燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
平和を失って
この世界は
何を得たというのか
Night.37 取り戻せ
「出口欲しいんだろ? やってもいいぜ?」
がノアを睨み付け、唸るように言った。
「……ティキ、どういうことだ」
神田は彼を盗み見る。
何故、あのノアの名前を知っているのだろうか。
先程ノアを「ビン底」と呼んだ三人ですら、驚愕を顔に上らせた。
ティキが笑って片手を上げた。
「よ、久し振り、オニーサン。さっきは凄かったなぁ、あんなの防いじゃってさ」
「ああ。お前が壊さなかったイノセンスでな」
「うわっ、厭味かよ。しっかしまあ、ホントに『人間』じゃないみたいだったぜ」
「余計な事はいい。……答えろ。此処からは、出られないんじゃなかったのか」
眉間に深い皺を刻み、が問う。
対するティキは、歌うように、軽やかに告げた。
「おー、怖い怖い。だからな、ロードの能力なら作れるんだよ、出口」
細い糸が奏でるような、高い音が響く。
「!?」
地面から、ハート型に似た大きな扉が現れた。
「レロッ、その扉は……!」
神田を含めた教団の面々だけでなく、何故か敵である筈の傘までもが驚いている。
その扉は、ノアで唯一、方舟を使わずに空間移動をする能力者「ロード」の扉らしい。
男は扉を指し、不敵に笑った。
「ど? あの汽車の続き。こっちは『出口』、お前らは『命』を賭けて勝負しね?
今度はイカサマなしだ、少年」
「!」
「どっ、どういうつもりレロ、ティッキー。伯爵タマはこんなこと……」
傘が慌てて問うが、ティキはそれには応えず、鍵を取り出して此方に投げた。
「ロードの扉と、それに通じる三つの扉の鍵だ。これをやるよ」
空いている手で、神田はそれを掴み取る。
こんな小さな鍵に、自分達の未来が懸かっているのか。
「考えて。……つっても、四の五の言ってる場合じゃねェと思うけど」
笑うノアの頭上で、石造りの建物が崩れる。
傘が叫んだ。
「ティッキー!!」
「たっ、建物の下敷きになったである」
「死んだか?」
「……いや、」
あいつは、生きてる。
が、低く呟く。
直後、何処からか、潰された筈のティキの声が聞こえた。
「エクソシスト狩りはさ……楽しいんだよね」
自分かもしれないし、仲間たちかもしれない。
誰かが、ごくりと唾を飲み込んだ。
「扉は一番高いところに置いておく。崩れる前に辿り着けたら、お前らの勝ちだ」
三つの扉。
江戸で神田が見たノアは、ティキを含めて、見覚えのある大男と銀髪のノアの、三人。
そこに「ロード」とやらが加われば四人。
一つの扉に一人以上が待ち構えていたとしたら、神田とラビだけでは到底、対処しきれない。
例えアレンに一人を充てても、ノアの四人目が残る。
果たして、クロウリーと今のだけで、戦って生き残れるか。
「……チッ!」
確実に、此方が不利なゲームであることは違いない。
「ノアは不死だと聞いてますよ。どこがイカサマ無しですか」
アレンが不快そうに言い捨てた。
応えたのは、哄笑。
「っと、失礼。なんでそんなことになってんのか知らねェけど、オレらも人間だよ? 少年」
ノアは、自身を押し潰した筈の建物を、無傷で「通り抜けた」。
「死なねェようにみえんのは、お前らが弱いからだよ!!」
一際大きな揺れ。
硬い地面に亀裂が走り、砕けた。
「!!!」
「うわっ」
ティキはもう居ない。
神田は右手に鍵を握り締め、を支える左手に力を込める。
「ヤバイ、走れ! 崩壊の弱い所に!!」
「! きゃ……」
「リナ……っ」
リナリーの悲鳴に足を止めそうになるを、ぐいと引っ張った。
「テメェは自分の事だけ考えろ!」
怒鳴り付けて、安全な道を探すラビの後を追う。
心配せずとも、リナリーは崩壊に巻き込まれる前にアレンが救い出していた。
それを横目に見てか、が張り詰めた空気を僅かに和らげる。
神田はチッと舌打ちを零した。
こんな時くらい、自身の心配だけしていればいいものを。
そう、思うのに。
同時に、彼には到底不可能だろうという考えに行き着いてしまう。
