燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
はじめまして!
しーっ、ひみつだよ
わくわくするねっ
わたしだけは、あなたをせめない
げんきでいてね
ばいばい!
Night.121 落ち葉に囁く春風
鳥とも言えない、羽の生えた小さな金色の物体が、アレンの頭の上で慌てふためくように羽ばたいた。
高度な玩具、或いは機械に見えるが、感情があると錯覚させる動きだ。
ハウゼンが支えていたアレンは、自分の肩の痛みなど忘れたように顔色を無くしていた。
ハウゼンは、言わんこっちゃない、と思わずぼやく。
リーバーの膝元で、ロッテの足元で、は身動きひとつしなかった。
駆け寄ってすぐに分かったのは、例の薬を口に入れるのは不可能だろうということ。
飲み込ませるのは無理だ。
呼び掛けに対する反応が無くなるのも時間の問題だと思えた。
「医務室へ運んでください!」
そこに、駆けるような早足で歩み寄ったのがリンクだ。
黒の教団一行の、もう一人の金髪の男。
リンクはアレンを一瞥するとすぐさまハンカチで彼の肩を押さえた。
そうしながら、何かを耳打ちする。
ひどく驚いた顔をしたアレンは、けれど決然と頷き、肩を抑えるのもそこそこに駆け出した。
その後を、金色の羽が追いかける。
「エクソシスト二名と我々は、先に教団へ戻ります。探索部隊員のお二人に、事後処理は任せます」
アレンが聖堂を出ていくのに対して、リンクは中にやってきてエゴールを呼んだ。
「棺の娘については追って連絡しますが、一先ず母親の元に戻れるよう取り計らってください」
「畏まりました。ポーラさんは今どちらに?」
「医務室でフランカの死体と共にいます」
エゴールが頷き、人々を振り返る。
「皆さん、少々お待ち頂けますか。すぐ戻ります、その後で説明を。ヘルメス、棺と聖堂は頼む」
遠くでヘルメスが威勢よく了承を示した。
被せるように、リンクがリーバーの肩を叩く。
「班長、を医務室へ。『方舟』を使います」
ハウゼンには何を言っているか分からないが、リーバーはその一言で察したようだ。
彼もまたかなり驚いた顔をして、けれどすぐにを抱き上げた。
「ドクターも医務室までご同行願えますか。ギリギリまで容態をみて頂きたいのですが」
「も、勿論です」
人を抱き上げて運ぶリーバーに追いつくのは造作もない。
きょとんとしているロッテの手を引くと、娘はハッとして跳ねるようにリーバーを追いかけた。
ロッテは手を繋ぐよりも、勝手に走らせた方が早い。
もう少しだ、がんばれ、と呼びかけ続けるリーバーには、とても話しかけられない。
ハウゼンはリンクを見る。
「あの、『方舟』とは?」
「詳しいことは申し上げられません。……此方の医務室から、直接教団へ帰還します」
「は?」
リンクは気が進まないのだと顔中に書きながら、「関係者以外には秘匿事項なのです」と答えた。
「これ以上をお話ししたならば、貴方の記憶を消さなければならない」
何だそれ、なんて不穏な言葉だ。
しかし彼の表情を見ると追求するのも悪いような気がして、ハウゼンは首を捻るに留めた。
「とりあえず……旅をしなくても教団に帰還できる、ということですか? 彼をすぐ主治医の元へ送れる?」
「そう解釈して頂いて構いません」
そんな作り話のような手段があるのか。
しかし恐らく彼らは、この町に来る時もその手段を使ったのだろう。
そうでなければが町に辿り着けた理由に説明がつかない。
リーバーの後について医務室に入れば、見慣れた自分の部屋で見慣れぬものが光を放っていた。
部屋の隅で、フランカの遺体を抱いたままのポーラも唖然としている。
彼女の元にはエゴールが駆けていった。
光の前で、アレンが顔を上げる。
失血のせいか、彼も顔色が悪い。
「リンク、向こうもゲートが確認できたって」
