雷鳥 : 08
















「ホントもう、勘弁してくれよ……」
「お前は命令されたって言えばいいだろ。文句言われるのは俺だ」
「文句言われんのがお前でも、怒られんのは確実にオレなんですけどー」
「知るか。オイ、前見ろ」
「は?」

忠告通りに前を向いたハボックは、慌ててハンドルを切った。

「……あっぶね!」

もう少しで塀に突っ込むところだった。
助手席のオルニスが、これ見よがしに溜め息をつく。

「まともな運転も出来ないのか」
「飛ばせっつったのはお前だろ!」

全く……と零し、もう一度ハンドルを切ると、目的地である大きな家が見えてきた。
オルニスが、軍帽を深く被り直す。
これまでの気安さが一切削げ落ちた、その影の中で、琥珀が剣呑な光を孕んだ。

「ハ、ハボック少尉、後ろの方は、」
「気にすんな気にすんな。ごくろーさん」

車を降り、どんより曇った空の下で、憲兵を軽く労う。
ハボックはオルニスの先に立ち、タッカー邸へ足を踏み入れた。
奥の奥、問題の部屋の扉は空いている。
部屋に入り、踵を揃えた。

「只今戻りましたー」
「ああ、ハボック……って、」

振り返ったロイとバイルが、目を瞠って言葉を失う。
慌てる二人を尻目に、オルニスは擦り寄ってきた合成獣をじっと見下ろしていた。

「俺が居ると何か不都合でも? マスタング大佐」
「……っ、いいえ」

視線を動かさずに、彼が問う。
ロイが一瞬顔を顰め、絞り出すように答えた。

「だれ? だぁれ?」

左右に首を傾げ、無邪気に話し掛ける合成獣。
ただの少女なら、ただの犬なら、余程微笑ましい光景だっただろうに。
ハボックは、周囲の憲兵と共にそっと目を逸らし、最高位の上官を見下ろす。
オルニスが、すいと合成獣の傍を離れ、釈然としない表情を浮かべる副官の前に立った。
軍帽を小脇に抱える。
足許に蹲るのは、顔を腫らしたショウ・タッカー。

「アンタが、綴命の錬金術師か」

断りも入れずにバイルの持つ書類を手に取り、視線を走らせた。

「名前は……ショウ・タッカー、だったな。写真とは大分人相が変わっているが……」

口許に微笑を乗せ、オルニスがタッカーを見下ろす。

「やったのは、鋼か?」
「……貴方は誰です?」
「ああ、失礼。中央のアドラーだ」

タッカーが顔を上げた。

「雷……!?」

普段なら決して見せないような笑顔を、オルニスが浮かべる。
突き出された軍帽と書類を、バイルが黙って受け取った。

「アンタも、ついていない。予定通り、去年の査定を俺が担当していたら、あんな評価はしなかったのに」

腫れ上がった目を限界まで見開き、タッカーがオルニスを見上げる。

「そう……だったんですか?」
「当日、交代になってな。しかし、不幸中の幸いじゃないか。今年も俺が、アンタの担当だ」

タッカーが顔を輝かせた。

「じゃあ、」
「喜べ」

楽しそうに、オルニスが笑う。

「お前の資格剥奪は、決定事項だった」









ぽかん、と口を開けたまま、オルニスを見上げるタッカー。
憲兵達が顔を見合わせる。
ハボックも思わず目を瞠ったが、バイルは小さく溜め息をついただけだった。
ロイが躊躇うように問い掛けた。

「アドラー中将? どういう……」
「二年前にしても、其処の合成獣にしても。見る者が見れば、何を掛け合わせたのかくらい一目で分かる」

やれやれ、と彼は首を振り、副官が差し出した椅子に腰掛ける。
脚を組み、近寄る合成獣の頭に手を置いた。

「仮に、ヒトと犬を掛け合わせた合成獣が、鳥の要素を持つならばまだ、評価する価値はあっただろうが」

合成獣は嬉しそうに甘えている。
彼は一度たりとも、微笑みかけてなどいないというのに。

「ただの足し算なら、そこいらの錬金術師でも出来ることだ」

呆然と座り込む男を見下ろす、青年の琥珀は鋭く、冷たい。

「家族の命を弄んで、こんな結果しか残せないとは」
「……鋼の、」

力の抜けた声で、タッカーが問う。

「鋼の兄弟だって、似たようなものでしょう……いえ、彼らこそ裁かれるべきです」

暗い瞳でオルニスを見上げ、タッカーは笑った。

「ご存知でしたか? 中将、彼らは……」
「人体錬成が何だ」

タッカーの言葉を、オルニスが吐き捨てるように封じる。

「奴等は命を造った。アンタは、在るべき未来を奪った。分かるか、タッカー」

絶対的な強者の眼差しが、酷薄な冷笑に乗ってタッカーを貫いた。

「貴様は『持たざる者』だ。人間であり続ける資格も、軍の狗である資格さえもな」

凍えるような怒りの余韻を残して、オルニスが立ち上がる。
バイルの腕から軍帽を掴み取り、ハボックだけをちらと見て、言った。

「司令部に戻る。送れ」

一拍遅れて命令を理解したハボックは、慌てて敬礼を返した。









とうとう降り始めた雨。
二人が上る階段の先に、小さな影と大きな影が、座り込んでいた。

「大将……」

第一発見者となってしまった兄弟の、悄気きった様子に、思わず呼び掛ける。
小さい影が、顔を上げた。

「……少尉……」

ハボックの隣を歩くオルニスを視界に入れ、少年は顔を顰める。

「……何で居るんだよ」

大きな影が、音を立てて顔を動かし、通り過ぎようとするオルニスを見上げた。

「……アドラー中将、ニーナを助けてください。ニーナを、元に戻してください」

呼び止められた彼が、階段を上る足を止める。
アルフォンスが立ち上がった。

「ボク達ではその方法が分からないんです、でもっ、貴方なら、何か思い付くかもしれない……!」

軍帽の鍔の下は、陰になっていて窺い知れない。
けれどオルニスは、僅かに振り返る。

「俺や、マスタング大佐に何とか出来るほど、『命』は軽いものじゃない」

だから、尊いんだろ。
ぽつりと落とすように呟いて上へ進む彼を。
ガシャン、と鎧を鳴らして座り込む少年を。
再び俯いて、腕に顔を埋めた少年を、ハボックは一つの視界に収めた。
雨の音は、絶え間なく続く。









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