燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
貴女が彼を見るときの、瞳が
弾む声が
赤く色づく頬が
華やぐ表情が
全てが、好きだった
Night.13 今なら、今だから
の熱も下がって、修行開始から四日目。
濃い隈を作り、フラフラになったリーバーによって、ついにミランダの対アクマ武器が完成した。
それはあの柱時計の文字盤の面影を残しつつ、盤(レコード)へと姿を変えている。
「ご、ごめんなさい……」
感動し、感謝し、意気込んで修練場に籠ったものの、二人は今、床に座り込んでいた。
ミランダが、発動の感覚を忘れてしまったのだ。
慌てふためき落ち込むミランダに、が明るく笑いかけた。
「そんなもんだよ。焦らなくても大丈夫」
「でも……」
言い淀むと、肩を軽く叩かれた。
「平気平気。思い出させてあげるから」
ミランダは泣きだす寸前の顔を上げる。
彼は苦笑し、ハンカチを貸してくれた。
「覚えてる? イノセンスには大きく分けて二つのタイプがあるって話」
「さ、最初の日に……言ってた、話? 装備型と、寄生型」
「そう。俺はその二つの発動の仕方には、意識の違いがあると思ってる」
「意識?」
が頷いた。
「例えば、リナリーのブーツとか。装備型はイノセンスを武器化によって、その大きな力を無理に抑え込むんだ。
そうして鎖に繋がれたイノセンスに、自分が同調する。力の塊に飛び込む感じかな。分かる?」
目を瞑り、眉根を寄せてミランダは唸った。
さらっと言われたが、内容は難しい。
「えっと……じゃあ、寄生型だったら?」
切り返された質問に、今度はが考える素振りを見せた。
「そうだなぁ……寄生型は、例えばアレンとか……自分自身がイノセンスを繋ぐ鎖、なんだよね。
イノセンスを同調させる。中に入るっていうより、力を体で包んで抑え込む感覚なんだけど……」
分かる? と心配そうにこちらを見る。
ミランダは彼にしっかりと頷いた。
「私は……飛び込む方ね」
「そうそう。まあ、最初は飛び込むっていうか、少し引きずられる感覚があるかもしれないけど」
「で、できるかしら……」
「大丈夫。俺がついてるよ」
掛けられた言葉が、ミランダに安心を齎す。
笑顔に一時見惚れながら、ミランダは促されて立ち上がった。
「さて、やろうか」
が銃を取りだした。
ミランダも、自分の盤をぐっと握り締める。
「まだ最初だから、声に出してみると発動させやすいかもしれない。
長くやってる人も、声に出すことでイノセンスと密に同調する時があるんだ」
は自分の銃を示し、「福音(ゴスペル)、発動」と口に出した。
十字架が緑の光を放ち、サイズが一回り大きくなる。
ミランダはその光景を眺め、目を瞬かせた。
肩を竦めて、が笑う。
「リナリーのイノセンスほど、派手じゃないけど」
ミランダは慌てて首を左右に振った。
次いで、自分の盤を見遣り、固まる。
緊張して唇を噛み締めるミランダの背に、手が添えられた。
「目を閉じて」
心地よい響きに誘われて、ミランダの瞼が下りた。
「深呼吸して」
ミランダは大きく息を吸った。
それを吐くのに合わせて、背中の手が離れていく。
「いつでもどうぞ」
先刻よりいくらか落ち着いた気持ちで、目を開けた。
盤が、手に馴染む感じがする。
無意識に、今だ、と思った。
「イノセンス、発動」
声に応じるように、盤面に映された「時間」の玉が淡く輝いた。
「、くん……っ」
感動も束の間、ミランダはを振り仰いだ。
この先どうすればいいのか、何も聞いていない。
は微笑む。
そして徐に、手に持った銃を前方へ突き出した。
「回転(レボリューション)」
急に回り出した歯車を見て、ミランダはサッと脇に避ける。
「福音『凍結弾』」
歯車が止まり、が引鉄を引いた。
反動で上がる腕。
見る間に眼前の壁が凍りついた。
刹那、凍った部分はガラガラと音を立てて崩れていく。
ミランダは唖然としてそれを見つめた。
「あそこをターゲットに、時間を回復させてみて」
優しい声音に、意識を集中させる。
