燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









愛と欲望で出来た泥が
混ぜ損ねた絵の具のように
鼻腔を舐め上げ
鼓膜に貼りついて
記憶の中の貴女を塗り潰す



Night.112 灯火は夜闇に喰われて









金色の尻尾が、目の前でふよふよと揺れる。
先行して偵察を済ませたティムキャンピーの案内に従って、アレン達は密やかに街を駆けていく。
上空を見上げ、リーバーが囁いた。

「出来れば、このまままっすぐ結界に沿って行きたいんだが、」

その声に、ティムキャンピーは体を左右に揺する。

「ダメかぁ」
「ですね……」
「遠回りでも安全な道の方が良いかと」

リンクが生真面目な声で返す。
エゴールもそれに頷いた。

「ええ。修道院への道は、あちこちにあります。あまり焦らず、確実に行きましょう」

四人は、空の線が集まる修道院へと戻ることに決め、宿屋を出発した。
なるべく早く二人と合流し、且つ複数あるとみられる結界の装置を解除しなければならない。
アレンは一刻も早く兄弟子の元に駆けつけて彼の安全を確保し、安心したい。
ハウゼン医師に預けられた患者の殆どが生きてあの病室を出たことがないというのなら、尚更だ。
そう思う反面、その気持ちだけで動いたならば、当の兄弟子に窘められるだろうことも分かっていた。

「(任務が最優先だ)」

話は、それからだ。
教団の一行を脅かした町の若者達は、まだアレン達を探しているらしい。
見つかって吊るしあげられるのは御免だし、時間が惜しい。
宿屋の主人やティムキャンピーの力を借りながら、なんとか前に進むしかない。
と、気をつけて進んでいたはずなのに。
道を曲がった瞬間に人影とぶつかりそうになって、アレンは慌てて飛び上がった。

「うわっ」
「おおっ」

相手の体が傾いだので、咄嗟に手を伸ばして転倒を防ぐ。
それからようやく、相手の姿を確認した。
若い人じゃなくてよかった! と、思わず安堵の溜息をつく。
自分の背後からも三人分の吐息が聞こえた。

「すみませんっ、お怪我は……あれ?」
「こ、こちらこそ申し訳ない……おや、貴方達は……修道院にいらした……?」

怪我の有無を尋ねながら、アレンは相手の男性にどこか見覚えがあることに気付いた。
相手も、アレン達を見て目を瞬かせている。
男性も数人で連れ立って歩いていたようで、同行者達も同じように声を上げていた。
ようやく思い出す。
この男性は、昼の葬列の中心で泣き崩れた女性を支えていた人物だ。

「この度は、お悔やみ申し上げます」

エゴールが静かな声で言った。
男性はああ、と曖昧に微笑んだ。

「お気遣いありがとうございます」
「お嬢様はご一緒では無いのですね」
「ええ。娘はまだ墓の前に……私はね、この町に暮らす者としての覚悟は、ありましたから」

アレンはリーバーと目を見交わせる。
それを見て、同行者の一人が苦々しく顔を歪めた。

「俺も、彼と同じさ。妻を吸血鬼にやられた。……あんた達の町は、きっとそんな覚悟も要らんのだろう」
「私は息子をだ。……祈っても願っても、この町は吸血鬼から逃れられない」
「一体、何故こんなことに……」

同行者達がああだこうだと嘆きの声を上げる。
男性がリーバーを目にとめた。

「先程の彼は、今どちらに? あれでしっかり泣いたからか、娘は随分落ち着いて葬儀に臨めたのです」
「あっ、ああ……アイツはまだハウゼン先生のところで休ませてもらってまして」

同行者達が、ピタリと話をやめた。
目配せをして、アレン達からは目を逸らす。
男性も一度唾を飲んでから、頷いた。

「……そうでしたか。それなら向こうを出る前にお礼に伺えばよかったな」
「失礼、こんな折に申し訳ありませんが、」

リンクが、一向をじろりと見回す。

「別の方からも、ドクター・ハウゼンに関する悪い噂を聞きました。詳しくお聞かせ願えますか」
「いや、……こんな所で話しているより、さっさとあそこから連れ出した方がいいぞ」

