燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
とびきりの美しさを
天使のようなこころを
あふれるほどの才能を
眼差しは堅牢な檻
罪状に祝福をしたためて
砕いた無垢の欠片を
ざらついた欲が舐めるのだ
Night.102 無理もないと、言って
走り抜ける少年達と、それを追いかける母親。
ベンチで語らうカップル。
大きな箱を抱えた父親と、飛び跳ねながら先を行く娘。
大きな窓のケーキ屋からは、杖をついた老夫婦がのんびり出てくる。
アレンはつい、駆け寄った。
「よかったら、下まで持ちましょうか?」
入り口の階段を降りるときに、箱の中のケーキが崩れてしまってはあまりに忍びない。
婦人はアレンの頬の傷に一瞬目を留めたが、すぐににこりと微笑んだ。
「どうもありがとう」
婦人をエスコートし見送ってから、少し離れたところにいた達に合流する。
ティムキャンピーは、兄弟子の頭に乗って大人しくしていた。
「お待たせしました」
「ああ」
頭をくしゃりと撫でられる。
ああもう、兄さんてばまた僕を子供扱いして……なんて思うのは形だけ。
ぽっと頬が熱くなる。
目指す場所は、町の中心にある修道院だ。
否、そもそもは逆なのだ。
この町は、修道院を中心にして形成されたという。
「なんか、……人が多いな」
「観光客ですかね?」
「聖堂は解放されてるんだろ。住民も観光客も、例の死体を見に来てるんじゃないか?」
リーバーの言葉に、二人は頷いた。
修道院は、町のどこからでも見える。
低い塀と柵に囲まれた真四角の敷地は町中といえどかなり広大で、それも町の成り立ちからくるものだろう。
警備役の修道士の間を通り、幅広の階段を数段上って門を潜る。
前庭のように左右に設けられた薬草園の奥、正面に建つ背の高い大きな建物が聖堂だ。
天井の一番高いところは、少なくとも五階分以上の高さがある。
敷地内は左右対称の作りで、聖堂の右にある小さな建物は孤児院、左は学校だと資料にはあった。
「ドクターは、修道院で学んだって言ってましたよね。あの建物かな……」
「ああ。……そっか、そうだな。ドクター、此処にいたことがあるんだ」
誰かの故郷にいるというのもなかなか珍しい経験で、アレンはと顔を見合わせて笑う。
「こうして見ると、普通の修道院ですが。ローズクロスひとつで本当に追い返されるものでしょうか」
「警戒されてる風はないな。あの二人が本部に戻ってから少し間が空いたのが良かったのかもしれない」
「なるほど。冷却期間ですか」
「そうそう……」
リンクとリーバーはそう言いながら一足先に行ってしまった。
彼らとは異なり、聖堂に入らず小振りの花束を提げて左右に進む人々は、奥の墓地に用があるのかもしれない。
中に入れないながらも、あらゆる角度からこの敷地を調査した探索部隊達。
その資料によれば、学校と孤児院の奥には聖堂から繋がる回廊がそれぞれに設えられているという。
建物はすべてその回廊で繋がれて、敷地の外枠に沿うように修道士の宿舎や工房が。
左右の回廊の中央、聖堂の真裏には墓地があり、奥を塞ぐ形で神父の館があるとのこと。
その館の裏側が曰くの禁域で、木々に囲まれた菜園が広がっている、らしい。
「……行ってみますか? お墓」
花束を持った人達の背中をぼう、と眺めるに、アレンはそっと声をかけた。
思えば兄弟子は修行時代から、墓地に差し掛かると決まって足を止める癖があった。
そこが何処の、誰の墓であってもだ。
彼の漆黒が、アレンを見た。
空白のような一瞬、が微笑む。
「いや。それより今は、中に行かないと」
アレンはどこか安堵して、その理由もわからぬままに頷いた。
「そうですね」
「おーい、二人とも!」
リーバーとリンクは既に聖堂の入口にいる。
