燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









あなたの未来を願っているの
あなたの幸せを、
あなたが今夜夢に包まれるとき
あなたがいつか旅立つとき
振り返る道が
優しい色で終わりますように



Night.101 陽だまりのモザイク









今の自分を、彼らはどう見るだろう。
武器も持たず戦場へ身を投じている、そう打ち明けたなら。
そんな馬鹿な、と笑うだろうか。
そんな馬鹿な、と怒るだろうか。
それとも、言うだろうか――お前はそうして死ぬべきだ、と。
そんな筈はない。
彼らが友である自分をそう罵るなんて、少しも想像できない。
けれど。
自分だけが、狂気の中で今でも一人生きている。

「兄さん、狭くないですか?」
「ん、大丈夫。寧ろそっちが狭そうだよな……俺たちは二人だし」
「そうですよね。……あ、ごめんティム。痛っ! わかった! わかった、キミが三人目ね!」

探索部隊の分際で室長に楯突いたことを、エゴールは今、ほんの少しだけ後悔している。
アレン・ウォーカーにイノセンス探索を任せるのは危険だ、などと。
よくそんな大それたことを口にできたものだ。
それでも、今でさえどうしても割り切れない自分がいるのは確かだった。

「(分かっているのに)」

少年時代、目の前で親友達がアクマに殺された。
たまたま居合わせたイェーガー元帥に保護され、自分だけが生き残った。
家出同然で入団した黒の教団。
就任した探索部隊という役職は殉職が殆どで、それを良いことに危険な任務ばかり引き受けた。
なのにどういうわけか、自分はまだ生き残っている。
自分を生かしたイェーガー元帥は、ノアに殺された。
本部襲撃の騒動では、自分の目の前の同僚までがレベル4に殺された。
また、自分は生き残った。
また、自分は生き残ってしまった。
自分で死ぬ勇気もない、意気地なし。
せめて生き残った者の責務として、ノアに、アクマに、千年伯爵に、必ず復讐を仇討ちを成そうと。
誓ったのに。

「(よりにもよって、ウォーカーが『ノアの手先』だなんて)」

アレン・ウォーカーを知らないわけではない。
彼は有名人だ。
食堂でいつもバイトをしている、明るくて物腰柔らかな少年エクソシスト。
リスのように頬をパンパンに膨らませ食事をしている姿など、愛嬌に溢れている。
数少ない同年代や科学班の面々とはしゃぐ笑顔も、喧嘩をする姿も微笑ましい。
エゴールは、アレンが好きだった。
けれど。
けれど。
けれど!
だからといって、エゴールは、割り切れない。
それがどんなに幼稚なことだと分かっていても。
どんなに意味のないことだと分かっていても、それでも。
「ノアの手先」ならば。
もう、彼を信じられない。

「そういえば、兄貴も任務なんだ。なんか違和感がある……」
「オレもだ。でも結界張られてたら、解除しないといけないからな。たまたま手も空いたところだったし」
「ふうん。……ん? え、何それ、結局休まないで来たってこと?」
「寝てくださいよ、リーバーさん……」
「あはは。大丈夫だ、徹夜は慣れてるから」
「任務は室内の仕事とは違うんだよ? もう……頼むから側を離れないで」
「分かった分かった」
「ほんとに分かってんの?」
「分かってるよ。お前たちの指示にはちゃんと従う」
「本当かなぁ……」

アレンへの不信感を具申した結果、室長が保険として宛がったのはなんと「教団の神様」だった。
後輩のヘルメスが血相を変えて伝えにきたほんの四時間ほど前、初めて、しでかしたことの重大さを思った。
本部襲撃以降あまり本調子ではないらしい彼を、引きずり出してしまったなんて。
それも「こんな不甲斐ない任務」に。
そう、不甲斐ない任務だ。
本来エクソシストを呼ぶ段階ですらないような。
その失礼さは「教団の神様」相手であろうと「ノアの手先」相手であろうと変わらない。
だから、エゴールは深く深く頭を下げた。

