燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









伸ばした手を、とって欲しくて
せめて、立ち上がるための
拠り所にしたくって
けれど
望んだものは現れなかった



Night.135 眩しいあなた









「(二人は、ともだちだったんだ)」

瀕死のエクソシストの脳を別の器に移植し、イノセンスの同調権を移行させられるか試した実験。
九年前のアジア支部で行われた第二エクソシスト計画、神田とアルマはそのたった二例の成功体だった。
しかし、本体の記憶を取り戻した神田は凍結処分にされる。
神田は自分に笑いかける「あの人」に会うため、イノセンスと同調してなんとか窮地を切り抜けた。
一方、神田を逃がそうとしたアルマは、鴉部隊から逃げる中で、保管されていた自分達の本体を発見する。
計画の本旨に気付いたアルマは、憎しみから暴走し、イノセンスとの同調に成功。
研究員や鴉部隊を皆殺しにしたアルマを見つけた神田は、彼が動かなくなるまでアルマを破壊し続けた。

「(見ちゃ、いけなかった)」

――そんな過去を否応なしに見せつけられて、アレンは拳を握った。

「(誰にだって、知られたくないことはある)」

アレンは拳を握る。
神田は確かに気が合わない喧嘩仲間だ。
けれど相手が誰であろうと、知られたくないことを勝手に覗いていい訳では無い。
寧ろ、喧嘩仲間だからこそ分かるのだ。

「(いつもの神田だったら、こんな状況、我慢ならない筈だ)」

そう思ったら、途端に頭にきた。
いつもの短気はどこに行ったんだ。
さっさと目を覚ませ!
キミも!!
僕も!!

「でもねぇ、アレン。ちょーっと遅かったかもぉー」

神田の顔面を真正面から殴り飛ばし、肩で息をするアレンに、ぬいぐるみ姿のロードがふわふわと警告した。
「え?」と聞き返したその時、叫び声が耳を貫いた。

「ウォーカー!!」

ハッと顔を上げる。
暴れ回る導管に拘束され、トクサが引きずられていく。

「ぼ、母胎が……アルマ=カルマをとめろぉぉおぉぉ!!」
「なっ……!?」

アレンは我に返る。此処は九年前のアジア支部じゃない、現在の、現実の北米支部だ。
此処は、千年伯爵に急襲された「第三エクソシスト計画」第一母胎の保管室。

「ぐ、苦しい……」
「助けてぇーっ」

第二班や第三班のメンバーが、導管に幾重にも拘束されて呻いている。
彼らだけではない、ジョニーも、リーバーも、バクも、ルベリエも、ズゥも、レニーも。

「みんなっ……」

アレンにも馴染みの深い面々が拘束されている。
逃れているのは唯一、だけだ。
兄弟子は暴れ回る導管を掻い潜りながら、仲間を拘束するモノを片端から破壊している。

「アレン、いいっ、構うな! 逃げろっ!」
「兄さん!」
「ユウを連れていけ! 早くっ!!」

破壊するそばから新しい導管が襲い掛かるので、これではキリがない。
けれど、足を止めることもできない。
おおおおぉぉぉぉおおおおおおお、と響き渡る地鳴りのような唸り声が、導管を操り、突き動かす。
過去に飛ばされる前、この導管はアルマを拘束していたはずだ。

「何だ、コレ……アルマは!?」

振り仰ぐと、アルマは何もかもから解放されていた。
体を丸め、宙に浮かぶ丸い結界の中で頭を抱え込んでいる。
大きくなっていく唸り声は、アルマの声だ。
結界は数多の導管を引き連れて、大きな口を開けた顔の形になった。

「目覚めるアルマの憎悪が、体内の卵核のエネルギーに変換されてるのだ……!!」
「まずいよ! アルマ=カルマがAKUMAになっちゃうよ――っ」

バクが、ジョニーが、叫ぶ。

「そんな……っ!!」

焦って発した言葉は、自分の呻き声で途切れた。
アレンの腹を、床が突き上げたのだ。
もはやこの第一母胎保管室に壁や床というものは存在しない。
アルマの嘆きと共に蠢いて、部屋全体が暴れている。
遂にも、動く壁に横様に押し飛ばされた。
千年伯爵がアルマに命じる。

