燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









そして、出会った



Night.32 対峙する正義









「玩具達、我輩のコエが聞こえますカ?」

声に従って、日本中のアクマが江戸に集結する。
ジャスデビが、伯爵の足元で楽しそうに声を上げた。

「キッモー。これ全部、日本地区オンリーのアクマ?」
「ヒヒ! こんな呼んでどうすんのかね、社長は! ヒヒ!」
「おいティキ! テメェもう日本に用ねェだろ、次の仕事行ってこいよ」
「クロスはジャスデビのもんだよ! ヒヒ!」

騒ぎを意に介さぬように煙草を咥え、ティキは遠くを見る。
気になるのは、あの光景。
イノセンスを裏切り、「咎落ち」したスーマン・ダークの屍体の傍ら。
この手で確かに殺した筈の、アレン・ウォーカー。

――生きている? 馬鹿な

確かに、心臓に穴を開けてやった筈だ。
しかしカードの中の番人、セル・ロロンは嘘をつけない。
アレン・ウォーカーが生きている?
馬鹿な、「教団の神」じゃあるまいし。

「ティキぽん」

思考の渦から引き上げるのは、余り好きではないその呼び方。

「千年公、その呼び方やめて欲しいんスけど」
「何ですかその言い草! 名前を呼んでいただくなんて、天にも昇る喜びですよ!」
「あーはいはいすいません」

未だ伯爵に張り付いているミザンが、キーッ! と目くじらを立てる。
全く、面倒臭い。
伯爵がこちらを見ずに言った。

「イノセンスをナメちゃいけませんヨ」

声が、目が、笑っていない。

「アイツは我輩達を倒すためなら何だってする、悪魔なんですからネ」

ティキは少し考え、近場のアクマを指差した。

「……じゃ、そこの奴。今すぐ『箱』で中国飛んで」

レベル3のアクマを向かわせる先は、中国。
黒の教団、アジア支部。
その間にも、伯爵がジャスデビとスキンを見下ろした。

「ジャスデビとスキンくんも、いつまでも元帥にやられてちゃダメですヨ。
ハート探しは、まだまだこれからなんですかラ」

いつもは比較的優しい瞳が、明らかに怒っている。

「ちゃんと仕事しなさイ」
「す、すんません……」

三人が、流石に肩を竦めた。

「凄んだお姿も素敵です、伯爵様!」

我関せずのミザンが一人、空気に花を飛ばしている。

「ウフフ、ミザぴょんは嬉しい事を言ってくれますネ。期待していますヨ」
「は、伯爵様……!!」

嫌な予感のする、伯爵の笑み。
直接それを向けられている筈のミザンは、何も感じていないようだ。
双子もスキンも、先程の伯爵に怯えただけのように見えた。

「(オレだけか?)」
「我輩が居合わせたのも、運命ですかネェ……」

変な胸騒ぎを抱いたまま伯爵を見上げれば、彼は楽しそうにレロを掲げた。

「新たな船出の前夜祭とでもしましょウ。
行きなさい、アクマたチ。全軍で元帥共を討テェ!!」

一斉にアクマ達が飛び立とうとする。
それを、炎の大蛇が阻んだ。

「!?」

その奥から聞こえた声。

「喰らえ」

大蛇が牙を剥き、滑るようにこちらへやってくる。

「やべっ」

ティキは慌てて立ち上がり、宙へ跳んだ。

「ぬおっ?」
「危ねっ」
「あ」

スキンも双子も同じように難を逃れ、アクマに跳び移った。
ノアを逃した大蛇はしかし、脇目も振らずに千年伯爵とミザンを呑み込んだ。
デビットが笑う。
ティキとて、心配はしていない。

