ店の軒先で、純白の天使の花は、より鮮やかに輝いている。
――お兄ちゃん――
声が、を急かす。
遠い妹の声が甦る。
まだ記憶に新しい、アイザックに重なる。
「(無事でいてくれ!)」
酒場を抜け、裏通りへ。
増した闇の奥で、火柱が上がった。
「なっ……!」
その光景に、は足を止めてしまった。
辺りが朱々と染まる。
光源近くの家から、悲鳴とともに住人が駆け出してきた。
固まるの横を、通り過ぎて逃げていく。
騒音の中、我に返ったは走り出した。
人々と反対の方向へ、即ち火柱の下――アイザックの家へ。
人を押し退けて、は走る。
やっとのことで抜け出た人ごみの先には、燃え盛る小さな家。
その裏手から、レベル1のアクマが飛び出した。
には目もくれず、宿の方へ飛んでいく。
「(あれは俺達の足止めか)」
見上げていた視線を下ろす。
朱く燃える家。
そこから通りへ出る道に倒れている、小さな影。
「アイザック!!」
は数歩駆け出し、そして息を呑んで立ち止まった。
乱れた栗色の髪。
何も映していない、濁った青い瞳。
力なく開いたままの唇。
血溜まり。
「う……っ」
呼吸を乱したまま、は一歩後ずさった。
右手の銃を握り締め、強く目を瞑る。
――何だ……
「(ここで一体、何があった……!?)」
背後に、人が立った。
「、誰だ!」
団服を翻し、は振り返る。
炎の灯りに照らされたそこには、シルクハットに燕尾服の、長身の男。
帽子の下から覗く、黒い肌。
二人の間を、火の粉が舞い踊る。
男はシルクハットを脱ぎ捨てて、ニヤリと笑った。
弧を描く、唇。
「よう。また会えたね、オニーサン?」
掛けられた言葉を訝しみ、は男を睨む。
家の屋根が落ちる音を聞き、やがて、呟いた。
「お前……昼間の……?」
男は歩み、との距離を縮める。
「ご名答」
「……お前が、殺したのか」
「ああ。オニーサン、間に合わなかったねぇ」
奥歯を噛み締めたの右手が、銃と共に動こうとする。
その一瞬前に、男の左手がの体を「通り」、心臓だけを捕らえた。
「っ!?」
驚きに目を見張り、硬直する。
一拍遅れて事態を悟り、胸から延びる男の腕に視線を向けた。
自分の浅い呼吸と心臓の鼓動が、耳障りなほど五月蝿く聞こえる。
男は身を屈め、耳元で囁くように言った。
「オレは神に選ばれたノアの一族、ティキ・ミック。おっと、ノアって知ってるか? 千年伯爵の仲間な」
はほんの一瞬ティキに視線を走らせ、再び腕を見下ろした。
慎重に、落ち着こうと思いながら息を吐く。
ティキは、嬉しそうに言った。
「気になってんだろ? 教えてやるよ。ノアは一人一人能力を持っててね。これは、オレの能力」
「能、力……」
「そ。オレの能力は、万物を選択する権利。自分が触りたいと思う物以外を、通り抜けられるんだ」
イノセンスは別だけど、とティキが笑って左手に力を込めた。
目眩がする。
再び、呼吸が速くなる。
「ははっ、オニーサンでも強がれなくなってきたかな? ま、当たり前か。
色んなやつ見てきたからさ、オレもその気持ちは分かってやってるつもり。苦しいんだろ?」
はティキの腕から目を離さずにいた。
今は何より、気がかりなことがある。
「(コイツ……イノセンスだって分かってて、心臓を掴んだのか……?)」
エクソシストが、イノセンスがダークマターを破壊できるのならば。
伯爵側にイノセンスを破壊する存在がいても、なんらおかしくはない。
逆に、イノセンスを破壊できないのなら、彼らがハートを捜す意味も無いだろう。
ティキは声を上げて笑っている。
銃を握る右手が、震えを止めた。
「目的は、何だ」
「『神』を殺すこと」
今度はしっかりと、ティキを横目で睨む。
の視線を受け、ティキは身を起こした。
「千年公が言ってたぜ、神に魅入られた存在、彼こそが神ってな。
イノセンス、二つ持ってんだろ? そりゃあ、そっちでは崇められるわけだよなぁ?」
斜め下に視線を外す。
「今頃は他のノアにも伝わってんじゃねぇかな。案外アクマ達の方が詳しくてさ。
会ってみたらなかなか面白い奴だったし? お前」
上機嫌にティキは喋る。
「要するに、アレだ。好きだからイジメたいってやつ」
は吐き捨てるように言った。
「誰が、お前なんかに」
「最期の虚勢か? オニーサン」
余裕の表情のティキ。
は彼を斜めに見上げ、鼻で笑ってみせる。
同時に、「福音」をティキの左腕、胸から延びるその部分に押し当てた。
「イノセンスは、別なんだっけ?」
「ん?」
高速の回転を始めた歯車を見て、初めてティキが顔から笑みを消した。
