燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









怖いのでしょう
今にも遠ざかりたいのでしょう
それでも決して
茨の棘はあなたを逃がさない
肌を食い破り血肉を啜って
あなたがあなたで無くなったとしても




Night.110 誰も知らない









あの二人を知らぬ者は、この町にはいなかった。
金髪の少女がフランカ。
銀髪の少女がリーセロット。
とびきり美しい二人の少女は、町の新聞の一面すら飾る有名人だ。
その、銀髪の少女が修道院の禁域から遺体で発見されたときも、やはりその記事が新聞の一面を飾った。
まるで眠っているかのような、美しい遺体の写真を添えられて――。

「リーセロットを知りませんか!? どこかへ出かけたまま、帰ってこないの!」

二人の母親ポーラが、その夜必死の形相で町を駆け回っていたことを誰もが知っていた。
彼女に扉を叩かれた家々の住人たちは、話を聞くなりすぐさま捜索に加わったからだ。
夜も更けた頃、一人の少年がパジャマ姿でそろそろと広場にやって来た。

「ブラム! 家にいなさいと言っただろう!」

少年の父親は、懸命に捜索をしていた一人だ。
カスペル・ファン・ハウゼン、次期町長選に出馬している男の動向には、自然と人の目が集まる。
少年は肩を竦めて、小さくごめんなさい、と呟いた。

「ねえお父さん、リーセロットを探してるの?」
「ああ、そうだよ」
「ぼく、彼女に会ったよ」

今度は皆の視線がブラム少年に移った。
いつもは綺麗に整えている髪を振り乱して、ポーラが少年に詰め寄る。

「どこで!? あの子はどこに行ったの!?」
「え、えっとね、……修道院」

ざわり、とどよめきが起こる。
視線は、騒ぎを聞いて捜索に協力していた三人の修道士に向けられた。
修道士たちも困惑の表情だ。

「大切なものを返してもらうの、って、言ってた」
「おい、どうなっているんだ!」

ハウゼンが修道士達を振り返り、声をあげた。
若い三人の修道士は顔を見合わせて首を振る。

「わ、私は見ていない……いや、誰かが見ていたんだったら、ポーラさんが来た時に言っていますよ!」
「神父様も何もおっしゃらなかったし……」
「その子……ブラムの思い違いでは?」

うそじゃないよ、本当だよ!
そう叫んだ少年が、適当なことを言うなと叱り飛ばされる。
それを見向きもせずに、ポーラが転びながら修道院へ走っていく。
その後を三人の修道士が追い、また、住人達が追いかけた。
修道院の前でランプを片手に立っていたのは、十三年前にこの町にやって来たまだ若手の神父だ。
暗がりの中でも分かるほど、顔色が悪い。
ポーラが駆け寄るのを、彼は一歩引いて出迎えた。

「ポ、ポーラ……! リーセロットは、」
「此処に!」

ポーラがマルテン神父に飛びついた。

「此処に来たって、聞いたわ! ロッテは、リーセロットはどこ!?」
「此処……? まさか、そんなはずは」
「大切なものを返してもらうって、どういうこと、あの子から何を取り上げたの!?」
「誤解です、ポーラ! し、しかし、此処にいるというのなら……ええ、ええ、探すべきでしょう」

ブラム少年が正しかったと皆が知ったのは、それから二時間ほど経過した頃だった。
修道院の敷地内をあらかた捜索し終えて、ふとマルテン神父が呟いた。

「……禁域の泉」

彼はそう言い残すと、姿を消し――戻ってきた時には、ずぶ濡れのリーセロットの死体をその腕に抱いていたのだった。
母親の悲鳴が夜闇に尾を引く。
姉が呆然としてふらりと崩れ落ちる。
その瞬間を、記者のカメラは捕らえていた。









