雷鳥 : 12
















エルリック兄弟よりも早くに東部を発ち、あっさり帰ってきてしまった中央。
一見、普通の住居にしか見えない家の玄関で、バイルは直立不動の姿勢を取った。

「お前が来てどうする! 全く……っ」

バイルを見るなり怒鳴り付けた家主は、伊達眼鏡の奥でまなじりを吊り上げる。
腰に手を当てて仁王立ちしたその男、エゲル・ロートゼクトが、大きく息を吸い込んだ。
バイルは反射的に、しっかり目を閉じた。

「馬鹿かアイツは!!」

一際大きな怒声は、構えていても体を震わせる声量。
士官学校の教官にも、ここまで声の大きな人間は居なかった。
取り止めもなく考えながら、バイルは細く目を開ける。
耳がじんじん痛みを訴えている。

「……どうしても先に片を付けるべき案件がありまして」
「だったらその後で連れ立って来ればいいものを。やっぱ馬鹿だな、あの阿呆は」
「馬鹿なんですか、阿呆なんですか」
「両方だ、ボケ」

バイルは肩を竦めた。
未だぶつぶつと悪態の限りを尽くすエゲルを、視界の端に留める。
別段、いつもと変わりは無い。

「(ご無事でしたよ、オルニス)」









会議室をちらと見て、自分より上の位、大将が居ないことを確認する。
これなら多少言葉が乱れても構わないだろう。
配慮の必要が無いのは助かる。
尤も、上の人間の有無に関わらず、自分は大分好き勝手しているのだけれど。
若いとは、便利だ。
オルニスは老人達の視線を受けながら、部屋を突っ切り、上座に腰を下ろした。

「東部は如何でしたか、アドラー中将」
「何でも、マスタング大佐が傷の男を取り逃がしたとか」
「もしや、中将も現場に居合わせたのですかな?」

積まれた書類の一枚目に目を通しながら、オルニスは答える。

「ああ、そのまさかだ。我々の経験不足が浮き彫りになって、恥ずかしい限りだよ」

先の三人を順番に、ゆっくりと見つめ、笑みを湛えてやった。

「どうだ。傷の男については貴方達が担当するというのは。修羅場もご経験済みなんだろう?」
「い、いや、それは……」
「そんな畏れ多いこと……」
「これは『雷』の貴殿が手掛けてこそ……」