二人は小走りで彼らに並んだ。
どっしりとした木の扉を開けると、ざわめきが聞こえてくる。
部外者のいない教団とは異なり、大聖堂は信者や観光客で入り乱れていた。
細やかな宗教画に彩られた高い天井が音を跳ね返して増幅させ、人混みを何倍にも感じさせる。
幾つもの小振りなステンドグラスが十字架を囲み、壁を鮮やかに染める。
そして人々の視線と関心があからさまに、いっそ浅ましいほど露骨に向けられる、祭壇の中央。
硝子の棺が此方に向けて斜めに固定されていた。
隣に並んだリーバーが息を飲むのと同じタイミングで、アレンもごくりと唾を飲み込んだ。
此処からでも見える、絵本で見る姫君のように腹の辺りで指を組まされて横たわる豊かな白金の髪の少女。
降り注ぐ光が万華鏡のように、彼女に色味を足している。
整然と並ぶ椅子の中央には通路が設けられていて、彼女の許へ向かう為の列ができていた。
「――あれか」
思考を割る、声。
音が、目で見えるように。
別段大きいわけでもない靴音が、空間に際立つ。
誰もがそのとき、金色を視界に収めた。
一息分の沈黙はそうしているうちに過ぎ去り、聖堂はまたざわめきと世俗の関心を取り戻す。
が寄越した視線を受けて、アレンは棺に目を向けた。
通路にばらばらと並ぶ参拝者の最後尾に立つ。
一歩。
向かいから来た人は興奮したように語り合っている。
一歩。
向かいから来た人は沈痛な面持ちで俯いている。
一歩。
アレンは慌ててに体を寄せた。
アレンの足元を、師に似た赤毛の幼子がててて、と走り去っていく。
背後からリーバーが声を潜めて言った。
「どうだ? アレン」
アレンは目を凝らして、まだ随分と遠い棺を見つめる。
どれだけ目に力を込めても、残念ながら何も分からない。
もしも少女の死体がアクマであるなら、聖堂の入り口を潜った瞬間に感知した筈なのだ。
となると「あの死体はアクマではない」という可能性が限りなく高まったことになる。
否、或いは既に結界が張られているのか。
その違いはアレンには分からない。
役に立てない申し訳なさが声に染み出る。
「分からない、です」
窺うようにをちらと見ると、彼も首を振った。
「俺も、敵意は感じない」
「そっか……」
リンクとリーバーが、なぞるように壁や天井に目をやり始めた。
結界の可能性を否定できない以上、修道院、或いは町中に結界がないか確かめなければ。
その間に、見逃したアクマがまた誰かを殺しでもしたら。
ぐるんぐるんと渦巻く思考のまま、流されるように歩を進める。
終わらない懊悩を止めたのは、ざらりとした小さな声だった。
「私の娘を、知っている?」
その声は、の向こうから聞こえた。
一番前の椅子に腰掛けていた老婆が不意に立ち上がり、の袖を引く。
「ねえ、あなた」
痩せた老婆だった。
皮膚が下がって目が落ち窪み、銀髪は手入れもされず、骨と皮ばかりの指先が、兄弟子の袖を引く。
シミだらけの服に、アレンの位置からでも分かるすえた臭気。
遺体への参拝を終えた人達が彼女から距離をとって歩いていく。
ふよふよ飛んでいたティムキャンピーがつい、とアレンの側に戻ってきた。
が、彼女に視線を合わせるよう身を屈める。
微笑はどこまでも慈しみに満ちて、それでいてあまりに自然な優しさで出来ていた。
「私の娘を、知っているでしょう?」
老婆は言い募る。
「あなたによく似た子なの、私の可愛い娘を、あなた、知っているわよね」
ガラガラと震える声は、けれど零れる砂のような小さな欠片しか持たなくて。
この聖堂においてさえ全く響かない。
彼女の中だけで鳴るような声だ。
「知っているわよね、こんなによく似た金色だもの、私の娘、いなくなっちゃったのよ、ねえ、あなた、」
向こうから、一人の修道士が困ったように歩いてくる。
