燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  












Night.77 ありもしない牢獄









金色の蓋が、照明の光をやわらかく返している。
はベッドに腰掛けたまま、ロケットを開いた。
母の優しい微笑みが、父の快活な笑顔が、妹の輝いた眼差しが、あの日のままを迎える。
冷たい親指で、彼らをそっと撫でた。

「(もう、誰もいない)」

クロス・マリアンの死体はない。
中国での出来事も忘れてはいない。
あの人が易々と死ぬ訳が無いと、分かってはいる。
けれど、あれだけの血を流して、仮面を撃ち抜かれて、無事でいる筈も無いと知っている。
は、目を背けていただけだ。
クロス・マリアンだけは逃れられると。
神の手から、逃れられると。
例外など無いとどれほど刻み付けられても。
目を、背けていた。

――心配を、迷惑を掛けたら、人は死んでしまうんだ

神の眼差しは平等で、決して誰かを見逃したりはしない。
寧ろあの人こそ、真っ先に絡めとられるべきだった。

「(甘えていただけだ)」

生きる理由などどこにもないが、罪を償わぬままで死ぬわけにはいかない。
ただ、生きている。
それがまた別の誰かを神に捧げる行為になる。
周囲に不幸を撒き散らして、赦されざる罪に塗れて、今更、この身に高潔さなど。

「(……何も、何もない。何も要らない)」

痛みや苦しみに抗う権利など、はじめから無かった。
自分が自分に課した、罰だ。
歯を食い縛る必要なんか、無い。
震えてまで堪える必要なんか、無いだろう。
波打ち際の魚のように、喘ぐ必要だって無い。
全て、受け入れるべき罰なのだから。
限界まで受け入れればいい。
抗う意味など、無い。
無駄な足掻きを見せれば周囲に悟られてしまうというのなら、なおさら。
疼く、焼ける、貫かれる、そんな心臓の痛みとて、顔に出しさえしなければ気付かれることはない。

――心配を、迷惑を掛けたら、人は死んでしまうんだ

そう、が抗いさえしなければ、誰も、誰にも迷惑は掛からないだろう。
誰も、死なせずに済むだろう。
ロケットを閉じて、握り締める。

「(出来るさ)」

いつだって、ここで「家族」は笑っていてくれる。
いつだって、を赦してくれる。
だからこそいつだって、自分の罪を思い出せる。
償うために生きて、贖うために死ぬのだと。









昨日まで部屋を満たしていた虚ろな空気が、今は跡形も無い。
床についた足を、靴の更に裏側から身を竦ませる、張り詰めた糸のような。
触れたら切れそうな、研ぎ澄まされた空間の中には、細い背中が一つ佇んでいる。
新しい団服を纏ったが、十日ぶりに自らの意思で動いているようだった。

……」

彼が、肩越しに振り返る。
襟元の飾りが揺れ、小さな音を立てた。
微笑みが、バクを迎える。

「おはよう、バク」

けれどバクは、吐いた息を吸うことが出来なかった。

――微笑っていなかった

此方を振り向いたその瞬間、彼は、確かに笑っていなかった。
そしてそれを、バクは目の当たりにしてしまった。
たった一瞬のことだったのに、写真のように記憶に焼き付いて離れない。
今は、微笑っているのに。
先刻目にしたあれは言ってみれば、無表情だった。
いつも通り黄金色に囲まれた漆黒は伏し目でありながら鋭くバクを見据え、色の悪い唇は軽く結ばれて。
そして目の下には、薄く刷かれた隈。

――彼が、微笑っていない

ただそれだけの事だったのに、体の中心に氷の棒を差し入れられたようだ。
今まで自分達がいかにその笑顔に頼ってきたかを、思い知らされる。
何より。

「(……こいつ、今、笑っているのか?)」

いつもと同じはずのその笑顔に、何故か、猛烈な違和感を感じた。
穏やかな「笑顔」が、言葉を促している。
バクは渇いた喉に唾を飲み込んで、必死に口を動かした。
自分の笑顔が引き攣っている自覚は、十二分にある。

