燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









新しい日を告げる鳥の囀りは
傍らで全て縊り殺される
夜闇の覆いが晴れぬことに
疑問を抱く心すら
私には、許されていないのだ



Night.130 絵の具を削ぎ落として









「よかった」

この部屋に姿を現す、たったそれだけで空気を一変させた黄金色の「教団の神様」。
が、庇護の下に置いた者たちを慈しむように見つめ、呟く。
神様の世界から除外されたワイズリーさえ聞き惚れる言葉に、ひゅうっ、と空気を裂く音が重なった。
輝く黄金を挟み込むように、鋭い切っ先の氷柱が左右から高速で飛来する。
は視線をひとつも動かさず、イノセンスの盾でそれを簡単に弾いてみせた。
瞬きと共に、彼の慈愛はかき消えた。
温度のない瞳で迷いなくミザンを見つめる。
目隠しをされたままのミザンも、誤りなくを睨めつける。

「――金色は、ダメだ」

イノセンスは敵だ。
殺さなければ。
イノセンスを。
殺さなければ。
殺さなければ。
金色を。
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!
ミザンの思念が飛び込んでくる。
ワイズリーは頭を抑えた。

「(『神』を相手取ることに一切頓着せぬとは)」

驚くべきことに、ワイズリーが完全に惑わされていた間、ミザンだけは明確な敵意を神に向けていた。
寧ろ、彼を目に映したの方が、思考を僅かに動揺させる。

「――どうして?」

思考とは裏腹には躊躇なく駆けた。
血の盾を解除し、飛び交う氷柱を弾かれたような軽やかさで避ける。
まるで、千年伯爵を軸にして二人でダンスでも踊っているように。
銀色は相手を千年伯爵から遠ざけようと氷柱を振るい、金色はそれをひらりと躱しながら漆黒の釘を放つ。
ミザンが宙から氷柱を抜き取れば、は宙に小さな盾を浮かべる。
大小様々な氷柱が金色めがけて軋みながら伸びゆく。
その度に盾を踏みつけた金色は、跳ぶ方向を右へ左へ上へ下へ転々と変えていく。
の釘がミザンの脚を掠め、ミザンの氷柱がの腕を掠める。
このまま永遠に続くかと思われた攻防の均衡を崩したのは、の方だった。
彼がちらと視線を動かす。
見遣ったのは、シェリルが踏みつけている漆黒の棺。
が、宙に出現させた盾を強く踏みつけた。
ワイズリーは先んじて叫んだ。

「デザイアス!」

左右から飛びかかるミザンの氷柱が、標的を失って互いに衝突して砕ける。
既に、はシェリルの眼前にいた。
棺の蓋に的確に踵を引っ掛け、それを乱暴に蹴り開ける。
振り落とされるシェリル。
揺れる棺。
その中から転がり出たのは、両腕を失い両脚を折り砕かれた第三エクソシスト。
きっと知らぬ仲でもないだろう二人が、相手を瞳に映す。

「お前っ――!」
ッ……!」
「そこまでですヨ、

互いに驚愕を露わにした二人の声に、千年伯爵が割り込んだ。
跳ね起きたシェリルが、床に転がる第三エクソシストの背骨を折らんばかりの力で踏みつけた。
次いで彼は素早く右手を伸ばす。
まだ着地しきっていなかったの体が、見えない力でぐんと引き上げられ、壁に叩きつけられる。
チッ、とワイズリーは舌打ちを零した。

「(受身をとったな)」

シェリルはそのまま圧殺しようとしたのだろうが、妙な抵抗を感じたらしく一度手を止めた。
教団の面々の頭上から、ずるりと伝い落ちる金色。
即座にそれに飛び掛かろうとするミザンの襟首を、伯爵が捕まえた。