二十九番通りの宿屋は開店休業状態で、主人の妻と二人の茶飲み仲間がいた。
彼らは主人から事情を聞くなり、アレン達をあっさり匿ってくれた。
テーブルに広げられた新聞記事を囲みながら、アレンは振る舞われたアイスティーを一息に飲み干す。
新聞記事には、大きな写真が使われていた。
三十年前のものとしては大変珍しく、飲み物もそっちのけにしてリーバーが興味津々で見入っている。
アレンの腹はぐぅきゅるるるるるる、と泣き喚いたが、一発パンチを入れて誤魔化した。
慣れない土地での逃走劇は単純に疲れたし、の仮病騒動もあって昼食を食べていない。

「あらま、いい音。そうだ、残り物でよければ食べてちょうだいな」

髪をひっつめた痩せ形の夫人が、厳格そうな見た目とはまるきり違う朗らかな笑顔で煮物とパンを出してくれた。

「い、いえっ、そんな、お気遣いなくっ……!」
「頂いておけよ、アレン」

リーバーが苦笑いで背中を押す。
そういえば、リンクにもそんなことを言われた。
しかしそれはが戦える状態ではないことが前提で、彼が戦闘可能であるなら当てはまらない話だ。

「(でも、……でも、アレは嘘だったかもしれないし……いや、でもぉぉぉ……)」

唸っている間に、器を手渡されてしまった。
美味しそうな煮物だ。

「……いただきます……」
「はい、どうぞ」

一人立っているエゴールが、宿の夫婦に向けて頭を下げる。

「匿っていただき、ありがとうございます」
「いい、いい。そうか、しかし、あんたらが。あの『黒の教団』てやつか」
「思ったより黒くはないんだな、あーっはっはっ」

主人の言葉を受けて笑ったのは、茶飲み友達のハンチング帽の男性だった。
もう一人は首にスカーフを巻いた女性で、こちらも可笑しそうに肩を揺らし、ビール瓶をぐいと呷った。
アレンは師のお蔭で、昼間でもこれくらいの酒の香りは慣れっこである。

「あたし達はねぇ、神父様から口を酸っぱくして言われてんのさ。教団からリーセロットを守れ、とねぇ」
「……その割には、随分と我々に好意的でいらっしゃる」
「そりゃまあ、ねぇ? あたし達はもう若くないからねぇ」

疑わしげなリンクに、老婆は肩を竦めてみせた。
夫人が同調するように頷く。

「若い人らにとっては、あの方はほら、リーセロットを守る守護聖人みたいなもんなのよ」
「毎週ミサで顔を合わせて、あれだけリーセロット、リーセロットと聞かされて育てば、まあな、ああもなるだろう」

主人が溜め息混じりに言った。

「若いもんは、子供の頃からだからな。ははっ、まるで神父様が教祖みたいに思えてもくるもんだが」
「あたし達はどっちかっていうと、あの事件はポーラの立場で見ちゃうからねぇ」
「お宅ら、リーセロットのことを調べてるって言うが、ポーラのことは知らないかな? ほら、写真の……この人さ」

老爺が指し示した古新聞の写真には、目を見開いて口を開けている女性の姿があった。
悲痛な表情ではあるが、訊ねれば誰もが美人だと答えるような顔立ちだ。
それが教会で見たポーラと同一人物だとは、アレンにはなかなか信じられなかった。

「おれは昔、カメラマンをしていてな。その写真はおれがとったものだ。よく撮れてるだろう?」
「うちの人の写真を新聞に使おうだなんて。この姉妹をありのまま写したいからなんて、新聞社が言い出してね」
「印刷代が凄いことになるってのにな。それでも絵よりよく売れるってんで、依頼されたのさ」

主人が、眉を下げる。

「こっちの俯いてる女の子が、姉のフランカだ。よく撮れ過ぎて、今思えばポーラには悪いことをしたよ……」
「あれからなぁ……ポーラもおかしくなっちまったものな」
「無理もないよ、一人で大事に大事に育てていた自慢の娘さん達だったもの」
「この姉妹の写真は他にもお持ちですか?」

