燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









哀しみに溺れ
人はさらに深い闇へ、身を堕とす
新たな悲劇の物語
新たな哀しみの鎖
けれど
愛憎の底で笑う罪深き人間を
誰が、裁けるというのか



Night.3 愛憎に抱かれて









「お兄ちゃん、あそこの喫茶店は!?」
「建物ならどこでもいい! バズ! 大丈夫か!?」
「は、はいっ!」

指定された村に到着したリナリー、、バズを迎えたのは、村人ではなく、土砂降りの雨だった。
時間帯としては、夕食を食べ終わる頃。
空はとうに暗くなっている。
三人はやっと見つけた屋根のもとへ駆け込んだ。

「いやぁ、降られましたねぇ」

先程まで自分たちを襲っていた大雨を、バズが困り顔で見上げる。
その隣で、リナリーはツインテールを絞った。
すっかり濡れてしまっている。
が団服の水滴を落とし、顔を上げた。
人の目を奪う金髪からは、水が滴っている。

「ったく、ひどいな、この雨」
「うん、ホント。中に入って何か飲もうよ。体冷えちゃう」

リナリーの提案に二人は頷き、バズがドアを押し開けた。
カランコロンと、ドアの上についていたベルが、楽しげな音を奏でる。
中にはエプロンをつけた、一人の女性。
特徴的な青く大きな瞳と、ちょこんと結われている薄い金色の髪。

「あら、いらっしゃいませ」

他に誰もいない店内で、三人はカウンターの席を選んだ。
右手の入り口側から、、リナリー、バズの順で座り、誰からともなく疲れた溜息をつく。
女性がリナリーの前にメニューを置いた。

「雨、凄いわね。タオル要る? 三人ともびしょ濡れよ」
「いえ、大丈夫です、ありがとう」

リナリーは代表して、カウンターの中の女性に笑顔を返した。
女性はそう? と小首を傾げ、かわいらしい笑みを浮かべる。
その途端にタイミング良く、リナリーの右隣から盛大なくしゃみが聞こえた。

「……さん……」

バズの笑いをこらえる声、女性のくすくす笑う声。
驚いたリナリーの丸い目を受けて、彼は気まずそうに笑った。

「悪い、一枚いいかな?」









リナリーは湯気の立つココアを飲み、ほっと一息をついた。
バズは隣で舌を火傷したと騒いでいる。
反対側では、渡された大きなタオルで、が乱暴に頭を拭いている。
カウンターの中で椅子を出しながら、女性が綺麗な青い瞳をぱちぱちと瞬かせた。

「あなた達、見かけない顔ね。旅の人? どこから来たの?」
「ええ。北の方から」
「あら、じゃあ長旅だったのね。大変だったでしょう? こんな雨で」

ふふふ、と女性は自分で笑った。
リナリーはと目を見交わす。
何か、話を聞き出せるかもしれない。

「着いた途端に降られてさ、ホント参ったよ。
俺は、こっちはリナリーとバズ。名前、聞いてもいい?」

がふわりと優しく微笑んだ。
見慣れているはずのリナリーでさえも、引き込まれてしまう微笑み。
女性も顔をほんのり赤く染める。

「ジャンヌよ。この店の店主――って言っても、従業員は私一人だけど」
「綺麗なお店ですよね。ジャンヌさんにぴったりだ」

バズが店内を見回し、笑いかけた。

「あら、褒めても何も出ないわ。ところで、わざわざどうして、こんな辺境に?」
「えっと……それは……」

言い淀んだバズに代わり、リナリーは続けた。

「各地で珍しい話を聞いて回っているの。このあたりで何か、変わったことはないかしら?」
「変わったこと?」

ジャンヌが戸惑いつつ聞き返す。

「変わったこと、変わったこと……」
「どんなことでもいいんだ。ジャンヌの身の回りのことでも」

やっと落ち着いてコーヒーを飲みながら、が言った。
畳み掛ける様にバズが頷く。
考え込みながら、ジャンヌが僅かに表情を曇らせた。
窓を打つのは激しい雨の音。
三人の間にも、ピリッとした緊張が張り詰める。