「アホな」

伯爵の呟き。
大蛇が瞬時に凍りつき、砕けた。

「伯爵様、ご無事ですか?」
「えェ、痛くも痒くもありませんヨ」

伯爵を背にして、よかった、と蕩けるようにミザンが微笑む。
直後、彼は氷のように冷たい視線を下方へ向けた。

「人間風情が」
「元帥、の攻撃ではないですネ、この程度ハッ。出てきなさイ……ネズミ共」

煙の中から、現れるのはローズクロスの一団。
今はそちらに付いている記録者、ブックマンが語気を強めた。

「元帥の元へは行かせんぞ、伯爵!!」
「キャー、勝ち目があると思ってるんですカー?」



「可能性ならッ!」



ローズクロスの、その奥から空気を切り裂いた声。

「――可能性なら、あるさ」

強すぎる存在感が、鳥肌を抱かせる。
伯爵が、笑みを深めた。

「なるほど、そちらと一緒でしたカ」

間にある全てが、きっと彼の目には映っていない。
千年伯爵が黄金、を見つめた。

「会いたかったですヨ、!」



「(……ミザン?)」

ティキは、伯爵の傍らへ視線を落とす。
いつもなら、自分だけを見て欲しいと騒ぐ筈のミザンが。
何も言わずに黄金を見つめて固まっていた。









――ミザン――

誰だ

――ミザン――

誰だ

――ミザン――









優しく、柔らかく、温かく。
穏やかに鼓膜を震わせるその声が、この上なく「心地好い」ものだと。
心の底では、確かに知っているのだけれど。
でも、

「……誰だ……」

焼けつくような感情が、その全てを否定しようとする。
思い出したいのに、一瞬たりともソレに心を許したくない。

――ミザン――

「……ッ、誰だ!!」

髪を振り乱し、叫び見下ろしたその先に、金色が見えた。
その「ニンゲン」は、深い漆黒の瞳で、ミザン達を見上げている。

「……ティキ」
「どうしたお前、大丈」
「アレは、」

ティキへ静かに呟きを向ければ、彼は違わずに自分が見ている方向へ目を向けた。

「アレは……何ですか」
「ああ、アイツが例の奴だよ。『神様』」

――嗚呼、やはり

唐突に、意識へ現れたその言葉。

「(……どうして……)」

人間が、神になれる筈がないと、自分は知っているのに。
アレは、確かに「ニンゲン」である筈なのに。
「ニンゲン」でなくては、ならないのに。
どうして。

「……ッ」
「おいミザン、ホントに大丈夫か?」

ティキの声も、どこかで響く千年伯爵の声でさえ、心に届かない。

――俺、人間が好きなんだ――

見下ろせば、漆黒。
静かな水面の下に、激情を滾らせた、漆黒。
ミザンは、宙に浮かべた氷を蹴り、空間へ飛び出した。









お前は、誰だ









「アレからの活躍は、我輩もよォく聞いていまス」

薄気味悪い笑みを浮かべ、千年伯爵がこちらを見ている。

「我輩のアクマ達が、随分とお世話になったそうデ」
くん、」

背後のミランダが、心配そうな声で呟いた。

「会ったこと、あるの……?」
「……あるよ」

船上の邂逅。
その時感じた、憎しみが甦る。
ぐっ、と拳を握った。

「ウフフ。その団服姿もよくお似合いですネ。でモ、」

伯爵が、笑みを深めた。

「ご両親が見たら、どう思うでしょうネ?」

手首の傷が、裂ける。

「きっと悲しまれますヨ、

浮き上がりかけた血を、暴れ出す鼓動を、歯を食いしばって抑えた。

――間違っている

そのきっかけが何であれ、憎むべきは自分自身。
母を喪ったあの日の哀しみも、ついに戻らなかった父に詫びるこの気持ちも。

「あれほど愛し合っていたご夫婦ノ、あれほど愛した息子さんガ、」

手から零れた「世界」への、やりきれない後悔も。

「今では、穢れた神の武器になっているなんテ。ネェ?」

責められるべきは、自分。

――間違っているんだ

誰かを恨むのは、憎むのは、責めるのは。
間違って、いるんだ。

「……っ」

間違って、いるのに。

「おや、怒らせてしまいましたカ」

自分の罪を、正面から突きつける千年伯爵が、憎い。

「……くん……」

不安が滲んだミランダの声音。

――間違って、いるんだ

今すべきことは、何だ。
千年伯爵を、倒す。
ただ、それだけ。
これ以上、悲劇を繰り返さない為に。
死者の眠りを妨げない為に。
これ以上、愛する世界に涙を落とさない為に。
彼の望む世界を、壊すこと。