「ああ、お、おはよう……腹、減っていないか、食堂にでも行くか?」

慌てて早口になったバクに、が首を振る。

「いい、帰る」
「ああ分かった」

流れで頷き、一拍置いてからバクは我に返った。

「――帰るぅ!?」

突然の大声は、少なからず彼を動揺させたらしい。
仮面のような笑顔が霧散し、が肩を揺らした。

「え、……駄目?」
「あ、いや……いや、ほら、一度検査でも……」
「うん、要らない」
「おい待て、待て待て待て!」

じゃあね、と言って歩き出そうとする体を押さえ、取り敢えず椅子に座らせた。
無表情がバクを見上げる。

「コムイに連絡するから、少し待っていろ」

言い置いて、急ぎ踵を返した。
いきなり彼を帰還させるなど、もっての外だ。

「(こいつは、危険だ)」

異様な静けさ。
妙に洗練された緊張感。
奇妙に落ち着いた空気は、一歩間違えれば全てがひっくり返ってしまうような危うい均衡で保たれている。
バクは、自分とはまた違った意味で、コムイがに弱いことを知っている。
あの男は「教団の神」が絡むといつも迷い、そして空回るのだ。
それは、エクソシストを人間として重んじるコムイの長所でもある。
しかし今はその優しさが、躊躇が、天秤を容易くひっくり返してしまうだろう。
取り返しのつかない過ちを犯してしまうだろう。
せめて、微笑わない彼に接する心構えだけでもさせてやらねばならない。
逸る気持ちをなんとか捩じ伏せつつ部屋を出ようとしたバクを、小さな声が呼び止めた。

「ごめん」
……?」

が、此方を見て眉を下げる。

「もう、大丈夫だから」

いつもの言葉の筈、いつもの笑顔の筈だ。
それなのに。
凍り付くような悪寒の正体をついに突き止められぬまま、バクは頷いた。

「分かった、そう伝えておく。此処で、ちゃんと待っていろよ」

首肯を確認して、扉を閉める。
歩きながら唇を噛んだ。
アジア支部とて、心の休まらない場所に違いない。
けれど今の彼を本部に戻すのは、心苦しかった。









「いやぁ、あんなにそっくりだとは……」

タップにとてもよく似た、彼の妹キャッシュの本部異動もあり、科学班にも徐々に笑顔が戻ってきた。
リーバーがリナリーに笑いかけた。

も驚くだろうな」

その名前に、つい唇を尖らせる。
旧本部が襲撃された時の蟠りが残ったままだ。
蟠りと感じているのが、たとえリナリーの側だけだとしても、まだ彼の思想に納得していない。
けれど、それとこれとはまた別の話だ。

「うん。……ねぇ、お兄ちゃん、まだ治らないのかな」

アレン・ウォーカーが「14番目」に覚醒し、我々を脅かす存在と判断が下された場合は、彼を殺す。
エクソシストへ無期限の特別任務が言い渡されたあの日、その場にいなかった
そしてちょうどその時から、医療班の一室に面会謝絶の札が掛かった。
あれから、もう十日。
コムイに聞いても、婦長に聞いても、絶対安静の一点張りで、それ以上の何も教えてくれない。
リナリーは、持っていたカップに嘆息を落とした。

「……会いたいなぁ……」
「そうだな……でもまあアイツも、たまにはゆっくり休む時があっていいとは思うよ、ほんと」

優しい顔で苦笑するリーバー。
リナリーが口を開きかけると、横から声が掛かった。

「リナリー・リー」

科学班第二班班長、レゴリー・ペックが手持ち無沙汰な様子でこちらを見ていた。
あっ、とリナリーはつい声を上げる。
結局彼にコーヒーを渡していない。
第三班班長マーク・バロウズがリーバー率いる第一班への苦情を申し立てた件もあり、立て込んだからだ。