「この度は、エクソシスト様においで頂くような状況を招いたこと、まずは謝罪させてください」

エゴールの前の席に二人並んだ兄弟弟子が、驚きに漆黒と銀灰色の瞳を瞬かせる。
肘掛けにぐっと凭れたままで、此方に顔を向けたのが
背凭れから身を起こし、指先で遊んでいた金色のゴーレムを膝に押さえ込んだのはアレン。
左隣のリンクはレシピから目を上げず、右隣のリーバーは何かを言いたそうに落ち着きがない。

「ど、ど、どうしたんですか? いきなり」

アレンの声に、エゴールは体勢を変えず応える。

「こんな不確かな任務にご足労頂くなど、我々の失態以外の何物でもない。申し訳ありません」

力の抜けた声で、が呟いた。

「……何の謝罪?」
「あー、あれだろ……」

手元の資料を動かすような音。
身を起こすと、リーバーが頬を掻いていた。

「調査が不十分なんだよな?」

エゴールは頷いた。
そう、この任務は探索部隊が音を上げた案件なのだ。

「本来であれば、この町の奇怪は三十年前には調査が済んでいた筈でした」

資料の二枚目をご覧ください、と斜め前のへ手を差し伸べる。
とはいえ、資料を手にしているのはアレンだ。
アレンがページを捲り、にも見えるように体の向きを整えた。

「三十年前、この二つの奇怪の情報を手に入れた探索部隊が、現地へ向かい、失踪しました」

が片眉を上げる。

「連絡が途絶え、以後の消息は不明だと聞いております。逃亡したのか、という噂もありました」
「その人たち、いっそ逃亡でもしててくれたらいいですけど……」
「(嗚呼、なんて優しい子だろう)」

けれどエゴールは、目を上げない。
たとえアレンが、時折不安げにエゴールを見つめているとしても。

「そうだな。……生きてはいないだろうから」

アレンの注意が、隣の兄弟子へ向けられた。
輪郭のない声。
呟くように言って、が顔を上げる。

「それで?」
「……っ、はい」

慌てて姿勢を正す。

「それから何度も部隊は派遣されたのですが、警戒されたようで、調査を拒まれてしまいまして」
「警戒っていうのは、誰に? 住民かな」
「いいえ、修道院です」

アレンがハッと目を瞠った。

「それって、朽ちない死体のあるところ……」
「……ええ。町の修道院は、この三十年、ずっと我々の調査協力を拒んできました」

ぺら、リンクがレシピのページを捲る音がする。

「此方も無理強いは出来ず、例の『朽ちない死体』さえきちんと確認できていないのですが……」

リーバーが記載されたグラフに目をやった。

「ここ数ヵ月で、吸血鬼の方の事件が急に増えたんだな。初期の頃と同じくらいの頻度だ」
「はい。いよいよ放置できないと、探索部隊で意見が一致しました」
「それで、『エクソシスト』か」