「はーいはい、ミザぴょんも落ち着きなさいネ」

噛み付くようにミザンは千年伯爵を振り仰ぐ。

「何故止めるのです、千年公!」
「勿体ないデショウ。折角其方からお出まし頂けたのですヨ? 特等席をご用意しなけれバ」

噛み付くように叫ぶミザンをワイズリーの方へと押し遣って、伯爵はに歩み寄った。
先程までの動きが嘘のように、倒れ伏した金色は噎せる力も入らない様子だ。
伯爵は、起き上がろうとするの顔を鷲掴みにして上向かせる。

「キミも招待する予定だったのですが、どうも戦場では姿が見当たらなくてネ。ご足労頂いて恐縮デス」
「ははぁ、なるほど、見つからんハズだのぅ。本部待機だったそうだ」

「班長」の思念から読み取った情報を情報を付け加えると、伯爵が深く頷いた。

「どうりでアクマの網にかからない訳デス。しかし、コレで結果オーライッ!」

千年伯爵がパチンと指を鳴らす。
それを合図に、浮遊していた一体のレベル4が伯爵に近付き、自ら腕をへし折って投げ捨てた。

「折角パーティーに参列してくれるというのですカラ、キミにも配役を与えてあげマショウ」

だくだくと血液を滴らせるアクマの腕を取り、伯爵はそれをの口に無造作に押し込んだ。

「がッ、ぅあ――」
「ささっ、まずは乾杯デス。アレン・ウォーカーの退団パーティーへ、ヨウコソ!」

教団の面々が心で叫ぶ声が、本人の呻き声をかき消している。

「そのヒトから離れろ……っ!」

振り絞るように声を上げた第三エクソシストが、強く背を踏まれて呻く。
の手が抗うように伯爵の腕に爪を立てた。
喘ぐ口の中に注ぎ込まれるオイルは、ゴボゴボと音を立て、数回逆流するように泡立つ。
やがて、溢れたオイルが顎を伝い落ち、上下する白い喉仏を穢していく。
の体から力が抜け切る直前、――ふと、彼の脳裏に赤毛の男の姿が過った。
戯れに喉を撫で上げる、大きな手。
仮面に隠されていない目が、穏やかに笑む。
腹に響くような低い声が、ワイズリーの脳にも届く。

――そっくりだな――

満足したのか、千年伯爵はから手を離した。
ぐらりと傾いた金色が、頭を庇うでもなく床に倒れ込みそうになる。
控えていた別のレベル4が、伯爵の合図を受けて彼の両腕を捕らえ、宙吊りにした。
さながら火刑に処される魔女のような格好で力なく嘔吐くの肌を、ペンタクルが彩っていく。

っ!」

必死の形相で呼びかける第三エクソシストの腹の下が、その時、突然煌々とした光を放った。
方舟のマークが床に浮かび上がる。

「えっ、ウソ、僕の下からぁー!?」

棺とシェリルと第三エクソシストを押しのけて、ゲートが開く。
部屋に飛び込んできたのは、決死の表情のアレン・ウォーカー。
そして、それを挑発するティキだった。









幼い時分の風邪も昨今の聖典の副作用も全てを上回るような、人生で一番の気持ち悪さを味わっている。
嫌な汗が止まらない。

「(クロウリーには、このオイルの味が美味しく思えてるのかなぁ)」

いつか、もしもまた会えたなら、聞いてみたいものだ。
今は、ただただ気持ち悪い。
飲み込んでしまった分も、出来ることなら吐き出したい。
しかし両腕の自由を奪われて宙吊りにされては、上手く吐くことも出来やしない。