そんな自分に、どうしようもなく嫌気が差した。
もう、どれくらい走っただろう。
やっと揺れの少ない場所を見つけた時には、誰もが再び、息を乱していた。
共に走ったの疲労も激しい。
先程よりはまだ装えてはいるものの、すっかり力を失った彼を段差に座らせる。
神田は、少し離れて額の汗を払った。
リナリーが、隣に座るを不安そうに覗き込んだ。
「お兄ちゃん」
「大丈夫」
黄金が僅かに顔を上げ、微笑う。
「どーするよ……逃げ続けられんのも時間の問題だぜ。伯爵の言う通り、三時間でここが消滅するならさ」
「あと二時間レロ」
ラビの言葉に、傘――レロが口を挟んだ。
がむしゃらに崩壊から逃げたせいか、時間の経過には気が回っていなかった。
青ざめたクロウリーが、絞るように言う。
「どの道助からないである!」
「確かに」
静かな声がそれに応えた。
が顔を上げていた。
「選ばなきゃならない。今、此処で」
自然と誰もが、彼に目を向けた。
汗を拭いながら、アレンが手を挙げる。
「ロードの能力っていう空間移動は、僕らも身に覚えがあります。ね」
「うん」
リナリーの首肯。
聞き届けて、が目を閉じた。
一拍。
再び現れた漆黒が、神田とラビを捉えた。
「 ――いいか?」
短い問い。
ノアの誘いに、彼は乗るつもりだ。
強い空気が、神田を、ラビを包む。
今は、彼自身が満足に動ける状況に無い。
きっと自分達が否と言えば、は新たな策を練るのだろう。
それでも、望みの少ない賭けに於いて、「彼」が自分達に期待を寄せてくれている。
他ならぬ「彼」が、誰でもなく自分達を選んでくれた。
畏怖か、歓喜か。
混ざりあう気持ちが、身体の中心を震わせる。
その震えを吐き出すように、ラビが息をついた。
「しゃーねぇ、ってか」
が。
「彼」が、進むと云うのなら。
「ち……」
自分はただ、それを支えるだけ。
出来ることを、やるだけだ。
誰が最初の鍵を開けるか。
を含めたやや不公平なジャンケンが行われた、その結果。
神田は腕組みをした。
隣では一人で歩くと宣言したが、気の毒そうな表情を弟弟子に向けていた。
「アレン、やっぱり俺が開けるよ」
「いいえっ、負けたのは僕ですから……」
肩を落としたアレンが、鍵を握り締めて溜め息をつく。
適当な段差に足を掛け、不安げに振り返った。
「この扉でいいですかね?」
「さっさとやれ、モヤシ」
「アレンです!」
恐る恐る、アレンが鍵を開けた。
ボン、と扉から煙が立ち上がる。
「おっ」
「おおっ」
神田も無言で、しかし思わず目を瞠った。
何の変哲もなかった扉が、奇抜な装飾の扉へと変貌している。
一瞬、全員を襲った驚愕。
動揺から抜け出すと、目の前に横たわる現実に直面する。
この先に、得体の知れないノアが待ち受けているのだ。
神田はちらとを見遣った。
まっすぐに扉を見据える、漆黒の瞳。
彼が、目に見えない皆の不安を感じ取っている。
ならば、後になってその不安が膨れ上がっても、きっと前に進んでいけるだろう。
神田と同じことを思ったかどうかは分からない。
恐怖を振り払うように、アレンが手を伸ばし、大声で言った。
「絶対脱出!! です」
「おいさ」
ラビが笑って手を重ねる。
「うん」
リナリーが。
「である」
クロウリーが。
「ウッス」
チャオジーが手を重ねる。
と、そこまで来て、五人が此方を見た。
生温い笑顔。
「神田ー……」
「やるか。見るな」
重ねる手を請われても困る。
素気無く撥ね付けると、ですよね、とアレンが苦笑した。
そのまま、アレンは神田の隣で笑うへ目を向ける。
「兄さん」
呼ばれて、は笑みを変えた。
肩を竦めて微笑み、神田の手を左手で掴む。
一拍、間を置いて、余る右手をチャオジーに重ねた。
「(何だ……?)」
走る違和感。
何でこいつは、笑顔を変えたのだ。
単に手を重ね、弟弟子に向けて首肯を返せば、それで良かったものを。
「(……、チッ)」
その正体に思い至って、神田は苦く顔を顰めた。
彼の手を軽く振り払い、逆にその手首を掴む。
扉を睨んだ。
「行くぞ」
