燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









神は全知全能であるので
一時に全てを見通せる
けれどそれ故に
物事に表と裏があることを
決して、理解することができない



Night.39 掌の上の駒









ぐすっ、
鼻水を啜り、ロードは廊下を歩く。
どうやら、スキンが死んだらしい。
ノアの奇妙な絆によるものか、意図せず涙が溢れたのはつい先刻のことだ。
双子にクロスの弟子の情報を与え、焚き付けたのもつい先刻。
今ようやく一人になり、気持ちを落ち着ける事が出来た。
何年も生きているが、家族が死ぬのはやはり悲しい。
しかも、エクソシストと相討ちだなんて。

「(……アレンは、悲しむかな)」

仲間が死んだら、あの白の少年はきっと心を痛めるだろう。
いや、アレンは分かるのだ。
彼は、あの「教団の神」は。
一体どんな反応をするのだろう。

「ロード」

不意に掛けられた声は、どこか湿っていた。
そしてどこか、不機嫌そうで。
ロードはくすりと笑いながら振り返った。

「なーに? ミザニー」
「何故だか涙が止まらないのですが」
「うん、ボクもだよ。あのねー、スキンが死んじゃったみたい」
「彼が……?」

顰められた眉間から、力が抜ける。
軽く瞠った目。
少し幼くなった表情は、すぐにいつも通りの冷たさを取り戻した。

「そうですか。わざわざ死体になって下さるとは……
私もやっと、彼に温かな目を向けることが出来そうですね」

「あはは! 今からじゃ遅いってば」

真面目くさったミザンの言葉に、ロードは吹き出して笑う。

「おや、そうでしょうか?」

彼がきょとんとした顔で首を傾げるものだから、余計笑いが止まらない。
別の意味で泣けてくる。
ロードが身を捩っていると、ミザンはもう一度首を捻り、肩を竦めた。
ところで、と彼が話を変える。

「ロード、あなた方は伯爵様に黙って、一体何をしているのです?」
「えー? なんのことぉ?」

ギクリとしながらはぐらかすが、既に遅いと分かっていた。
冷たい紫色を見て、両手を挙げる。

「ちょっとエクソシストと遊んでやってるだけ。だーいじょーぶ、千年公は怒んないよ」
「そういう問題ではありません」

きっぱりと切り捨てたミザンが、ぐ、と深く眉間に皺を刻む。

「アレらは、恐れ多くも伯爵様の行く道を妨げるモノ。
排除にはいくら手があっても、多すぎることはないでしょう」

――何故、私にも持ち掛けなかったのです?

言外に聞かれて、ロードは一瞬口を噤む。
言える訳が無い。
ミザンは伯爵という「神」に依って立つ存在だ。
伯爵に縋り、人間としてもノアとしても、やっと自我を保つようなこの男を。
どうして、「教団の神」と遭遇させられようか。

「(ミザニーは、家族だ)」

そして空気を統べるあの「神」は、その家族を脅かす危険な存在だ。
江戸では相見えてしまったらしいが、もう二度と、二人を対峙させてはならない。
「彼」に、ミザンが縋る「神」の概念を傷付けさせてはならない。
でも。