「……少し、前にね」

六つの瞳がジャンヌを見つめる。
青い瞳を揺らし、彼女はゆっくり口を開いた。

「小さな頃からずっと一緒だった幼馴染が……」

突如と轟いた爆音が、ジャンヌの声を掻き消した。
立ち込める煙、瓦礫と化した店の入り口。
一番扉に近いところに座っていたが、険しい顔で立ち上がる。

「な、なに……?」

おずおずと立ち上がり、カウンターを出るジャンヌ。
そのまま入り口に向かおうとした彼女を、の右手が制した。
リナリーはジャンヌの腕を掴んで引き戻し、バズと共に自分の後ろに匿う。

「ジャンヌさん、俺から離れないでください」

バズの言葉が、背後で逞しく聞こえた。
再び轟く爆音。
煙の先には、球体のアクマが浮いていた。

「――レベル1が八体!」

いち早く確認して告げるが、その時にはの右手は既に、腰のホルダーへ移っていた。

「俺が行く」
「後ろは任せて」

リナリーは頷きながらそう言って、「黒い靴」を発動させる。
降り続く雨の音。
それを切り裂くように走り出す
ホルダーから銃を抜き放った。
黒い銃身に、輝くのは十字架。

――「福音(ゴスペル)」発動――

普通の拳銃だったイノセンスが、一回り大きくなる。
向かってきたアクマの弾丸を撃ち抜き、床を蹴ったが外へ飛び出した。
リナリーも後を追う。
土砂降りの雨の中、アクマ達がに気付き、キャノンの先を彼に向けた。
も目の前のアクマに銃口を向ける。

――回転(レボリューション)――

適合者の意志のままに、銃身上部についた歯車(ギア)が高速で回転する。
歯車の歯は、一定の位置で止まる。

――火炎弾(フレイム)――

引鉄が引かれ、銃口から弾丸が発される。
アクマに打ち込まれたそれは、内部で急激な燃焼を始め、瞬く間にアクマを灰にした。



発動状態の「福音」は、三種類の弾を持つ。
連射弾(トリガー)。
火炎弾(フレイム)。
凍結弾(フリーズ)。
この三つの切り換えは、歯車を回転させることで行われる。



再び地面に降りた
次々に浴びせられるアクマの弾丸を相殺しながら、休むことなくイノセンスに指示を出している。
そんな彼の横を一体のアクマが通り過ぎた。
彼は振り向かない。
それが信頼の証のようで、少し胸が弾んだ。
リナリーは軽く地面を蹴る。
黒いロングブーツの形をした自身のイノセンスが、淡く緑の光を放った。
右足でアクマに蹴りを入れ、くるりと回転する。
同時にが銃を持つ右手を振るった。
歯車は早撃ちに対応する「連射弾(トリガー)」に変わっている。
リナリーは地面に降り立って、彼の背を見た。

