燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









お花の冠をあげる!
白いお花と
赤いお花の屍で
一生懸命つくった冠
きっと、きみによく似合うよ!



Night.127 願いのカタチ









「はい、班長」
「ありがとう」

リナリーはいつも、此方が疲労を自覚した絶妙なタイミングで飲み物を差し入れてくれる。
今日はコーラだ。
口の中でバチバチと弾けるあの炭酸を逃したくなくて、カップを受け取ってすぐに口をつける。
それから、リーバーははたと顔を上げた。

「リナリー、任務は?」
「これから。神田がアジアに遊びに行っちゃってるから、アレンくんと一緒に迎えに行こうと思って」
「遊びに、って」

その言葉選びが愉快で、ついペンを置いて笑う。
トレイを胸に抱えたリナリーが、確信犯めいた笑みを浮かべて肩を竦めた。

「これから行くよって時にいないんだもん。向こうから呼ばれたってことは、知ってるんだけどね」
「ははは、アレンが文句言ってそうだな」
「うん。でも蝋花さんとか、アジアの科学班の子達に会えるって。そこは喜んでたよ」
「いつもみたらし団子を差し入れてくれる子か」
「そうそう! 彼女がこっちの科学班に来てくれたら、いつでも会えるんだけどなぁ」

科学班は圧倒的に男所帯で、そもそも歳の近い班員も少ない。
リナリーが数少ない女性科学班員の存在を羨むのも当然だ。
そんなことを話していたら空腹を思い出した。
見計らったようにリナリーがクッキーを差し出してくれる。

「そういえば、班長もこれから出掛けるの? 兄さんがそんなこと言ってたけど」
「ああ、ジョニーと一緒に北米支部までな。会議だよ」
「ジョニーと一緒って、珍しいね」
「各班の班長が一人若手を連れてくことになってるんだよ。ジョニーにも勉強になるだろうからな」

これから行く北米支部では「亜・第六研究所」に於ける研究に関する説明があるらしい。
優秀な若手を同行させるよう指示されて、リーバーは迷わずジョニーを選んだ。

「勉強会をするってこと?」
「あー、まあ、そんなところだ」
「亜・第六研究所」といえば、今やその名を知る者も限られている。
其処では、最高機密の人造使徒計画――エクソシスト・神田ユウの誕生に纏わる実験が行われていた。
エクソシストは増やそうと思って増えるものでは無い。
イノセンスの総数は百十一。
現在では一人で二つのイノセンスに適合した例が確認された。
となると適合者はせいぜい百十人しか存在しないのだ。
その上、戦闘で命を落とされては聖戦に支障が出る。
それならばエクソシストを何らかの手段で生かし続けることで、数を確保できるのではないか。
いっそ本人の肉体は死んでいようが構わない。
イノセンスとの同調権が保持されていさえすれば、或いは。
そうして、行われた研究である。

「勉強会かぁ。私もエクソシスト達とやりたいな。皆で集まって勉強するの、楽しいよね」
「そうだな。ただまあ、ちょっと今回は、メンバーがな……」

リーバーと第二班班長のペックと、第三班班長のバロウズ。
この三人が揃ってリナリーの思い描くような「楽しい勉強会」になる可能性は限りなく低い。
リナリーが苦笑いで必死にフォローしてくれる。

「うーん、仲良い人とやると楽しいけど、勉強は手につかなかったりするから……」
「あはは、そうだよな。そう考えるとちゃんと勉強が捗る、いい面子か」
「うんっ。きっと沢山勉強できるよ」

時計を見上げると、つられたリナリーがあっと声を上げてトレイを握り締めた。

「そうだ、私、任務の前にのお見舞い行こうと思ってたんだ」
「あー、今日は入れないらしいぞ」
「そうなの? え、班長、もう行ったの?」
「夜明け前にな。どうもゆうべから不安定らしい……」

の病室の前にはドクターやナースの控え室があるが、今朝はそこにすら通されなかった。
リーバーは立ち合わなかったが、「昨日」のこともある。
ナース達の様子を見てもあまり芳しくないようだったので、仕方の無い事だ。
北米から戻ったらまた顔を出してみよう――朝の気持ちを思い返してふと、もう一つの理由に思い当たった。

