燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









貴方を、待ちわびる
淡い光を纏い、見る者を虜にする黄金
深く澄み渡り、どこまでも流麗に
空気を支配する、漆黒
望むままに赦しを導く最後の「神」を
貴方を、待ちわびる



Night.17 過去へ告げる









景色がぐんぐん移り変わる。
汽車は揺れながら、東を目指す。
は一人、座席に座って腕を組んだ。
空から傾き始めた日が差し込む。
顔を背けるようにして俯き、目を瞑った。
吐いた息が熱っぽい。

「……なんだよ、聖典」

イノセンスに話しかける。

「まだ、使ってないだろ」

三日前は、こんなこと無かったのに。






三日前、懐かしい道を歩いた。
煉瓦造りの建物に挟まれて、曲がりくねった一本道。
石畳を踏んで向かった先の、小さな家。
その小さな庭で、花に水を遣っていた老婆が、目を見開いた。

「お久し振りです、マダム」

は、微笑んだ。









ティムキャンピーが、アレンの目の前をくるくる飛んでいる。
この金色のゴーレムを見ていると、に初めて会った時を思い出す。
朝日を浴びて、プラットホームに降り立った、眩しい存在。

――を、止めてあげて

ふと、コムイの言葉が頭をよぎった。

「アーレン!」
「うわっ!」

いきなり背中をど突かれ、アレンはベンチから落ちそうになった。
涙目で振り返る。

「痛いじゃないですか、ラビ!」
「ごめんごめん」

へらりと笑って、朱髪の青年はアレンに小さなパンを見せた。

「ほい、食う?」
「ありがたくいただきます」

ラビはそのまま、アレンの隣で放心しているアレイスター・クロウリー三世にもパンを差し出した。

「クロちゃんも食うさ? ……ん? おーい、クロちゃーん」

クロウリーがはっとしてラビを振り返る。

「なっ、何であるか?」
「パン食う?」
「あ、ああ……いただくである」

二人にパンを渡したラビは、ベンチの背に腰かけた。

「クロちゃん今寝てたろ? 目開けて寝るなんて器用さ」

ラビが悪戯に笑う。
クロウリーは顔を赤らめてパンをかじった。
彼にとってはちょっとした失態だったのだろう。

「考え事をしていただけである」
「考え事?」
「今日合流するとかいう人のことだ」
「あー……」

アレンもラビも、妙に納得した。
彼は長いこと人と関わらずに生きてきた。
新しい人と出会う時に、少しデリケートになってしまうのだ。
アレンは笑う。

「大丈夫ですよ、クロウリー。兄さんは素晴らしく優しい人ですから」
「ちょっと人の事からかうとこあるけど、まあ、そこはご愛嬌さ」

ラビがニヒヒと笑った。
からかうなんて。
いくらでも、ラビにはきっと及ばないだろう、とアレンは思う。
クロウリーはまだ不安そうだ。

「第一、外見も分からないのでは、彼を待つ組に入る意味が無い」

アレンは困ってラビを見上げたが、ラビは寧ろ笑ってクロウリーの背を叩いた。

「外見なんて知らなくたって分かるさ。団服だって着てんだし、何よりの周りは空気が違うさ」
「空気、であるか?」
「そうそう。なんてーの、んー……アレン任せた!」
「ええっ!?」

ラビは時々自分勝手だ。
普段は歳相応に「お兄さん」なのに。

「そうですねぇ……こう、すっぽり呑み込まれるっていうか」

あの金糸を、黒曜石を思い出す。

「吸い込まれるんですよ」









老婆はジョウロを取り落とす。

「……、くん……かい……?」

は頷いた。
マダム・ボウエンは、随分と腰の曲がった体でこちらへやってくる。

「大きくなって、まあ……」

マダムが微笑んで、の頬へ手を伸ばした。
は笑う。
どうも最近、こうして頬を撫でられることが多い。
それでもマダムの優しさに甘えた。
少し身を屈めて、彼女の手を自分の頬に当てる。

「立派なエクソシスト様になったんだねぇ、噂はよく聞いてるよ」
「え、どうして?」
「私は各地と連絡を取るサポーターだからね」

マダムは誇らしげに笑った。

「今日はどうかしたのかい? 家にお上がり、美味しいジャムがあるよ」

くんはリンゴが好きだったね、と笑うマダムに、は首を振った。

「これから任務なんだ、マダム。今日は……お別れを言いに」

マダムが一瞬を見つめ、悲しそうに言った。

「……どうしたんだい?」
「ちょっとね」

は苦笑する。

「虫の知らせ、かな」

マダムの手を包む。
手袋は外さなかった。
聖典を使うためにつけた手首の傷を隠すためだ。
マダムはきっと、悲しむだろうから。









「吸い込むとは……! 恐ろしい人である!」

何を勘違いしたのか、クロウリーが身震いした。

「あー、クロちゃん? 意味が違うさ、意味が。俺ら今空気の話してんの。オッケー?」

ラビがクロウリーの目の前でひらひらと手を振る。

「はっ! そ、そうであった……ビックリしたである……」

ほ、と胸を撫で下ろし、クロウリーが言う。

「なんだかすごい人であるな。それにみんなに慕われている」

三人は今朝のリナリーを思い出す。
いつもはちょっぴり「お姉さん」な彼女が、今日は朝からそわそわして、何かにつけて失敗ばかりだった。
それに、宿を探しに行く組と駅でを待つ組に分かれる、公正なジャンケンをした時のこと。
前日の宿の部屋の振り分けで、クロウリーとリナリーが各部屋代表としてジャンケンをしたのだが、負けた時の彼女の恨めしそうな顔ときたら。

