燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









復讐という言葉は、人を蝕む
前も後ろも顧みず
恨みを晴らそうと迷走するたび
魂が穢されていくのなら
その行為には一体
何の意味があるのだろう



Night.4 あなたとわたし









ぐらりと揺れたジャンヌの体が変貌していく。
硬い甲殻に覆われた、異様な姿。

「アクマだったんですか!?」

バズが叫んだ。
ジャンヌだったアクマが笑い声を上げる。

「そうよ」

機械のノイズと彼女の声が混ざる、嫌な音が答えた。
名残があるだけに、遣る瀬無い。
リナリーが悲しそうに立ち上がった。

「どうして……? ジャンヌ」

アクマがリナリーの方を向く。
バズがヒッと震え上がり、壁に張り付いた。

「どうして?」

リナリーの正面、アクマの背後で、はホルダーに手を掛けた。
月明かり。
窓の外にはアクマの大群。

「そんなの、あなたには分からない!」

全ての窓ガラスが音を立てて割れた。
「福音」が、「黒い靴」が光る。



アクマの砲弾が雨のように降り注いだ。
緑の軌跡を残しながら、その間を縫ってリナリーが跳んでいく。
「霧風」が巻き起こり、その横を駆けるの団服をはためかせた。

「う、うわぁ!」

声を聞き咎めると、瓦礫に隠れていたはずのバズの周りに、アクマが群がっていた。
銃口を向けられ、うずくまり頭を抱える彼のもとへ、は走った。
凛と声を響かせる。

「伏せろ!」

アクマがこちらを向く頃には、は体勢を整えていた。
狙いを定める。
――回転――
アクマの放った弾丸が、団服の裾を掠めた。
――凍結弾――
イノセンスの弾を撃たれたアクマ達が次々と凍りつき、粉々に砕けていく。
は尻もちをついたバズの手を引いた。

「怪我は?」
「だ、大丈夫です。ありがとうございます」

周りの建物から瓦礫が崩れ落ちる。

「俺から見える位置に居ろ!」

爆音の中、怒鳴るように言い捨てて、は駆けだした。
視界の先にはリナリーの背後に迫るアクマ。
彼女は目の前に手一杯で気付いていない。

――何があっても、あの子だけは

万が一が、あってはいけない。
はリナリーの背面に回り込んだ。
リナリーが振り返る前に「火炎弾」を放つ。
同時に、アクマも弾丸を放った。
「火炎弾」はまっすぐアクマのもとへ。
弾丸は、リナリーを背中に隠したのもとへ。









気配を感じて振り返ると、が自分を庇って撃たれていた。

「お兄ちゃん!?」

彼は膝をついている。
リナリーも目の前のアクマを一掃し、慌てての傍らに屈んだ。
流れる血は、漆黒。
滅多に見ない黒い血に、一瞬体が震えるが、それでも彼の様子を窺った。
衝撃で手放してしまったのか、「福音」が見当たらない。

「ごめん、大丈夫!?」

重い息をつくは、肋骨の下あたりを押さえて微笑んだ。

「全然、大丈夫」
「絶対大丈夫じゃなさそう!」

リナリーの必死な突っ込みにが小さく笑う。
しかし彼曰く掠っただけらしく、は片手をついて立ち上がった。
アクマが二人の前に立つ。

「どうして死なないの? アンタ」

怒ったような、信じられないというような声でアクマに問われ、が顔を上げた。

「寄生型なんでね。残念だったな」
「っ……死に損ないが!」

悔しそうにアクマが唸る。
どこか悲しい笑みを、は浮かべた。

「……ああ、そうかもしれない」

たまに浮かべるこの微笑みの理由を、リナリーは、知らない。
は笑った。

「さて、邪魔する奴らもいないし……話くらい、聞いてやるぜ――カルナ」
「カルナ?」

リナリーは聞き返し、その顔色を見て地面に目を遣った。
傷口からは止めどなく血が流れ、傷を押さえる彼の白い手袋も真っ黒に染まっている。
地面には、血溜まり。

「ジャンヌがカルナを呼んだ。そうだな?」
「ええ、その通りよ」

アクマ――カルナが答えた。

「ジャンヌが、私を呼んだの」
「呼び戻された魂が自我を取り戻すなんて、珍しい」

そう言いつつも、驚くでもなくただ微笑って、はカルナを見つめていた。
彼がアクマの言い分に耳を貸すのは、何もこれが初めてではない。

「ジャンヌは、私が生き返るなら何だってすると言ってくれた。一緒に、復讐をしようって!
彼女が望んでくれるなら、私は伯爵にだって使われてやるって誓った!
それが彼女と私の望みだから! 私は……人だって……!」
「復讐?」

