燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
崩れるまで削って
割れるまで投げて
壊れるまで叩いて
ようやく僕らは、過ちに気付くのだ
Night.66 神様の玩具たち
「リナリーは寄生型ではないことがわかった。でもその前に……」
コムイが白い目で一同を見渡す。
「ちょっとそこ、耳隠してくれるかな? 真面目な話だから」
「僕ら真面目に聞いてます」
耳を赤く腫らして、エクソシスト達が項垂れながら答えた。
ティエドールは残る二人の元帥と共に、彼らに沈黙を向ける。
襲撃の傷痕も少しずつ落ち着いてきた頃、エクソシスト達はの病室に集められた。
あの日発現したリナリーのイノセンスについて説明を受けるためだ。
ティエドールは、腰掛けているベッドの主にちらと目を遣る。
今はやむを得ず此処に集合しているが、本来ならまだ彼は面会の許しが下りていないのだ。
自分達が呼び出されてから全員が集まるまで、結構な時間が経っている。
待ちくたびれてしまったのだろう、瞬きの間隔が長い。
布団の上から軽く体を叩くと、胡乱な視線がティエドールを見上げた。
「大丈夫かい? 」
小声の問いかけに応える緩慢な頷き。
がコムイへと漆黒を移す。
コムイもこちらを窺って、話を始めた。
曰く、寄生型は人体とイノセンスが細胞レベルで結合している。
イノセンスが、肉体そのものを全く別の細胞組織で「対アクマ武器」に造り変えた結果だと。
あからさまに呆れたような鼻息を吐いて、ソカロが言い放った。
「まわりくどく言うな、室長。要するに、化物になるってことだろ」
「貴様は言葉を選べんのか、ソカロ」
顔を顰めてクラウドが諫める。
ミランダが傍に立つアレンをひそりと気遣うが、少年は微笑んで視線を室長に戻した。
そうだ、これは前提であって、まだ本題ではない。
並び立つリーバーがボードに目を落とした。
「リナリーの足は検査したところ、そういった変化はみられませんでした」
ティエドールは思考を研ぎ澄ませた。
「体内にもイノセンスの反応はありません。ただ、足に残った『結晶』」
部屋中の視線が、二人の隣に座るリナリーの足首に向けられた。
真っ赤なリングのような結晶が、まるで装飾品のようにも見える。
「これは元はリナリーの血液だったものですが、今では全く別の金属組織に変わっているんです」
「ヘブラスカも、イノセンスの反応はここからすると言ってる」
コムイが後を引き取ると、ラビがいち早く目を瞠り、呟いた。
「なるほど……『血』か。適合者の体の一部……」
室長が頷く。
「これは、装備型の進化型だ」
ティエドールは息を飲んだ。
適合者の血液と引き替えにそこからイノセンス自体が武器を生成する、新しい「カタチ」。
血が両者の媒介となり、元来の武器化よりも強い力を制御できるようになったという。
「おそらく武器が損傷した場合も、適合者の血液さえあれば修復も可能でしょう」
リーバーの言葉から光景を想像して、皆が一様に渋い顔になる。
その時、ティエドールの服がつ、と引かれた。
目を遣ると、訝しげな顔でが何かを言おうとしている。
「ん? どうしたの?」
聞き取ろうと身を屈めると、が表情を変えないまま口を開いた。
「俺のと、どう……違うん、ですか」
彼に頷いて、顔を上げる。
「室長、いいかな?」
呼び掛けてその問いを伝えれば、コムイが体ごと此方を向いた。
が視線を動かす。
「『聖典』が武器として宿ったのは心臓で、血液はイノセンスに操られて動いているだけだ。
血液自体が武器化しているわけじゃない……そこが一番の違い、かな」
そこまで聞いて、彼の視線の先を見て、ティエドールは質問の真意を悟った。
の肩に手を置き、コムイに尋ねる。
「じゃあ、彼のような副作用は……」
コムイが目を瞠り、唇を噛んだ。
眼鏡の奥で瞳が揺れて、瞬きの後にを見つめた。