「……怖かったですね、リナリー……」
「肝が冷えるである……」
「二度と見たくないさ……」

項垂れ、震え、首をのけ反って呟く三人。

「二人が再会したら、しばらくそっとしておきましょう」

アレンの提案に、ラビが大きく頷いた。

「名案さ、アレン。……てかさぁ」
「何であるか?」

彼は宙を仰ぎ、笑った。

「もしこれからも部屋が二部屋しか取れなかったら……俺ら、四人で一部屋?」

アレンとクロウリーも宙を仰ぐ。
アレンはこの中では最年少だが、流石に大人の体つきに近くなっている。
宿の部屋は大抵二人部屋だが、そこに男四人となると……

「……狭いである」
「ベッドどうします? 昨日はジャンケンでボクが床でしたけど」

ラビが不安そうに聞いた。

「またジャンケンするさ?」
「嫌ですよ! ボク、絶対ベッドで寝れる日が来ませんよ!」
「だよなぁ。そもそもが入る時点でジャンケンが公平にならねぇし」

クロウリーも過敏に反応した。

「つ、強いのか?」

ラビの笑顔はひきつっている。

「強ぇぞ、は」
「あの人、賭け事で負けたことないんですよ」

修行時代を思い出し、アレンは溜め息をついた。
彼の隣では、イカサマもことごとく失敗した苦い記憶がある。

「ポーカーでも、ジャンケンでも?」
「ええ。しかもまったくイカサマ無しで」

クロウリーが青ざめた。

「だからタチが悪いんさぁ……」

ラビが力なく笑った。









マダムは、の頬から手を離し、その手袋に触れた。

「……外しても、いいかい?」
「あ……どうぞ」

思わず頷いてしまった。
マダムがすっと手袋を外す。
傷を見て、やはり悲しそうに眉を歪める。
そして今度は、自分の頬にの手を当てて微笑んだ。

「温かいねぇ……」

は無表情に佇む。

「今度の任務は、厳しいのかい?」
「……それもあるね。なんたって師匠を捜しに行く任務だから」
「ああ、それは……大変だね」

マダムもも苦笑する。
あの人の放浪癖は周知の事実だ。
今更ながら、少し呆れた。

「この任務が終わったら、もう外に出ることは無いんじゃないかと、思ってさ」

マダムがを見上げる。

「そう、かい」

涙が彼女の頬を伝った。

「歳をとると、涙もろくなっていけないね」

この人は、あの日もこうして泣いたのだろうか。

「……おばあちゃん」

昔の、呼び方で。

「ん?」
「あの……」
「謝らなくていいよ」

マダムが微笑んだ。

「ジレーアのことだろう? あの子もサポーターだ。覚悟くらい、していたさ」
「でも」
「忘れないでおあげ」

優しく、手を撫でられる。

「あの子のことを、忘れないであげてね」
「……はい」

孫が居たら、きっとこうして手を撫でたのだろう。
彼女の肉親は皆、アクマに殺されている。
マダムは愛しそうにの手を撫で、出し抜けに言った。

くん、約束をしようか」

の右手を、両手で包む。

「もう会えなくても、必ずどこかで、元気でいるって」

優しい微笑み。

「私は此処で。くんは教団で。ちゃんと生きて、ジレーアのことを覚えているって、約束をしよう。 相手が頑張ってるって思うと、自分も頑張れるだろう?」

ね、と笑顔を向けられ、は苦笑する。
マダムの両手を包んだ。

「……貴女も、お元気で」
「勿論だよ。私はまだまだ、働くつもりさ」


二人は笑いあって、どちらともなく身を引いた。

「さようなら、マダム・ボウエン」
「ご武運を、エクソシスト様」







誰かに肩を叩かれ、はぼんやり目を開ける。
視界に、車掌の制服。

「お客様、大丈夫ですか? 到着しますよ」

ああ、と思い出す。
汽車に乗った時、着いたら起こしてくれるよう頼んでおいたのだ。
は微笑んだ。

「ありがと……」

車掌がつられるように微笑み、出ていった。
ひじ掛けに凭れ、頬杖をつく。
このタイミングで寝ておけて良かった。

「(眠ったの、何日ぶりかな)」

汽車はまもなく、合流地点へ。









「ま、そんな所も神って呼ばれる所以さね」
「神か……とにかく早く、ん?」

クロウリーが顔を上げ、目を細めて立ち上がる。
風に乗って、汽笛が聞こえた。

「来たようだ」
「おー! あれさ!」

ラビがぴょんとベンチから降りる。
二人に遅れて、アレンも立ち上がった。

――を、止めて

コムイの言葉を思い出す。

――キミか、クロス元帥の言葉しか、彼はもう聞かないだろうから

去り際にアレンに耳打ちしていった、その言葉。

「(何のことだろう……?)」

一人首を捻るのと同時に、汽車がホームに滑り込んだ。
風が吹き抜ける。
やがて汽車は重い音を立てて止まった。
数あるドアを、人が出入りする。
ティムキャンピーが、ふいとアレンの傍を離れた。

「あっ」

アレンはティムキャンピーを視線で追う。
横の二人は、アレンの視線を目で追う。

「ティムキャンピー?」

喧騒を縫って、心地よいテノールがその単語を紡いだ。
前方で舞う、金のゴーレム。
手を伸ばす人影。
夕日に照らされた金糸。
白銀に彩られた漆黒の団服。
まるで世界は彼の為にあるかのような錯覚さえ覚える。



クロウリーが息を呑んだ。
ラビは大きく手を振る。
アレンは呼びかけようとして、しかし言葉が出なかった。
彼の瞳が、三人を捉える。

――場を、呑まれた。

彼から目が離せない。
けれどそれが、無性に嬉しかった。









   BACK      NEXT      MAIN



091012