「殺セ」

アルマを包む結界が、光を放つ。
導管が、壁が、床が、光る。光から熱が迸る。

「アレェェエン!!」
「ジョニー……!!」

助けに行きたい。
その気持ちを、瓦礫が、導管が、蠢いて阻む。
瓦礫に胸から下を押し潰されて、アレンは身動きが取れない。
瓦礫に阻まれて神田の姿は見当たらない。

「(じゃあ、兄さんは!?)」

見れば、は手の届きそうで届かない場所で、アレンと同じように瓦礫に挟まれている。

「あ、熱い……っ」
「まっ、まずい……これは……でかいぞ……っ」

結界から放たれる光を浴びている場所が、焼けるように熱い。
事実、アレンの腕や顔にはペンタクルの形に焼け焦げが出来ていく。
項垂れるの横顔にも同じ焼け焦げがある。

「(この光、アクマウィルスが……!!)」

アレンやは、寄生型だ。
自分達だけなら耐えられる。

「や、やめ……ろ、アルマ……」

けれど、ジョニーはダメだ。
リーバーも、バクも、みんな、みんな。

「支部には、たくさん人間が……っ」

ダメだ。
アレンは呻いた。
が項垂れたままで、震える右手だけをぐっと開いて宙に差し伸べる。
光が大きくなる。
爆発する。
アレン達を、飲み込んでいく。









体を押し潰す瓦礫から抜け出すような力はもう残っていない。
目を閉じたら全てが終わってしまう予感がある。
アルマの発する禍々しいエネルギーを受けながら、判断を迫られる。

「(どうする?)」

この部屋に至るまで、は、通り過ぎた廊下に血液を落としてきた。
北米支部ゲートの入口にいた警備班員の青年だけではなく、見かけた全ての支部員の命を預かっている。
全てを発動させれば盾になる、彼らを守れる、そのための布石だった。
落としてきた血を使えば、この場からは見えない支部員達のために瞬時に盾を作ることができる。
では、この場にいるリーバー達はどうやって守ればいい?
導管が暴れ回ったせいで、リーバーやバクの位置もバラけてしまった。
把握しなければ。どこにいるんだ、焦れば焦るほど分からない、分からない、分からない。
全員の位置を把握して、盾を張る。
それだけだ。
それだけなのに。

「(間に合わない)」

皮膚がアクマウィルスで焼ける。
焦げる。
みんな、この光を浴びないで。
頭が痛い。
息が苦しい。
目が眩む光を浴びている筈なのに、視界が暗くなる。
ダメだ、目を閉じたらダメだ。
猶予がない。
場所が分からない。
もう間に合わない。

「(間に合わない!)」

そう、思ってしまって。
それなら、いっそ――脚を折られ腕をもがれた彼の元から飛んでいく「羽」に、賭けてみようと思った。

「思い知りましたか、……」

は、この場から見えない仲間を守ろう。
この場の仲間を守護するのは、彼に委ねてみよう。
自分にとってはあるまじき事だけれど。
もしこの判断で誰か死んだら、自分を引き裂きたくなるけれど。
けれど、中途半端な盾を見て、守られたと思った瞬間に殺される絶望を与えるよりは、まだマシだと思って。

「守るのは、あなたの仕事では、ない」

息を吸い込むと、隙間風のような音が鳴る。
息を吐き出すと、ガラガラと胸が鳴る。
喉の奥で、水の沸くような音がする。
はそれを飲み下して、自分とアレンを守る背中に、答えた。

「……トクサ、」

咳き込んで血を吐き出したトクサが、汗と涙の滲む顔で振り返る。
口に「衛羽」と呼ばれる札を咥えた彼は、を見てげんなりと頬を歪めた。

「ちょっと、なんです、その態度。……ふざけてます?」
「ふざけてない」
「嘘つけ! ……げふっ、ごほ、」

アルマの卵核が放つエネルギーによってやアレンを拘束していた瓦礫は破壊され、図らずも自由になった。
アレンはの隣で瓦礫の山に凭れて気を失っている。
はその足元で、まるでごろ寝でもするような体勢になってしまっていた。
起き上がりたいのは山々だけれど、動悸が激しくて身動きが取れない。
せめてこの濁音で震える呼吸が鎮まるまで、このままでいさせて欲しい。

「みんなのこと、守ってくれたんだな」
「ははっ……違います、見せつけてやったんですよ、あなた達に」

トクサも同じように息を荒らげながら口の端で笑った。

「ねぇ、『教団の神様』……あなた、守る神なんかじゃ、ないでしょうに」

嘲るような笑顔なのに、憎しみと悔しさを滲ませて。

「私が欲しかった、チカラで……ちゃんと、戦ってくださいよ。なにを、いいようにされてんですか」

がアクマに拘束されていた時、トクサが焦り、憤っていたことをは知っている。
「エクソシスト」を失ってはならない、と。

「うん、……ごめん」

それなのに当の「エクソシスト」が、敵の手から逃れようともせず呑気に敵と話をしていたから。
材料になったのが両親であろうと「エクソシスト」がアクマを破壊するのは当然のことだ、と。

