燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









眼前に迫りくる、刀型の対アクマ武器。
まさに絶体絶命。
アレン・ウォーカーは、無我夢中で制止の声を上げた。

「待って、ホント待って! 僕はホントに敵じゃないですって! クロス師匠から紹介状が送られてるはずです!」

刀を構える青年が、アレンの眉間に剣先を当てて、ピタリと動きを止めた。
訝しげにアレンを見る。

「元帥から……? 紹介状……?」
「そう、紹介状……コムイって人宛てに……あっ! それに!」

――師よりも信頼できる名前を、僕は知っているじゃないか

剣先に震えながら、アレンは懸命に訴えた。

! 居ませんか?
僕の兄弟子なんですけど……何なら、彼に聞いてみて下さい。僕が敵か、仲間か」

目の前の青年が、驚いた顔をした。
よく見るとこの青年、尊敬する兄弟子と同じくらいの年頃だ。
それにしても

――師匠の馬鹿

何度目かの思いが、アレンの頭をよぎった。









忘れない、あの「一瞬」
世界を震わせる産声
共鳴する胸の痛み
弾ける笑顔
戦慄、爆音
砕け散る
叫んだ目の端
黒く鈍く光る塊
震える手が
引鉄を、引いた



Night.1 神様の背中









コムイ・リーと哀れな科学班員が、書類の山から手紙を捜している。
リナリー・リーは「これも違う、あれも違う」をBGMにして、リーバー・ウェンハムに近付いた。
正確には、その隣で休んでいる、もう一人の兄のもとへ。

「ごめんね、お兄ちゃん。起きて」

肩を叩かれた金髪の青年が、少し身じろぎする。
せっかくこの騒ぎの中でも目を覚まさなかったのに、起こしてしまうのは少し心苦しい。

「お兄ちゃん、起きて」

二度目の呼びかけに、青年はうっすらと目を開けた。
溢れだして止まらない、強烈な存在感。
その瞳の黒は限りなく深く、吸い込まれてしまいそうになる。
瞬きをして、彼は身を起こした。
軽く頭を叩きながら、リナリーへ顔を向ける。

「おー、どうした?」

おはよ、と笑ってから、リナリーは画面を指差した。
自然と青年の顔もそこへ向く。

「あのね、この子、知ってる?」
「ん?」

リナリーの指の先をしっかりと見つめる彼の姿に、科学班中の注目が集まる。
彼は、まるで安堵するように息を漏らし、微笑んだ。
空気が解けていく。

「そうか……着いたのか」
「知ってるの?」

青年は頷く。

「アレン。アレン・ウォーカー」

傍らに居たリーバーが一つ頷き、上司・コムイの命も聞かずに外へ呼びかけた。

「神田! 攻撃をやめろ!」
「何でこんなことになってんだ? アイツ、エクソシストだけど」

画面をまじまじと見つめていた青年が、リナリーへ顔を向ける。

「門番がアクマだって言ったの」

青年は肩を竦めて一笑する。

「ったく……額の呪いだけ見やがったな」

画面の中の青年――神田ユウは、制止の声に耳を貸そうとしない。
やれやれと言いながら、金髪の青年が立ち上がった。

「俺も行こう。後は頼むよ、リナリー」
「うん、任せて」









『待って待って神田くん!』

ゴーレムからコムイという人の声が聞こえてきても、神田という青年は動じない。
寧ろきつい目つきでアレンは睨みつけられた。
そして神田が細く長く息を吸い、止めた、一瞬。

「か、開門んんんー!?」

門番の戸惑った叫びに続いて、門が大きく開いた。
空気が、渦巻くように一カ所に引き込まれた。

「ありがとう、アレスティーナ」

聞こえた声に、アレンと神田はそろって動きを止めた。
ティムキャンピーが嬉しそうに門へ飛び込む。
アレンの肩に優しく置かれた手。
顔の横から突き出された腕、その先には漆黒の銃。
アレンはそっと顔を動かした。
月夜に輝く、黄金の髪。
心を掴んで離さない、微笑み。

「タイムアップ。ユウ、中に入れ」

軽やかに言ったを睨み、神田が刀を振った。
刃が消えていく。
それを見たが一歩下がり、銃を腰のホルダーに収める。
ティムキャンピーを一度撫でてから、微笑みを乗せ、彼はアレンに向き直った。

