燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
誓った想いが あるんだ
笑顔を 絶対守ってみせると
犯した罪を 赦してあげると
この力が及ぶ場所全てに
ささやかでも 救いをもたらすと
あの日 誓ったんだ
驕りだと 君は言うだろうか
自惚れだと 言うだろうか
虚しいと 君は泣くだろうか
それでも
――風が記憶の扉を開ける――
呵責の炎に身を包まれても
凍えるような責めをあびても
絶え間ない苦しみに苛まれても
それでも
――重い重い、扉を開ける――
微笑い続けると 決めたんだ
Night.27 空へ――失われた世界の為に
目の前を傾いていくマスト。
煙が上がる。
叫び声、怒号。
に続いて、三人が部屋を出る。
周囲を見ながら、銃を抜いた。
「お兄ちゃん!」
別の部屋からリナリーが駆けてきた。
一瞬目を合わせ、揃って一点を見る。
人に近い形をした、アクマ。
「レベル3……!?」
「ああ」
ラビの鎚を支えて、何でも無いように立っている。
アクマが腕を払った。
吹き飛ばされてマストにぶつかるラビ。
アクマが、飛んだ。
「ラビ!!」
マホジャが叫ぶ声。
巻き物を広げたブックマンを、は目で追う。
その視界に、ひらひらと舞うものがあった。
小さな、蝶。
氷の蝶が一頭、とリナリーの間を舞っていた。
の空気に、殺意が触れた。
咄嗟に振り返ってリナリーを背に隠す。
「――ッ!」
「お兄ちゃん!?」
肩を貫く長い蔓。
揺れる視界に、レベル3のアクマが二体、浮いていた。
「様!」
船員の声。
蔓が引き抜かれた。
細身のアクマは間を置かず、鞭のように蔓を振るう。
避けたらリナリーに当たる。
そう思った一瞬、蔓は体に巻きついていた。
巻き込まれた左腕に力を込めるが、拘束を破れない。
「お兄ちゃんっ」
もう一体、大きな羽のアクマがリナリーを見た。
「んー?」
放たれる殺気。
は叫んだ。
「リナリー! ラビを頼む!」
――だから、此処から離れて
リナリーは躊躇いを見せ、しかし一つ頷いて黒い靴を発動させた。
空へ駆ける少女。
視界を、またも氷の蝶が横切った。
宙へ持ち上げられる。
「なあ、お前が『神様』?」
リナリーを見ていたアクマが笑った。
船は上空から別の攻撃に遭っている。
舌打ちを一つ。
――福音、発動――
は自分を縛る蔓へ火炎弾を放った。
今まで幾多のアクマを屠った弾が、その装甲に弾かれた。
「何……!?」
アクマ達が笑った。
を捕らえたアクマが、顔を近づけてニヤリとする。
「ンフフッ、そんな攻撃じゃ、メフィストは倒せませんよ」
蔓が上に伸びる。
耳に残ったアクマ――メフィストの囁き。
「カミサマでも、死ぬんですかねぇ?」
体が風を切った。
甲板に叩きつけられる。
「が、は……っ」
ミランダが自分の名を呼んだのが、微かに聞こえた。
続けざまに、再び宙へ持ち上げられる。
甲板へ。
宙へ。
甲板へ。
宙へ。
執拗に繰り返し、メフィストはを目の前に持ち上げた。
「見ろよメフィスト! ノア様の仰った通りだ!」
「おやおや、本当に人間ではないみたいですねぇ? ユダ」
流れた黒い血を見て、笑うアクマ達。
はもう一体、ユダの言葉を聞き咎め、口を開いた。
「……の、あ……?」
「ンフフッ、そうですよ」
メフィストが笑みを深めた。
ユダが迫り来て、ニタニタと下品に笑う。
「俺達はノア様の下僕。ククッ、二人掛かりで来ること無かったな」
「ンフフッ、全くです。さて……他は全部差し上げますよ」
ユダが嬉しそうに身を震わせた。
血の気が引いた。
「やめろ……」
「貰うぜ、メフィスト」
その巨大な羽の下から飛び出す、ユダに似た小さなアクマ達。
「やめろ!!」
ユダがアクマ達と共に下へ飛んでいく。
こちらを見上げたミランダ。
彼女の盾になろうと、駆けよる船員達。
躊躇う暇は無かった。
落ちた血が光る。
――聖典――
「帳!!」
耳障りな爆音。
震える空気。
「ンフフ……」
メフィストの笑みが変わる。
「どうせ皆さん、死んでしまうのに」
「……させるかよ……」
は銃を持つ右手に力を込めた。
歯車が回る。
「(……いくぞ、福音)」
――連射弾――
蔓の一点を集中して狙い撃つ。
「ンフフッ、無理だと言いましたよ?」
メフィストの言葉を無視して、は大きく息を吸った。
連射を止めない。
