燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
僕がそうして足掻くたび
遠く幸せな世界で信じた貴方は
なんと勝手なことを、と
嗤うのでしょう
Night.41 先へ進む者
――ゆりかごが ひとつ現った
――ゆりかごに ひとつが在った
ノアが声を合わせて歌い出す。
「っ、、様……」
「……離れるなよ」
チャオジーに声を返し、彼とリナリーをしっかり背に庇う。
歌は続く。
――ひとつは ふたつに為った
――ゆりかごは ひとつ
――霧に紛れて 星ひとつ
ジャスデロとデビットが、互いの頭に互いの銃口を押し付けた。
――墓場で揺れて 消えてくよ
銃声。
は思わず目を瞠った。
二人の体が、離れるように傾いていく。
「撃ち合ったッ!?」
「影がひとつに集まってく…っ」
同時に、ノアの体が煙に包まれる。
周囲に広がった煙が、視界を完全に遮った。
「気をつけてください!」
「ふん、次は何が出てくるんだかお楽しみだな」
アレンとクロウリーの声を、リナリーとチャオジーの気配を捉える。
遠くのラビにまで、意識を向けようとした時、は頭上にある何かの気配に気付いた。
福音を上空に向ける。
まだ見えない、けれど確かにそこに在る。
「バカ! そこから離れるさ!!」
煙の外側から、ラビの声が聞こえた。
「頭の上(うえ)だッ」
気配が迫る。
は引鉄を引いた。
火炎弾が煙を切り裂く。
人影が見えた、と思った瞬間、クロウリーが消えた。
グシャッ、という湿っぽい音のした方へ、振り返る。
「え……?」
壁の本棚に咲く血の花。
その中央にめり込むような形で、クロウリーが叩き付けられている。
「ク……クロウリ……ッ」
アレンが戦慄きながら呟く。
二重に重なったような、不気味な声が聞こえた。
『まず一人……』
この気配は、知らない。
はぐっと眉間に皺を刻んだ。
知らない。
けれど知っているような。
まるで、ジャスデロとデビットが、混ざり合ったような、奇妙な気配がする。
ラビの誰何の声。
煙が晴れた場所から、ジャスデロのような髪の、デビットのような笑いかたの少年が現れた。
『僕らは、ジャスデロとデビットは、本来ひとつのノアなんだよ。「ジャスデビ」だッ!!』
「(合体……!?)」
アレンが叫ぶ。
「よくも……クロウリーを!」
『ははっ! あの吸血鬼野郎ッ、僕らをバカにするから叩いてやったんだよッ。
出血大サービスで、ねッ!!』
愉快そうに言いながら、ジャスデビがアレンを殴った。
「アレン!」
そのまま、光る星型のものに磔にして、ニヤリと笑う。
「ああ…っ、あっ……」
『キミにはどうしてやろうかな? アレン。
ああ…そうだ、爆弾になるのなんてどう? あの扉をブッ壊す、爆弾にさぁ!!』
は福音を構えた。
「アレンくん!」
リナリーが叫ぶ。
は星の一角、アレンの手のすぐ下に狙いを定める。
引鉄を引こうとした時、的に近付く気配があった。
仲間だ。
慌てて福音を下ろす。
星を後ろから破る手は、確かにクロウリーのものだ。
ジャスデビが顔を歪める。
『吸血鬼……ッ!』
「吸血鬼ではない……アレイスター・クロウリーである……ッ!!」
ラビとアレンがクロウリーに駆け寄った。
長身はぐらりと二人に凭れ掛かる。
『あんなに出血したのにまだ動けるんだね。ホントに化物なの?』
の位置から、三人は少し遠い。
けれどラビの焦りようからも、アレンの呆然とした様子からも。
何より、血臭を嗅ぎ慣れた自身の感覚からも分かる。
「(あの傷は、深いなんてものじゃない)」
クロウリーには、ちょめ助から渡された血の瓶が何本かあった筈だ。
けれどそれがいくつ残っているか。
または彼の消耗しきった身体に、アクマの血がどんな影響を引き起こすか。
ラビが扉へちらりと横目を遣った。
空気から伝わる迷い。
そう、既に扉は開いている。
崩壊が迫る。
立ち止まっていられる時間が、ない。
とラビの視線が交錯する。
一刻も早く、この場を離れなければ。