「あくまで装備型の一種であるなら、その可能性は低いと踏んでいます。……大丈夫だよ、」
それを聞いて、彼の肩から力が抜ける。
起こしかけていた頭を完全に枕に預け、目を閉じて呟いた。
「……よかった……」
リナリーが此方を見て、しかしすぐに目を逸らす。
「(おや?)」
じわと赤くなる目と、顰められた眉。
どこか悔しそうに俯いた彼女の表情が、いやに印象に残った。
ひとつ深呼吸をして、コムイがまた気丈に前を向く。
「一応ボクらで、これは『結晶型』と名付けた」
「それはリナリーだけにしか起こらないのか?」
「いや。まだ断定は出来ないが、おそらく他の装備型適合者にも起こる可能性は高いだろう」
ティエドールは呟く。
「神様は僕らを強くしたいってことか」
「……仕方ありません」
マリが僅かに俯いた。
「先日の襲撃……江戸からの帰還直後でスキがあったとはいえ、元帥がいなければ本部は壊滅でした」
伯爵は、我々などいつでも殺せる。
彼が感じたその感覚は、あながち外れてはいないだろう。
レベル4にしても、一体何人掛かりで倒したか。
二体を、六人だ。
神田とラビがイノセンスを持っていなかったことを差し引いても、臨界者が三人に、結晶型が一人。
戦力の差は明らかだった。
「……でも」
掠れた声が呟く。
「向こうにだって、隙くらい、あるだろ」
が横目で一同を見渡した。
「大丈夫……同じ、人間だ」
語気を強めて言い切り、しかしそこが限界だったのだろう。
短い息を吐いて、目を閉じてしまった。
代わりに、部屋には笑い声が響いた。
彼がたまにするクロスの弟子らしい不敵な発言は、ソカロの気に入るところだ。
一頻り笑ったソカロが、満足そうに頷く。
「違いねェな」
目を瞠って聞いていたコムイが、力を抜いて苦笑した。
目配せを受けて、リーバーが奥へ向かう。
「皆には今まで通り、任務を頑張ってもらいたい。それと……」
ドクターと婦長がベッドの横へやって来た。
ティエドールにも聞こえないほど小声で、に話し掛けている。
エクソシスト達が視線を交わす中、コムイが言った。
「は、暫くアジア支部で静養させる」
えっ。
声を上げたのはアレンで、彼は慌てて口を噤んだ。
不安そうに視線を惑わせたのは、決して彼だけではない。
寧ろ、納得した顔をしているのは神田くらいだ。
「この事は、エクソシストと医療班、一部のサポート派しか知らないことだ」
余計な混乱を避けるためだと、ティエドール達は一足早くそう聞いていた。
仕方ない、エクソシスト達でさえこの反応なのだから。
ありのままを公表すれば、サポート派の多くには大混乱を生むだろう。
「彼はまだ医務室で、面会は出来ない。何か聞かれたら、そう答えておいてくれ」
共通の認識を確認して、その場は解散になった。
コムイはベッドの側へ来て、ドクターと移動の段取りを話し始めた。
一瞬表情を変えていたラビは、そんな気配を微塵も見せずにブックマンと部屋を出る。
また悔しげな表情を浮かべたリナリーは、彼女の態度に弱り果てるリーバーと共に。
アレンは一度を振り返ってから、ミランダと共に。
各々が退室する中、部屋にはまだティエドールの愛弟子達が残っていた。
「ん? どうしたのユーくんまで」
「ヤメテクダサイ」
殊更に嫌がった顔で、最早片言になってまで拒否する神田が微笑ましい。
慌てるチャオジーに苦笑して、マリが言った。
「師匠も、に着いてアジアに向かわれるんですか?」
「いや、行かないよ。今はその、座る場所が他に無くてね……」
「そうでしたか」
朗らかに笑い合っていると、神田がこれ見よがしに舌打ちをして、行くぞと二人に言い放つ。
「まっ、待ってくださいよ神田先輩! お、オレ、不安で……!」
「あ?」
ティエドールの方に、怖々した視線が向けられた。
ん? と首を傾げてやれば、チャオジーが気まずそうに目を逸らす。
