燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









神の存在は人間の依存によるものだが
人間が神に創られたものである以上
神は人間の忘却を咎められない
その身勝手さは神を模したものなのだから



Night.18 声にならない叫び









!」

ラビが目掛けて駆けていった。
それをサッと避けたが、アレンに笑顔を向ける。
唖然とするアレンとクロウリーの前で、ラビが向こう側へ派手に転んだ。

「よ、アレン」
「にに、兄さん……ラビが……」

は一度振り返り、またこちらに笑顔を向けた。

「放っといていい」
「よくないさぁ!」

ラビががばっと起き上がった。
クロウリーが驚いて肩を揺らす。

「おお、元気である……」
「良くないさ良くないさ、!」

騒ぎながら、ラビは後ろからの首に飛びついた。

「確保!」
「懲りねぇ奴……」

が、持っていたトランクを下に置く。

「もう大丈夫なんさ?」
「おー。じゃなきゃ来ねーよ」

今度は笑って、首にあるラビの腕を叩く。
アレンは勢い込んで聞いた。

「兄さん、ミランダさんは元気ですか?」
「ああ。そういえばお前が見つけたんだってな」

大手柄だよ、と頭を撫でられ、少し照れる。
微笑んだはふと目を上げ、アレンから手を離した。

「貴方が……」

ラビがから離れて、クロウリーの背後に回った。

「ほらほらクロちゃん」

その背を彼の方に押し出す。
アレンは慌てて言った。

「あ、兄さん、彼は……」

スッとがクロウリーに歩み寄る。
硬直するクロウリーに、微笑って手を差し出した。

「話は聞いてるよ。俺は。よろしく」

クロウリーがを見つめた。

「ん?」

首を傾げた金色に、クロウリーが苦笑する。

「いや……この二人が言ったとおりである」
「何言ったんだお前ら……」
「わー! クロちゃんクロちゃん!」

騒ぐラビと共に、アレンは口許に人差し指を当てた。
クロウリーが笑って握手を返す。

「何でもないである。私はアレイスター・クロウリー」
「ロザンヌがイノセンスだったんですよ」

アレンは口を挟んだ。

「ロザンヌ? へぇ……」
「うちにはたくさん居たである」
「げ、マジで?」

扱いにてこずった日々を思い出してか、が苦い顔をした。

「わっさわっさいたさ。俺ら食われかけたもん」

ラビの言葉に、は何とも言えない表情を返し、アレンを見た。

「リナリーとブックマンは?」

三人はピシッと音を立てて固まった。
やがてアレンは顔を逸らしつつ言う。

「二人は今、宿探し中です……」

ラビが彼の肩を叩く。

「合流したら、リナリーのこと構ってやって」
「何? どうかしたの?」

クロウリーが困った顔で言葉を濁した。

「あー……とても会いたがって……」
「お兄ちゃん!」

駅から延びる道に、息を切らせた黒髪の少女。
彼女は全速力の上で、に抱きついた。

「……いるである……」

よくわかった、というように、が何度か頷いた。









五人は暗くなりかけた道を歩く。
人通りは少ない。

「この町、宿が無いのよ。それで困ってたら、通りがかりの人が家に泊めてくれるって言うから、お願いすることにしたの」
「で、じじいはそっちさ?」
「うん」

アレンが不思議そうにを見た。

「珍しいですよね、そんなの」
「そうだな……でもまぁ、?」

自身の空気に触れた、視線。
は振り返った。
後ろには、誰もいない。

「どうしたであるか?」
「……いや」