――向ける先を違えた僕の憎しみは、さしたる問題ではないのだから

は一度、目を瞑った。
自分が抱く感情なんて、世界の哀しみに比べたら些細なものなのだから。

「(構っている場合じゃないんだ)」

――消えて、なくなれ

纏う空気が落ち着くのを待って、目を開ける。
笑う伯爵。
その隣に居た銀髪のノアが――



――滑るように、こちらへ飛んできた。









「ひっ!」

ひきつったような、ミランダの悲鳴。
はタン、と踏み出した。

――お兄ちゃん――

脳を揺さぶる鈍痛に気付かないふりをして、「福音」を構えた。
ノアが血濡れた白衣の内に手を入れる。
周囲の温度が、急激に下がる。
いつの間にかその背後には、先の尖った氷柱が何本も浮かんでいた。

「お前は!」

白衣の内からは、銀色に輝くメス。

――お兄ちゃん――

「お前は、誰だッ!!」

ノアは瞳を黄金に閃かせ、メスを構えた腕を振るった。
同時に、空中の氷柱が列を成して空を切る。

「(連射弾――)」

落としきれるか?

「(――いや、)」

墜とさなくては。
引き金を引いた。
氷が砕け、メスが弾け飛んでいく。
破片の向こうに、広がる銀色。
眼前に迫っていたノアが、虚空から氷柱を取り出す。
は左手を強く握った。
胸の中心に、強い圧迫感。

「(間に合えッ)」

ぽたり、落ちた血が、背後で盾へと姿を変える。
両手で銃を構える。
ノアが片手での肩を抑え込む。
銃口をノアの額に押し付ける。
氷柱が振り上げられる。

くん!!」
「ミザン!!」

ミランダとティキの悲鳴が、聞こえた。
の漆黒は、ミザンと呼ばれたノアの黄金と見つめ合った。
一方が動けば、他方も反射で動くことが出来る。
間合いを持たずに行なわれる、白金と黄金の駆け引き。

「戻ってきなさイ、ミザぴょん」

伯爵の命令がまるで聞こえていないかのように、銀髪のノアはぴくりとも動かない。

「盾を解け! !」

「帳」の向こう側から、ブックマンの声が飛んできた。
ミザンがちらりと目を上げる。

「……人間風情が……」

驚くほど、嫌悪と憎悪に塗れた声音を聞き咎め、は目を眇めた。

「お前も人間だろ」

再び、黄金色の瞳と漆黒の瞳が交錯する。

「ふふっ……ハハハハハ!」

哄笑が響き、いっそう強く「帳」へ押し付けられた。
嘲りの色が、ミザンの双眸に浮かぶ。

「それで? ご自身は『神』だと?」
「ふざけんな」

強く吐き捨てる。
けれど、背後に聞こえないよう、少しだけ声を落とした。

「俺だって、同じ『人間』だ」



「戻りなさイと、何度言わせますカ? ミザぴょん」



睨みあう二人に降ってきた、伯爵の声。
ミザンが低く舌打ちをした。
の体を押し、その反動で後ろに飛び退く。
待ち構えていたレベル3の手に乗り、憎悪の瞳で一瞬こちらを見下ろした。
すぐに振り仰ぎ、叫ぶ。