「久し振りだな」
「ほんとですよ……僕を一人置いていって……」

ずずっと鼻を啜ると、がしがしと頭を撫でられた。

「あー……ごめんな、大変だったろ? あの後。ごめんごめん」

そしてが振り返り、苦笑から一変、悪戯っぽい笑顔で神田に笑いかけた。

「頑固者」

輝きを失った刀を持ち、神田が不機嫌に舌打ちを返す。

「チッ、お前は寝てたんじゃねぇのかよ」
「誰かさんが突っ走らなければ、そうしていられたんだけど」
「てっめぇ……」

真っ向から叩かれる皮肉に、逆上した神田が唸る。
その頭を、黒髪の女の子がボードで叩いた。

「こら! みんな入って。門、閉めちゃうわよ」

入団者を迎え入れ、門が、重い音を立てる。









「はじめまして、アレンくん。私は室長助手のリナリー。室長の所まで案内するわね」
「よろしく」

リナリーに挨拶をして、アレンは神田を呼びとめた。

「あ、カンダ!」

睨みを利かせて、神田が顔だけをこちらに向けた。
アレンは思わず固まってしまう。

「――って、名前でしたよね……? よろしく」

アレンが差し出した手をちらっと見て、神田がきつく言い放った。

「呪われてる奴と握手なんかするかよ」

そしてスタスタと廊下を歩きだす。
差別……と肩を落とすアレンに、リナリーが苦笑した。

「ごめんね、任務から戻ったばかりで気が立ってるの」

が神田に聞こえるように笑う。

「悪いな、アイツ馬鹿で頭固いんだ」
「うるせぇ! テメェはさっさと戻って寝てろ!」

廊下の向こうから聞こえてきた怒声に、が笑い、囁いた。

「ついでに超短気」

唖然とするアレンの横で、リナリーが遠慮なくくすくす笑った。

「神田にそこまで言うなんて、お兄ちゃんくらいだわ。さて、行きましょう」

アレンを挟んで、リナリーとが歩きだす。
警備班員がを見て、一斉に声を上げた。

さん!」
殿!」

掛けられる声の一つ一つには応える。
それに隠れて、ひそひそと交わされるやり取り。

「おい、アイツ新入りか?」
「何だ、まだ子供じゃねぇか」

頭にティムキャンピーを乗せて、アレンはぽつりと呟いた。

「なんか言われてる……」
「気にしなくていい。入団者が珍しいだけだ」

挨拶のピークが過ぎたのか、頭の後ろで手を組み、が悠々と歩いていく。

「そう……ですか?」
「そうよ、久し振りだもの。アレンくん、ここが食堂ね」

アレンが不安な顔でリナリーに聞けば、リナリーも何でもなさそうに食堂を指差した。
順序良く分かりやすく案内されているのは分かるのだが、当分はどこへ行くにも迷うだろう。