「行きましょう。班長、どうぞ先に」
リンクの声に生返事をしたリーバーは、ゲートに足をかけてから思い出したようにハウゼンを振り返った。
「お世話になりました。ロッテもありがとうな」
「こちらこそ。さあ、急いで。ロッテはこっちに来なさい」
光る「ゲート」に近付こうとするロッテの手を引いて、強引に抱き上げる。
珍しく、されるがままに腕の中に収まった娘は、ハウゼンとリーバーを見比べた。
「……ばいばいなの?」
「そうだよ。ほら、バイバイって」
首を傾げた娘は、それでも両手をぶんぶんと振る。
「またねっ!」
リーバーが泣きそうな笑顔を残して去っていった。
アレンがこちらに近寄って、ロッテの頭を撫でる。
金色の羽が娘の頬に擦り寄った。
ロッテが手を伸ばすが、それをするりとかいくぐり、金色はアレンの襟元に戻っていく。
「ありがとう、ロッテ。ドクター、兄さんのこと看ていてくれてありがとうございました」
深々と頭を下げた少年の身体を起こさせて、ハウゼンは彼の肩を強く圧迫した。
「きみも自分を大事にね。……この町のアクマを倒してくれて、本当に、本当にありがとう」
言いながら、不思議な色のアレンの手に紙を握らせる。
「ひとつ頼み事を聞いてくれるかい。これを、ヒリス先輩に渡してくれないか」
アレンがヒリス、と繰り返した。
はっと目を瞠る。
「――えっ!?」
「そう、その人に」
ウォーカー、とリンクが声をかけた。
ハウゼンは微笑んで、アレンを光の方へ歩ませる。
ポーラがフランカをベッドに横たえて、よろよろと此方に歩いてきた。
「行ってしまうの……?」
応えたのはリンクだ。
「はい。お嬢様方のご遺体については、ひとまず貴女の元に戻せるよう計らいますので、」
詳しくは彼と交渉してください、その言葉を受けてエゴールがポーラに頷いてみせる。
ポーラは、唇を噛み締めて項垂れるように頭を下げた。
「ありがとう……あの、彼にも、そう伝えて」
アレンが紙を握りしめて、笑顔で頷く。
「はい。必ず伝えます」
「それでは我々はここで失礼します」
「またねーっ!」
ロッテが今度は片手をぶんぶんと振った。
アレンが紙を握った手を小さく振り返し、リンクが会釈する。
光る「ゲート」が、彼らを飲み込んで消えていく。
共に彼らを見送ったエゴールが、ハウゼンを振り返り丁寧なお辞儀をした。
「ご協力ありがとうございました、ドクター」
「そんなに畏まらないで。私達こそ、町の者こそきみ達に感謝をするべきだ……本当に、ありがとう」
「あのひかってたの、なに? すごーい!」
床に下ろすなりロッテはぴょこぴょこ飛び跳ねて大興奮だ。
エゴールが苦笑して肩を竦める。
「説明が出来なくて、申し訳ありません」
「きみ達はどうやって教団に帰るのか、聞いても?」
「我々は汽車で帰りますよ。『アレ』は特例です、様のことで上に掛け合ったのでしょう」
エゴールは住民代表への説明と、リーセロットを医務室へ運ぶために聖堂へ戻るという。
ハウゼンも向こうで怪我人に対処しなければならない。
「ロッテ、此処でポーラさんと待つか?」
「うん! ロッテ、おばあちゃんとまってるー!」
ねー、とポーラを見上げてにこにこする娘は、いつの間にこの人と親しくなっていたのだろう。
頷き返すポーラの元に駆け出そうとして、ロッテは振り返った。
「ね、ね、パパ。またにあえる?」
「……ああ、きっとね」
「いつ? あした?」
「明日ではないなぁ」
「あしたのあした? あしたのあしたのあした?」
その問いに、ポーラがふっと笑った。この人のこんな穏やかな表情は久しぶりに見た。
それこそ、三十年ぶりに。
「きっとロッテがもう少し大きくなってからよ」
「ふーん。ロッテねぇ、にも、またあいたいなー!」
昨夜は大騒ぎだった。
ルベリエからの連絡はいつも唐突だが、方舟の臨時ゲート開設を通信で告げられたコムイは、それはもう驚いた。