「ちょっと待ってください、今入れます」

リナリーは慌ててカートに戻った。
湯気の立つコーヒーをカップへ注ぐ。
そして振り返ろうとしたその時、ざわりと、背筋を駆け抜けるものがあった。

「え、」

振り返った勢いで少しコーヒーが零れたが、気にはならなかった。
たった今部屋に入って来た黄金に、心を奪われた。

「お……お兄ちゃん!」

科学班員が息を呑んで彼を見つめる。
が顔を上げた。

「(……あれ?)」

――なんか、変

「怪我は治った? リナリー」

違和感は一瞬で、彼の微笑を見た途端に吹き飛ぶような、些細なものだった。

「う、うん」
「そう、良かった」

そう言う彼は、余程具合が悪かったのだろうか、少しばかり痩せたような気がする。

!」
「久しぶり、!」

次々掛けられる言葉に応えながら、彼がこちらにやってくる。
リーバーが立ち上がった。
の肩に手を置く。

「大丈夫なのか?」

真剣な瞳を、微笑がさらりと包み込んだ。

「バッチリ。心配しないで」
「……分かった。無理すんなよ」
「うん」

リーバーがそこだ、と席を示す。
本部が移っても、定位置は変わらない。
が自分の椅子を引いた。
リナリーはペックにカップを渡して、の背に手を当てる。

「何か飲む?」
「じゃあ、紅茶貰おうかな」
「……リーバーはんちょぉぉおお?」
「げっ」

渡したばかりのカップを脇に置き、ペックが腰に手を当ててリーバーを見上げていた。

「なっんっで! エクソシストにここの仕事を手伝わせてるの!? いいのそれ、ちょっと!?」
「いやあ、これはその……」

苦笑しながらしどろもどろに弁解しようとするリーバー。
班長達のやり取りを背景に、金色が椅子に座って机に肘をついた。
組んだ手に額を乗せ俯いた彼の、肩が忙しなく上下する。
まだ、身体が辛いのではないか。
寄生型エクソシストの寿命の話すら隠されていた程に、この人は、リナリーの前では不調を見せない。
例外はあの方舟の中くらいだ。
今も同じように隠せない苦しみがあるとしたら。
開放してしまった聖典が、それほどまでに苦痛なのだとしたら。
じわりと緊張が肌を粟立たせる。

「大丈夫? お兄ちゃん」

震えそうになったその問いに、彼は答えなかった。
肩の動きが止まる。
が僅かに顔を上げ、横目で二人の班長を見上げる。
白い唇が、開いた。

「……ねぇ、」
「まったく本部科学班ときたら! 神の使徒を何だと思っているんだ! 給仕だの雑用だのって……」
「貴方、誰」

――なんか、変だ

冷え切った声。
芯まで染み込む氷のような空気。
直接言葉を向けられたペックだけでなく、リーバーまでもが固まっている。
彼に一番近い場所に居たリナリーも、当然、凍り付いた。
ぞわりと総毛立つ。

「誰」

科学班特有の喧騒が消えた。
たった一言、先ほどよりも強く掛けられた声に、ペックの喉は掠れた息しか返していない。
辛うじてリーバーが唾を飲み込んだ。

「科学、班が……三班構成になったんだ。彼は第二班の班長で、中央庁から来たレゴリー・ペック」
「……中央庁……」

が顔を上げて、立ち上がる。
身動きすら赦さない厳格な空気を纏ったまま、彼はペックに柔らかな微笑みを向けた。

「はじめまして。俺は、エクソシストです。よろしく」

ペックが青ざめ、冷や汗を流す。

「キ、ミ……あなた、が……」

その先の言葉を継げないでいるペックへ、もう一度彼は微笑んだ。
先程の威圧感が嘘のように、いつもの温もりが駆け抜ける。
が一度俯いて、振り返った。

「ごめん、兄貴。ちょっと抜けるよ」
「ど……どうした?」

いつもと変わらない、綺麗な笑顔。

「用事済ませてくる。紅茶、戻ったら飲むから」

最後の言葉を此方に向けて、彼は扉へ向かう。
その途中で、未だ固まっているペックに鋭く向けられた視線を、リナリーは見ていた。

――何か、おかしい









「あ」

階段を下りるアレンが、呟いた。

「リンク、置いてきちゃった」

戻ろうかなぁ、いや、また長官に会うのも何だかなぁ……。
ティムキャンピーの隣で、彼は唸り声を混ぜながら呟いている。
結局は放っておこうと結論を出したようで、うんうんと一人で頷いた。
ティムキャンピーは、彼が戻した視線の先を見る。
そこには、十日ぶりの黄金色。
アレンが息を飲んだ。