ゆっくり、確実に、同調率を上げていく。
徐々に力を増す弾丸。
ピシッ
馬鹿な、とメフィストが呟いた。
蔓にヒビが入る。
「回転!」
――火炎弾!――
「馬鹿な!」
蔓が砕け、は宙に投げ出された。
帳の上に着地する。
ユダが驚いたのか、攻撃をやめた。
何故か傾いている船。
帳の下、ミランダの刻盤に目を遣ると、太い鎖が巻きついていた。
「(リナリーの方か、上の奴らか……)」
は下に降りた。
上空からの攻撃がやまない。
メフィストとユダが甲板へ下りた。
「アナタ……何者です……?」
はメフィストに、微笑みを返した。
――お兄ちゃん――
上空から弾が降り注ぐたび、失われる生命。
の後ろでミランダを守っている船員も。
弾を浴びながらマストを支える船員も。
今、この甲板で共に立つ者は、仮初の生を赦された、亡者。
世界が、消えていく。
「遊んでいる場合じゃないみたいだな? メフィスト」
「ンフフ……そうですね、ユダ。『神』はこの世に一人で十分ですから」
氷の蝶が、二体の周りを舞う。
「そうだ。ノア様の言う通り」
メフィストが新たな蔓を振るった。
は叫ぶ。
「福音!」
十字架が輝きを放った。
――お兄ちゃん――
「第二開放!!」
今はただ、失われた世界の為に
急に同調率を引き上げたからか、イノセンスの気が周囲に満ちる。
メフィストの蔓が弾かれた。
福音の銃身にあるものと似た歯車が三つ、空中に現れる。
は腕を払うようにして、その輪の中に腕を通した。
一つは上腕部。
一つは手首、もう一つは銃口。
それぞれを囲い、下の二つは互い違いに回転する。
――お兄ちゃん――
橙に染まる視界。
はぐっと右手に力を入れた。
銃身に残っている歯車を、親指で弾く。
惰性で回る歯車。
「制限(リストリクション)」
これが、福音。
メフィストが振るった蔓に向けて発砲する。
「拘束弾(ギアーズ)」
名を呼ぶと、弾が光を放ち、速度を増す。
蔓へ当たった弾は、形状を変えて帯状の光になり、蔓へピタリと巻きついた。
「歯車……!?」
メフィストの声。
は上腕部の歯車へ手を掛けた。
止まっていた歯車に、回転を加える。
拘束で回り出すそれに連動して、蔓に巻きついた輝く歯車が回り始める。
回りながら、光はぐんぐん直径を縮めていった。
「ああああああああ!!」
悲鳴。
蔓が、捩じ切れた。
まだ、致命傷では無い――けれど第二開放の力は、衰えていない。
「くん……」
ミランダの声に、は少しだけ背後へ目を遣った。
「あの鍵」
ユダが迫っている。
「本部に戻ったら、返すから」
そう告げて、は転がるように右へ跳んだ。
「帳」に正面からぶつかったユダは、すぐに方向を変えてこちらへ飛んでくる。
顔へ延ばされる腕。
は反転して避ける。
続けざまに足を払われそうになり、ぐっと踏み込んで宙を舞った。
後ろへ一回転し、着地する前にユダへ銃口を向ける。
――回転――
火炎弾を放つ。
第二開放なら、「回転」も威力が増す。
ユダが羽を広げた。
火炎弾が小型アクマに当たる。
アクマを避けようと踏み出した所を、蔓に絡めとられた。
「ンフフ……、まだ生きていますよ」
体が空を切った。
「帳」へ叩きつけられる。
霞む視界。
「様!」
「盾を解いてください!」
ミランダを守る船員達が叫んだ。
「我らはもう助からないんです!」
「この命、お使いください!」
は歯を食いしばった。
手を振って「帳」を解く。
――制限――
弾が蔓に向かう。
「拘束弾!」
蔓が捩じ切れた。
メフィストが笑った。
「そろそろですね……ンフフ」
顔を上げる。
視界が、ブレた。
「――!?」
何も、見えない。
「ククッ」
ユダの声が耳元で聞こえた。
横から殴り飛ばされる。
「メフィストは光を奪う」
「ハハハハハハッ!」
メフィストが高らかに笑った。
「ユダは分身する」
蔓が体に巻きついた。
ぐん、と体が引かれ、甲板に放り出される。
「あなたはもう終わりです、カミサマ。ンフフッ」
背後から迫る無数の音。
は、笑った。
「聖典」
小型アクマに対して、「帳」の盾を張る。
心臓が、締め付けられるように痛んだ。
「何故、笑っているんですか? カミサマ」
何故って、
――お兄ちゃん――
「決まってんだろ」
かなしいからだよ
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