燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
地の果てに沈む時
太陽は
最も強い輝きを放つ
Night.46 耳許で君が告げる
座り込んで、俯いた視界にさえ。
繰り返す、夢。
は顔を上げた。
叫びはとうに果てた。
零れる涙もそのままに、目の前を見た。
繰り返す、夢。
の悲鳴に、ゆるゆると手を伸ばす。
そうして、届き切らないうちに、彼女は崩れる。
「…………」
轟音が聞こえて、目の前で。
家族のように親しかった村人みんなが砂になる。
繰り返す、夢。
頬に飛んできたあの肉片が、トーマスのものだったなんて。
たった今、気付いた。
それを、親友を僕は。
キモチワルイ、だなんて。
「……ぼく、は……」
皆のことが、好きだった。
村人全員に、育てられた。
迷惑もかけた。
心配もさせた。
そんな大切な「家族」は、あの日、死んだ。
誰にも手を伸ばせなかった。
全部終わってから、自分の身だけを守った。
「……ぼく……」
何より、の小さな世界の中心を、否、世界そのものを、守れなかった。
守りたかった。
守らなければいけなかった。
自分の為にも。
父の為にも。
母の為にも。
。
託されていたのに。
――お兄ちゃん――
この夢が「こわい」理由を、知っている。
きっと目を背けていたいと願う自分の罪を、目の当たりにしてしまう。
それが恐くて、逃げていた。
ずっと、ずっと。
が母を恋しがったのは、が力及ばなかったからだ。
それなのに、妹の様子を手紙に書いて、父に心配をかけたのは自分だ。
全てが起こったあの瞬間は、何がなんだか分からなかった。
修行に出て最初に学んだのは、アクマの製造方法で。
その時やっと理解した。
モージスが、との為に、自らの哀しみを癒すために、グロリアに会える手段を探したこと。
千年伯爵の目に留まってしまったこと。
父は迷わず、最愛の妻の名を呼んだだろう。
そうして母が、最愛の夫を殺したこと。
娘を殺したこと。
が、母を殺したこと。
「僕が、心配かけたから」
全部、自分がしっかりしていれば、起こらなかったことだ。
幸せだった世界を壊したのは、誰でもなく、自身だった。
――お兄ちゃん――
「どうして、助けてくれなかったの?」
鏡の中から、が問う。
あの日と同じ、紺色のワンピースを着て。
あの時と同じ、お気に入りの紺色のリボンで、髪を結わいて。
体の真ん中に、大きな穴を開けて。
此方を見て、問う。
「信じてたのに」
「……うん……」
「お兄ちゃんは、を裏切ったんだよ」
「……うん……」
「そんなお兄ちゃんなんか、死んじゃえばいいのに」
「……うん」
――お兄ちゃん――
自分と同じ黄金色の髪を二つに結んでやったのが、まるで昨日のことのように思える。
頭は小さくて、丸い綺麗な形をしていた。
毎日のことなのに、結び終わるといつも嬉しそうに笑ってくれた。
それを、手放したのは、自分。
――お兄ちゃん――
可愛かった。
いつまでも一緒にいると思っていた。
自分が笑えなくても、あの子の笑顔だけは守っていたかった。
は、の「世界」だった。
母が臥せていても、父が遠くに暮らしていても、それでも確かに存在した。
村人達は優しくて、子供達は皆がきょうだいのようで。
あの幸せだった世界の中心に、がいた。
今では全部が過去形で、だけが、のうのうと息をしている。
鏡の中に人影が増えた。
穴だらけのぼろぼろな姿で、誰が誰だか、もう分からない。
分からないことが悔しくて、申し訳なくて。
また一筋、涙が零れた。
「……ごめん」
ありきたりだ。
こんな言葉で謝りきれる筈もない。
でも、これ以外に彼らへ詫びる言葉を、は知らない。
「……ごめん……ごめんなさい……」
誰も何も言わない。
冷たい目が、を見ている。
その中心で、「」が言った。
「死んじゃえばいいのに」
頭の中で、が言った。
――お兄ちゃん――
父よりも、母よりも、長い時間を一緒に過ごした。
の世界の全てだった。
。
、
――だから、分かるよ
お転婆で我儘なように見えて、本当は繊細で、恥ずかしがりやで、寂しがりやで。
そして本当は、周りの人の表情をとてもよく見ている子だから。
よく考えている、優しい子だから。
だから、分かるよ。
――僕がどんなに謝っても、君は僕を責めないだろう
それを知っているから、僕は、苦しいんだ。
この鏡に映る少女は、ではない。
思い出した、此処はミザンの檻の中。
鏡を破って外へ出なくては。
新しい世界を守りに、いかなくては。
「ごめんね……っ」
君達の代わりに誰かを守ろうとする僕を、今度こそ恨んでくれて構わない。
だけど、今だけは行かせて欲しい。
苦しんで、苦しみ続けて生きるから。
苦しんで苦しんで、きっともうすぐ皆と同じ死の苦しみを味わうから。
どうか今だけ、行かせて欲しい。
右手が熱い。
「福音」が、応えている。
はゆっくりと、腕を持ち上げた。
常ならば仄暗い空間の端で、コムイはごくりと唾を飲み込んだ。
ヘブラスカに異変が起こったのは、つい先程。
リーバーを伴って来てみれば、彼女の中に眠るイノセンスが、目も眩む輝きを放っていた。
臨界者か!?
