燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









二人は、きっとまたあの場所にいるのよ
私さえあの子にこっそり教えてあげたなら
どちらか一人と言うならば、せめて
ワタシの●●●●は、誰にも渡さない
嗚呼、神様――いったいどうして



Night.116 宝石を投げ棄てた人









マルテン神父は、穏やかな微笑みを口元に湛えている。
けれど、目は引き攣っていて、瞼はブルブルと震えているのが見て取れた。

「生きている時は抱いてもやらなかったくせに!」

の背後、泉の向こうから、湿って罅割れた声でポーラが叫ぶ。

「どうして死んでからこんなに執着するの! マルテン!」

ロッテを返してよ……!
力尽くで擂り潰された声を向けられても、マルテンは表情を変えない。

「私の妹は、誰にも渡さない」
「ふざけないで! ロッテもフランカも、私達の娘じゃない!」
「ちょっと待て」

噛み合わない会話に割り込んだは、片手を挙げて二人を制した。

「俺は先に、お前がこの三十年、正体を隠し続けられた理由を知りたい」
「邪魔しないでちょうだい!」

激昂するポーラへ、肩越しにちらりと目を向ける。

「この人は、マルテン神父じゃないんだ、ポーラさん」

の言葉を裏付けるように、マルテンの皮が「剥けた」。
腕の中のロッテが、ひっと小さく息を飲む。
窪みで娘の亡骸を抱き締めるポーラが、神父だったアクマを呆然と見つめた。

「……、は……?」
「マルテン神父は、……少なくともフランカのことは、蘇らせるつもりだったんだろう」

あれだけ無邪気にはしゃいでいたロッテが、すっかり怯えて縮こまっている。
は、彼女に福音の硬い感触が触れないよう、手の甲で背中を摩った。
震える少女はの首にしがみつきながら、何度も何度も頷いている。

「泉に身を投げて死んだフランカを、彼が『喚んだ』。……のかな?」

リーセロットが階段の崩落で亡くなり、あとを追ったフランカが身を投げた。
そのフランカを見つけた神父が、娘を「喚んだ」。
そして、フランカの本能は大切な「妹」を手元に囲ったのではないか。
リーセロットの死因は、単に足を踏み外しただけで、階段の崩落とは無関係かもしれない。
だからあくまで憶測でしかないけれど。

「私のダークマターは、外見を変化させる」
「そう……それで三十年隠れきった訳か」

アクマは引き攣った笑みのまま口を開く。

「賢いだろう? この神父に成りきって町に溶け込めば、いつまでもあの子の傍にいられるのですよ」
「ちょっと、待ってよ……」

ポーラにはアクマの説明もしていないので、話の半分も伝わっていない筈だ。
それでも彼女は、ある程度理解してしまったらしい。
震える手がアクマを指差す。

「……フランカ……?」

声が戦慄く。
嘘よ、と掠れた音がして、それからポーラは喉を締めつけられたような悲鳴を上げた。
は福音の引鉄に指をかける。
三十年に渡って人を殺し続けたアクマは、果たしてどれくらいの力を持っているだろうか。

「これだけの時間が経てば、とっくに自我を失ったはずだろう。どうして妹のことを覚えている?」
「妹……知らないね。私は『マルテン神父』だ。マルテン神父なんだ」

アクマが顔を歪める。

「この男の日記も読んだ。何でも真似をした。成り代わる為に。あの死体も、」

硬質な長い指が、ポーラの方を指差した。

「この男が保管していたから、あそこに置いておいたまでのこと」
「リーセロットは?」

はぐっとロッテを抱き締める。

「誰の意思で、ポーラさんから取り上げたんだ」
「私の意思だ。あの子は『私』の妹だ!」

マルテンだったアクマの背後から、ロッテと同じくらいの年頃の子供達がふらふら歩いてきた。

「あの子は、『私』が! 私が! 『私』が!!」

金切り声で叫ぶアクマに吸い寄せられるように、子供達がやってくる。
近付くなと声を上げようとして、はそれを止めた。
の息の動きを訝ったロッテが顔を上げて、恐る恐る振り返った。

「うびぇっ……?」
「……あの子達は、お友達かな?」

ロッテが日中預けられている孤児院の、お喋りをしてくれないお友達。
三日月のような目と口で、皆一様に笑顔を浮かべている。
は、頷いたロッテの頭を自分の首に押し付けた。