「一人ねぇ、エクソシストでもないのに、方舟(ハコ)に入ってきた奴がいるよ」
「死体ですか?」
「ううん、生きてる生きてる」

ミザンが静かに口角を上げた。

「ロード、扉を一つ貸してください」

シナリオに脚色する筈のこの展開が、実は端から脚本をなぞるに過ぎない行為だとしたら。
もしもこれこそが、伯爵の望む展開だとしたら。

「思い知らせてやります。――人は、神になれる筈が無いのだと」

きっとロードがどんなに心を砕いても、二人はまた、出会うのだろう。
あの神の存在は、もう既にこの男の内へ入り込み、歪みを生み出しているのだから。









は、ひた走る。

「「装填、青ボム! イッちまえクロス弟子!!」」
「わっわっ」

並走するアレンが、声をあげた。
二人同時に狙われてしまっては、逃げるにも戦うにも効率が悪い。
は弟弟子をちらと見て、進路を変える。

「セコいことしてんじゃねーよ!」

舌打ち混じりで、デビットが怒鳴った。
怒声を聞き流し、福音を発動させる。
二手に分かれた弟子のうち、ジャスデビが狙い定めたのは、アレンの方だった。

「「装填! 『灼熱の赤い惑星』!!」」

確か、先の「青ボム」では、被弾箇所は凍り付いた筈だ。
それが今、彼らの銃口は「赤い惑星」により、火の玉を生み出している。
アレンがキッと振り返り、イノセンスを構えた。

「十字架ノ墓!」
「まだだぜ!」

すかさず追加される火の玉。
軌道に、ラビとクロウリーが、槌と腕を構えて割り込む。

「テメェら、二人ばっかぁ、――狙ってんじゃねェ!!」

振りかぶられた対アクマ武器が、ノアに向かって火の玉を打ち返した。

「ホームラン!」

息巻いた二人の攻撃にも、ジャスデビは動じない。

「わはっ、打ち返しやがった!」
「こっち来たよ、ヒッ!」

楽しそうに笑いながら、彼らは火の玉に狙いを定め、引鉄を引いた。

「「白ボム!!」」

途端に消滅する火の玉。

「消えた……?」
「は? どこ行った!? あの火の玉っ」

呆気にとられる仲間達の声を聞きながら、は福音を構えた。

――制限――

「(拘束弾!)」

宙に向かって、弾を放つ。

「おっとー?」
「当たんないよ、ヒヒッ!」

跳び上がって歯車を避けたジャスデビが、此方を見て得意そうに笑った。
向けられる銃口。

「「ちゃんと狙えよ! 青ボム!」」

拘束弾は、此方に気を引くためのフェイクだ。
きっと彼らに衝撃を与えられるのは、あの攻撃でなく、こちらだろうと思うから。
は、飛んでくる光を見据えた。
今度こそ、狙いを定めて。

――回転――

銃に付いた歯車が回る。

「凍結弾」

放った光は、青ボムに正面からぶつかり、互いに砕け散った。

「ヒッ!?」

ジャスデロの声には耳を貸さずに、は続けて二回、引鉄を引いた。

「あぶねっ!」

ジャスデビが、器用に弾を躱す。
凍結弾は本棚の一角を凍らせた。砕け散る。
考える余裕の、無いうちに。
少しでも敵の勢いを削がなくては。

――回転――

歯車が回る。
息つく間を、与えてはいられない。

――火炎弾――

放った弾は、空中や本棚で弾け、爆発を起こした。
レロが叫ぶ。

「ジャスデビたま!」

元が銃弾とはいえ、火炎弾の火力は決して弱くはない。
けれど対象を燃やし尽くしたら、炎は瞬く間に鎮まってしまう。
は、レロには構わず立て続けに引鉄を引いた。
残った煙の向こうから、声が聞こえる。

「「装填! 白ボム!」」

放った弾が消え、晴れた視界。
埃を被ったジャスデビが姿を現した。

――制限――

「拘束弾」
「ヒィッ」

躊躇なく撃てば、ジャスデロが叫び、直立不動で飛び退った。
肩で二、三度息をして、二人はを指差し、喚く。

「師匠が師匠なら弟子も弟子だな! 人でなし!」
「コイツら血も涙も無いよ! ヒッ!」
「失礼な」

は肩を回して解しながら、答えた。

「師匠の方がよっぽどえげつないだろ?」
「そりゃまあ、確かに……」

飲まれたように頷くデビット。

「……無事で良かったレロ、ジャスデビたま……。……はっ」

それを見ていたレロが、急にびくりと体を震わせた。

「じゃないレロ!! 伯爵たまからのクロス討伐の命はどうしたレロ!!」

叱り飛ばすように叫んだ傘へ、容赦の無い銃口が向けられた。
飛んでくる銃弾を、レロがヒィッ! と避ける。
不機嫌に顔を歪めたジャスデビが、言った。

「だぁーってろボケ! 穴だらけの傘にすんぞ」
「ヒッ。クロスは江戸のどこ探しても、いなかったんだよ! このボロ傘が!!」
「!?」

アレンと顔を見合わせる。
そんな筈は無い。
それでは、中国で聞いた話と食い違ってしまう。
しかし千年伯爵曰く、クロスの狙いは、江戸ではなく方舟の可能性があるのだそうだ。