一人が言うと、そうだそうだ、と声が上がる。
男性が同行者達を宥めるように手を振った。

「ハウゼン、というかね。あの医務室は呪われているんですよ。この町と同じように」
「いつ頃からでしょうか」

エゴールがメモを構えた。

「ハウゼンがあそこの医師になった頃です。工事業者が一夜にして失踪する事件がありましてね」
「工事?」
「ええ。修道院の改修工事ということでした。あの医務室で寝泊まりしていたそうなのですが」
「たった一晩で、十四人が消えたって話さ」

吸血鬼に息子を殺されたという男性が口を挟む。

「その話自体は眉唾だがね。なにせ、修道院はどこも改修された様子はないし」
「そもそも、修道士の誰も、何を工事してるか知らなかったじゃないか」
「禁域だったのかもな。ほら、泉を塞いだとか……二人が立て続けに死んだわけだし」
「ああ、それはある……神父様もあの事件は人が変わったみたいに憔悴しきっていたものな」
「フランカはまだ死んだと決まったわけじゃないだろう」
「馬鹿言え、もう三十年だぞ」
「三十年前の時も、失踪事件の時も、その時の修道士はもう誰もいないし、真相は分からないけどな」
「入れ替わりが激しいもんなぁ。しょっちゅう若いのが来ては、気付くと変わってる」
「修行の場として認められてるんじゃないのか。きっと評判が高いんだろう」

エゴールのメモをとる手が止まらない。
それに気が付いてのことか、男性がきまり悪そうに咳払いをした。

「とにかく、それ以降ですよ。あの医務室に入った人間が、たびたび姿を消すようになったのは」
「そうでしたか。貴重なお話、ありがとうございます」

礼を述べてペンを仕舞うエゴールの隣で、リンクが目を細めた。

「しかし、警察がブラム氏を取り調べたことなどなかったのですか?」
「確かに……こうして話を聞いているといかにも怪しく思えますが……」

首を捻ったリーバーに、男性が答える。

「それはもちろん、何度も連行されては、無罪で釈放されています」
「なにせ証拠も何も無いもんだから」
「それに、二年前だったか」

同じく妻を亡くしたという男性が声を潜めた。

「ハウゼンも、吸血鬼に妻を殺されたからな」

アレンは息を飲む。

「そう、だったんですか」
「ああ。あいつに遺されたのは、愛娘ひとりきりだ。親父の方は生きてるが、これが不仲でな」
「あの娘も変わってるよな。たまに何も無いところで一人で喋ってて……」
「まあ、つまりな。俺達だって表立っては何も言えなくなったってことよ」
「だからといって、あの医務室が呪われてることに変わりはないんだが」

あの医者を、悪く思いたくないという気持ちがある。
アレンにとってハウゼンは「兄さんを救ってくれた人」だ。
だから、顰め面で必死に考えを巡らせた。
彼が悪者ではないと、決定づけられる証拠は無いものか。
エゴールのメモを覗き込み、リーバーがふと尋ねた。

「三十年前にいた修道士は、もう神父様しか残っていないのですね」

男性が頷く。

「ええ。修行の場として名高いというのは我々も誇らしいといいますか」
「神父様も若い頃は少しやんちゃだったが……姉妹の事件からは本当に模範的な聖職者になったものだよ」