「起きろ! 聖典なら、アクマの血のウィルスを浄化出来る筈だ!」

ああ、班長。
喋れるようになったんだ。
大丈夫だよ、起きてる。
聞こえてる。
今、やってるから。

「リーバー、それではダメだ! 浄化にどれほどのエネルギーが使われるか……」

うるさいよ、バク。
そんなのどうだっていいから、ちょっと、集中させて。

「でも、このままでは死ぬのを待つだけです! 頼む、起きてくれ……!」

リーバーとバクが、悲痛な声で怒鳴り合っている。

「これはどういうことですか!? 兄さんに何を……ジョニーに、リーバー班長まで……!?」

方舟を使ってこの部屋に飛び込んできたアレンの声も聞こえる。
アレンは神田や第三エクソシスト達と共に派遣された先のヨルダンで、ノアの襲撃を受けたらしい。
攫われたトクサを追ってきたら、此処に誘導されたようだ。

「(……気持ち、悪い)」

は項垂れる。
ぜえはあと鳴る呼吸は耳障りで、自分でも五月蝿いと感じた。
アクマのウィルスが注ぎ込まれたのはきっと胃の中、そこで何かがぐるぐると蠢いている感じがする。
胸の内側では、太鼓を打ち鳴らすような激しい動悸がしている。
罅割れるような痛み。
押し上げる不快感。
イノセンスとアクマのウィルス、どちらがの身体をモノにするか、競い合っているのだろう。
同調率を上げなければ。
もっともっともっと、同調しなければ負けてしまう。

「お前は『14番目』が残した奏者の資格ではナイ! 『14番目』本人だったのでスネ」

は思わず目を開けた。
アレンとティキに踏みつけられていた千年伯爵が、逆にアレンを捕らえている。

「お前はあの時、AKUMA越しに我輩へ呼びかけたのでショウ。大変な衝撃でシタァ」

駄目元で咳き込もうとするが、それ自体が苦しい。
吐き出すための息を吸いきれない。
それより「あの時」って、いつだ。
に心当たりがないのは当然として、当のアレンに覚えがないらしい。
弟弟子は心底不思議そうに問い返す。
その時だ。
ざわり。
ぞわり。
突然、舌で首筋を舐め上げられたような気がした。
空気が気味悪く騒めいた。

「ソノ通リダヨ」

――アレンが、アレンじゃない。

「オマエニ伝エタカッタンダ。オレガ戻ッテキタコト」
「14……番目……ッ」

ぞくり、体が震えた。

「(――ネア)」

アレンの中から「ソレ」を引き摺り出した千年伯爵自身でさえ、愕然と震えている。
震えている場合ではないのだ。
アレンの中から引き摺り出された「14番目」は、ニヤリと笑って千年伯爵の胸倉を掴み返した。
体を完全に抑え込まれてなお諦めない、しぶとい意志を漲らせ、彼は確かにそこに「在る」。

「来テクレルト思ッタヨ、兄弟……」

これは、アレンじゃない。
アレンが湛える優しさも、どうしようもない甘さも、拭いきれない寂しさも。
何も無い。

「(これが、14番目)」

荒い息のなか、は意識を凝らす。
アレンとの約束を果たすためには、けれど、の願いを押し通すためには。
ネアの中から、アレンを見つけ出さなければ、見つけ出せなければならない。
何が違う、何もかもが違う。
アレンはどこだ。
何がなんでも探り出したいのに、茨のように絡みつく愛と執着が、いるはずの弟を覆い隠している。

「今度コソオ前ヲ殺ス。――オ前ヲ殺シテ、オレガ千年伯爵ニナル!!」

殺意にギラつく眼は、けれど得意げに自信ありげにも見える。
対峙する千年伯爵は仮面のような表情を崩さぬまま、ポツリと零した。

「それが……望みなのデスカ、『14番目』……」
「(淋しそうだ)」

一枚岩ではないのだろうか。
ふと過ぎった疑問は、すぐに霧散した。
ちがうっ!! と叫んだ「彼」からは、もう、アレンの気配がする。

「僕は『14番目』じゃない……!? うぐ……っ」

悶えて、苦しんで、叫んで、アレンがこんなに辛そうなのに、は安堵してしまった。
アレンだ。
大丈夫だ。
「14番目」が表層に現れたからといって、「アレン」が消えてなくなる訳では無いのだ。
今は、まだ。