「分かった。ロッテ、少し目を瞑っていようか」

アクマ達の殺意が膨らむ。

「……ロッテのおともだちは?」
「残念だけど、お友達とはもう会えないんだ」
「なんで? ロッテのせい?」
「違うよ」

は首を振って答える。

「ロッテは何も悪くない。ロッテのせいじゃないんだよ」

泣いてもいいと、言おうとしたのに。
ロッテがひし、と渾身の力でにしがみつき、鼻水を啜った。

「あのね、ロッテね、ないてないもん」
「……うん。流石、隊長さんはかっこいいな」

子供達の皮が剥ける。
体が兵器に置き換わり、大きな球体になって宙に浮かぶ。
レベル1だ。

「(十五人)」

聖典なら、一息で片をつけられる。

「私が!! 私がァっ!!」

けれど、レベル1に守られたマルテンの動きが読めない。
裏返った声で叫び続けるアクマは、体を縮め、そして『転換』した。
は跳び退る。
轟音。

――聖典、発動――

噛み締めた唇に滲ませていた血で、泉の上に足場をつくる。
先程まで立っていた場所は、レベル1の砲撃で穴だらけになっていた。
もう一度唇を噛む。
血の味。
土埃の向こうはどうなっている?

「っ、磔!」

レベル1のアクマをまとめて釘で刺し貫いた。
マルテンだったアクマの形が変化している。
祈りを捧げる女性のような、妊婦のオブジェのような形態。
剥き出しの腹部には「4」と彫られているのが見える。

「(――孵化する)」

は空を見上げた。
今、無抵抗のうちに壊してしまうべきか。
――否、この狭い場所で仕損じた場合、取り返しがつかない。
死臭は頭上の穴から流れ出ていくだろう。
ならば。
踵を返して、帳を足場に泉の上を跳んで渡る。

「ポーラさんっ!」

土壁の窪みに身を収め、娘の亡骸を抱き締めていた彼女は、青ざめた顔を上げた。
は窪みの前で足を止める。

「巻き込んでごめん。あれを外に誘導する。此処に壁を作るから、助けが来るまでこの穴から出ないで」

呆けた表情でをただただ見つめる彼女の肩を掴む。
強く息を吸い込み、その音でポーラの気を引いた。

「フランカを守って。今度こそ、絶対に離さないでね」

ポーラが目を瞠った。
時間が無い。
は帳で、窪みを守る壁を作り上げる。
微笑みだけを壁の内側に投げかければ、をハッキリと見返したポーラが決然と頷いた。
首肯を返して、抱き締めた腕の中に強い声で告げる。

「ロッテ、口を閉じろ、しっかり掴まれ!」
「ぅむんっ!」

背後から、石膏が割れるような音が聞こえる。
頭上を見上げる。
思い描くのは、これから上空に浮かべる帳の足場。
ぐ、と踏み込み、跳んだ。
一歩、もう一歩。
跳び上がった時に、背後の殺気を捉える。

「(こっちに来い)」

ポーラの方ではなく、此方へ。
此方へ。
此方へ。
そうしたら、きっと俺達が殺してやるから。
予定より二歩多く帳の足場を経由し、穴を抜けた。
聖堂の方から煙が上がっている。
轟音。
背後から追る気配。
ゴホ、と吐き出した血で背後に時間稼ぎの霧を張った。

「(――滑り台)」

ロッテを抱えているからだろうか、浮かんだイメージは随分と幼いものだった。
もう数歩駆け上がり、医務室のある建物を目がけて一直線の細長いレールを作る。
はレールに足を掛け、一息に滑り降りた。









子供の落書きの上にが書き残した「地下」という言葉。
それを見付けてからの四人は、医務室の隅に身を寄せていた。
突然、聖堂から爆発音のようなものが聞こえたからだ。
それと前後して、ザザザ、と耳元で無線が不快な音を立てた。

『――聖堂にアクマ多数!』

アレンの声。

『聞こえますか、兄さん!禁域にアクマの反応があります!』
『禁域のアクマは、今、目の前にいるよ』

の声が静かに応える。
それに、リーバーの方が大きな声を零してしまった。

「お前っ……」

どこにいるんだ、という言葉を飲み込み、例のベッドの下を見遣る。
既に戦場にいる二人の邪魔をしてはいけない。
あの床下にはどうやら、潜り込めるらしい。
耳元の無線から、やポーラ、そして先程まで聖堂にいたはずのマルテン神父の声が聞こえてくる。