リナリーは血溜まりから目を離し、聞き返す。
どうも、話がおかしい。

「そう、復讐。死ぬ前に見た、あの笑顔……私達は、見たのよ!」
「……何を?」

リナリーはもう一度聞いたが、カルナは答えなかった。

「憎い……ニクイ……全部、全てが憎い! どうしてよ! 私達は……信じていたのに!!」

心だけになった、アクマの嘆き。
と共に任務に出なければ、聞くことなどなかっただろう。
壊すべき存在と分かっているのに、その叫びに、心を打たれた。
リナリーの傍らで、優しい声が答える。

「そうだな」
「何よ……」
「あなた達を咎めたりは、しないよ」

その唇が微かに、眠れと呟いた。

――「聖典(バイブル)」発動――

浮かび上がる、漆黒の雫。

――それは、「聖典」
神に導かれた厳しい赦し。

浮かび上がったの血が、淡い光を発する。
彼が手を挙げるのと同時に、血はさらに上へと持ち上がり、カルナを囲んで広がった。

――牢獄(プリズン)――

血液は球体に固まり、中にカルナを閉じ込める。
が拳を握る、その動作と連動して、球体の血液はぐしゃりと小さく固まった。

「主よ――」

そして彼が手を振るのに合わせ、球体はきらきらと霧散していく。
カルナは、その影も形も残してはいなかった。

「――彼らに、赦しを」

散り、舞い落ちる輝きに思わず見惚れる。
一瞬遅れて、傍らで倒れこむ体に気がついた。

「お兄ちゃん!」









――お兄ちゃん――

暗くなった意識の中で、は自分が呼ばれたのを感じた。
遠くから、近くから。
ゆっくりと目を開ける。
自分の心臓の鼓動が、やけに耳についた。

「お兄ちゃん、大丈夫!? 私のこと分かる!?」

あまりの必死さに苦笑いをして、は答えた。

「分かる分かる……そんなに重症じゃないから」
「良かった……」

リナリーの呟きに、隣に居るバズも笑って頷いた。

「本当に良かった……起きれますか? あ、でもまだ寝ていた方が……」

そう言われて、は初めて自分が寝かされていることに気付いた。
そして同時に、人の気配を感じてゆっくり体を起こした。
瓦礫が散らばる暗闇に、強く声を放つ。

「誰だ?」

滅多に出さない硬い声。
瓦礫の間から顔を出したのは、アベラーズだった。

「これは……一体……」

リナリーが悲しそうに口を開いた。
が、彼女が声を発する前に、はアベラーズを睨みつけた。
こんなに腹が立ったのは、随分と久し振りだ。
頭の中でピタリと符号が一致する。
アクマの数は、丁度この大きさの村に住む人の、半数ほどだった。
そんな村で一人生き残ったのは、金回りの良い仕事を持つ人間。
カルナが死んで、笑みを浮かべた人間。

「お前……ブローカーか……!」

アベラーズは一瞬呆けて、しかしすぐににやりと笑った。

「ブローカー!?」
「……っ!」

バズが目を見張って叫び、リナリーは堪らないとばかりに目を固く瞑った。
アベラーズを睨みながら、は立ち上がる。
体が重い。
雨の匂いを運ぶ風は冷たく、四人を包んでいく。
アベラーズは吹っ切れたように清々しい笑みを浮かべている。