エゴールが訊ねた。
主人はああ、と頷いて席を立つ。

「あるよ。ちょっと待ってな」
「女の子を抱えてるこの人は……もしかして、マルテン神父か?」

記事を指差したのはリーバーだ。
アレンもリンクも、両側から覗き込む。
こうして見ると、マルテンの立ち姿は若い頃から全く変わらない。
ピンと背筋を伸ばした、凛とした姿。
今は顔に深い皺を刻んでいるものの、全体的に歳の割に若々しく見えるのはこの姿勢が理由なのだろう。

「(姿勢が、似てるんだよなぁ)」

アレンは脳裏に兄弟子の姿を浮かべる。
この町の、特に若者達から熱狂的に支持されているというマルテン神父。
黒の教団で神と仰がれる
二人は年齢こそ異なるが、他者が抱く理想を体現するような凛とした立ち姿は、よく似ている。

「……おや、こちらは、」
「ふぁい?」

覗き込むと、リンクが小さな写真を指差していた。

「ドクター・ハウゼンでしょうか?」

アレンははっと息を飲んだ。
三十年前の新聞に、今と全く同じ姿で写っているのは紛れもなく、ドクター・ハウゼンだった。

「まさか」

リーバーも、エゴールも横から身を乗り出して険しい顔をした。
この町に三十年潜み続けた「吸血鬼」の正体は、もしかして――?

「ああ、それはあれだ、カスペルだろう」

聞き覚えのない名前に首を傾げると、老爺も同じように首を捻る。

「お宅ら、ブラムのことは知ってるのか」
「ええと……修道院のドクターですよね?」
「今、我々の仲間があそこで休ませてもらっていて、それで……そのカスペルというのは?」

リーバーが老爺に尋ねると、彼は納得したように数回頷いた。

「ブラムの父親さ。この町の町長でな。こうして見てみると似てるもんだな、あの二人」
「はんっ。親子揃ってまあ、碌な人間じゃないからねぇ。あの町長ときたら、滅多に町にいやしないのよ」
「そ、そうなんですか?」

老婆が憎々しげに吐き捨てる。
面食らって、アレンは思わず聞き返した。
町長の方は知らないが、ブラム医師はそう悪人には見えなかった。
宿の夫人が眉を顰める。

「そんなことより、待って待って、仲間が修道院の医務室にいるって?」
「ええ、……ちょっと体調を崩しまして」
「気の毒に。早く迎えに行ってあげた方がいいよ」
「そうだよぅ、あんた達。あの医務室から生きて出てきた人なんか、ほんの数えるほどもいないんだから」

え、と漏れた声は、リーバーと同じだった。
二人はさっと顔を見合わせる。

「そうは言ってもな、ほら、この人らは若い連中から逃げてきてるんだから」
「ああ、そうやすやす戻れる訳じゃあないか……仕方ない、その仲間のことは諦めるしかないねぇ……」
「ちょっ、ちょっと待ってください!? 何ですか、その物騒な噂!」

聞けば、三人は何を当たり前のことを、と言わんばかりに目を瞬かせた。
夫人が肩を竦める。

「この町では常識よ。あの医務室から生きた人間が出てきたことなんて、数えるほどしか無いってね」
「だからあそこに行く人なんて、旅人か、余程の貧乏人くらいなんだよ」
「あたし達はねぇ、具合が悪けりゃクラーセン先生の方に行くものねぇ」
「あったあった、アルバムを見つけたぞ。ほら……」

戻ってきた主人が、絶句しているアレン達の前にアルバムを開いて置いた。
自然と視線を落とすと、つんと澄ました表情の少女――リーセロットの写真と目が合って、ついギクリとする。

「お宅ら、まあそう悲観すんな。今外を見てきてやるから。そしたら、急いで仲間を連れ出してやるんだな」
「うん? どうした、もう出るのか?」
「連れの人が、ブラムの医務室にいるんだって言うもんだからねぇ」
「はあっ? そういうことは早く言えって……!」