その思惑を、ジャスデビが捉えた。
『逃がさないよ。キミ達全員、皆殺しなんだからぁ!!』
「うわっ」
吹き飛ばされたアレン。
ラビが槌を振りかぶる。
「この……、火判ッ!」
『あああっツ、あつぅッ』
「あれっ……やったか………!?」
炎がジャスデビを包み、勢いよく燃え上がった。
派手な悲鳴に気をとられたラビへ、炎の中から手が伸びる。
「ラビ!」
の声も一瞬遅く、笑いながら炎から出たジャスデビに、ラビが殴り飛ばされた。
髪を自在に操り、剣のようなそれでクロウリーを刺し、放り投げて、ジャスデビが天を仰ぐ。
『いまの僕ら……攻撃も強靭さも子供だと思わないでね。
今ねッ、ジャスデビはぁッ、想像上「最ッ強の肉体」を実現中なんだからサッ!!』
は唇を噛んだ。
埒が明かない。
戦力からみて、もしこの場に一人を残すならクロウリーだと、つい先程までは考えていた。
けれど今は。
ジャスデビは合体し、クロウリーは重傷。
この血の臭いで、棚に残るあの出血量で、動いていられることは奇跡にしか思えない。
今開いているのは、三つめの扉だ。
今開いているのが、三つめの扉だ。
「(俺が、残るべきか?)」
否、この先にはティキもロードもいるだろう。
ミザンのことも無視は出来ない。
いっそ、いずれ滅びる部屋ならば、全員で離脱する手もあるのではないか。
何にせよせめて、体勢を立て直すだけの時間が要る。
「リナリー、チャオジーを」
クロウリーがまたも投げつけられ、アレンは蹴られる。
はチャオジーをリナリーの後ろに押し遣った。
福音をホルスターに戻す。
「お兄ちゃんっ」
ラビが槌を振りかぶる。
その槌の上に、ジャスデビが腰掛けている。
は駆ける。
『全部遅いねッ!! 対アクマ武器にばっか頼ってないで、肉体(からだ)もっと鍛えたら? エクソシスト。
とても僕らには勝てないよッ!!』
念力でラビが飛ばされる。
その横から、ジャスデビへと殴りかかった。
『うわーぁ、あっぶなーい!』
笑いながら避けられるが、構わず左手で顔を狙う。
躱されて繰り出した三度目の拳は、ジャスデビの手に捕らわれた。
膝で腹を蹴り上げられる。
体が中に浮く。
構えていたのに押し出される空気。
脇腹から血の抜ける感覚。
笑うジャスデビ。
その肩に手を掛け、思い切り頭突きを落とした。
『痛ッたぁ!!』
そのまま肩を押してくるりと回転し、ジャスデビの背後に降りる。
間合いを確保し、軽く頭を振って目眩を消した。
とんだ石頭だ。
『何? キミ、さっきまで死んでなかった、っけ!』
ジャスデビの髪が伸びる。
左腕を巻き取り、強い力でを引きずった。
一瞬で間合いが無くなり、脇腹の傷を蹴られる。
呻く暇はない。
髪が脚を、体を刺し、頬を掠った。
「勝手に、殺すな」
は空いている右手で再び顔を狙う。
『へへっ、ハズレだよー』
拳を避けたジャスデビの顔が、まだ動きを止められないでいるうちに。
はその顔を目掛けて、右足を真っ直ぐ、高く蹴り上げた。
『ぶっ!』
自然と髪が解けた。
ジャスデビが飛んでいった距離だけ助走をつけ、やっと立ち上がるその胴に拳を叩き込む。
左、右、もう一度、左。
歯を食い縛ったジャスデビの拳を避けて、横面に一発。
左の拳を下から振り上げて顎に当て、仰け反った体の中心を蹴り飛ばす。
『げ、はぁッ!』
ホルスターに手を掛ける。
ストッパーを外す。
銃を抜く。
発動。
十字が光る。
歯車が腕を囲む。
銃身の歯車が、捉えた。
――雪冕弾!――
視界に下りる弾幕。
否、視界に落ち、充ちる弾幕。
その間隙を縫って、影が飛び出して来た。
血の色をした風を引き連れ、幾筋もの髪で出来た剣が鞭のような素早さで此方へ伸びる。
体に剣が突き刺さる。
呻き声を喉の奥に飲み込んだ。
視界の先では、血塗れになりながらも笑みを消さないジャスデビの姿。
『ジャスデビは、どこまでだって強くなるんだよ! 言ったでしょ? 「実現中」だってさぁ!』
髪で出来た剣を引き抜かれ、体がふらつく。
それでも。
「(倒れる訳には、いかない)」