「兄、さん……」
「ああ、アレン。監査官はどうした?」

微笑みを湛えたまま、彼は淡々と階段を上ってくる。

「長官と一緒に、例の部屋に……」
「そうか、ありがとう」

僅かに漆黒を鋭くし、僅かに瞼を伏せ、が頷いた。
二人は、擦れ違う。
アレンが彼の腕を掴んだ。

「待ってください!」
「ん?」
「どこ、行くんですか」

真剣な瞳が、兄弟子を見つめる。
が幾分か柔らかい眼差しを返す。

「長官のところだけど」
「だ、ダメです!」
「俺が何かすると思ってんのか? 大丈夫、話をしたいだけだよ」

笑うの腕をぐっと両手で握り締め、アレンが首を左右に振った。

「そうじゃなくて、だって、……あの人が、師匠を襲わせたかもしれないのに!」

しんとした空間に、アレンの声だけが響いた。
この十日、ティムキャンピーの相棒は、ずっとそれを疑ってきた。
現に、今その疑惑を当のルベリエにぶつけてきたところだ。
が静かに、腕の拘束を解く。

「俺は……長官を信じる」

予想外の言葉。
有り得ない、とでも言うように、アレンが目を見開いた。

「どうして……」

漆黒がアレンを射抜く。

「お前を信じるのと、同じだよ」

が、次の段に足を掛けた。

「お前にも長官にも、疑う根拠が無いからだ」

一段高い場所から優しく見下ろされる。
くしゃ、とアレンの頭を撫で、彼は笑った。

「何か最近、背伸びてきたな」
「え……あ、まぁ……」
「見下ろせるのも、今のうちか」

また一段上がって手を離したは、もう此方を見てはいなかった。

「じゃあ、また」

階段を上る背に、アレンが慌てて声を掛ける。

「兄さん! ボクも……」
「大丈夫」

肩越しに振り返った笑顔。
呆然と固まるアレン。
ティムキャンピーは、そっと白の傍を離れ、金を追った。
、彼の傍にいると、自らの存在などあっという間に塗り潰されてしまう。
視覚的にも、あの黄金色の髪に身を寄せていると同化してしまうようだ。
ひらり、彼の肩に降りると、の掌がそっと被せられた。

「録るなよ、ティム」

離れていく手の向こうには、苦笑がある。

「恥ずかしいだろ」

決して真実ではないだろうその言葉に、しかしティムキャンピーは肯定の意を示そうと思った。
体を縦に一度振る。
が満足そうに笑った。
コンコン、彼の手が扉を叩く。
ややあって、扉は開いた。
ティムキャンピーの傍らの漆黒と、扉の内側の赤褐色、両者の眼差しがかち合った。
ぎょっとした顔で、リンクが後ずさる。

「っ、……」

彼の背後で、ルベリエが勢いよく振り返った。
がぐいと扉を押し開け、ルベリエを視界に収める。
ルベリエが立ち上がり、前のソファを示した。
無言で頷いたが、リンクに腕を差し出す。

「はい」
「は……?」

その手には、黒光りする銃と、真新しいナイフがのっていた。
イノセンスだ、手離してしまうのだろうか。
ティムキャンピーは焦ってを見上げた。
リンクも戸惑った顔をしている。
が横目を鋭くして、リンクの手にそれらを押し付けた。

「『手が滑る』かもしれないから」
「……お預かりします」

その場に在る心をゆっくりと薙いでいく空気の刃。
渡された物の重みに、そして少なくない緊張に、監査官の手が震える。
そんなリンクなど素知らぬ顔で、がルベリエの示したソファに座った。
脚を組み、肘掛けに軽く凭れて俯く。
ルベリエが、先程アレンにも勧めていたケーキの皿を持ち上げた。