「神父様が……アクマ……!?」

ヘルメスが呻き、ハウゼンが困惑からか顔を上げた。
リーバーは呟く。

「……なあ、これはもしかして、例の『工事』の結果か?」

エゴールが目を見開いた。

「床下を、ですか?」
「ああ。例えば……そう、通路だ。人目につかないように、人を攫うための」
「っ、まさか!」
は『禁域』にいるんだろ?」
「では……この『地下』から、泉へ行ったと」
「……どうする、床板、開いてみるか?」
「いえ、戦闘が始まったら危険です、この位置では我々は逃げられません」

不安そうに眉を寄せたヘルメスに肩を抱かれ、一人事情を知らないハウゼンが誰ともなしに呟く。

「いったい、何が起こっているんです……?」

リーバーは一瞬言い澱んだ。
何から話すべきか。

「この町の吸血鬼伝説は御存じですね?ドクター」

代わってエゴールが口を開いた。
「吸血鬼」の正体は、AKUMAという悪性兵器。
そして、今無線で聞いた話では、その正体はどうやらマルテン神父である、ということ。
三十年前、リーセロットは事故で死亡し、フランカは後を追って自ら泉に身を投げた。
そして、二人の父親であるマルテン神父は、フランカを救うために千年伯爵の言葉に乗ってしまった。

「マルテン神父は、……いいえ、アクマはもう、正体を隠す気はないのでしょうね」

ハウゼンはそんな、と一言声を漏らし、すぐさま叫んだ。

「じゃあ、ロッテは!?」
「お嬢様は、どうやら様やポーラさんと共に、アクマと遭遇したようです」
「遭遇って……!」
「大丈夫ですよ、ドクター。様に守られているんです、ロッテが今、誰よりも安全です」

拳を握るヘルメスは、しかしまだ表情が晴れない。
無線からは、聖堂の怒号と破壊音、アレンの力む声が聞こえる。
回線が繋がれたままのの声も、同じようにずっと聞こえていた。

『アレン、何処だ』
『っ、聖堂です! 兄さんっ、さっきの話は、』
『それは後だ、アクマが進化した。レベル4だ』

そのの声は、突然聞き取りにくくなった。
風の音が、背後で轟々と鳴り続けている。

『脱出を優先して見逃した。医務室に避難場所を作るから、ハワード、一般人の誘導を』
『承知しました』
『聖堂には俺が行く。アレン、悪いけど少しの間、レベル4の方を頼む』
『っ、はい!』

息を呑む音、そして、空回りしそうなほど気合いの籠った声。
リーバーはエゴールと顔を見合わせた。
医務室、と言った。
やっぱり! と歓声を上げて、ヘルメスがハウゼンの肩を叩く。

「先生、ロッテは無事です! 此処に来ますよ!」

無線から幾度か聞こえた幼児の声が、行方不明の娘ロッテなのだろう。
ハウゼンが顔を上げる。

「ロッテが……」
「監査官! そっちはどうなってるんだ!?」

呼び掛けると、息を切らせたリンクの声が、それでも冷静に返した。

『レベル1が多数、子供のアクマです。レベル2が五……六体ほど。修道士と若者に紛れています。皆さん、此方へ!』

エゴールが、探索部隊員二人分の結界装置を準備する。
そうして、ハウゼンとヘルメスを背に庇い、リーバーとエゴールは結界装置を構えて、部屋の隅に待機していた。
その時、窓の外に影が差した。

「(――あっ、)」

胸に、すとんと温もりが落ちる。

「班長っ! 危険です!」

リーバーはエゴールの制止の声を振り切って思わず駆け出した。
バン、と音を立てて扉を開ける。
景色は一変している。
聖堂の天井は崩壊し、ステンドグラスがことごとく砕けている。
人々の悲鳴。
そこから、白いものが上空へ飛び出した。
アレンだ。
一方で、見上げた視界には黒いレールが走っている。
レールはちょうど医務室の上、リーバーの頭上で途切れていた。
ゴムと金属が擦れるような音が聞こえる。
影が落ちる。
逆光が、黄金の輪郭をつくる。
勢いを全く殺さずにレールを滑りきった金色が空へ飛び出し、ふわりと着地した。
周囲の喧騒が、全てかき消えた。
緊張で強張った身体が――ほどける。

「……、」

赤毛の子供を抱えた彼は、リーバーを見て、いつものようにそっと微笑んだ。









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