ゲートの開設場所は修練場だというので、警備班に早急に人払いをするよう命じる。
最後の一人を修練場から追い出し切ったのと、医療班の面々が慌てて駆け付けたのがほぼ同時。
その直後に顔面蒼白のリーバーがを抱えてゲートから現れ、その後ろからは上半身を血塗れにしたアレンがリンクと共に現れたのだった。
この間、十五分足らずだ。
それから丸一日経った現在、病室に隣接する控室では担当ナース達が夜食の真っ最中だった。
室長の来訪に慌てて居ずまいを正すので、コムイは笑いかける。
「気にしないで。お疲れ様、いきなりで大変だったでしょう」
「いえ、まあその……いつものことなので」
肩を竦めるナース達に苦笑しつつ、コムイはガラス窓越しに病室を覗いた。
聴診をしてはモニターを見上げて険しい顔をしていたドクターが、視線を感じたのか此方に顔を向ける。
彼に会釈をして、コムイは静かにドアを開けた。
「遅くなりました、電話が長引いてしまって……」
言いながらベッドサイドに歩み寄ると、傍らの椅子を勧められる。
言葉に甘えて椅子に腰掛けた。
「容態はどうですか」
聞くまでもなく、ベッドの上のに意識が無いのは分かった。
バクと共にアジア支部へ出かけていったあの時とは比べ物にならないほど憔悴しきった顔つきで目を閉じている。
「呼吸の補助を外せるようになるまで、数日かかりそうです」
ドクターが息をついた。
「普段だったら食堂にも行かせないような状態で任務に出しましたしね」
「うっ。その節は色々と申し訳ありませんでした……」
「それはもういいんですよ。……いや、いいとか、悪いとか、この私が言う権利はありませんね」
ドクターの自嘲は、理解できる。
ヒリス・クラーセンといえば、中央庁の指示には一切逆らわない、命令に忠実なドクターとして有名だった。
が聖典で再度臨界点を突破した、あの日までは。
「まさかあんなことを言われるとは思いませんでしたよ」
ルベリエなど薄笑いを浮かべてそう振り返ったほどだ。
正直コムイも、職場を共にしている婦長やナース達も相当に驚いた出来事だった。
コムイは亀のように竦めていた肩と首を元通りに伸ばした。
何かフォローをしようと思ったけれど、そうする前に彼の方から話題を変えられた。
「お電話はルベリエ長官とですか。たくさんお小言も頂戴したのでは?」
「あはは。いやー、まあ、その程度で済んだので、大したことじゃありませんよ」
ドクターがくすりと笑っての点滴を弄る。
「今回は同行者がアレンで幸いでした。彼の様子はどうですか」
「どうも出血が多かったみたいですね。でもまあ、食事はしっかりおかわりしていたようで」
「ははは、あの子らしい。それなら心配は無さそうですね」
「きっと明日には病室を抜け出して食堂に行っていますよ」
笑いながら言って、息をつく。
幸いと言うべきことはまだある。
「今回は、リンク監査官の機転に助けられましたね」
戦場での動きを見て、帰還までの身体が持たないと判断したらしい。
エクソシストの死はただでさえ聖戦に大きな影響を及ぼす。
「教団の神様」ならば尚更だ。
何よりもレベル4に対抗できる能力を持った二つのイノセンスの遣い手を、今失うわけにはいかない。
そう主張して、リンクはルベリエから方舟のゲートを臨時で開設する許可をとったそうだ。
彼の冷静さに、今回は救われた。
先程までの電話相手であるルベリエからは、二度とこんなことが無いようにと厳重に釘を刺された。
本人にもきつく言っておきなさいとまで言われたが、それを伝えるのはいつのことになるのだろう。
「……落ち着いたら一度、いえ、早いうちにヘブラスカに診せるべきかと」
「そうですね。まだ軽く報告を聞いた程度ですけど、相当無茶な戦い方をしたようですから」
なんでもリーバーによれば、聖典をそれこそ「方舟」のように宙に浮かせ、そのキューブの中で彼らはレベル4と戦っていたらしいのだ。