「如何かね?」

大儀そうに顔を上げたが、首を横に振る。

「そうですか。……具合は?」

ふ、と空気が嘲笑を抱いた。

「こうして、貴方の顔を見ることが出来るくらいには」

ルベリエが背をすっと伸ばした。
互いにいつもの笑みを浮かべているだけなのに、どこか、奇妙だ。
リンクの顔を見るに、こんなに張り詰めた上司を初めて目にするのかもしれない。
ティムキャンピーにしても、ここまで研ぎ澄まされた黄金を目にするのは珍しいことだ。

「聞いてもいいですか?」

彼が、柔らかな声色を使いながら目を細めた。
ルベリエの手が、肘掛けの上で強張る。

「……わたしでは、ありませんよ」
「そうだろうと信じることにしました」

この十日で、彼も何かしら考えを巡らせたのだろう。
行き着いた先は、どうやらアレンとは別の場所だったようだ。
リンクが目を瞠り、ルベリエが固まった。

「貴方にとってクロス・マリアンは、まだ利用価値があったと思うから」

そうでしょう? 斜めに見上げる瞳の切れ味は抜群で、二人が言葉を失っている。
ティムキャンピーにも分かる。
否と答えたら最後、彼は躊躇いなく「手を滑らせる」つもりだろう。
武器を預けたのはあくまでも建前。
彼が本気でやろうと思うなら、丸腰のままでイノセンスを発動させることも可能なのだから。
果たして、その緊張の中でルベリエが頷いた。

「……ああ。彼にはまだ、聞くことがあった」
「ならば、誰が。まさかとは思いますが、……まさか、中央庁が?」
「わたしは、そう考えている」

リンクがルベリエへ視線を移した。
も、正面からルベリエを見つめていた。
ティムキャンピーもそれに倣った。

「誰かが、わたしに何の断りもなく、実行した」

部屋に流れる沈黙。
何故、どうやって。
聞くべきことはまだあるだろうに、聞きたいことは聞いた、と。
まるでそんな態度で、黄金が頷いた。

「……そうですか」

彼は立ち上がり、扉へと歩いていく。
後を追うティムキャンピーの更に後ろから、ルベリエがを呼び止めた。

「随分簡単に信じたものだ。もしも、わたしが嘘をついていたとしたら……キミは、」

空気が、揺れる。
微笑を湛え、彼が振り返った。
室内の呼吸全てが奪われる。

「幸運を祈ります、長官」

リンクの手にのせていた二つの武器を、持ち主が引き取った。
それらをいつものように腰に提げながら、彼は部屋の外へ出る。
扉が閉まり、が強く長く息を吐いて立ち止まった。
細かい呼吸が数回、彼がゆっくりと歩き出す。
ティムキャンピーは金色の周りをゆるりと飛んだ。
静かな廊下だ。
このまま何処に行くのだろう。
階が変わる。
不意打ちのようにが言った。

「『宿主』についていなくてよかったのか? ティムキャンピー」

ティムキャンピーは、ぴたりとその場に静止してしまった。
この人は、好きだ。
ただのゴーレムを家族として、丁寧に、親愛をもって扱ってくれる。
彼が子供の頃から知っている。
彼の妹が生きていた頃から。
彼の両親が生きていた頃から。
彼の幸せな世界がまだ存在したあの頃からよく知っている優しい眼差し。
それが今、消え失せた。

「お前、本当に師匠が造ったゴーレムなのか」

冷え冷えとした声音に、反応など出来ない。
沈黙が降りる。
いつの間にか、も足を止めていた。
彼の手が伸ばされる。
つい身を竦めたティムキャンピーは、やんわりと手のひらに包み込まれていた。

「いや、仮に『14番目』の手先でもいいんだ。……なあ、ティム」

信じてるよ、お前はアレンを蔑ろにしない、って。
囁くように、彼は手の中に声を落とした。
ティムキャンピーは、じっとを見上げる。
子供の頃からよく知っている。
きっと、この人はアレンを――。
この機械の体のどこから、涙は出てくるのだろう。
体を擦り寄せたその手は、いつの間にか大人の手になっていた。









   BACK      NEXT      MAIN



160320