「う……っ、があぁあああぁああぁぁいやだぁ!!」
「ぅぶ」

振り切るように叫び、アレンが渾身の力で千年伯爵に頭突きをかました。

「いいですか、伯爵。あと『14番目』も、よーく聞け……」

よろめく相手に向けて、啖呵を切る。

「僕は、悪魔払師アレン・ウォーカーです。それ以外には、死んでもならない!!」

ターバンを巻いたノアが、ほう、と声を漏らした。
興味深そうな眼差しで、笑みを深める。

「あんたら兄弟のよく判らん喧嘩に、人を勝手に巻き込むな! 迷惑です!!」

アレンが大声でそう言い切れたことに、なんだか胸のすく思いがして。
も大きく息を吸い込めた。
そこに。

――安心するのはまだ早いだろうに

「――ッ」

脳を割り、裂き、掻き乱すように、頭の中に直接響く声がある。
ターバンのノアが、此方を見て嘲るように笑った。

――人の心配などしている場合か?のぅ、カミサマ

「ゲホッ、うぇっ……」

咄嗟に嘔吐いて、は意図的に思考を乱した。
折角吸い込んだ空気が、全て無駄になった。

「(あの、野郎)」

あのノアは、先程が攻撃する前に警告を発していた。
こちらの思考に干渉できるのか、ならば下手なことは考えない方がいいだろう。
その時、ケラケラと愉快そうに笑うターバンのノアの傍を、疾風が通り過ぎた。

「ん? ののーっ、千年公ー!!」

ターバンのノアの頭上にあったぬいぐるみを、神田が攫ったのだ。
その隙にアレンが片眼鏡のノアを突き飛ばし、ようやくトクサを救い出した。
アレンの目が此方を見る。
構わず逃げてくれ。
念じるまでもなく、アレンは冷静に、態勢を立て直すよう神田を促した。
けれど、遅い。
片眼鏡のノアの能力に操られた部屋中の導管が、床の水槽を破って暴れ、出口を塞ぐ。

「しまった、出口を……!」
「本当に状況を理解してるのか? 特に『14番目』。二度と教団へは帰さないって言ったよね?」
「アレン・ウォーカー、キミが自ら進んで教団を捨てられるようにしてあげマショウ」

うねる導管は、床の水槽から一人の青年を引き摺りだし、磔のように宙に掲げた。

「(……あれは、)」
「誰ですか、あれ……」

この部屋は「第一母胎保管室」だ。
第三エクソシストの実験に関する会議が行われていた。
第三エクソシストには、人造使徒計画が応用されている。
は過去のそれを話でしか聞いたことがない。
彼の顔までは、知らない。
それに、彼は、死んだはずだ。

「アルマ=カルマ……私たちサードの第一母胎です……元は神田ユウとおなじ人造使徒の被検体……」
「あいつは死んだ」

トクサの説明に、神田が答える。
自分に言い聞かせるように。
そうだ、アルマは死んだはずだ。
殺したのだと聞いた。
九年前、神田が、その手で。

「AKUMAの卵核埋め込まれちゃって、今じゃアルマは教団に貪られる生き人形だぁー」

神田に握り潰されながら、ぬいぐるみ姿のロードが口遊む。
は、嘔吐くのをやめた。
腹と胸は燃えるように熱いのに、鳥肌が立つほど寒い。
寒い。
寒い。
じゅくじゅくと、血管が、細胞が、一つ一つが焼け爛れていくようで。
けれど、もう、すべてどうでもいいように思えて。

「(ダメだ)」

なれば、今こそ、贖い切らなければ。
この罪も、回収して墓場へ持っていかなければ。
けれど。

「はじめに言ったであろう、神田ユウ。おぬしの脳、アルマ=カルマの目覚めに使わせてもらう!」

けれど、それは、駄目だよ。









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