頷いたが、そっと資料を遠ざけた。
不思議そうなアレンに苦笑して、彼はまた肘掛けに凭れる。

「ローズクロスで強引に入場と調査を許可させようって?」
「……お手数を、お掛け致します」
「手間ではないよ。なあ」
「ええ」

笑顔を受けて、アレンが頷いた。

「直に見られるなら、死体がアクマか、判別できるかもしれませんしね」
「ローズクロスでダメなら、ハワードの中央庁パワーとかも使えるんだろうし」
「はい?」

リンクがレシピ本から顔を上げる。

「適当なことを言わないように。何ですか、そのパワーというのは」
「うん? ……『中央庁パワー』?」
「言い直せ、と言ったわけではなく」

あははっ。
が軽い声で笑う。
それだけで、馬車の中の空気はふ、と浮き上がる。
重力を消し飛ばすような笑顔は御者を買って出たヘルメスにこそ見せてやりたかった。

「取り敢えず、修道院の朽ちない死体……それを見てみたいな。警戒されずに」

一頻り笑って、朗らかさを保ったまま彼が言う。

「死体がアクマなら、きっとそれが『吸血鬼』なんだろう。でも、そうじゃないなら……」
「泉の方に、何かあるんですかね?」

アレンが何となしに繋げた言葉に、エゴールとリーバーは居住まいを正した。

「無くはないな。いや、寧ろそっちが本命か?」

リーバーが顎に手を当てる。ふと、が呟いた。

「泉のことは、奇怪としては上がってなかったね」

エゴールは全ての情報を頭の中で一息にさらう。
修道院の禁域にあるという「神秘の泉」。

「そちらは単体の民間伝承という形で、死体との関連は薄れているようです」

これだ、とアレンが該当のページを捲った。
エゴールとヘルメスが調査した最新版のページだ。
彼は兄弟子に聞かせるように、読み上げる。

「『現在、住民達は死体と泉の関連を深く問題視してはいない……』」
「何故?」
「恐らく、泉そのものに近寄れないことが原因かと」

エゴールは漆黒の眼差しに答える。

「泉は修道院の禁域にあるのですが、監視が厳しく、住民といえど近付けないという話でした」

リーバーが資料から目を上げた。

「自分達は行くことができない……って、思い込んでんのか。だから行く発想にならない……」
「そのまま意識されなくなったのかもしれません。存在そのものを疑っている住民もいました。もっとも、」

エゴールは続ける。

「『大事なものを取り返せる神秘の泉』というのが、近年子供たちの間で言い交わされる伝説だそうです」
「死体の話とはずいぶんかけ離れてますね」

アレンの言葉に、渋々頷いた。

「……子供たちの言うことですから、当てになるかは分かりませんが」
「でも子供ってのは、大人の言葉から色んなものを拾い上げて話してたりするからなぁ」

取り持つように、リーバーが相好を崩す。
素直に、申し訳ないと思う。
いつも働き過ぎの科学班班長に、余計な気を遣わせた。
そんなつもりはなかったのに。
アレンがリーバーを見て、にこりと笑ったのが視界の端に映る。

「(どうして、彼なのだろう)」

つい俯いて奥歯を噛み締めた。
何故、彼なのだろう。
何故、アレン・ウォーカーなのだろう。
何故。
そうでさえなければ、もっと、心底憎み切れたはずなのに。
もっと嫌な奴だったら、憎むことに抵抗もなかったのに、どうして。

「うーん、そうだな……」

呟いたを見遣ると、はたと目が合った。
きょとん。瞬いた漆黒が、それからじっと、じいっとエゴールを見ている。
見られている。
ごくり、唾を飲む。
心の内さえ、きっと、全て見透かされている。
捕まった。
逃げられない。
吸い込まれる。

「取り敢えず、エゴールとヘルメスには、買い物を頼もうかな」

微笑みは熱湯のようで、けれど冷えて縮こまった心にはぞっとするほど痛かった。

「……畏まりました」









じゃあ、また後で。
そう言い残して、兄弟弟子と監査官、科学班班長は町の中へ入っていった。
馬車を停め、御者台から降りたヘルメスは、エゴールより頭二つ大きい。
この後輩は、とにかく背が高いのだ。

「オレたちは、顔を覚えられていますもんね……」
「ああ。様のお考えには、僕も納得した」

その手は、あった。
アレンのように、硝子の棺を開けずとも、ただ「見る」だけでアクマか否かを判断できるならば。
修道院の聖堂に信者のふりをして潜り込みさえすればいい。
団服をあっさり脱いで、真新しいジャケットを羽織った兄弟弟子。
平服のリンクとリーバーを連れて、町の中央へ向かっていく。

「考えてみれば、あの方ほどウォーカーの能力に詳しい人もいませんし……あっ、えっと……」

大きな体で、後輩が気まずそうにあたふたと手を動かしている。
気を遣わせて申し訳ないと、素直に思う。

「あの、……これで解決になれば、一番いいですよね」

ヘルメスの希望が叶えばいい。
しかし、リーバーが同行している以上、室長は例の結界とやらに注意しているのだろう。
アレンの目の力を阻害するという、伯爵側の結界を。
エゴールは、息をついた。
アクマか、奇跡か、イノセンスか。
重要な判定それ自体がノアの手先任せだというのは、やはりどうにも不安で、釈然としない。
軽く頭を振って、気持ちを切り替えた。

「行こう。どちらにせよ、まず今日の宿をとらないと」
「は、……はいっ! なるべく食事の美味しいところにしましょうね」
「そうだな」









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