この身は、自分のものではないのだ。
自分の姿は、今、願いを背負っているのだ。
前に一歩踏み出した足で、傾く体を支え、踏みとどまる。
鼓動が耳元で五月蝿い。
何処が痛むのか、もう分からない。
それでも、先へ。
先へ。
――制限――
ジャスデビが腕を伸ばす。
周囲の空気が歪む。
先んじて、再びジャスデビを歯車の中心に据えた。
「雪冕弾!」
結果を待たずに歯車を切り替える。
――拘束弾――
弾幕は、敵の念力と相俟ってひしゃげて落ちた。
それを潜り抜けた弾丸が光の輪になり、ジャスデビを捕らえた。
肩の歯車を回す。
取り付いた輪が、獲物を捩じ切ろうと回り出す。
ジャスデビの髪が輪を切り裂く。
もう一度、引鉄を引く。
――雪冕弾!――
無数の弾丸が、歯車の中を蹂躙する。
アレンが、ラビが立ち上がった気配がある。
これで、此処から離脱出来る――
神よ、赦しを
――声が、聞こえた。
「……クロウリ……!?」
捉えた気配を信じられず、は目を瞠った。
弾幕が起こした煙へ、素早く近付く姿がある。
立ち上がるジャスデビの髪を、クロウリーが掴み、強く引いた。
「アレン! ラビ! ! リナリー達を連れて、次の扉に入れ!!」
ジャスデビが藻掻く。
「はなせ変態ッ!!」
体を髪の剣に刺されても、クロウリーはジャスデビを離さなかった。
「、行くである……ッ!」
部屋が揺れる。
本棚から本が落ちる。
「この部屋の崩壊が始まったレローッ!!」
「早くッ!! この部屋も限界である! ここで全員、朽ちるわけにはいかんであろう!!」
アレンが首を振った。
「僕が残りま……ッ」
「早く行けッ」
「でもキミはケガをッ!!」
「だからだ!!」
揺れはますます酷くなる。
クロウリーが叫んだ。
「私の……ッこの傷ではそう長くは戦えない……!!」
は、腕を下ろした。
砕けそうなほど強く、奥歯を噛んだ。
ぐ、と熱い目を瞑る。
「この先のドアの、向こうで……誰がリナリーとチャオジーを守れる……!!
お前達しかいないと、信じてるから………行けと言ってるのだ……ッ!!」
そして、開いた。
クロウリーの瞳が、の漆黒を貫く。
「君を目指して……私も神田も、必ず追い付く! だから行ってくれ!!」
埃が、倒れる家具が、クロウリーと、達の間に線を引いた。
「信じてるのだぞッ!! 行けぇッ!!」
「クロウリ……ッ」
彼とジャスデビの姿が見えなくなる。
は、唾を飲み込み、背を向けた。
「エクソシストさま!!」
「クロウリィーッ!!」
佇むアレンの横を抜け、チャオジーを抱え上げる。
「様っ!?」
「向こうでリナリーを受け止めてくれ」
「え!?」
暴れるチャオジーを腕で押さえ、扉へ向かって放り投げた。
すぐに振り返り、立ち竦むリナリーを横抱きにする。
「お兄ちゃん!? 待って、」
「投げるよ、リナリー」
「待って! クロウリーがまだ……!」
涙混じりの声など、聞こえない振りをして。
は扉から覗くチャオジーへ、リナリーを投げ渡した。
息をついて、振り返る。
アレンの腕を掴むと、彼はしっかりとした、しかし少し迷うような眼差しで此方を見上げた。
「兄さん……」
「行こう」
アレンが頷く。
扉の前にいたラビは、二人が向かうのを確認して、扉を潜った。
アレンの背を押して、先に行かせる。
最後に残ったは、一瞬だけ立ち止まった。
――また、自分の心配をした人が、死ぬのか?
最悪は、いつも自分の力不足が引き起こすのだ。
自分自身への怒りを力に変えて、転がり落ちそうな思考に、必死で蓋をする。
――前を見ろ、繰り返したくないのなら
神ではなく人を信じると、そう決めた自分が。
人が持つ無限の可能性を、願いへ向けて放つ輝きを。
愚かなまでの祈りを、生にしがみつく醜さを。
信じなくて、どうするのだ。
「信じるよ、クロウリー」
この先で、目も眩むほどの願いが待っている。
は振り返らずに、扉を通った。
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