「申し訳ありません、伯爵様ぁぁぁああああ!!」

唖然としているを置いて、ミザンはアクマに連れられ、伯爵の元へと飛び去った。
ふっ、と体の力が抜ける。
「帳」を解いてすぐ、ミランダに服を掴まれた。

「大丈夫だよ」

彼女から言葉が出る前に、振り返って全員に告げる。
ラビが真っ先に頷き、上空を睨んで歯軋りをした。

、下がれ。オレがやる」
「マジで戦り合うつもりだっちょか!? 勝ち目ないっちょ! 百パー死ぬ!!」

慌てるちょめ助に少しだけ笑いかけ、ラビは再び、ミザンと話すティキを睨み上げた。
その視線を追ったリナリーが、息を呑む。

「あれは……っ」
「ああ。あの夜の、アレンを殺したノアさ……!!」

は思わず目を見張った。
ティキを見上げ、は、と息を吐いた。

「……嘘だろ」

あの町で。
ドールで。
自分が相討ってでもティキを倒していれば。
イエーガー元帥も、アレンも、今頃、

――生きていたんだ

ラビが槌を振りかぶった。
彼を取り巻くように浮かぶ、漢字。
「火」の文字を打ち、槌が振り下ろされる。

――火判!!――

上空のティキは難なくそれを避け、こちらを見下ろした。
面白がるような笑み。
空気を「選択」したのか、器用に宙に立ってみせた

「あん時のダンナと眼帯くんじゃねぇかー」

三人は、既知の間柄なのだろうか。

「このホクロはオレが戦る」

ふと湧き上がった疑問は、ラビが一歩踏み出してに並んだことで掻き消える。

「誰も手ェ出すなさ! ボッコボコにしてやらねェと気がおさまんねェ」
「っ、ラビ!」

咄嗟に呼び止めるが既に遅く、負傷した腕を庇いながら、彼が飛び出した。
同時に気付くのは、明らかに数の増えた巨大アクマの存在。
クロウリーが、同じように空を見上げる。

「何だ、アレは」
「アクマ共が融合してデカくなっただけのことだ」

自身の天針(ヘブンコンパス)を手元に構えて答えたブックマンがこちらを見た。

「どうする、。頭上からでなければ、攻撃は届かんぞ」
「だったら私の靴で、」
「駄目だ」

声を上げたリナリーを、即座に制する。

「どうして!」
「リナリーは此処で、三人を守って。いいね」

海上で黒靴を最大限開放した彼女は、未だに一人で満足に立つことが出来ない。
此処に残したところで、非戦闘員を守れるとも思えないが、前線に出れば的になるだけだ。

「『時間停止(タイムアウト)』!」

「帳」を残すと告げようとした矢先、ミランダがレコードを掲げた。
驚く一同に、ミランダは微笑む。

「長くは持たないけど……この中の時間を停止させました。攻撃は、防げます」
「空にはオイラが連れていくっちょ」
「ちょめ助?」

リナリーが聞き返す。

「改造アクマは、殺人衝動が抑えられなくなったら自爆するよう、セットされてるんちょ」

辛そうに、ほんの少しだけ笑って、ちょめ助がアクマの姿に転換した。

「もう、そろそろだっちょ」
「(師匠……っ)」

ヒトと過ごした記憶を持ってしまったアクマが、殺人衝動を抑えられなくなる。
それは確かに、悲劇だ。
より強い罪の意識に魂が侵されるのなら、自爆させ、魂を消し去る方が余程良い。
は瞑目し、頷いた。

「ブックマンとクロウリーを、頼む」
「任せろ」

そうだ、と言って、ちょめ助が自身の血をクロウリーに分け与えている。

「お主はどうするのだ」
「俺は、下からやってみる」

出来る筈だ。
第二開放を手にした、今なら。
ブックマンが頷き、クロウリーを見遣る。
血の供給が終わったようだ。
無茶をするなよ、そう言い残し、ブックマンがちょめ助に歩み寄る。
は「福音」を持つ右手に、左手をそっと添えた。
歯車を回す。

「ちょめ助」

呼び止めると、同じ道を歩いたアクマは、顔だけで振り返った。

「お前は確かに、俺達の、俺にとっての、希望だったよ」

けれど、消えゆく君に、今はこんなことしか言えない。
ちょめ助が、笑う。

「さあ、行くっちょ!!」

黒服は一斉に、「時間停止」の庇護を抜けた。









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