「(……それが、あの人の「任務」なのか?)」

アレンを弟子にとる直前、クロスは「任務」ついでに脱走すると言っていた。
その任務が未だ、継続中だとしたら。
乗り捨てられるこの方舟、そのものではない。
恐らくこの中に、「元帥」が打ち破るべき何かがあるのだ。
ダイレクトに伯爵側の勢力と関わる、何かが。
デビットが達を指差して、レロに怒鳴る。

「「いーだろ! アイツが現れるまで、弟子でヒマ潰ししてたって!! ついでにっ!」」

更に声を張って何を言うかと思えば。

「「アイツにつけられた借金も、コイツらに払わせんだよ!!」」

は呆気にとられて絶句した。
え? でも、は? でもなく、声が喉元でわだかまる。
字面だけが目の前で踊っている。
借金、ツケ、借金、ツケ、借金、ツケ、借金、ツケ、借金、ツケ、借金、ツケ、借金……

「しゃ……借金……?」

気の抜けた声で、ラビが聞き返した。
やっとの頭の中にも、冷静に言葉が下りてきた。

「(あ……、の……、クソ親父……!)」

まさか、まさかとは、思っていたが。

「そーだよ! あの野郎、オレらに借金つけて逃げ回ってんだ! 悪魔みてェなヤローだぜ」

は、思わず額に手を宛てる。

「(ツケって、そっちかよ!)」

信じられない。 本当に、まさかとは思ったが、敵に借金を押し付ける馬鹿がどこにいるというのだ。
いや、いた。
しかしまさか、その馬鹿が自分の師匠だなんて。
恥ずかしいと思わなかったのだろうか。

「(……俺が恥ずかしい……)」
「これがその請求書! 締めて100ギニー! キッチリ払ってもらうかんな、弟子ぃぃ!!」

ジャスデロの涙混じりの声にも、返す言葉がない。

「そら、怒るわ……」

顔を引き攣らせて、ラビが呟いたが、それですら恥を掘り返される気持ちになる。
クロウリーが顎に手を宛てて唸った。

「敵に借金……か。なんとも言いがたい。そういえば私も奴に金を……」
「ほんと、ほんとごめん……クロウリー……」
「え? あ、ああいや、が謝る事では……」

忘れかけていたが、彼もクロスの被害者だった。
クロウリーはともかく、敵に遠慮してやることはない。
そうは思いつつ、ついジャスデビの泣き声にも、心からの罪悪感を抱いてしまった。