大きな岩が転がる地面。
無骨なそれに対して、頭上にはやけに煌びやかな星空。
「何だ、ここ……?」
「外、じゃねェな……」
アレンとラビが後方で呟いた。
「ユウ、離せよ。痛いって……」
未だ掴んだままの手に、が文句をつける。
囁くような彼の声を無視して歩き、そこで神田は気付いた。
――いる
神田が息を詰めたと同時に、が手首の筋を俄に強張らせる。
二人の異変を、アレンが訝った。
「神田? 兄さん?」
横目でアレンを制す。
「シッ、黙れ。いるぞ」
の手を放し、六幻の刃を撫でて発動させた。
「お前ら、先行ってろ」
「えっ!?」
「アイツとは俺がやる。うちの元帥を狙ってるノアだ、何度か見てる」
手首を掴まれる感覚に視線を下ろせば、の手が神田を捕らえていた。
先程とはまるで真逆の光景である。
神田は、彼を視界に入れないよう、顔を背けた。
今、漆黒を見たら絡めとられる。
彼の心の声を代弁するかのように、リナリーが声を上げた。
「カ、神田一人置いてなんか行けないよ」
「勘違いするな、別にお前らの為じゃない。
うちの元帥を狙ってる奴だと言っただろ、任務で斬るだけだ」
だから離せと、彼に捕まれている手を乱暴に振りほどいた。
刹那、地響きと共に、地面が大きく揺れる。
「地震……っ」
「やっぱりここはまだ方舟の内なんさ!」
ハッとしてを見れば、近くの岩に掴まり、体を支えていた。
レロがラビに答える。
「そうレロ。ここはまだ新しい方舟へのダウンロードが完了してないだけの部屋レロ。
ダウンロードされ次第消滅するレロ!」
目に見えて顔色を変えたのは、アレンだ。
右手を素早く挙げて、身を乗り出す。
「僕も残ります、神田! みんなはスキを見て次の扉を探して進んで下さい! 僕らもあとから……」
「お前と二人なんて冗談じゃねェよ」
「神……っ」
思わず唸って、六幻を構えた。
「俺が殺るっつってんだ」
実力があるのか、此方が弱く見られたのかは知らない。
けれど相手は、元帥一人、エクソシスト三人を狙ったノアだ。
二人がかりで戦えば、確かに戦いは楽になるだろう。
しかし、そんな人数の余裕は無い。
「とっととうせろ。それともお前らから斬ってやろうか? あ?」
アレン達が後退りする。
例外なのはあの金色で、彼だけは岩に手を置きながら神田を睨んでいた。
「えっ、ちょっ……鬼が出てるんですけど……」
「カ、神田さん……」
「本気……?」
神田は、彼らの引き攣った声も無視して、刀を振るった。
――界蟲一幻!!――
「ちょっ? やめっ」
「神田!!」
「痛ーっ」
「死ぬっ、死ぬよ!?」
「ぎゃあああっ」
金色は、動かない。
鬼畜だの、人でなしだのと散々文句を言われながら、神田はアレン達を追い払う。
リナリーに「追いかける」約束を強要され、最後に、を押し遣った。
「ユウ、」
抗う声に、鋭く瞳を向ける。
確信を持って、彼にだけ聞こえるよう言葉を刺した。
「お前、あいつらに手重ねる気、無かっただろ」
「ッ!」
漆黒を見開き、彼が息を呑んだ。
神田は、腹の底から絞り出した低い声で畳み掛ける。
「馬鹿なこと考えてんじゃねェだろうな」
「……それは、……」
視線を惑わせる。
思わず溜め息をついた。
ある意味「普段通り」の彼の考え方に、腹が立つ。
団服の胸倉を掴み、彼を睨めつけた。
「追い付いたら、そのしけた面見て笑ってやる。それまで死ねると思うなよ、」
一瞬目を瞠ったの、纏う空気が変わる。
渦巻くように、普段と遜色ない強さを纏い始める。
「おいおい。お前ら、ゴチャゴチャうるせェぞ」
ノアの声にも消されない、「神」の強く澄んだ声が、言った。
「……来いよ、必ず」
「ハッ。誰に向かって言ってやがる」
――行け
黄金が、迷いを断ち切るように黒衣を翻す。
神田は最後まで見送ることなく、ノアに向き直った。
「(六幻)」
仲間のことは、心配しない。
何せ、彼が付いているのだ。
「いくぞ」
だから自分は、自分の任を果たす。
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