心臓から手を放して、空中に飛び退く。
も二、三歩退がり、息を整える。
家が、背後で崩れ落ちた。
音の中、はちらと銃に目を向けた。
「なるほど、コレ威嚇に使えるな」
「オレで試すな、オレで」
ティキが笑う。
ゆったりと両手を広げた。
「お互い、手加減は無しだ、オニーサン」
彼の手の中心から、蝶の形のゴーレムが現れる。
それぞれに口付けて、ティキが不穏な笑みを浮かべた。
次々と彼の体から現れる、小さな蝶。
「ティーズ――喰いにいこうぜ」
大群を引き連れて宙を走るティキ。
それを躱し、は反対側へ走る。
道の途中で踏みとどまり、片足で振り返る。
――回転――
「また威嚇か?」
嗤うティキを見据え、しかし腕は横に出した。
――火炎弾――
銃口の先の一帯に飛んでいたティーズ達が、ぼっと音を立てて燃え上がる。
「んな訳ねーだろ」
「なんか口悪くなってない? オニーサン」
両手に大きなティーズを付けて、ティキが苦笑しながら宙を渡る。
ティーズと銃が、正面からぶつかり合った。
互いに弾き飛ばされる。
ティキは空中で踏みとどまったが、はそのまま向かいの壁に激突した。
「っ!」
「オニーサン、オレと戦るんじゃちょっと不利だよ。もう一つのイノセンス、使ったら?」
咳き込むを見下ろして、ティキが言った。
「もしかして手加減してるつもり? それとも使えない事情でもあんの?」
ティキが地面に降りた。
の前で立ち止まる。
「なぁ、答えろよ」
「タイミングってのが、あるんだよ」
――火炎弾――
「うおっ!?」
突然放たれた弾を、ティキは後ろに跳びながら避けた。
は立ち上がり、彼を追う。
「お前だって、手加減してるんだろ」
「あー、やっぱバレる?」
ティキは嗤い、軽く手を動かした。
「だってオニーサンが本気じゃないからね」
ティーズがを取り囲む。
輪の外から、ティキの声が聞こえた。
「『神』って、こんなもんかよ。これじゃあ例え間に合っても、あのガキは助からなかったな」
頭の中が声に侵される。
――回転――
口を開けて一斉に襲い掛かるティーズを、一瞥した。
――凍結弾――
声ともつかない甲高い音と共に、ティーズが凍り、砕けた。
その破片の中から、目の据わったが歩み出た。
空気が凍りつくような錯覚に襲われる。
彼の左手には、先程まで腰についていた小さなナイフが握られていた。
刃が光る。
「それがもう一つのイノセンスか?」
ティキの問いに、が立ち止まった。
「違う」
「じゃあ、それで俺を傷つけることは不可能だ。仕舞ったら?」
おもむろに、が右の袖を捲った。
ナイフの刃を当てる。
「……おい、お前正気かよ」
ティキの声など聞こえないかのように、が軽く左手を引いた。
傷口を見たティキは、目を細めた。
「黒い、血……?」
はナイフを捨て、銃を左手に持ち替える。
ティキは唸った。
「それがイノセンスか!」
彼に向かって駆け出す。
両手のティーズが、鳴き叫んだ。
が、流れる血もそのままに踵を返す。
走る先に次々と撃ち込まれる「凍結弾」。
「どこ向かって撃ってんだ、オニーサン」
ティキを振り返りもしない。
構わずに、彼は凍った物の上を跳び移りながら走る。
だんだんと凍るものは大きくなり、自然とティキも宙の高い所で追いかけていた。
点々と続く血の跡を見る暇もない。
やがてが立ち止まる。
ティキはグンと距離を詰め、に手を、ティーズを伸ばした。
彼は振り返り、口の端で笑った。
――「凍結弾」は、対象を氷漬けにした後、粉砕する
は凍結した足場を蹴り、その崩壊の勢いに乗じた。
「なっ!」
気付いた時には、彼は驚くティキの足元を「通り抜け」、右手を握り締めていた。
――イノセンス、発動――
辺りの血が輝いた。
ティキは下方を振り返る。
してやられた。
これはただ、ティキを隔離したいが為の行動だったのだ。
ここは空中。
の攻撃の邪魔になるものは、何もない。
彼の右手が、スナップを利かせた。
――霧(ミスト)――
血が霧状に、ティキを取り囲んだ。
一面、視界が無くなる。
「くそ……っ!」
それが晴れた時、がティキを振り仰いでいた。
右手が、地面に向かって開かれる。
――「聖典」 第二開放――
先程まで霧だった血が、無数の塊を作った。
――磔(クラックス)――
が手首を返す。
塊になった血が膨れ、釘のような形状になる。
ティキとの視線がぶつかる。
彼が、右手を振り上げた。
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