リナリーが一軒の民家を指差した。

「あそこよ」

扉の前でブックマンが待っている。
五人が近付くと、彼は扉を開け、を見上げた。

「無事に着いて何よりだ、

は笑みを返した。
ブックマンに続いて家に入る皆の背を押し、は一人、外で扉を閉める。
暗闇を、睨んだ。

「――オイ」

吸い込まれる声。
もう一度、今度は空気の存在を強く意識して、声を放つ。

「誰だ」

確かに感じる気配は、動かない。
銃に手を掛けようとした時、背中で扉が開いた。

「お兄ちゃん?」

リナリーが顔を覗かせた。
何でもない、と笑って彼女を中に入れる。
鋭く闇を睨みつけ、は扉を開けた。









暗闇で止めていた息を吐く。
ニヤリと笑った。

「神サマかぁ……」

ロード・キャメロットは、持っていた傘もといレロをくるくる振り回した。
確実にこちらを見ていた、あの瞳。
一瞬で変わった空気。
未だ、鳥肌が引かない。

「ティッキー、よく生きて帰ってきたねぇ……」

先日のティキを思い出し、少し真面目な瞳で呟いた。
ノアの信じる神とも、宗教的意味合いの神とも違う、第三の存在。
言うなれば、ミザンから見た千年伯爵の姿に近い。

「ロロロロ、ロートたまぁー」

すっかり目を回したレロを見て、次いで民家の入り口を見て、ロードは笑わずに言った。

「帰ろっか、レロ」

――ミザンを、彼に会わせてはいけない









民家にしては大きな家に、父親のシモン、六歳の息子ケマル、赤ん坊の娘スーが、たった三人で暮らしているらしい。

「元は宿をやっていたんですが、妻を亡くしてからはどうしても手が回らなくて」

食事を運びながら、シモンが苦笑した、
手伝っているアレンとリナリーが複雑な表情をする。

「生活費とか、どうしてるんさ?」
「貯金と内職でなんとか……そろそろ再開しようと思っていたんだ」

温かなスープがテーブルに並ぶ。
ラビに預けられているスーが、もぞもぞ動いた。

「はい、金色のお兄ちゃん」

の横から、ケマルが器を差し出す。
微笑んで、それを受け取った。

「ありがとう」

照れたように笑う茶髪の少年は、ふと、ラビの方を見て動きを止めた。
つられてそちらを見ようとして、途中のブックマンと目が合う。
互いに、自然に目を逸らした。
の隣に座るクロウリーが、ケマルを覗き込む。

「どうしたであるか?」

は一度首を傾げ、考えに至って小さく笑った。

「ケマル」

自分の膝を叩く。

「おいで」

少年の顔が輝いた。

「いいの?」

は笑って頷き、ケマルを抱えて膝に乗せた。
横からクロウリーが彼の頭を撫でた。

「良かったであるな」
「えへへ」

ケマルは笑ってに抱きついた。
伝わる温もりに、自然と笑みが零れる。
シモンが、ラビからスーを受け取り、こちらを向いた。

「ほら、ケマル。こっちにおいで」

首を横に振って、ひしとしがみつくケマル。
はシモンに笑いかけた。

「いいですよ、このままで」
「そうかい? すまないね」

反対隣に座るリナリーが、ケマルを見て微笑む。
ブックマンが皆を見回した。

「いただくか」

ラビが満面の笑みでスプーンを取る。

「やっとメシさぁー、いただきまっす!」
「おいしいですねぇ……」

早速食べ始めているアレンが、素直な感想を漏らした。
シモンがスーを抱き直しながら、ブックマンに尋ねる。

「みなさん、お揃いの服のようですけど……何をやっていらっしゃるんです?」
「……ヴァチカンの中央庁は、ご存知か?」
「ええ、まぁ」
「我らはその直属の軍事機関の者だ」