マルテン神父とやんちゃという言葉が結びつかなくて、アレンは首を傾げた。

「あの神父様が、ですか?」

男性達は皆心当たりがあるようで、互いに頷きあっている。

「彼が若い頃に一度だけな。どうも、フランカのことを……そうだな、『贔屓』しているようだ、と」
「贔屓というと……」

リーバーが気まずい顔で言葉を濁すと、男性が何度か頷いた。
リンクが微かに顔を顰める。

「フランカさんはまだ少女だったのでは?」
「ええ、まあ。フランカは確か十二歳でした」
「そう見えるくらいには、あの二人が親密だったってことさ」

横から口を挟まれて、男性は溜息を漏らす。

「神父様もまだ貫禄もなく、余所者への風当たりが強かったのもありまして」
「まあ、今のリーセロットにかける情熱を思うと、ただの噂だと思うがね」
「だが、事件の少し前はやはり度が過ぎていたよ。フランカはしょっちゅう修道院に通っていて」
「そういやうちの娘は、リーセロットがフランカに怒ってるところを見たことがあるとよ」
「ああ、あんたの所は、あの子らと同い年か」
「そうそう。えらい剣幕で、口も挟めなかったって言ってたっけな」
「リーセロットは少しキツいところもあったからな……」

男性達がじわじわ歩き始める。
遺族の男性が、アレン達に会釈した。

「私たちは、そろそろ……彼に宜しくお伝えください」
「こちらこそ、貴重な情報をありがとうございました」

――無事にこの町を出られますように。
そう言い残して、彼らは去っていく。
残されたアレン達は細い路地に身を隠し、向かい合った。
建物の壁に背を預け、リーバーが天を仰ぐ。

「どーうなってんだ、この町は」
「探索部隊の調査方法も再検討しなければなりませんね……申し訳ありません」

エゴールがメモを握り締め、深々と頭を下げた。
アレンは慌てて手を振る。

「そんな、謝られるようなことじゃ……」
「それより。あの二人、どちらも曰く付きだということですね」

顰め面のリンクが、腕組みをした。
リーバーが壁から背を離す。

「人が消える医務室の方が、どう考えても怪しいけどな」
「でも僕、……ハウゼン先生を疑う気にはなれなくて」
「好き嫌いで決めるようなものでもありませんよ、ウォーカー」

分かってるよ……、口の中で呻くように答えた。
エゴールが小さく笑う。
彼が笑ったところを、久々に目にしたように思うが、エゴールはすぐに咳払いをして表情を引き締めた。

「しかし、当時からの修道士が神父様以外にいらっしゃらないというのも引っかかります」

リーバーが頷く。

「そうだな。人の入れ替わりが激しいってのは……かなり気になる」

アレンはティムキャンピーの尻尾を暫し見つめた。
黄色。
金色。
黄金色。
本当は、非戦闘員のリーバーは、自分かの側に置いておきたい。
けれど。

「……二手に、分かれていいですか?」

意を決してそう問いかけると、当のリーバーが真っ先に笑って頷いてくれた。









「流石に任務に出てるんだから、オレだって危険は覚悟の上なんだけどな」

二手に分かれたい。
アレンとリンクが屋根伝いに移動し、結界の各頂点を破壊する。
そしてリーバーとエゴールが、修道院の二人へ情報を伝えに行く。
そのアレンの提案を受け、リーバーは「オレ達には結界装置があるから大丈夫だ」と答えた。
その時のアレンの不安そうな顔がちらつく。
結界装置が高位アクマに無力なことは、教団が襲撃された時に既に分かっていた。
それでもお守り程度の役目を求め、そして唯一の防御手段として、探索部隊は未だにそれを持ち歩いている。

「分かっていながら貴方を危険に晒せないのが、彼の美点であり、甘い部分でしょう」

こそこそと、しかし急いで路地を駆け抜けながら、肩越しにエゴールがそう言った。
リーバーは小さく笑う。

「何ですか」
「いやいや」

エゴールの中で、アレンへの疑いが完全に晴れた訳では無い。
けれどきっとアレンを好きでいたいのだろうと思うと、つい微笑んでしまう。
生真面目な顔で前を向いたエゴールが、足を止めて大通りの様子を確認する。

「あの若者達……観光客も、修道院の方へ向かっていますね」

リーバーは彼の後ろから同じように大通りを覗き込んだ。
修道院がいやに混雑している。
入口を警備する修道士もおらず、門のあたりからでも聖堂の喧騒ぶりが十分に窺えた。

「此処に集まって、どうする気なんだ?」
「聖堂の様子を見てから、医務室の方へ向かいましょうか」
「そうしよう」

二人は足早に門を潜り、大聖堂へ駆け寄った。









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