盤が回る、時間が回る。
「ええ、と……ターゲットを包囲、確定」
壁を時間が取り囲み、その上空に数字のない文字盤と、針が浮かんだ。
胸に下がっている鍵の、存在を感じる。
「時間回復(リカバリー)!」
キュンッという軽い音。
壁が、崩れた時と全く逆の順序で、元へ戻っていく。
最後にカチ、と音を立て、壁が復元された。
「ミランダ、そのまま集中して」
「え……えっ!?」
戸惑うミランダをよそに、歯車が回転する。
が銃を構えた。
復元されたばかりの壁へ、間断なく弾が放たれる。
そしてそれを片っ端から追いかける、「時間」の玉。
一分ほどそれを続けた後、がやっと手を止めた。
「こんなもんかな。うん、上手い上手い」
ミランダを見て、微笑む。
「何だ、呑み込み早いじゃん。これならすぐ上達するよ」
思わず、ミランダの目からは涙が零れた。
「ミ、ミランダ?」
「ううっ……そんな、風に、褒められたの……初めて……」
背中に手が当てられる。
「今までの店長さん達は、よっぽどせっかちだったんだな」
悪戯っぽい笑顔。
再び、涙が溢れた。
「ほらほら、泣きやんで。場所変えるから、発動も止めてくれる?」
「へ……?」
「ここ出て、どこか広範囲で練習してみよう」
ミランダは驚いて、力説した。
「そんな、だって失敗したら……」
「初めてなんだ、失敗して当たり前。それに、多分大丈夫だと思うよ」
が壁を指差した。
「これだけ泣いて、まだ途切れてないし」
「あ……」
それどころか、止めるように言われているのに止めていない。
が笑う。
「限界を知っておくのも大事なことだから」
何度目だろうか。
ミランダはまた、その笑顔に見入ってしまった。
「どこへ行くの?」
「科学班。あそこなら、何人か顔見知りいるだろ?」
至る所に立っている警備班員が、に声を掛ける。
ある人はとても友好的に。
ある人はとても緊張した面持ちで。
彼はその全てに、朗らかに答えていく。
回廊の途中に、山積みの荷を抱えた総合管理班の集団が居た。
誰もがうず高い箱を持ち、床にも、天井まで届くほどの荷を積んでいる。
集団の中の一人が、とミランダに目を留めた。
「おお、!」
四十代だろうか、集団の中では最年長に見える男性だ。
その鍛え抜かれた筋肉たるや凄まじく、ミランダも、でさえも簡単に投げ飛ばされそうな体格をしている。
彼の声に、周りの若者たちもこちらを見た。
「殿だ」
「本当だ!」
「おい、さんが居るぜ」
が男性に手を振る。
ミランダはその後ろをついていった。
「ヨハン! 久し振り!」
「久し振り! じゃねぇ、お前具合はもういいのか?」
「え、何、皆知ってんの?」
げ、と苦い顔をしたに、周囲が口々に言った。
「心配してたんスよ!」
「見舞いに行こうとしたら室長のトラップがあるし」
「それでも入ろうとするやつは婦長に睨まれて泣いて帰ってくるし」
「頼むから仕事してくれよ……」
がっくりと肩を落とすの背後で、ミランダも流石に苦笑した。
「ごめん。もう大丈夫だから」
ヨハンが白い歯を見せて、気持ちよく笑った。
「そりゃよかった。ところで、こちらの美人さんは?」
唐突に自分に目が向いたので、ミランダは反射的にの背に隠れた。
が苦笑する。
優しく、隣に誘われた。
「新しく入ったエクソシスト」
おおっ! と周囲がどよめく。
「ミランダ」
促され、ミランダはぎこちなくヨハンを見上げた。
「ミミミ、ミランダ・ロットー、です……」
ヨハンが笑いかける。
「総合管理班のヨハンだ。ミランダさん、あんた、ドイツの人かい?」
「は、はい。ベルリー二から来ました」
力強く、肩を叩かれた。
「俺も同郷だ、隣町だよ。珍しいこともあるもんだなぁ。よろしく」
笑顔がまぶしい。
「……はい!」
ミランダはつられるように笑った。
直後、二つの声が聞こえた。
一つは遠くから。
「ヨハンさーん! コレどこにおけばいいですかー!?」
もう一つは隣から息を呑む音と共に、ひとつの名前を呟いた。
ヨハンが先の呼び声に答えながら動く。
ミランダはの方へ顔を向けようとした。
ヨハンの肩が、積んであった荷に触れた。