三人が額を汗で光らせて、曖昧な笑みと弁解を返した。
オルニスは鼻で笑う。
扉の開く音に被せるように、冷やかに吐き捨てた。

「この件は大総統閣下の管轄だ。安心しろ、端から貴様らに期待などしていない」
「やあ、アドラー君」

聞こえた声に、全員が音を立てて立ち上がる。
一拍遅れて扉に目を遣れば、眼帯の男が朗らかな笑みをこちらに向けていた。

「相変わらず手厳しいな」
「事実です、閣下。只今戻りました」

立ち上がり、敬礼を送る。
軽く礼を返され、体勢を解くと、そのまま奥の部屋に通された。
その扉が閉まる直前、小さな悪態が聞こえた。

「若造が」
「でかい面をしおって」

重たい扉を閉め切って、オルニスは思わず笑い声を洩らした。
自分の味方はこの場に居ないと、いつも思い知らされる。

「どうした? アドラー」

問いを寄越したキング・ブラッドレイの背中に向かって、オルニスは吐き捨てた。

「此処ではつくづく碌な奴に会わない。貴様らも含めてな」
「あら、ちょっと言葉が過ぎるんじゃない?」
「黙れ」

暗がりから聞こえた女の声に、短い言葉を返す。
黒髪のグラマラスな女が、その体型を誇示するラインのドレスを纏って佇んでいた。

「人造人間ごときに払ってやるような敬意は、端から持ち合わせていない」

オルニスは「色欲」のホムンクルスを睨んだ。
妖艶に微笑むその姿に、当て付けるような嘲笑を返して向き直る。

「それくらいは見逃してやれ、ラスト。いつものことではないか」

同じタイミングで、「憤怒」のラースが此方を向いた。

「して、傷の男はどうなった?」
「逃げられた。生きてはいると思うが」
「ほう。雷、焔、豪腕、鋼……国家錬金術師が四人揃っても、やはりその程度の結果かね」

オルニスは息を吐いた。
「貴様らこそ、油断すると足を掬われるぞ」
「何を言いたいの?」

ラストが目を眇める。
ラースの隻眼を見据えて、口を開いた。

「奴はイシュヴァールの民。そして、破壊をもたらす錬金術師だ」

ホムンクルスの力で奴に対抗できるのか、見物だな。
そう呟いてやれば、ラストが髪を払いながらつんと顔を背けた。
ラースが頷き、顎に手を当てる。

「さて……となると、やはりそちらにも手を回す必要があるか」
「仕方がない、グラトニーを向かわせましょう。鋼の坊やは私が追うわ」

リオールは当面、エンヴィーに任せましょ。
付け足された言葉に、オルニスは唾を飲んだ。

「(リオール、だと)」
「顔色が変わったわね、オルニス」

ラストが艶然と微笑む。
彼女の手が肩に掛かる。
耳許に、唇が寄せられる。

「あなた、黙っていたでしょう。――知ってるのよ」
「あちらの暴動の事はもう心配しなくていい、『我々』が手を打ったからな」

オルニスは舌打ちをして、ラストを突き放した。
既に遅かったというのか。
あの暴動は、事の起こりから奴ら人造人間の掌の上だったとでもいうのか。
まるであのイシュヴァールのように。

「忘れるなよ、アドラー中将。君が、何故生かされているのか」
「焔の大佐を守りたいんでしょう? なら、きちんと仕事をなさい」

奥歯をぎり、と噛み締める。
顔を悔しさに顰めたまま、表情に滲む不服さを隠さずに。
オルニスは踵を鳴らして、敬礼の姿勢をとった。
体の芯が沸騰しそうなほど熱い。
礼を解いて、扉へ向かう。
負け犬の遠吠えと知っていても、自分の中の捨てられない矜持がつい零れ落ちた。

「人造人間の分際で、なめた口を利きやがって」

首の辺りを通りすぎた二本の爪が、扉に突き刺さる。

「私は今、忠告してあげたばかりよ」
「俺も今、思い出させてやったばかりだろう」

オルニスは肩越しに笑みを向けた。

「『人柱』を無くして困るのは、貴様らだ」

一拍置いて、引き抜かれた「最強の矛」。
オルニスは背筋を伸ばして、扉を開ける。
扉にはラストによる穴が開いていた。
中の様子を勝手に想像して楽しんでいただろう老人達が、皆一様にぎくりと体を震わせる。
それを睥睨して、オルニスは自分の席へ戻った。
置いていた書類を一纏めに抱えて、物も言わずに部屋を後にする。
すれ違う兵士達の慌てた敬礼を横目に見ながら廊下を進み、一つ階を下りて、漸く足を止めた。
壁に手をつき、長く息を吐く。
思い出したように、体の中が痛みを訴え始めた。
腹の辺りを鷲掴みにしてもう一度息を吐き、また歩き出す。

「アドラー中将、お待ちください!」

その矢先、後ろから聞き覚えのある声がして、オルニスは足を止めた。
振り返ると、先日アームストロングと共にいた女がオルニスに駆け寄った。
さっと素早く敬礼し、彼女は姿勢を正す。

「マリア・ロス少尉であります。ブリッツ中佐からの託けを預かって参りました」
「話せ」
「万事滞りないそうです」

全身を覆っていた緊張から、漸く解放された気がした。
故郷から共に中央にまで来てくれた主治医の安全が確保されているというのなら。
もう、当座の憂いは晴れたといえる。

「それと、そちらの書類は私が部屋まで運び、今日はもうお帰り頂くようにとのことですが……」

国の天辺がこんなことになっていると、知っていたなら。
家族も知り合いも、誰も傍には寄せなかった。
気付いたときには全ては遅く、自分は人間でもない者達の駒にされていた。
今はもう、奴らに飼われながら手を噛む機会を窺うことしか出来ない。

「お預かりして宜しいですか?」

そして、人間の矜持を失った愚者達が、荒唐無稽なお伽噺を信じている。

「(哀れだ)」

何も知らず、この国の中枢を狙おうとする兄も。
何も知らず、故郷を奪われた傷の男も。
] 何も知らず、化物の紛れる司令部を行き交う軍人達も、目の前の彼女も。
皆、一様に奴らにとっては材料に過ぎないのだ。
それを知っていて尚、奴らの企みに手を貸している己は、誰よりも愚かしくて反吐が出る。

「閣下?」
「……いや、いい。これは俺が持っていく」

軽く頭を振って、雑念を払った。

「代わりに車を一台、正面に手配してくれないか」
「はっ、畏まりました」

頼む、と言い置いて、オルニスは執務室へ向かう。
影の落ちる部屋の中、机に書類を放り投げた。
狙ってくださいとでも言いたげな大きな窓からは、とうに見慣れた街並みが、人々の姿が見える。
オルニスはそれを、目を細めて見下ろした。









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150113