――それは「福音」
人間による穏やかな赦しの力。

がリナリーの前に帰ってきた時には、六体のアクマは轟音を立てて崩れていた。

「他には居ないみたい」
「ああ、そうだな」

二人は背後を振り返った。
すっかり腰を抜かしているジャンヌと、気遣わしげなバズ。

「怪我は無い? 大丈夫?」
「大丈夫です、ありがとうございます……」

リナリーに応えるバズの横で、ジャンヌが震えながら頷いた。

「あれは、何? あなた達、何者?」
「あれはAKUMA。死者の魂を使って生み出された、哀しい悪性兵器だ。人を襲う」

ホルダーに銃を仕舞って、が外を警戒しながら答える。
リナリーは上に着ていた黒いコートを脱ぎ、団服のローズクロスを示した。

「私達はアクマを退治する黒の教団のアクマ祓い(エクソシスト)。この村に異変が起きてるって聞いて、来たの」
「色々嘘ついて、すみません」

最後にバズが謝った。
ジャンヌは呆然と三人を見て、それから入り口に視線を戻した。
取り繕うようにが口を開く。

「まあ、信じてもらえなくても無理は」
「信じるわ」

三人は驚いてジャンヌを見た。
伏し目がちに宙を見つめ、彼女は呟く。

「だって、彼が言ってたもの」
「彼?」

が聞き返した時、店の壊れた入り口から男の声がした。

「ジャンヌ! ジャンヌ!」

茶髪の青年が、入り口でジャンヌを呼んでいる。

「ジャンヌ、彼は……」
「アベラーズ。私の幼馴染よ」

リナリーが聞くと、ジャンヌは立ち上がりながら答えた。

「アベラーズ! 私はここ!」

青年、アベラーズは驚いた顔でジャンヌを見た。

「ジャンヌ! 無事か? 良かった……」

アベラーズはほっと息をついてジャンヌを抱きしめる。
ありがとう、とジャンヌが返し、二人が離れたところで彼はようやく三人に気付いたようだった。
訝しげにこちらを見て、胸元のローズクロスに目を留める。
鋭い目つきで、アベラーズが問うた。

「お前達、何者だ? 村の人間じゃないな?」
「私達は」
「エクソシストですって。黒の? 教団の」

リナリーが言いきる前に、ジャンヌが口を挟んだ。
アベラーズは大きく目を見開いて凝視する。
体は震え、頬を汗が伝っていた。

「あなた達が……エクソシスト……?」

バズはエクソシストではないのだが、この際三人は頷いてしまう。
そうとは知らないアベラーズは、その場で深く頭を下げた。

「ジャンヌを守っていただいて……感謝します」









アベラーズは、偶然通りかかっただけだという。
彼はもう一度ジャンヌの無事を尋ね、二人で二言三言交わした後、すぐに立ち去った。
空には歪な形の月。
窓越しにそれを眺め、リナリーがそっとカーテンを閉めた。

「助かったわ、泊めてもらえて」

バズがぺこりと頭を下げる。
探索部隊だけあって、体格の割に動作は細かい。
ジャンヌが微笑んだ。

「いいのよ。いつもは一人だから、寧ろ楽しいわ」

は壁に寄り掛かっていた。
手持無沙汰で室内を見回すバズ。
小さな椅子に座るリナリー。
正面に、ジャンヌ。

「アベラーズさんは、何をしている方なんですか?」

バズが話を振った。
小首を傾げて、ジャンヌは困ったように笑う。

「それが……私にも、よく分からないのよね。でもここ何年かはすごくいい仕事につけたみたい。カルナなら……」

ジャンヌは少し目を伏せる。

「カルナなら、何か知っていたかもしれないけど……」

光が届ききらない薄暗い壁際で、は目を細めてジャンヌを見た。
窺うように、リナリーがそっと尋ねる。

「カルナさんって、どなた?」
「……小さな頃からずっと一緒だった幼馴染、か」

は呟く。
顔をはね上げて、ジャンヌがこちらを見た。

「何で、知って……」

苦笑して、は肩を竦めた。

「何となく」

そう……と呟くジャンヌは、やがて口を開いた。

「私とアベラーズとカルナは、この村で生まれた幼馴染なの」

興味深そうにリナリーとバズが身を乗り出す。
は一人、壁に体を預けた。

「小さな頃から、仲が良くてね。いつも三人一緒だった。アベラーズとカルナは、婚約をしたばかりだったのよ。
もうすぐ、結婚するはずだったのに……」

声が震えた。

「ある日突然、村のおじいさんに、殺されて……」

仲間のことを思い出したのか、バズが鼻を啜る。

「お気の毒に……」

リナリーが俯いて呟いた。
夜の静寂は暗闇の洞窟。
沈黙という名の、心音の騒音。
月が、陰る。
ジャンヌが涙を拭って立ち上がる。
灯りに照らされる褐色の瞳。
揺れる、揺れる……

「だから私は、帰ってきたの」

ぐらりとジャンヌの体が揺れた。

「復讐のために」









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