「……っ、ムカツク」

その心地よい距離感に、心地よく都合の良い思いに、甘えてしまいそうだった。
反論すれば良いのに「」は何故そうしないのか。
彼がそう思い始めたあたりで、は自分の甘えを自覚した。

「あなた達が、目の前の命を守ったところで、世界は救われないんですよ。そこの、」

呻き声を上げたアレンを顎で示し、トクサは苦しい息を吐いた。

「あなたの弟にも、きちんと分からせてやらなければ。ほんと……さっさと、起きてもらえませんかね……」

頭を片手で押さえて、アレンがふらりと体を起こす。

「トクサ……? そんな、その札で、――僕らの盾になったんですか!?」

トクサの左半身がジュウと音を立てて焼け焦げを修復していく。
彼が自分達の盾になったことに気付いたアレンは青褪めるが、トクサの方はようやく札を口から離して倒れ込んだ。

「考えが甘い。いいですか、……誰も死なない戦争なんて、ないんですよ」

彼の体を、泣き顔のアレンが受け止めた。
傷ついた身体は限界だったろうし、エクソシスト二人が覚醒して少なからず安堵したのもあるだろう。

「あなた達の使命は、使徒にしか破壊できぬものを破壊することだ!」

は地面に左腕を突っ張った。
ガクガクとみっともなく震えようが、起き上がるしかないのだ。
今、自分達が立たなければ、トクサの言う使命も、自分達の志も、貫けないのだから。

「それに……守護は元鴉(こちら)の専門分野です……」
「……え?」
『アレン……?』

通信機からジョニーの声が聞こえる。
いくつもの通信機と接続する音がする。

「ジョニー!? 無事だったんですか!!」
『あの瞬間、サードが衛羽をとばしてくれてさ……多分、班長達も助かってると思うよー』
『こっちは無事だ……支部長達も無事だ! 聞こえてるか、!』

ジョニーの言葉通りだ、リーバーの声が耳許から聞こえて、つい、唇が綻んだ。
体の下敷きになっていた右腕にも力を入れて、体を持ち上げる。
瓦礫の輪郭がぼやける。
けれど冷静になったからか、家族の位置を鮮明に把握できた。
アレン、トクサ。
あのエネルギーの爆心地に、アルマと神田がいる。
アルマの禍々しい気配に鳥肌が立つ。
二人を引き離さなければならない。
ずっと離れた位置には、伯爵とノアたち。
ミザンとティキをこちらに近づかせたくはない。
一番近い場所にルベリエ、第二班と第三班の班長達。
帳で守った北米支部員達は瓦礫の下にいる、そのまま隠れていてほしい。
ズゥを助け起こすレニーの傍にはバク、そこからリーバーがジョニーの元へ動いた。

「エクソシストも、サードも、長官も、支部の皆も、本部の皆も……」

彼らが生きていることを確かめたくて、噛み締めるように数え上げると、不満げにトクサが振り返った。
その耳にだけ届くように、囁く。

「生きてて欲しいよ、救った世界で。大事な人には、生きてて欲しい」
「……私も?」

目を瞠って、信じられないものを見るように、当たり前のことを彼が聞き返すから。
つい、笑った。

「仲間だろ」

それ以上の理由なんて、要らない。
そう呟いた時、泡立つような音がした。
誰かが耳許で息を呑んだ。
もアレンも、トクサの左腕に視線を釘付けにされる。
地面が震える。
ノアに切り落とされたらしいトクサの左腕に、顔が「生えた」。
生えているのは、アルマの顔だ。
かの少年を見遣ると、髪が、身体が再生されていくのが見える。
正真正銘AKUMAへと身体を作り直しながら神田に歩み寄るアルマ。
六幻を発動させる神田。
泡が弾けるような音が間近で聞こえた。
トクサを振り返る。
彼の身体が膨れ上がる。
強い衝撃。
トクサの左腕に生えた顔と顔の隙間から伸びる鉤爪、それに薙ぎ払われての体は宙を舞った。