「うおっ、アレンどうした!?」
「しゃ……きん」
「借金て言葉にダメージくらってんのがこっちにも!!」

、なんとかしてやって!
ラビは叫ぶが、生憎も羞恥に打ち震えるので精一杯である。

「100……ひゃくぎにー……ひゃく……」
「アアアレン! しっかりするさ!」

しかし、借金地獄を思い出しているアレンを見ていたら、は大分落ち着いてきた。
過ぎたことは仕方がない。
殊にこの借金問題に関しては、開き直りも肝心だろう。

「ひゃく……」
「アレン!? 唱えんなって! 怖いから!」
「……かが……たかがっ、100ギニーでしょ」

そう、たかが、100ギニーなのだ。
まるで悪魔の角でも生えたような、禍々しい雰囲気を醸してアレンが笑い出した。

「たかが、100ギニーぽっち? あはは………そんなはしたガネ、ツけられたくらいで何ですか!!」
「なっ……!!」
「何ぃ!?」
「僕の借金に比べれば……」

アレンの不幸自慢の陰に隠れるように、ラビが囁いた。

「なぁ、この子いくら借金かけられてんの!?」

答えに窮した。
正確に計算したことはないが、あの請求書の紙束を見たことはある。
ジャスデロが手に持つ「薄っぺらい」アレとは、比べ物にならない。

「……知りたい?」
「やめときますっ」

聞き返せば、即答だった。
そうだろう、とも思う。

「はした金だぁぁっ!?」
「ぶっ殺すぞ、ヒィー!!」

さも不本意であるかのようにジャスデビが騒ぐので、も開き直って口を挟んだ。

「100ギニーくらい一晩で稼げるだろ」
「ヒッ! 無理に決まってんじゃん!」
「無理じゃねぇよ、普通だ」

絶対普通じゃないよ、というリナリーの呟きは聞こえなかったことにする。
にとっては、普通なのだ。

「溜め込むから返せなくなるんだよ。良かったな、お前ら。一枚一枚が大した額じゃなくて」
「そうですよ! 僕達なんか、請求書一枚で100ギニー超えるときだってざらなんだから!
大っ体、キミ達は間違ってる。僕らの師匠は、悪魔みたいな人なんかじゃない……!!」

最早何に対するものか分からない怒りに震えた弟弟子が、ジャスデビに指を突き付けた。

「正真正銘の悪魔なんですよ!! 師匠と関わるんなら、それくらいの覚悟して行けってんだ!!」

は、うんうん、と頷いて援護する。
敵に借金をするという根本がおかしいだなんて、もう気にしない。
がっくりと肩を落とす仲間達。
目を見開いて硬直する敵。
やがてジャスデビが腹を抱えて噴き出す。

「ぶっ……」
「ギャハハハハ!!」

ひとしきり笑ったと思ったら、二人は眦を吊り上げた。

「「ふざけんじゃねぇ――っ」」
「(いやまぁ、怒るよな)」

当然の事だろう。
放たれる攻撃に応戦しながら、は息をついた。

「――ジャスデロ! 騙しメガネいくぞっ」
「ヒッ!」

今度は何が来るのだろうか。
ジャスデビと同時に、アレンが武器を構える。

「「紫ボム」」
「破壊ノ爪」

巻き起こる土煙。

「やったか!?」

ラビの声が聞こえて視界が晴れたとき、光景は一変していた。

「!? え……っ!!」

アレンの爪が捕らえたのは、あのノアを模した人形だった。

「やーい、かかったな、バァーカ」
「な、なんだ!?」
「『騙しメガネ』。もうオレらの姿は、お前らには見えねぇよーだ。ギャハハハハ」

何処からか聞こえるデビットの声。
仲間の目の辺りには、不思議なペイントがつけられている。
どうやら、その効果がノアを隠しているらしい。

「な、なんでレロまで? なんでレロまで!?」

何故彼らの味方である筈のレロが巻き添えを食っているかは、分からないが。
傍らでリナリーが息を飲み、鍵の山と化した床を指差した。

「みんな、床を見て!」

も少し足を動かしてみるが、なんとリアリティ溢れる幻想だろうか。
感触まである。

「この鍵……私達の持つ鍵とまったく同じ……」
「……しまった、アレン! オレらの鍵、あるか!?」
「!! えっ? な、無い!?」

真っ青になるアレン。
見計らったように、嘲笑う笑い声が響いた。

「ギャハハハハハ!! 残念でしたぁ。大事な出口の鍵は隠れちゃったよー、ヒヒッ!!」
「オレらを怒らせやがって、全員この部屋でイッちまえ!!」

敵の姿は無し。
鍵も隠され、能力も分からない。
けれど。
鍵の在処を探すのは苦しいが、あの二人の居場所なら、探せる筈だ。
は目を瞑った。
空気を意識して、上方で笑う気配を捉えて――刹那、背後から腕を捕らわれた。









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