ブローカーとは、大量の報酬と引き換えに、アクマの材料を千年伯爵に提供する存在。



震える声で、リナリーが問う。

「もしかして、村の人全員……」
「ああ。村人なんて、何の愛着も無いしな」

何でもないことのように、アベラーズは薄く笑った。

「こんな辺鄙な村、誰が永住するってんだ。金さえあれば、外に出てやっていける」

弾むんだぜ? この仕事。
そう言って、彼は声を上げて笑う。
虚しく踊り狂う高笑い。
煮えたぎる思いにつられ、は心臓が大きく脈打つのを感じた。
低く確認する。

「カルナを老人で作ったアクマに殺させ、ジャンヌに話を持ちかけたのか」
「そうそう!」

楽しそうに笑い続けるアベラーズ。
ついには声を荒げた。

「たかが金の為だけに、お前は友人も、婚約者までも辱めたのか!」
「そうさ。もともと結婚する気なんか無かったしな」
「そんな……っ!」

リナリーが絶句する。
拳を握り締め、彼女は叫んだ。

「カルナも、ジャンヌも、あなたのこと信じていたのに! ずっと一緒に育ってきたんじゃないの!?
幼馴染じゃないの!? よくもそんな人の心を踏みにじるような真似……!」
「ったく、なんなんだよ、頭おかしいんじゃねぇの? お前らには関係無いだろうが。馬鹿馬鹿しい」

刹那、はアベラーズの胸倉を掴み、そのにやついた顔を殴り飛ばした。
アベラーズは飛ばされて瓦礫の山に崩れ落ちる。
気絶するくらいには強く殴ったから、きっと意識は無いだろう。
は肩で息をしていたが、しばらくして地面に膝をついた。
身体よりも、精神が参りそうだ。
慌てたバズが駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫ですか?」
「……おう」

ちらほらと佇む街灯が、月と共に辺りを仄かに照らしている。
建物は殆ど崩れ、瓦礫と化した。
村人はアクマとなって、そして壊された。
この村で息をしているのは、達三人とアベラーズだけ。
近くの街灯の下には、運よく砲撃を逃れたのか、無傷の公衆電話が立っている。

「この人、これからどうなるの?」

リナリーがの横で、バズに聞いた。

「取り敢えず教団に連絡を取った方がいいと思います。すぐに電話しますか?」
「ええ」

バズの背にある電話に繋ぐため、リナリーがゴーレムを掴んだ。
バズはリナリーが繋ぎやすいように少し身を屈める。
は、そんな二人をぼんやりと見上げていた。



突如



ジリリリリリ!! ジリリリリリ!!

「!?」

一様に跳び上がった三人の前で、無傷の公衆電話がけたたましく鳴り出した。

ジリリリリリ!! ジリリリリリ!!

「な、に……これ……」

リナリーが後ずさった。
鳴るごとに音量は大きくなっていく。
本体が、それを支える支柱がガタガタと揺れ始める。
バズは足が竦んで身動きが出来ないでいる。
電話は鳴りやむ気配が無い。
は立ち上がった。
ゆっくりと、しかし二人を落ち着かせようと、とにかくしっかりと地面を踏んで。
団服の長いコートの裾を翻して。
公衆電話の本体に手を掛ける。
けたたましい音の中で、自分の鼓動が聞こえた。
いやに鮮明に、不自然なまでに強く打つ鼓動。
奥歯を噛み締めて、は冷たい金属の受話器を取った。

チン

明るい音が、軽く、呆気なく響く。

『もしもーシ』

ドクン、と心臓が脈打ち、嫌な汗が頬を流れる。
昔、一度だけ聞いた、忌まわしい声。
は絞り出すように、低く応えた。

「千年、伯爵……か」

の背後で、リナリーがビクッと体を揺らす。
電話の向こうでは、千年伯爵が嬉しそうな声を上げた。

『その声は、まさカ……?』

受話器を持つ手に力が籠る。

「ああ。覚えていたのか」

電話の向こうで、伯爵がふふっと笑った。

『忘れるものですカ。二つのイノセンス、神に魅入られた……否、まさにキミ自身が神なのですかラ。
とても魅力的な存在ですしネ。ところでこの電話の本当のお相手ハ……』

バズが心配そうにこちらを見ている。
夜風に晒された体が、だんだんと冷えてきた。

「アイツなら俺達の手の内だ。悪いが」

ドクン、と。
不意に、不自然に、心臓は大きく鼓動を刻む。
続いて走った鋭い痛みに、思わずは受話器を離し、崩れるように膝をついた。

「お兄ちゃん!?」
さん!!」

二人の声が、遠い。

『また、きっとすぐに出会えるでしょウ。……』

楽しそうな伯爵の声。
それを全て聞き終わらないうちに、は意識を手放した。

――お兄ちゃん――









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