「静養なんて、何処でも出来るじゃないスか。様が本部から離れる必要なんて……」
「下らねぇ」
神田はふんと顔を背けて歩き出す。
ばっさり切り捨てられて押し黙るチャオジーに、マリが笑いかけた。
「任務に出てると思えば、大して気にならないだろう。……と、言いたいんだ、アイツは」
「何勝手なこと抜かしてやがる! マリ!」
うちの弟子達はなんて可愛いんだろう。
微笑んだティエドールと、目を吊り上げて振り返った神田の視線がかち合った。
また嫌そうに顔を逸らし、捨て台詞のように乱暴に神田が呟く。
「やっと人間扱いされてんだ。何か問題あんのかよ」
「(嗚呼、そうか)」
ティエドールはマリを見た。
今の彼と同じような表情を、自分もしているだろう。
の人間としての側面に拘る神田の、素直な本心だ。
こればかりは、きっと他の誰にも理解できない。
その不器用さが愛おしくて、ティエドールはにっこりと笑った。
眠ったままの状態で寄越されたのは、かえって丁度よかったかもしれない。
フォーはベッドに頬杖をつきながら、先程の喧騒を思い出した。
支部員には「療養に来るんだ」ときちんと伝えた筈なのに、何故いつものような歓声が上がるのか。
「許せよー、。多分あいつら、アジア支部が選ばれて誇らしいだけなんだ」
静かな部屋で、フォーは囁く。
レベル4との戦いでが遂に禁を破ったと聞いたときは、思わずかっとなって壁を殴った。
けれど、すぐにフォーは思い直したのだ。
いつかこうなると、分かっていたじゃないか。
今はただ、息をしてくれているだけで十分に思える。
まだ随分と酷い顔色だけれど、それも少しずつ良くなるだろう。
「フォー、変わりはないか」
バクが扉を閉めながら尋ねる。
「ああ、よく寝てる」
彼も本部襲撃の傷が癒えぬまま仕事を再開した一人だ。
椅子を譲ろうとしたら、固辞された。
「(またすぐ仕事か)」
本部科学班が機能しない今、アジアの科学班が頼られるのは当然のことだ。
バクがを見つめる。
「……本部の人間は、よほど参っているんだろうな」
「ま、仕方ないんじゃねえの」
フォーはバクを見上げて、答えた。
「お前とおんなじように怪我してさ。仲間も死んで、その上がこうなら」
あたしだって、きっときついよ。
そう言って笑えば、バクの硬い表情も少し崩れた。
笑うのに失敗したような顔をして、彼が肩を竦める。
「そうだな。此処でコムイに恩を売っておくのも悪くない」
「そうそう、その調子その調子」
フォーはバシリとバクの尻を叩いてやった。
「いっ!?」
その反応に笑いながら、思う。
きっと、本人にもアジアの方が居心地が良い筈だ。
より一層、「神様」を求めるようになってしまった教団本部と比べれば、いくらか。
その部屋に、ロードがいた。
「お前、学校は?」
「サボりぃ」
背凭れを体の前面に持ってきて、椅子をくるくる回して遊んでいる。
ティキは適当に返事をして彼女に近付いた。
「アレだな、この部屋って、普通の温度になる時もあったんだな」
「何言ってんのティッキー、当ったり前じゃん」
「いや、だってさ……ムカつくな、その顔」
ティキは苦笑する。
まるで「彼」を意識したかのような蔑んだ笑みが、地味に腹立たしい。
そして言い返せない自分も腹立たしい。
「ティッキーはさぁ」
「ん?」
ロードが、彼の眠るベッドに背を向けて、言った。
「これで良かったと思う?」
「……どうしたよ、お前が」
「んー? んー。千年公はさ、多分彼のコト、家族だなんて思ってないよねぇ」
――良くて、下僕だよ
ティキは煙草に火をつけた。
ペットじゃねぇの、という言葉を、吐き出した煙に隠す。
「かもなぁ」
こびりついた血臭は未だ消えず。
煙草の煙が漂っていく先には、未だ何の動きも無い。
部屋は、まだ暖かい。
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