「危ない!」
誰かが叫んだ。
ミランダの方へ崩れる荷物。
それを見上げた時、隣から強く腕を引かれた。
そのままそちらへ倒れこむ。
大きな音がして、先程までミランダの居た所に、箱が崩れ落ちた。
「大丈夫ですか!?」
「おい! 早くどけろ!」
「ミランダさん! さん!」
荷の向こうで、総合管理班の慌てた声が聞こえる。
体の上には、ぬくもり。
ミランダを抱えるように起き上がった、。
「ってぇ……」
「! すまねぇ、大丈夫か!?」
「大丈夫、大丈夫。ミランダ、怪我は?」
先程の呟きは、無意識だったに違いない。
あれは、何だったんだろう。
――大切な人の命と引き換えに――
ミランダは呆然と、魂が抜け落ちたようにを見上げた。
「おい、ミランダ?」
「……ええ、大丈夫……」
「良かった」
が微笑む。
ヨハンがバッと頭を下げた。
「ほんっとうにすまねぇ、二人とも」
「気にすんなって。それより呼ばれてたけど、いいの?」
「あああそうだった! じゃあまたな!」
大慌てで、しかし今度は荷物に気をつけながら、ヨハンが駆け出した。
が立ち上がり、ミランダに手を伸ばす。
「俺達も行こうか。立てる?」
総合管理班の集団を離れ、二人は科学班への道を行く。
にとっては歩き慣れた、ミランダにとってはようやく覚え始めた道。
人通りの全くない場所で、ミランダは立ち止まった。
「ミランダ? やっぱりさっきどこか……」
「、くん」
おずおずと、震える声で。
震える体で。
拒絶されたら、という思いが頭をもたげても。
それでも、聞かなければいけないと、思った。
「私を見るのは、辛い?」
「えっ……」
「私に似ている女の人は」
先程の、二日前の、呟きは。
「『ジレーア』さんは、……貴方が亡くした大切な人なのね……?」
「っ!!」
顔色を変えて、まるで怯えるように、が一歩後ずさる。
ミランダはその手をとった。
顔は、上げられなかった。
「ごめんなさい! おせっかいだって、分かってるわ。
でも……信じて。その、ただの好奇心なんかじゃないって、信じて、ほしい……」
自分でも信じられないほど積極的に、ミランダは言った。
声も手も、まだ震えている。
けれど、自分を励ましてくれた手の不安定な強さを、悲しいと思うから。
――彼を「神」と見ていない今ならば
まだ、そう感じることが出来るから。
「くんにとっては同じことかもしれないけど……悲しい顔をする貴方を、見て、られなくて……」
廊下が暗いせいか、俯いたの表情が見えない。
ミランダは自分と彼の手を見つめ、やがて手を離した。
「……ごめんなさい……」
沈黙が流れていく。
聞かなければよかった、と固く目を瞑った時、頭上で小さく、が呟いた。
「……何度も、割り切ろうと、思ったんだ」
ミランダは顔を上げた。
「ミランダにも、きちんと話そうと思ってた」
「でも、だって、今まで」
「言ってないよ」
驚くミランダの言葉を、の声が遮る。
「……言えないよ」
今にも泣き出しそうな、震えた声。
ミランダはもう一度、彼の手をとった。
「私……私が、聞いてもいいの?」
がミランダを見る。
「貴女だから、聞いて欲しい」
少し掠れた、強い声だった。
廊下の端で、ミランダは段差に腰かけた。
は窓辺に寄り掛かる。
「俺が師匠の弟子になって、そろそろ四年になる頃だった。秋だったよ。
俺達は本部に行くために、このふもとの町にやってきた。けど……やっぱ、師匠だから。
なかなか戻ろうとはしなくてさ。町で何日か過ごす間、ずっと、サポーターの女性に世話になってたんだ」
「その人が……」
が頷く。
「ジレーア・ティーク。明るいんだけど、ちょっとドジな女の人。今の俺と、同じくらいの年だったと思う」
懐かしむように、彼は笑う。
「彼女、師匠に一目惚れしたらしくて」
開けた窓から、冷たい風が入ってきた。
「……俺は、そんな彼女が、好きだった」
カーテンの開く音。
その記憶は、陽光から始まる――
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