「……オレだから断られたか……?」
「え?」

リナリーに、首を振って苦笑を返す。

「いや。一応顔出してみたらいいんじゃないか? もしかしたら、もう会えるかもしれないぞ」

リーバーを真っ直ぐ見つめて少し考え、少女は真顔で言った。

「まだ喧嘩続いてるの?」
「いや、喧嘩とかそういうんじゃなくてだな……」
「アレンくんは喧嘩って言ってたよ? 二人ならそう長続きしないで仲直りするだろうって思ったけど」
「(どうして話しちまったんだ、アレン)」

意外ね、と添えるリナリーに何も返せず、ただただ額に手を当てて唸ってしまう。
否、アレンではなく、原因は自分だ。
リーバーが「リーバー班長」のショックから未だ抜け出せず、挙動不審なのがいけない。
既に科学班第一班にも周知の事実なのだ。

「早く仲直りできるといいね、班長」
「ああ、うん。ありがとうな……」

自己嫌悪で半分上の空だったが、遅れてリナリーの声色の真剣さに気付いた。
彼女は此方が息を飲むほど真摯にリーバーを見つめている。

が次に呼ばれるのは、きっと、酷い戦場だわ」
「……そうだな」
「考えたくないけど、そんなこと彼に限ってないと思いたいけど――喧嘩したままなんて、嫌じゃない」

今回エクソシスト達は緊急時に本部に連絡を取るよう指示されている。
その連絡を受けて欠員を補充する、とも。
あの金色が次に任務に出る時は、何れかの隊で犠牲者が出た時だ。
あまりにも危険が高い。
リナリーの言うことは尤もだ。

「(……それに、)」

任務に赴くエクソシスト達を、気持ちよく送り出してやりたい。
それは、コムイ・リーの下で働く科学班の一員として譲れない点だった。

「だから、早く仲直りできるといいね」

リーバーは、しっかりとリナリーの目を見つめて頷いた。

「ああ。会議が終わったら、もう一度話してみるよ。……ありがとうな、リナリー」









あの金色が「赦さない」と口にしたのを聞いたのは初めてだった。

「俺は、赦さないよ」

その日は偶然、中央庁の役人や各支部の幹部達が来ていて。
神田は、アジア支部から来訪した刀匠のズゥを待っていたのだ。
約束の時間を過ぎても現れない彼に痺れを切らせて出向いた矢先。
司令室から漏れ聞こえた声に、思わず扉を開く手を止めたことを今でも鮮明に覚えている。

「他に手が無かったとしても、……いや、それは碌に知りもしない俺が言うことじゃないな」

細く開きかけた扉の向こうで、淡々とした声が言う。
それでいて、その声は珍しく憤っていた。
どこか優しく、けれど物悲しさを纏って、言葉に憤りを染み込ませて。

「俺は赦さないよ。貴方達が赦されたくないと思っているから」

言葉と共に向けてくるのは天上から見下ろす神の如き憐れみだというのに。

「貴方達の歩みを止めないために、赦さないよ」

そのあからさまな憐憫が、不思議と全く不快ではない。
瞳の奥に慈愛を感じるから?
巫山戯るな、断じてそんな理由ではない。
けれど、神田が自然とそう感じたように。
彼の前に頭を垂れるズゥ達もまた、絞り出して応えるのだ。
――「神様」と。

「ごめん、ユウ。お前のこと、断りもなしに聞いちゃって」

後日、はそう神田に謝罪した。
その場に立ち会ったコムイによれば、話の流れで亜・第六研究所に言及してしまったとのこと。
研究関係者である北米支部長、アジア支部長、そしてズゥが事の次第を打ち明けてしまったのだと。
なんと迂闊な。罪悪感だろうがなんだろうが、それは正直、どうでもいい。
今更出自が暴かれたところで、神田は特段困りはしない。

「(困るのは、教団の側だろう)」

その話が一般の団員には知らされず班長クラスで留められているのは、神田への配慮などでは無い。
だからこそ。
後暗いどころでは済まないこの教団の暗部を、彼に打ち明けてどうするというのだ。
あの灯火のような黄金に当てられて、あの見透かすような漆黒に射抜かれて。
見棄てられるとは思わなかったのか。
「教団の神」が教団を見棄てたら、困るのは其方だろうに。

「(想像もしなかっただろうな)」

懺悔したところで、もう誰も戻らない。
彼女の父親も、彼の両親も、地獄を共に往く友も、誰も戻らないのに。

「嗚呼、教団の神様」

そう、そうしてまた、人を人とも思わずに。勝手な都合で役目を与えて。

「どうか助けて」

断る余地も与えずに――否、断る筈もないと踏んだ上で。

「どうか見送って」

聖戦の勝利を免罪符にして。

「どうか赦して」

そう言えば、全て許されるとでも?