ケマルがスプーンをくわえて振り返る。

「ぐんじきかんって何?」
「う、ん……軍人ってこと。そうだなぁ、兵隊って言えば分かる?」

目をぱちぱちと瞬かせ、ケマルはリナリーにも顔を向ける。

「お姉ちゃんも?」
「ええ、そうよ」
「ふーん……」

よく分からなかったのだろう、ケマルはまた器に向かった。
リナリーがに苦笑を向ける。

「軍人さんが、こんな田舎まで何の御用で?」
「人捜しさぁ」

ラビのへらりとした答えに、シモンが目を丸くした。

「え、わざわざ?」

クロウリーが困ったように笑う。

「厄介な探し人なのである」
「大……変ですね……」

呆れたのか、感心しているのか、どちらも織り交ぜたシモンの声。
突然どこからか、ゴゴゴ……と低い音がした。
リナリーが窓を見る。

「雷かしら」

は正面に座る弟弟子に気付いた。
器は空っぽで、赤面して俯いている。
笑いが込み上げてきた。

「お前か……」
「に、兄さん……笑わないでくださいよ……」

ケマルがの上で身を乗り出した。

「白いお兄ちゃん、まだ食べれるの?」

当のアレンの横では、ラビが腹を抱えて大笑いしている。
シモンが苦笑した。

「ごめんな、アレンくん。今はこれしかなくてなぁ……食べるか?」

差し出されたシモンの皿を見て、アレンが真っ青になって首を振った。

「そんな! 全然大丈夫です! 何も食べなくても三日は過ごせるんで、お気になさらず!」
「慌てすぎである、アレン」
「ほんとね」

クロウリーとリナリーにまで笑われ、アレンは唸って身を縮めた。
不意に、ブックマンが椅子を下りる。

、話がある」
「え?」

は笑いから引き戻され、驚きながらも頷いた。
ケマルをリナリーに預け、席を立つ。
ついでに、自分の皿をアレンへ押しやった。

「へ? 兄さん?」

向けられた間抜けな顔に、笑いが込み上げる。

「やるよ」









廊下の空気は、ひやりと冷たい。
の足音を聞きながら、ブックマンは母屋の一室に無断で入った。

「ブックマン? 話って何?」

部屋の中で、適当な椅子を示す。

「座って手を出せ」
「両手?」
「片手で良い」

怪訝な顔で、しかし言うとおりにしたの袖を、サッと捲くった。
熱い手首に触れる。
一瞬驚いた顔をしたも、すぐに長く息を吐いた。

「隠してたつもりだったのに」
「隠すな馬鹿者」
「ははっ、ごめん」

が力を抜いて、椅子の背に寄り掛かる。

「いつからだ」
「今朝」

打てば響く返事。
触れている手の先から、熱が伝わる。

「治ったというのは嘘か?」

彼は首を横に振った。

「本当に一回治ったんだ。でもなんか……今朝からおかしくて」

弱い割に、脈が速い。
そうかと思うと、急に強く触れる。
やっぱ風邪じゃないんだ、とは笑った。
見抜いた相手にも、あくまでこの態度を貫くつもりらしい。
ブックマンは溜め息をついて、袖を元に戻した。

「少し休め。あやつらには言っておく」

返ってきたのは、悪戯な微笑。

「戦力外通告?」
「誰が……」
「休んでる暇なんか、無い」

が立ち上がって、腰に手を当てた。
真剣な顔でブックマンを見下ろす。

「師匠の情報は?」

ブックマンはもう一度溜め息をついた。
何を言っても無駄なのは、とうに分かっていたことだ。
先導して部屋を出ながら、口を開いた。

「クロウリーに相当な借金をしたらしい。中国までいけるとか小僧が言っておったぞ」
「どんだけ借りたんだ……」

が肩を落としたのが、声の調子で分かった。

「ティムは?」
「東を向いたままだ」
「東、か……」

消えそうな言葉。

「……急がないと……」

振り返って顔を覗く。

?」
「……大丈夫」

彼は目を合わせずに、微笑った。









離れにある二部屋を借りた六人は、ラビ達の予想通りに、二人と四人に分かれた。
二つのベッドを巡る争いがあったは、少し前のこと。
結局、この先の宿では順番にベッドを使うということに落ち着いた。
は一人、壁際で毛布を体に巻きつける。
ベッドには、アレンとクロウリー。
少し離れた床では、ラビが幸せそうな寝顔で転がっている。



銀色の月と、目を合わせた。



強がってはみたものの、急に訪れた変調に、心は支配されていた。
使っていないイノセンスが、勝手に身体に影響を与えるなんて。

「聞いてねーよ……」

コムイは、こうなることを知っていただろうか。
すぐに思い直した。
彼が自分に詳細を教えてくれないはずはない。
ということは、彼にとっても予想外の事なのだろう。
もしも、使用していない間も、イノセンスの力が作用しているのだとしたら。



いつまで、この力は持つのだろう。



誓いも決意も、揺らいではいない。
先を見誤って、間に合わなかった時を思うと、身が竦む。
教えて欲しい。
誰よりも先に、聖典の危険に気付いたあの人に。
誰よりも自分を知る人に。

――自分を「人間」で居させてくれる、あの人に



「師匠……っ」


まだ、為すべきことを、果たしてはいないのだ。









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091024