急いて問いただす大元帥へ、ヘブラスカが掠れた声で確かに言った。
「……これは、……これはっ、『福音』……!」
頭上がざわめく。
「『福音』とは……!」
「間違いないのか」
「ついに、ついにこの時が」
「教団の神が」
「・が!」
興奮した声に阻まれた下界で、ヘブラスカが身を捩る。
「…………っ、やめろ……」
「ヘブくん?」
「いいっ……思い出さなくて、いい……! やめろ、…………!」
嗚咽の混じった叫びが、コムイとリーバーの耳にだけ届いた。
ぼろぼろと泣き崩れる声音。
ヘブラスカが叫ぶ。
「お前が! 嗚呼……っ、壊れる……壊れてしまう……! ……!」
やめろ!!
引き裂かれるような叫びに、コムイはリーバーと顔を見合わせた。
何のことだ、と互いの顔に書かれている。
更に強まる輝き。
涙声で叫び続けるヘブラスカに視線を向けた。
思い出すのは、黄金との別れ際。
元帥護衛の任務について説明したあの時、コムイは恐らく、彼の傷に触れたのだ。
そのままコムイはアレン達の元へ向かい、戻って来る前にが発ってしまった。
あんなにも不安定なまま送り出した、自分が憎らしい。
彼が、大切な人を守れなかった代わりに得た、神の結晶が。
これで、二つ揃って力を示したことになる。
「(……皮肉だ)」
力を得て、彼は嘆くだろう。
ならば何故かつての自分は、救えなかったのかと。
誰にも悟らせず、嘆くだろう。
そしてまた自分達は惑わされて、表面だけをなぞるのだ。
流石は教団の神。
守ってもらえる。
彼に縋れば。
彼を頼れば。
救われる。
彼なら、なら。
きっと何とかしてくれる。
微笑んでくれる。
だって彼は、神様だから。
そう言って。
「室長」
自然と俯き、申し訳なさに唇を噛んでいたコムイは、顔を上げる。
「これで、聖典を控えられるでしょうか」
リーバーが、どこか安堵したような表情で、泣きそうな声で呟いた。
「今より少しは、楽にしてやれるでしょうか」
確かにこれで、聖典の使用回数を制限するよう、上に掛け合えるかもしれない。
しかし身体の苦しみを除いてやったところで、どうだ。
このヘブラスカの反応も、コムイの危惧も。
自分達は結局、彼の心を祭壇に捧げて、救われようと言うのだ。
「うん、……きっとね」
膨らんではち切れそうな思いを力づくで押し込め、コムイは頷いた。
ヘブラスカの悲痛な叫びと共に、輝きが、空間を白く染め上げる。
「やめて! お兄ちゃん!」
びく、体が震えて凍りついた。
「を殺すの!?」
殺すのか。
また、殺すのか。
また、妹をころすのか。
今度は自分の、意志で以て。
生きるために、生かすために、この手で、殺すのか。
「お兄ちゃんっ!」
幻だと、分かっている。
苦しい。
苦しい。
痛む心臓を吐き出してしまいたい。
――お兄ちゃん――
幸せだった、世界。
大好きだった。
今でも、きっと一番。
「」
それでも、今いる世界を、愛したい。
否、愛している。
償い続けるから、どうかもう少し、この世界を守ることを赦して欲しい。
「、ごめんね」
ごめん、ごめんね。
産声も、まだ首も座らなかった頃の柔らかさも。
笑ってくれた時、お兄ちゃんと初めて呼んでくれた声も。
抱き上げた重さも、繋いだ手の形も。
駄々を捏ねたあの顔。
大泣きすると、鼻水だらけになっていた。
一緒に歌った。
ボタンの留め方を教えたのは、僕。
文字の書き方も手をとって教えた。
寂しい夜は、二人で眠った。
楽しかった思い出すら、こんなに苦しい。
それでも思い出す。
、君の本当の姿を思い出す。
ごめん、ごめんね。
、僕は、
「――君を、殺すよ」
「やめて! やめてよ!」
――お兄ちゃん――
片膝をついて、右手に銃を構えた。
ぶれる銃口。
左手で、右手を受ける。
黒い血液が一粒、銃身で一際強く輝く十字架へと吸い込まれた。
「お兄ちゃん!」
――お兄ちゃん――
光がを飲み込んだ。
「『福音』、結合(コンビネーション)……っ、」
罪は、永遠に忘れない。
罰はいつまでも受け続ける。
償うことをやめたりしない。
そして君の優しさを、これ以上誰にも穢させやしない。
それが、貴方達への贖罪だと信じている。
信じている。
は、声を張り上げた。
「――『銀の弾丸(シルバー・ブレット)』!!」
ミザンは呆然と立ち尽くした。
ぐったりと本棚に凭れていた自分の目の前で、氷の檻が、突如光を放った。
まさか、そんな筈は無い。
まさか、「教団の神」は未だ壊れていないのか。
自問を繰り返す間もなく、檻の壁が、軋んだ。
一ヶ所の罅が、広がる。
広がる、広がる、広がる、広がって、澄んだ濁音が聞こえた。
「馬鹿な!」
六枚の氷が同時に砕けて、落ちる。
その破片の一つ一つに、金色が映っている。
中で立ち上がった黄金が写り込んだのではない。
黄金とは明らかに違う。
それほど鮮烈ではない。
憎らしく恨めしく、懐かしくて優しい金色が映っている。
散りゆく氷の中心に立つ。
表情を無くした彼とミザンの間に、一枚だけ大きな破片が浮かんでいる。
欠片の中で、風景が流れる。
金色は、裏切りの色だ。
金色は憎い。
裏切った、金色、金色は、金色はダメだ。
呪文のように繰り返す。
「っ、伯爵様……!」
金色が、笑う。
ミザンは思わず手を伸ばした。
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