――人間共は、悔い改めない――

記憶の奥から不意に聞こえたその言葉は、いつまで経っても真理そのものだ。
結局、何も変わらない。
教団は悔い改めない。
聖戦に勝利する、その為だけに存在する組織なのだから、当然といえば当然なのだ。
聖戦に勝利する、その為にそれ以外の全てを捨てて突き進む。
それが神田の知る黒の教団だった。
人造使徒の夢が破れて、次は戦意発揚の為の「教団の神」ときた。
理想を押し付けられて、要らぬ懺悔を聞かされて、弔いを重ねる中で罵倒を浴びて。
いつ彼が役目に飽きるか、見物であったのに。
なかなかしぶとい「教団の神」は、今なお勝利への贄として、好きなように利用されることを赦している。

「高位アクマの出現を予測するとは、探索部隊の犠牲と統計の賜物でしょうか。ねぇ、マダラオ?」
「今回はアクマ共の動きが妙に規則的でイレギュラーだったからこそできたことだ。それに、」
「それに?」
「予測と言うほどのものではない。本部が現地の犠牲とエクソシストの休養を秤にかけただけだ」
「整備不良の状態で出動させて、まだ貴重なエクソシストを喪う訳にはいかない、という訳ですね」
「この局面で数を減らすわけにはいかないだろう。現段階ではまだ、我々の後継者もいないのだから」
「たしかに。さて、こうなると……神様には、貴重な使徒様が減る前にご助力頂かねばなりませんね」
「あのー? その『神様』ってもしかして、いや、違いますよね? 兄さんの事じゃないですよね?」

トクサとマダラオの話に、アレンが口を挟む。また始まった、とばかりに一歩引いたところで監査官のリンクが頭を抱えた。

「勿論、その『神様』のお話ですが?」
「彼は本部待機です! そういう説明を受けてるでしょう?それに、」

上辺だけ澄まし顔で微笑むトクサに対して、アレンは拳を握って首を振る。

「今回兄さんが呼ばれたら、その部隊に被害が出るってことです。冗談でも口になんてできませんよ」
「まさか、冗談なんて。寧ろ、犠牲が出る前に使える手を尽くすべきと言っているだけですよ」

アレンと言い合っているトクサは、サードエクソシストだ。
神田達セカンドエクソシストは、瀕死の適合者を利用した研究の産物。
一方でサードは、旧本部襲撃の際に入手したAKUMAの卵殻を利用した研究の成果だという。
つい先日の事だけれど、サードと対面したが見せた激情が、既に懐かしい。

「それに『教団の神様』ならば、本人こそ今頃本部でやきもきしているのではないですか」

神田はちらとトクサを見遣る。

「彼は、己を神への供物と正しく認識している。あの神への献身ぶりは、流石の一言に尽きますよ」
「――ハッ」

思わず笑ってしまって、すぐさま顔を背けた。

「何ですか、神田」
「何か? 神田ユウ」

先程までいがみ合っていた二人が、今度は揃って神田に顔を向ける。
どちらも神田が笑ったことに対して不服そうにしていて、案外気が合うのではとさえ思った。

「(いや、それは無いな)」

眉を吊り上げて頬を膨らませるアレン。
にこやかなのにこめかみが引き攣っているトクサ。
余計な揉め事はもう勘弁してくれと言わんばかりのリンク。
澄まし顔で感情も見せないマダラオ。
全員を横目で睨めつける。

