燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









いいのかな
本当にいいのかな、と
今、そっと手を伸ばす



Night.72 午前六時の温もりに









「丁度良い、ちょっくら付き合え、!」

ソカロが吼えた。
が険しい顔つきでバクから距離を置く。

「バク!」

彼の怒声を聞くまでもなく、バクは即座に帽子の精霊石に血液を垂らした。

「封神召喚!!」

元死刑囚として名高く、殺し合いが趣味の元帥。
食堂中の、感染者達。
アレンを始めとするエクソシスト感染者。
クラウドとティエドールの両元帥までいる。
いくら護衛が頼もしかろうが、たった二人では結果は火を見るより明らかだ。
何故、自陣で命の危機に晒されなければならないのか、甚だ理不尽である。

「うっわ!」

喚び出されたフォーが、げんなりした顔でバクを抱え、飛びすさる。

「フォー、あそこだ! あのロボットにデータがああ!」
「んなこと、言ったって! 取れねぇよ!」

アレンと神田を蹴り飛ばし、フォーが怒鳴る。
武器に変えた両腕も、ただの人間相手には使えない。
苛ついたようなフォーの舌打ちが聞こえる。

「取り敢えず、ジジ達はこっちで準備始めてるから! ほら、無線!」

投げ渡された無線を掴み、身の安全をはかりながらスイッチを入れた。

「聞こえるか? ジジ」
『おう! いやもう扉の外の唸り声が怖いんだよ、早くワクチンを持って来てくれ!』
「ボクもそうしたいのだが……!」

話している間にも、フォーに引きずられて食堂の端まで後退する。
目の前を、が飛んでいった。

!?」
『んあ!? アイツがどうしたって!?』

ジジや支部員達が無線の向こうで騒いでいる。
直に見ているバクやフォーは目の前の騒動から逃れるにも一苦労だ。
を放り投げた犯人は、それは愉快そうに笑いながら彼を追い掛ける。
壁に叩きつけられる前にくるりと回転したが、壁を足場に飛び出した。
ソカロが後を追う。
なんと「神狂い(マドネス)」を振りかぶって投げつけた。
対する「福音」の連射弾が些か頼りない。
しかし、何発も命中すれば流石に影響を与えるらしく「神狂い」の軌道が逸れた。
その隙を狙って、がソカロに照準を合わせる。
そこに、後ろから近付く影があった。

「危ねぇ! !」

フォーが叫ぶ。
背後から彼を羽交い締めにしたのは締まりの無い顔をしたティエドールだった。

「会いたかったよー、。さあ、キミも一緒に……」

が顔を引き攣らせ、しかし決意したような表情で俯く。
自分達の身の危険も忘れ、はらはらと見守るバクとフォー。
その視界の中心で、彼は首筋を狙う不埒な元帥に対し、勢いよく顔を跳ね上げ頭突きをした。
弱まった拘束を振り切って、流れるように鼻のあたりを殴り飛ばす。
訳の分からないことを呻きながら倒れ込み気を失うティエドール。
若干涙目で頭を抱え込む
バクがそちらに一歩踏み出そうとした時、が怒鳴った。

「右だ! フォー!」

フォーがハッと右を見たのと、バクの腕を引いたのはほぼ同時だった。
バクを引きずって跳び退ったフォーが、眼前のマリに蹴りを食らわせて遠ざける。

「お、おい!?」

と思ったら、唐突に手を放されてしまった。
向かってくるミランダやブックマン、婦長を蹴り飛ばし投げ飛ばし。
突進したフォーは、すっかり失念していたコムリンEXの頭を掴む。
ほっとしたのも束の間、彼女はそれを此方に向かって投げた。
何てことだ! バクは思わず叫ぶ。

「丁重に扱えー!!」
「うっせぇ馬鹿バク!」

バクは慌ててコムリンEXの頭を抱えた。
急いで中を開けると、記録媒体に損傷は見られない。
これならワクチンもすぐに作れるだろう。

! データは手に入れたぞ!」

彼方では第二次ソカロ戦が勃発していた。
援護しに行こうと動いたフォーの行く手を阻んだのは、対アクマ獣ラウ・シーミンだ。
舌打ちしたフォーが、殴りかかってくるラウの腕をするりと抜けて腹に蹴り込む。
その足を掴み取られ、フォーが目を見開いた。

「やっべ……!」

腕を鎌の形に変えて振りかぶり、威嚇する。
ラウが避けるように身を引き、何とか脱出したフォー。
背後に回り込んで、頭を蹴りつける。
聞こえる銃声が、いつの間にか随分と重い音に変わっている。
建物の損害も構わず、が容赦なく凍結弾と火炎弾を放っていた。
無理もない。
銃弾がほぼ全裸の体を掠めても、嬉々として足を止めないソカロがおかしいのだ。
フォーがクラウドを引き倒して気絶させる。