神父が到着する前に、の手が老婆の手を包んだ。
「いいえ」
彼は微笑みを湛えたまま、そっと囁くように言う。
「とても可愛いの、ちょっとおしゃまで、年よりずっと大人びた顔をして。誰よりも可愛いの」
老婆は聞いていない。
目も、を見てはいないのだ。
けれど彼は、仕草とは裏腹に強引に空気を動かして、目を合わせて微笑んだ。
「……いいえ」
老婆がぽかりと口を開けて、彼を見上げた。
「知らないの……?」
が頷く。
「そう、……知らないの……」
困り顔の若い修道士が、彼女の肩に手を添えて元の座席に促した。
「ポーラ。ポーラ、さあ、こっちに座りましょう」
「……私の娘、……どこにいったのかしら……」
「ええ、ええ。大丈夫、きっと帰ってきますよ」
「……いなくなっちゃったのよ……」
老婆は一切の興味と意欲を失ったようで、また棺を見上げて口を噤んだ。
が修道士に目を向ける。
相手は軽く頭を下げて、アレン達に囁いた。
「ご迷惑をおかけしました。この町へは観光で?」
アレンは頷く。
「ええ、まあ」
「彼女は?」
がそっと横目で老婆を示すと、修道士はやはり困った顔で、微笑んだ。
「棺の少女の、母親ですよ。……三十年、毎日、朝から晩までずっとああして棺を眺めているのです」
彼は一礼して行ってしまった。
憐れみの篭った言葉は、胸をまっすぐに打つ。
目の前に、ずっと娘の遺体があるにはあるのだ。
探している娘というのはきっと、見つかっていないもう一人の事なのだろう。
ここにいれば、戻ってくると思っているのかもしれない。
棺の少女のように、そのままの姿で。
「(もしも、棺の遺体がアクマだったら)」
アレン達はこの母親の唯一の支えを壊してしまうことになるのだ。
それは、あまりにも惨い想像だった。
「あの母親がアクマという可能性は?」
背後からリンクが囁く。
アレンはバッと振り返った。
そんなこと、と批難する前に彼は涼しい顔で言ってのける。
「君のその目は今、機能しているか分からないのですから。警戒して然るべきでしょう」
かっと米神が熱くなる。
が横からさらりと断じた。
「正しいね。でも、あの人は違うよ。今のところは」
リーバーが前のめりに言葉を強める。
「分かるのか?」
「敵意なんか、ひとつもなかった。俺にも、あの修道士相手にも。ずっとずっと、娘を探してるだけで」
ただ、とは顔を曇らせて呟いた。
「……この聖堂にいる皆を、嫌っていたけど」
アレンは兄弟子の横顔を見つめる。
「前、進んでますよ」
後ろの観光客に急かされて、四人はポーラから目を離して前に進んだ。
揃って棺の前に並ぶ。
改めて見る硝子の棺には、大きな南京錠が三つも掛けられている。
すぐ後ろの観光客が、息を飲んだ。
「……きれいだ……」
思わず呟いて、アレンは一歩だけ踏み出した。
さらり、美しい白金色の髪の少女。
ただ寝ているだけのような、潤いのある肌と唇。
組んだ指の爪先さえまだ仄かに桃色で、透き通るような目蓋には血管が透けていて。
血の通わない死体では、こうはいかない。
けれど少女は、厳重に鍵のかけられた棺に閉じ込められている。
生きていても、やはりこうはいかないだろう。
「……見事なものですね」
リンクが静かに声を発した。
リーバーが頷く。
いっそ作り物めいた少女の亡骸は、けれどどこまでも「見世物」で、信仰の対象としては朧気であった。
そう感じさせるのは、土台の弱さだ。
もし、禁域の泉が共に聖地として開放されていたなら、彼女はまた違った視線を向けられただろう。
「兄さん、……」
アレンは言いかけて、言葉を引っ込める。
呼び掛けた先で少女を見上げるの漆黒は、どこまでもどこまでも空っぽだった。
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181012