「くだらねェ。テメェらは前線だろ、いつまで喋ってんだ。さっさと配置につけよ」
「今っ! 行くところですっ! 装備をチェックしてたんです!」

勢いよく宣言したアレンは、トクサと言い合いを続けながらも神田への一言を忘れない。

「拠点の守りは任せます。神田も、気を付けてくださいね」
「誰に言ってやがる」

顔を背けてあしらった。
四人組のくせに、主に二人のせいでやたらと騒がしい集団が、それでも速やかに遠ざかっていく。
神田はテントの下から抜け出た。
乾いた土手の谷間は、拠点としては十分だが、もし襲われたら逃げ場がない。
新品の盾を手にした探索部隊員達は緊張した面持ちで、近付いてくる奇妙な音に耳を澄ませている。

――大丈夫、必ず守るよ――

あの金色ならそうして甘やかな言葉を囁くだろうが、生憎、此処にいるのは神田だ。
エクソシストは、守るために存在するのではない。
聖戦に勝利するために在るのだ。

「オイ」

神田の低い声にビクリと体を震わせて、探索部隊員が振り返る。

「こっちは俺が見る。向こう側を張ってろ」
「かっ、畏まりました!」

守るために存在する訳では無いが、徒に生命を無駄にする必要もまた、無い。
戦う手段を持たない探索部隊は、せめて報告を終えたら自力で逃げられるような場所の警戒を担当すべきだ。
見晴らしも悪く逃げ場もないような場所は、神田が対応すれば良い。

――優しいじゃん、ユウ――

「チッ」

うるっせェな。
ちらつく金色に、脳内でそう悪態をぶつけた。









苦しくて、苦しくて、苦しくて。
けれどそれは、自分が受け入れるべき罰だから。
助けを求めるなど論外で、これを受け入れてようやく贖いの一欠片になる筈だから。
歯を食い縛り、身体中の力を奮い起こして身を縮めた。

――お兄ちゃん――

肩に、触れる手がある。

「(、)」

例えば、もし君が今も隣にいたならば。
この世界に価値を見出せたのかな。
例えば、もし君が今も隣にいたならば。
君は、アレンとどんな風に接していたのかな。
みんなの妹だったも、生きていたらアレンよりお姉さんということになるのだから。
優しい子だ、きっと張り切ってアレンを守ろうとするだろう。
ならば、そんなが隣にいたとして。
もし、一緒に戦っているとして。
守りたい弟に「自分を殺してくれ」と言わせてしまうこんな世界を救うために。
君が命を懸ける必要はあるのか。

――お兄ちゃん――

「(、)」

無いよ。
断じて、そんな価値はない。

――お兄ちゃん――

ならばやはり、こんな世界のために、愛しい「家族」が命を懸けて戦う意味なんて、無いんだ。

、」

引き絞られるような痛みが、身体の中心で竜巻のように蠢いている。

――お兄ちゃん――

……」

いや、クロウリーを見ろよ、
愛する人を殺すしかなくて、それでも前へ進む彼を見習え。
家族を殺すことを躊躇うな。
足を止めるな。
そうでなければ、何のために母を殺したのか。
母を殺すことは出来て、弟を殺すことは出来ない?
それは、可笑しい。
それは、ただ、自分の心が弱いだけだ。
ただ、自分がそうしたくないというだけの、我儘だ。

――お兄ちゃん――

「……ごめん、、」

まだ、君の目の前で謝ることが出来るほど、罪を償っていなくて。
弱くて、意気地無しで、覚悟も足りなくて、口ばかりで、まだ、何一つ、償えていなくて。
神様の好きにはされたくないのに、歯向かう力も足りなくて。
この手で「家族」を未来へ送り出すのだと決めたのに、その未来を手折る選択肢を示されていて。
だからまだ、君に謝りに行けない。

――お兄ちゃん――

背中に、触れる手がある。
伸ばした手の先に、誰かの手がある。
君の声が聞こえる。
君が見ている前で、罪から逃げ出すことは、しないよ。

――お兄ちゃん――

これは、全部、俺だけの罪だ。
逃げ出したりなんか、しないから。
きちんと、償うから。
贖うから。









――お兄ちゃん!!――









ハッとして飛び起きた。

――お兄ちゃん――

見つかった?

――お兄ちゃん――

見つかった。

――お兄ちゃん――

狙われる。
見つかった。
狙われる。

――拐われる。

「……兄貴、」









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210709