「バク、これじゃ埒があかねぇよ!」

早くワクチンを作って元を断たないと。
そうは言われたが、を置いていくわけにはいかない。
しかし、このまま暴れていて解決するわけでもない。
キリがないのだ。
バクは決心した。

! ボク達は先に戻る!」

「神狂い」の猛攻を、「福音」の銃身で受けている彼へ、バクは叫ぶ。

「いいいっ、急いでワクチンを作るからな!」

聞こえているかすら怪しい状況だ。
しかし、「神狂い」を跳ね除けて拘束弾を放った彼は答えた。

「行けたら行く!」

早くして! と言いながら、が身構える。
拘束弾を見事な反射で避けきったソカロが、大口を開けて笑った。

「ああん!? 逃げる気かぁ!?」
「アンタは黙って俺だけ見てろっ」

フォーに促され、バクはを置いて走り出す。
彼一人を犠牲に――と、味方の本拠地で考えるのも変な話だが。
一刻も早くワクチンを作って、彼を死地から救わなければ。
バクは人生で一番、本気で走った気がした。









勝敗は、案外すぐに決した。
フォーが伸した団員達の体に、ソカロが躓いたのだ。
その隙を逃してしまうほどには、体は鈍っていなかった。
すかさず拘束弾を放ち、五発も使って全身をがんじがらめにした。
躊躇という言葉を辞書から消して、銃身で側頭部を殴り付ける。
はがくりと項垂れた。
完全に呼吸は乱れているし、気持ち悪いほど鼓動が五月蝿い。

「ちっ……」

この元凶達には、必ず後で物申してやろうと心に誓った。
エクソシスト勢は、フォーが粗方片付けてくれている。
は飛び掛かってきたラビの首根を掴んで放り投げた。
体が子供サイズになっていたが、恐らくそれも別の薬のせいだろう。
あの薬には覚えがある。
心なしか、自分が被害に遭った時よりもラビの方が「大きい」気がする。

「(……無駄に悔しいな)」

思わず顔を顰めた。
廊下を走りながら、拘束弾を放つ。
守る相手がいなければ、すり抜けること自体はそう苦ではなかった。
それでも気を抜くことは到底不可能で、は全力疾走で方舟の部屋へ辿り着いた。
追い掛けてくる団員達に照準を合わせながら、扉に向けて声を掛ける。

「開けて!」

もしかしたら警戒されるかも、という不安は杞憂だった。
扉は内側から開けられて、はその中に滑り込む。
寧ろ、これでは警戒心が少ないくらいだ。
フォーが鍵を掛ける音が聞こえる。
手の空いているアジア支部の科学班員達がバリケードを築く音が聞こえる。

「出来たぞ! ワクチンだ!」

ジジの雄叫びと班員達の歓声が、スプリンクラーに薬を繋ぐバクの指示が、聞こえる。

「(やっと終わった……)」

は、自覚するほどぐったりとその場に座り込み、「福音」を床に投げ出した。

「大丈夫か」

フォーが背を擦ってくれるが、息が切れて言葉にならない。
はうん、と一つ頷いた。

「よしよし。ちゃんと吐いて、ゆっくり吸えよ」

ゆっくりゆっくり。
呪文のように彼女が言うので、声に合わせて呼吸を整える。
やっと顔を上げられる状態になった頃、部屋の外から水の吹き付ける音が聞こえた。
呻き声が収まり、ざわめきに変わる。
バクが傍にやって来た。

「どう思う、。開けても平気だろうか」
「……知らな、い……いいんじゃ、ない……?」
「……よし」

バクがジジ達に指示を出す。
彼らはそっと、そろりと扉を開けた。

「あ、あれ? ジジ?」

外に居たらしい本部科学班員の声が聞こえる。
成功だ! とアジア科学班が喜ぶ中で、はフォーの手を借りて立ち上がった。
感情を燃料に、ふらつく足を動かす。
館内放送のスイッチを、押した。

「科学班……それと、コムイ。集合。方舟の部屋」

部屋の外が一瞬静まり、次第にざわめきが広がっていく。
放送を切ったは、暫く機械に凭れて疲れと怒りをやり過ごすことにした。
外のざわめきが大きくなった頃、フォーが笑いながら言った。

