燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
怒りの炎
つまりそれは赤の逆
青く白く白く酷く冷めた思考のような
神の諦めにも似た溜め息ともとれる
哀しみの様な世界の凍結
凍るとは即ち
停止するということ
Night.6 裏切られた男
「ティッキぃー、ソレちゃっちゃと終わらせちゃってよねぇー。あれ? ミザニーはぁ?」
「自室(しろ)にこもりっきり」
暗い部屋。
そこだけが明るい丸テーブル。
書物を積み重ねて、固まって座る三人。
――それは
世界の終焉を描く「千年伯爵」。
「夢」を司るノアの一族、ロード・キャメロット。
「快楽」を司るノアの一族、ティキ・ミック。
三人は、ロードが溜めた大量の宿題を片付けているところである。
必勝のハチマキを付けた伯爵が、手を休めることなくティキに確認を取る。
「おヤ、ティキぽん、ちゃんと呼びに行きましたカ?」
ティキはうんざりと頬杖をついた。
「とっくの昔に行きましたよ」
「じゃあ何で来ないのぉ?」
間延びした口調のロードは、端からやる気などは無く、机にぺたりと頬をつけている。
真面目に宿題を進めているのは伯爵だけだ。
ティキは故意でなく誤答を書き込み、答えた。
「また読書中毒」
上目遣いでティキを見上げ、ロードは言う。
「ドアぶっ壊して椅子ごと引き摺ってきてぇ」
伯爵とロードの熱い視線を受けて、ティキはしぶしぶ立ち上がった。
「……了解」
目指すは、自分以外には本名で呼ばれない、薄紫の長髪を持つ医者の部屋。
「おい、ミザン?」
扉の前から呼び掛けるが、返事など、返ってきたためしがない。
遠慮なく扉を通り抜け、ティキは部屋に入った。
むっとするような血の臭い。
壁は全て本棚。
入りきらなかった本が床に山積みになっている。
部屋の中心には医療器具が散らばる台と、血塗れのベッド。
その傍らの回転椅子を見て、ティキは溜め息をついた。
青年には、夢があった。
「彼」のように、誰かを自分の力で救うという夢が、あった。
青年には親友が居た。
人の為に怒ることのできる、優しく、心の広い友。
青年の髪の色を見ても、決して差別をしたりしない、友。
安心させる微笑みをくれる友。
二人は同じ道を歩もうと約束していた。
綺麗な未来を、信じていた。
親友は、志半ばで死んだ。
運命が、不条理なものだと知った。
残された青年は道を歩み続け、やがて医者になった。
夢は、夢でしかなかった。
道の先には、行き止まりしかなかった。
人が毎日死んでいく。
夢見た未来は、どこにも存在しなかった。
人は死ぬものだと悟った。
神に、裏切られたと思った。
絶望が、身を焦がした。
病院では、誰も人のために生きてなどいなかった。
貧しさの為に見捨てられる人間。
金持ちの為に、殺される人間。
人を救うはずの場所で、自分が醜い取引の末端に居ることを知った。
堕落した人間達。
青年は哀しかった。
ただ、哀しかった。
人間に「裏切られた」と感じた。
――それは遠いノアの記憶――
自分が人間であると、認めたくなかった。
自分が醜いモノであると、認めたくなかった。
自分で世界を終わらせようと思った。
自分が人間を裁こうと思った。
自分が、裁かれたかった。
額の聖痕の痛みは、苦痛ではなかった。
その痛みこそが、自分の罪だと思った。
赤い
紅い
朱い
あかい
あかイ
アかイ
アカイ……
廊下も、部屋の一つ一つまでも。
壁も床も窓も扉も何もかも。
世界は
存在していた世界は
停止した
滴るほどの血に塗れた病院の前で、青年は笑っていた。
狂ったように、そこで、ずっと笑っていた。
現れた人物を見て、青年はその人こそが神だと思った。
その神は、彼を責めなかった。
差し伸べられる、手。
青年の中で、封印される想い。
――存在した世界を停止させる、裏切りのメモリーを持つ男
名を、ミザン・デスベッドという。
「はーい、終了ぉ!」
ロードはけたけた笑いながら、ミザンの手から分厚い本を抜き取った。
回転椅子に猫背で座る、血塗れの白衣。
整った顔に、片眼鏡を掛け、薄紫の長髪を背中に流している。
「! ちょっ……」
愛する本を取り上げられ、ミザンは素早く顔を上げた。
目の前ではロードが、あっかんべーと舌を出している。
「ボクのこと、手伝ってくれたら返してあげるぅ」
「またですか……」
ミザンは呆れて肩を落とす。
面倒くさすぎる。
そう思っているミザンの耳に、愛してやまない声が入ってきた。
「まあ、そう言わず二、ミザぴょン?」
「はっ、伯爵様!?」
思わず飛び上がる。
頬を紅潮させて彼を見れば、伯爵は小首を傾げた。
「ネ?」
背筋が伸びる。
俄然やる気を出して、ミザンは片眼鏡をセットし直した。
「もちろん、お手伝いしますよ! こんな宿題ごとき、私が一晩で終わらせましょう!
さあロード、やってほしいものを渡しなさい。ああ、なんだか今日は『解体新書』を読んでみたいですね!」
ロードが諸手を挙げて喜ぶ。
すかさず彼女がティキに命令した。
「明日までに探して買ってきてねぇ」
「結局オレかよ! つーか、何であんなに本持っててどうしてそんなに毎回新しいの買うわけ」
ふふふ、とミザンは笑う。
「余計な詮索は無用ですよ、ティキ。私の秘密を暴くのは神だけと決まっているのです。
それ即ち、伯爵様のみということ! 君なんか、とてもとても……」
完全に馬鹿にすると、ティキは苦笑いを浮かべていた。
ロードが肩を竦めて「とてもとても」の真似をしている。
そんな三人を尻目に宿題を続けていた伯爵が、ふと顔を上げた。
「あ、そうダ。待ちなさイ、ティキぽん」
「はい?」
怪訝そうなティキ。
楽しそうに伯爵を見上げるロード。
呼ばれたのが自分ではなかったので、ミザンも不満を顔に上らせて彼を見る。
伯爵は笑った。
「皆サン、好奇心旺盛ですネ、いいでしょウ――神を」
一呼吸。
「神を、ご存知ですカ?」
「……神?」
珍しく三人は息を合わせて聞き返した。
伯爵は熱っぽく語る。
「そう呼ばれるエクソシストが居るんですヨ」
「……女っすか?」
「いいエ、男でス。
美しい金髪に濡れた様な漆黒の瞳。気高い精神、仲間を想う心、決して枯れることのなイ、華……
神に魅入られた存在、いいエ、彼こそが神だと、言うべきでしょうカ。
何よりも……赦しを導く、二つのイノセンス……」
ほうっ……と溜め息をつき、伯爵が言った。
「会ってみますカ? ティキぽん」
「名前は」
「・」
ティキ・ミック卿が、不敵に笑う。
「(赦し)」
その単語がミザンの脳を刺激した。
しかし、その原因は分からない。
ミザンは、宿題に手をつける。
ただ、俺は人間が好きなんだ。だから、助けたい、って思う。
俺に救える命なんて、世界から見たらちっぽけなものかもしれないけど、それでも。
――守りたいんだ
そう語った友を、ミザンはもう、覚えていない。
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