「他にも療養所や書室各自の部屋もあるから、後で案内するね」
「部屋が与えられるんですか!?」

驚き、目を丸くするアレンの頭を、がポンポンと叩いた。

「当たり前だろ? みんな此処で生活してるんだから」
「だって師匠はフラフラしてるじゃないですか」

むっと言い返すアレンの言葉に、リナリーが遠い目をした。

「確かに、クロス元帥は出て行ったきりわざと帰ってこないわね」
「あれは言ってみれば家出親父ってとこだな」

フン、と腰に手を当てて、が言う。
アレンは思わず笑ってしまった。

「どうしたの?」

リナリーが尋ねる。

「いえ、その、兄さんの物言いが……相変わらず格好良いなって……」
「格好良いって言いながら笑うかよ」
「でもまんざらじゃなさそうね、お兄ちゃん」

またもくすくす笑うリナリーに、アレンは笑いかける。

「あれ? リナリーも兄さんのこと……」
「ええ。もう一人のお兄ちゃんだもの。今から会いに行くのが、私の本当の兄よ」

アレンは笑った。
心が躍る。

「嬉しいな、何か家族が増えたみたい」
「みたい、じゃなくて増えてんだよ。此処にいるのは皆、家族(ホーム)だ。前に言ったろ? 大家族だって」

大きな扉の前で、が鮮やかなウィンクをした。









ウサギのマグカップを左手に。
右手は眼鏡に掛けて。

「はい、どーもぉ。科学班室長のコムイ・リーです!」

扉の先には、異様な輝きを放つコムイがいた。
先頭に立って司令室への階段を下りながら、彼は上機嫌で語る。

「歓迎するよ、アレンくん。の弟弟子だって? 仲は良いのかな?
いやいや、それにしてもさっきは大変だったねぇ」
「誰のせいだ、誰の」

がからかい調子で言うが効果はなく、逆に笑い飛ばされてしまった。
そしてコムイは手術室の前で不意に立ち止まる。
振り返って、眼鏡越しにを見つめた。

「ど、どうしたんですか、コムイさん」

コムイのすぐ後ろにいたアレンが怯えながら聞くと、コムイはカップに口を付けた。

「……何? コムイ」

無表情のと、真剣な表情のコムイ。
二人の兄を、リナリーが交互に見ている。

「んー……駄目だ、やっぱ戻って寝て。顔色悪い」

が僅かに眉根を寄せる。
アレンとリナリーの視線が気まずいのか、ふいと顔を逸らした。

「平気だって。もう何時間寝たと思って……」
「分かってないなぁ、もう」

コムイが首を振った。

「もっと自分を大事にしなさいって、いつもいつも言ってるよね?
ほら、医務室のベッドに縛られたくなければ、部屋か科学班に直行しなさい!」

溜め息をつき、が降参、と両手を上げた。
思わず心配になって、アレンは彼を見上げる。
明るいところで良く見ると、確かに、蒼白い。

「言われてみれば……具合でも悪いんですか?」

が軽く笑った。

「いや、ちょっと武器の都合でな。ってことで、俺はここで離脱ー。しっかり休めよ、アレン」

あっさりと踵を返し、三人に背を向けて、が階段を上っていく。
長い団服がはためき、腰のホルダーに収められた漆黒の銃が鈍く光る。
そんなの後ろ姿を見ながら、アレンは呟いた。

「そうだったっけ……?」
「あれ? アレンくん、の対アクマ武器知らないのかい?」

コムイが意外そうに聞いた。
アレンは逆に聞き返す。

「アレですよね? 『福音(ゴスペル)』」
「それはお兄ちゃんの装備型の武器のことよ。兄さんが言ってるのは、もう一つの方」

リナリーが聞き慣れない言葉を使う。

「装備型?」

コーヒーを一口飲んで、コムイが笑った。

「そ。神田くんの刀やの銃のように、物体を武器化するタイプのこと。
が持ってるもう一つの対アクマ武器は、アレンくんの左手と同じ寄生型だよ。
人体を武器化するタイプのことで、彼のものには『聖典(バイブル)』って名称がついているんだ」

アレンは自分の左手を見る。
果たして、の体のどこに、自分と同じ十字架があっただろうか。

「僕、兄さんの体に十字架を見たことが無いんですけど……」
「それはそうだろうね」

眉尻を下げて、コムイが苦笑する。

の場合は、心臓に十字架を宿しているから」

思わずアレンは素っ頓狂な声を上げた。

「しっ……心臓!?」
「そう。『聖典』の能力は、体外に出た適合者の血液を操作することでね。
寄生型の適合者は肉体が武器と同調してる分、影響を受けやすいんだ。は内臓だから、余計に」

小さなドアの中に入りながら、コムイが説明する。
続いて中に入るアレンの後ろから、リナリーが言った。

「お兄ちゃんの場合、使うたびに貧血になったり、ひどく体調を崩したりするわね。
あ、アレンくん、知ってる? お兄ちゃんの血は、黒いのよ」
「ええっ!?」

初耳だ。
もっとも、アレンがと過ごしたのは、アレンの修行に彼が付き合わされていたほんの一年だけ。
その上、彼が怪我をしたのを見たことは一度も無い。
コムイが小さな椅子を用意して、言った。

「色はともかく、副作用が出たのはがこっちに戻ってからだからね。知らなくても無理ないよ。
よーし、それじゃ、アレンくん。腕見せてくれるかな?」









しくじったなぁ、と呟きながら、は科学班へ向かう。
自室なんて、とんでもない。
先程は気付かなかったが、いつの間にかすっかり指先が冷え切っている。
一昨日使用した「聖典」の副作用が、まだ続いているのだ。
自覚をすれば症状の進行は早く、神田よろしく盛大な舌打ちをして、は壁に寄り掛かる。
右手で両目を覆った。
廊下の暗がり。

――お兄ちゃん――

「……っ」

眩暈がする。
大きなため息をついて、は眉根を寄せた。
左手で拳を作り、壁を殴る。
目は瞑っていたから、丁度部屋から出てきたジョニーに気付かなかった。

「わぁっ! ビックリした、かぁ、脅かさないでよー」
「えっ、ああ……ごめん」

苦笑いを浮かべて、壁から体を離す。
視界がぶれる。
どうやら平衡感覚まで無くなってきたらしい。
と、ジョニーの大声を聞いてか、リーバーが室内から顔を出した。
ハチマキをして、手にはペンを持ったままだ。

「どーしたジョニー……?」
「さっきぶり、兄貴」

これは、寧ろ壁に寄り掛かっていた方が自然に見えるかもしれない。
はもう一度壁に体を預け、片手を上げた。
リーバーは濃い隈のある目を皿のようにしながら、を凝視した。

「おい、顔色悪いぞ。ぶり返したか?」
「ちょっとね。忙しい所悪いんだけど、またいい?」
「当たり前だろ。ほら、早く入れ」

手招きして、ドアの中に消えるリーバー。
壁から離れたの横を、ジョニーがお疲れ、と肩を叩いて通り過ぎる。
その後ろ姿に頑張れ、と声を掛けて、は室内に入っていった。









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