「アイツら、来たみたいだぞ」
「そう……」

重い体を動かして扉を開け放つと、部屋の前には見事に正座した面々が揃っていた。
は仁王立ちをして、腕を組む。

「あ、の、その、……」
「何か、言い訳がおありですか? コムイ室長」

わざと、滅多にしない言葉遣いで堅苦しく問い掛けた。
それだけでコムイの背筋がぴしりと伸びる。

「ひぃっ! ありませんっ!
……いやでも、その、ただ、ボクはね、そのぉ……すっ、すみませんでしたぁっ!」

この場の最高司令官が、頭を床に擦り付けた。

「ジジ」
「おう」
「こいつ、吹き抜けにぶら下げてきて」
「よしきたぁ!」

そんな殺生なー! と、コムイが叫んでいる。
しかしアジア科学班のメンバーは、それは楽しそうにコムイを引きずって出ていった。
さて、と息をついて、はリーバーを始めとする残りの班員に目を向けた。

「待て、聞いてくれ! オレ達はコムビタンDを室長の手から取り上げたんだ!」

そうだそうだと、班員はリーバーの弁明を援護する。
は笑った。

「じゃあ、何で捨てなかったの?」
「うっ!」

言葉を詰まらせる彼らを前に、は吸えるだけ大きく息を吸う。

「だから! いつも言ってるだろ! アイツの変な発明は捨てろって! とにかく捨てろって!」
「だだ、だって、一応あれでも凄い発明なんだぞ!」
「そうなんだよ! 捨てるにはちょっと勿体ないんだ!」
「今後の研究の参考にしようと思ってたんだよ!」
「そういうこと言ってるから、こんなことになるんだろうが!」
「あ……、あの、」
「なに!」

持てるエネルギーを使い果たす勢いで怒鳴る。
その流れで振り向いて、は少し焦ってしまった。
に呼び掛けたのは、科学班員ではない。
巻き込まれた団員達はこの騒動の被害者だ、怒りをぶつけてはいけない。
慌てて取り繕おうとしたは、彼らを見て目を瞠った。
警備班員が、震えている。
探索部隊が、泣いている。
厨房の面々が、涙を拭って笑った。
最初に呼びかけた警備班員が口を開く。

「もう、大丈夫、なんですか?」

一瞬、何のことか分からなかった。
ふと自分が最後に彼らに見せたであろう姿に思い至る。
恐らく、あのレベル4戦。
余程みっともないところを見られたに違いない。

「あ、……うん」

苦い思いでは答える。
問いを発した警備班員は、長い息を吐き出して何かを呟いた。
え? と聞き返す間もなく、警備班員が鼻を啜り顔を覆う。
絞り出すような泣き声。
思わず顔を覗き込もうとすると、ジェリーが人混みの隙間を縫って此方に来た。
いつもの笑顔だが、見たこともないほど髪が乱れている。
そして、サングラスの下から流れる涙。

「ジェリー、何で……」

何で泣いてるの、と聞く前に、驚くほど優しく抱きすくめられる。
戸惑いが大きくて、科学班への怒りはあっさり鎮まってしまった。
助けを求めてフォーを見ると、彼女は肩を竦めて笑った。

――よ、か、っ、た――

唇がそんな風に動いた。

「(あ、そうか)」

――心配、させてたのか

ジェリーの方へ顔を戻す。
逞しい体の温もりに、身を預けてみる。
しゃくりあげながら優しく髪を撫でてくれる彼女の背に、手を回してみる。
迷惑をかけたら、心配をさせたら、人は死んでしまうのだ、と。
そんな思いは確かにまだあるけれど。

「……ありがとう」

は、小さな声でそう言った。
ずずっと大きく鼻を啜って、ジェリーが体を離した。

「元気になって、ほんとによかった」
「うん。皆も、ありがとう」

口々に返される言葉に、自然と微笑みを浮かべる。
泣き続けている警備班員の頭を撫でながら、思い出したようにジェリーが首を傾げた。

「それにしても、よくすんなりアジア支部を連れて来れたわね」
「え、ああ、えっと……」

何と言ったものか、がアジアに居たことは公にしていない筈だ。
言い淀むと、フォーがすかさず口を挟んでくれた。

「詳しく言えないんだけど、色々用があってさ。丁度アジアに呼んでたとこだったんだよ」

なるほど、と周囲から声が上がり、も心の中で同じように呟いた。
なるほど、あながち嘘ではない。

「それより、いいのか? アイツら、お咎め無しで」

ニヤリと意地悪く笑って話を逸らすフォー。
便乗して和やかな雰囲気になっていた科学班が、一気に顔を引き攣らせた。
は馴染みの面々に笑い掛ける。

「絶対ダメ」

彼らの絶望した悲鳴と、他の団員達の詰問の声とが入り交じり響いた。
嗚呼、懐かしい。
こんな「普通」の教団の姿を見るのは、江戸に向けて発った時以来だ。
嗚呼、懐かしい。
微笑んだの背中、心臓の裏側に、フォーがそっと手を当てた。









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