そうする理由が全く分からないとリーバーは頭を抱えていた。
そもそも、リーバーは帰還した時点でかなり落ち込んだ様子だった。
アレンの方もリーバーを気に掛けていたというので、何か思いもよらぬトラブルがあったのではないだろうか。
今日は一日休みを取らせた部下に、明日こそ確認を取らねばなるまい。
「アジア支部での戦闘記録も是非ご覧になってください。それはもう、……やりたい放題でした」
「うーん、そうですか……」
最大の懸念は聖典による肉体への負荷なのだが、昨今のの心理的な変化も気にかかる。
以前とは負荷そのものの度合いも、本人の身体の状況も異なるのは確かだ。
けれど、これまでのは無茶をするといっても限度があった。
エクソシストである・。
或いは「教団の神様」である・。
どちらの立場にも深い自覚のある彼は、教団が「・」を喪失しないように気遣って振る舞っていた。
けれど最近はそれがない。
――まだ、死にたくないだろ?――
コムイは力の入っていない冷たい手にそっと触れた。
「(……ボク達だって、君に生きていて欲しいのに)」
「ありがとう、リンク」
「何です、改まって」
ベッドの上に片膝を立てて、アレンが言う。
リンクは書類を書き付けていた手を止めて、振り返った。
今回はハースト孤児院の時と違って、いきなりリナリーが押しかけてくることはなかった。
あの時は流石に仕事にならなかった。
現在はエクソシストが徐々に本部に集められているらしく、いつ彼女が帰還し、来訪するかも分からない。
出来る時に仕事を進めておくべきだ。
「リンクが方舟の使用許可を取ってくれるなんて、思いもしなかったから」
「別に、感謝されるようなことではありませんよ。適合者がいなくなったら困る、ただそれだけです」
「それでも、助かったからさ。……多分、兄さんはありがとうって、言わないと思うし」
「でしょうね。言われても困ります」
「あはは。まあ、だから代わりに僕から、兄さんの分も。ありがとう」
「……どういたしまして」
放っておくといつまでも繰り返されそうなので、リンクは溜息混じりにそう答えた。
アレンがどこか満足気に目を細めて笑う。
コムイやリーバー、の主治医からも言われたが、別に感謝されるようなことではないのだ。
単に、違和感を拭いきれなかったというだけで、大したことはしていない。
医務室に一般人を連れて逃げ込んだ際、彼が膝を着いた、あの時。
自身の存在感をいとも自在に操るが、あの時発していた気が、あまりにも弱くてブレていたから。
が死ねば二つのイノセンスが適合者を失う。
そんな損失は、避けなければならない。
そう主張すれば、ルベリエも当然否とは言わなかった。
「……僕も、リンクみたいに何か出来たらよかったな」
ぽろりとアレンが零す。
「兄さんが上がってくるまでにレベル4も倒しちゃおうと思ったのに、結局間に合わなかったし」
リンクは手にした万年筆を机に置いて、体ごとアレンに向き直った。
はあ、と大きな溜息をつく。幸せとやらは、いったい幾つ逃がしてしまったことだろう。
「役に立つとか、立たないとか、彼は考えていませんよ」
まったく。
頑固で、愛に不器用で、似ているようで似ていない兄弟だ。
「きっと、これっぽっちも」
自然と互いを守ろうと動いた、それだけで十分ではないか。
少なくとも、リンクの知る家族の絆はそういうものだ。
脳裏に、彼らの顔が浮かぶ。
中央庁に引き取られる前、路地裏で寄り集まっていた頃。
教会の裏に座り込み、皆でパンを分け合って食べた、あの頃。
自分達は、そうして生きていた。
意外そうに目を瞠っていたアレンが、眉を下げて小さく笑った。
「うん。……うん、そうだね」
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201017