雷鳥 : 09
軍帽を小脇に抱え、半歩先を歩いていた上官が、俯いた。
ゆっくり一度、瞬きをするような間の後で、彼は此方へ顔を傾ける。
バイルは少し足を速め、彼の隣に並んだ。
「どうされました、閣下」
「いや」
またも一拍、間を置いて、オルニスが口を開く。
「中央からは、誰が?」
「ヒューズ中佐と、アームストロング少佐が。……グラン准将の件で連絡を寄越したのは、ヒューズです」
「そうか」
表情が微かに和らぎ、肩の位置がほんの僅か下がる。
頷いたオルニスが、タッカー邸の一室に入った。
血の臭いのする部屋の中で、ロイが真っ先にこちらを見た。
「すまんな、もっとゆっくり出来たものを」
「別に。仕事だから」
「やーっと来たか、オルニス。バイルさんも」
兄弟の会話に、振り向いたマース・ヒューズが片手を上げた。
その隣でアームストロングが会釈する。
バイルは倣うように会釈を返した。
オルニスが肩を竦め、ヒューズに微笑を向ける。
「職務中だぞ、マース」
「堅いこと言うなよ、お前もそうやって名前で呼んでる訳だし」
「呼ばれたように返しただけだ」
兄の親友、親友の弟、という間柄だけあって、二人の付き合いはバイルのそれよりも長い。
オルニスにとって、第二の兄とも言える存在だからこそ、通じる戯れもある。
ヒューズが、肩を組もうと腕を伸ばした。
他の人間が試みようものなら、厭味の一つや二つ、覚悟すべき行為だ。
しかし、オルニスはふいと逃れただけで、ロイの隣に立った。
微笑みを内心に圧し殺して、バイルはその半歩後ろに控える。
「しっかしお前も大変だな。視察に来たと思ったら、こんな事件が起きちまって」
「事件が一つなら、まだマシなんだがな」
「ははっ! 全くだ。オレも、生きてる人間を引き取りに来たはずだったんだが」
巫山戯るように、続けられた言葉。
ロイが苦り切った表情で、頭に手を遣った。
「こっちの落ち度は分かってるよ。とにかく見てくれ」
示された先のカバーを、ヒューズが捲り、アームストロングが後ろから覗き込んだ。
「どうだ? アームストロング少佐」
カバーに収まりきらない血の跡。
「頼んでいいか?」
斜め前から、振り返らずにオルニスが問う。
申し出れば良かった、と悔やみながら、バイルは即座に答えた。
「畏まりました」
前に出て、彼の代わりに、タッカーと合成獣の死体を確認する。
アームストロングと顔を見合わせ、互いに目で頷いた。
彼はヒューズへ、自分はオルニスへ顔を向ける。
目を合わせただけで、若き上官は悟ったのだろう。
少佐の返答を待たずに、オルニスが踵を返した。
「間違いありません。『奴』です」
「どうした?」
部屋を出てしまったオルニスに代わり、バイルはロイへ答えた。
「大佐、先に行きます」
途中、リザを呼び止めた彼を置いて、バイルは外へ向かった。
軍用車に乗り込み、エンジンを掛ける。
やがて、帽子を被りながら足早にオルニスが出てきた。
咳を落として助手席に滑り込む。
「ついさっき、司令部から大通りへ向かったそうだ」
「なら、まだあまり遠くには行っていませんね」
出します、と一声掛けて、バイルはアクセルを踏んだ。
横を見れば、焦燥を滲ませながら、目を凝らしてエルリック兄弟を捜すオルニスの姿がある。
彼に倣って視線を前に移すと、オルニスから声が掛かった。
「なぁ」
「どうしました?」
「俺一人でも、良かったんだが」
「おやおや」
小さく微笑んで、また外を見る。
国家錬金術師殺しの犯人、傷の男。
オルニス曰く、破壊を齎す錬金術の遣い手。
錬金術師に、一介の軍人が相対するとは、端から聞けば無謀な挑戦だ。
しかし、どうせ心配するなら、もっと素直に表してくれればいいのに。
「私が、錬金術師に後れを取るとでも?」
「そういう訳じゃ、」
「大丈夫ですよ、オルニス」
――貴方を残して、死ねる訳がない
そう答えれば、隣からは気の抜けたような溜め息が聞こえた。
直後、オルニスが鋭い声を放った。
「停めろ!」
強くブレーキをかける。
車を飛び出した彼に続き、バイルも急いで車を下りた。
大時計の足許に、頭部を内側から破壊された憲兵の死体。
オルニスが屈み、憲兵の手首に触れた。
「……まだ温かい」
死体を遠巻きにする市民達は、動揺していて話を聞けそうにない。
しかし何人かが通りの更に先を指差していた。
離れていても分かる、崩れる煉瓦の音。
路地から放たれる錬成反応の光。
「バイル」
紫のピアスに片手を触れて、オルニスが命じる。
バイルは駆け出した。
景色が風のように過ぎ去る。
続く錬成反応。
けれど、空を覆う雨雲は、それよりも早い速度で色を変えていく。
「(傷の男を、エルリック兄弟から引き離す)」
黒くなる雲に昂った気持ちを、内へ押さえ付けながら、バイルは左腰の柄を握った。
大通りに飛び出した二人の人影。
光が止む。
壊れた機械鎧。
座り込んだ少年。
その前に立つ男が掲げた右腕に狙いを定め、バイルは剣を突き出した。
「――ッ!?」
寸でに躱されるが、構わず二度、三度と突きを繰り返す。
大時計の方向へ後退った「傷の男」が、間合いを取って此方を睨んだ。
「貴様……『稲妻』か!」
「おや、覚えて頂けたとは」
エドワードを背に庇い微笑めば、傷の男は眉間に深い皺を刻んだ。
「ブリッツ中佐、どうして、」
「それは後です。動けるなら、少し下がりなさい」
後ろに声を落とし、前に向かって剣を構える。
傷の男が右手の指をバキバキと鳴らして呟いた。
「貴様が居るということは……」
「当然、俺が居るということだ」
答える声は、傷の男の背後から。
振り返った傷の男を真っ直ぐに見据え、オルニスが、ピアスに触れた。
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