主人と老爺が連れ立って宿の外に出る。
四人が匿われたタイミングで引かれたカーテンを、リーバーがそろりと開けた。

「リーバー班長、外から見られたら危険ですよ」
「ああ……いや、な。エゴールもちょっと見てくれ。さっき逃げながら見つけたんだが……」

アレンはアルバムのページをめくりながら、イヤリング型の無線を弄った。
がこのタイプの方が使いやすいというので、今回は全員同じものをつけている。
けれど、結界の影響か、相手に繋がる様子はなかった。

「パリの時は、通じたのにな……」

リンクがアルバムを覗き込む。

「無線ですか? 私も一応先程から触ってみてはいるんですが」
「うん……つかないよね? 修道院を出る前に確認しとけばよかったなぁ」

すぐにでも修道院に戻りたいが、外でまた襲われるようなことがあれば厄介だ。

「(兄さんなら、何かあってもヘルメスさんと自分くらい守れるはず)」

今は、あれが本当に仮病であったと信じる他ない。
主人らが確認してくれている間に、集められるだけの情報は集めておくべきだ。

「そういえば、彼女達の父親は、写っていませんね」

言われてみれば、どの写真もフランカとリーセロットしか写っていない。
いるとすればポーラが加わっているくらいのものだ。
夫人が此方に視線を寄越した。

「あの子達に父親はいなかったよ」

顔を上げる。
老婆も深く何度も頷いた。

「ポーラはずっと独身でねぇ。姉妹の顔立ちは似ているし、好い人はいたんだろうけどねぇ」
「そうなんですか。……あっ、あの、煮物美味しかったです、ごちそうさまでした」
「それはよかった。得意料理なんだけど、うちの人はあんまり好きじゃないのよ」

あっけらかんと夫人は笑う。
その笑顔にほっと力が抜けるような、或いはエネルギーが湧き出るような不思議な気持ちがして。
アレンは、にっこりと笑い返した。

「アレン、監査官! お前らも見てくれ」

窓の方から、リーバーとエゴールが二人を手招く。
何をしてんのさ、と女性二人も窓へ歩み寄った。
空を見上げて、老婆が素頓狂な声をあげた。

「何だい、あれは!」

アレンも急いで空を見る。
夕焼け空に、一本の線が走っている。
よくよく目を凝らせば、それは線ではなく、空の折れ目のようだった。

「あの線は、この町に元からあるものではありませんよね?」

エゴールの固い声に、女性達が頷く。

「そりゃ、そんな意識して空なんか見ちゃいないけど……でもあんなのは初めて見たよ」
「ここに来る途中で気付いたんだ。空が折れてる。結界の境目なんじゃねぇかな?」
「では、あの線のようなものを辿れば、結界の出処が掴めるというわけですか」
「ああ。あれが結界の継ぎ目なんだとしたら、その先にあの虫みたいな機械がくっついてる筈だ」

今、町のここにいるから……と、リーバーが地図を広げた。
エゴールの懐から取り出したものだが、アレンにはどこがどこだかさっぱりだ。
此処が二十九番通りだということだけは確かである。
リーバーは走ってきた道に色を乗せ、さらにそこから定規もなしに綺麗な一本線を引いた。

「今見えてるのは、この方角だな」
「ええ。走っている間に見えたというのは……」
「鍋の看板と、……39って書かれた看板があった筈なんだが、あー、地図じゃ分からないな」
「数字の看板は、通りの名称だわ」

夫人が横から口を挟んだ。

「ここは北だから二十番台。三十番台は、西地区よ」
「鍋といえば、フィンクさんの店だねぇ」

此処だよ、と老婆が地図を指差して言った。
示された場所に印をつけて、リーバーがもう一本の直線を引く。
二本の線は、修道院の上でぴたりと重なった。









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