「トクサ!?」

アレンの声を遠くに聞きながら瓦礫に叩きつけられる。

!」

バクの悲鳴だ。
飛ばされた先でバクに直撃するところだった。
跳ね起きて顔を上げる。

「ッ、トクサは……!?」

長い爪を持つ腕が、鋭い牙を持つ口が、顔が、幾つも幾つもトクサの身体に増殖する。
骨を軋ませる音。
身体を変容させられながらも身を捩ってアレンやを振り返る彼の表情は、泣き出しそうだ。
今の攻撃は、彼の意志ではないからだ。

――……セ、ナイ……許セナイ、許セナイィィィ

そう、この変容はトクサの意志ではないのだ。
溶けるように崩れ、生まれるアルマの顔から、声が聞こえる。
バクが叫ぶ。

「本体のアクマ化に、共鳴したのか!?」
「(なるほど)」

第三エクソシストの体内には母胎であるアルマの細胞が使われているから、本体に共鳴して暴走しているのだ。

「がはっ……い、いやだ……っ、いやだぁ、マダラオッ、助けてくれマダラオォーッ!!」

人間としての骨格などを完全に無視して、強力なエネルギーを発しながら増殖していく細胞に、トクサが侵され、押し潰されていく。

「ちっ」

舌打ちをして立ち上がったはいいが、どうやって止めてやればいい?

「フフフ……呼んでも無駄デスよ、第三使徒」

千年伯爵の声が響く。

「お前達は皆アルマ=カルマと共に葬られる運命なのデス。エクソシストの手によッテネ!!」

あの野郎、何をふざけたことを抜かしているんだ。
そう怒鳴り返すことが、できない。

――お兄ちゃん!!──

立ち上がったばかりなのに、の体の重心は呆気なく崩れた。
声を裏返して呼ぶバクの声に応えることが、できない。
――体が雑巾のように絞られる感覚。
胸の中心に太いネジを、否、コムイが持っているドリルか何かを突き立てられたら、きっとこんな感じだろう。
そんな風に冷静に分析する自分がいる。
あまりにも、痛くて。

「っ、ぁぁああアッッ……!」

体の芯を穿たれる。
胸元を握り締め、身を捩って叫ぶ自分の向こうで、アレンの戸惑う叫び声と、轟音。

「ギャアアアア!!」

迸るトクサの絶叫。
アレンの神ノ道化と、の聖典が勝手に発動している。
破滅ノ爪が躊躇いも容赦もなくトクサを攻撃している。
磔は螺旋状に三回も捻れた山羊の角のような凶悪な形で、トクサに生えた顔や鉤爪を滅多刺しにしている。
前から、後ろから、上から、下から、の許可もなく。

「(やめろ、止まれ、――言うことを聞けよ、聖典!!)」

アレンがイノセンスを制止しようとする声が聞こえる。
は、地面に手を着いた。
それでも体を支えられない。
震える。
言葉にならない。

「はっ、ぁァ、あぁアッ」

それなのに、酸素を求めて開いた口から洩れる。
手首の傷が開く。
血が引き出される。
力が吸い取られる。
吸い取られた分だけ、縛り付けられる。

「私を……破壊するのですか……?」

迷子のような声が降ってきて、身体中の血の気が引いた。
違う、違う、そんなこと。

「神は我々をッ、敵と見做したのですか?」
「違うっ……!!」

叫び、顔を上げれば、大きく開かれたアルマの口が、と、の体を支えるバクを狙っている。
震える手でバクを押し遣るけれど、二、三歩下がらせることしか出来なかった。

「私は敵じゃない……」

涙を流して、トクサが吠える。

「ちがう……私はエクソシストだッ、敵じゃないぃぃぃッ」

咆哮が生んだ衝撃波を浴び、鉤爪に嬲られ鷲掴みにされても、考えることをやめたら終わりだ。
アレンは、トクサに脚を掴まれぶら下げられている。
神田は、光線を吐き出すアルマと斬り結んでいる。
アレンをこの場から引き離して、神田とアルマもここから逃がしたい。
アルマは、もう助けられないかもしれないけれど。

「(トクサを、正気に戻してやりたい)」

誇り高い戦士の顔に戻してやりたい。
は唇を噛む。
アルマと同調しているのなら、ノアの五感を支配したように、彼をコントロール出来るかもしれない。
そのためには聖典の支配権を自分の手に引き戻さなければ。
鋭く息を吸い込んだその時だ。
伯爵の声が、響いた。

「来なさイ、『14番目』。お前が我々と共に来るというノナラ、この見世物をやめてあげマショウ」









   BACK      NEXT      MAIN



221217