硝子玉 : 04
















小さな店が、人込みに埋もれている。
裏手にバンを停めた四人は、ノックもせずに勝手口を開けた。
店内が騒がしいので、どうせ聞こえる訳もないのだ。

「メイー」
「はーい、ありがとうございましたー……っとぉ?」

ふわふわの金髪が揺れる。
琥珀がこちらを認めた。

「えりちゃん! とその仲間達!」
「いい加減その呼び方止めろよ……」

肩を落とす門田の脇を、狩沢が擦り抜ける。

「メイくーん!」
「待ってたよえりちゃーん!」
「って、聞いちゃいねぇ」

いつもの事だが。苺と狩沢は一、二回くるくるとその場を回り、熱い抱擁を交わす。
この店に来ると、日常の忙しさを忘れるから不思議だ。
貴重な昼休みだろうに、スーツ姿の客でさえ、ほのぼのとこの光景を眺めている。
実は客の中には、このやり取りを求めて来る者も多く、もはや店の名物と言っても過言ではない。
裏を返せば、これを恨めしそうに見ている客は常連ではないということだ。
狩沢から離れた苺は、四枚のエプロンを掴み、三枚を投げた。

「はいっ、よろしく!」

狩沢だけは、苺の手によって懇切丁寧にエプロンの紐を結ばれている。
遊馬崎と渡草が紐を適当に結びながら、頬を緩めた。

「目の保養っすねぇ……マジで」
「いやぁ、和むよなぁ……ホント」
「それより何でお前らはもう解けてんだ」

二人のエプロンを見て、門田は大きく溜息をついた。
ほぼ毎日「マスター」へ手伝いに来ているというのに、門田は毎日この二人の紐を直している気がする。
一度でも苺がレクチャーしてやれば真剣に覚える気になるのではなかろうか。

「おい、メイ」
「んー?」
「レジ代わるから、こいつらにエプロンの結び方教えてやってくれ」
「おっけー。じゃ、こっちよろしく、かどたん」

頬だけの見慣れた笑みを振り撒いて、苺が客に背を向ける。
その時、客の中から声が上がった。

「待たせといてそれはヒドイんじゃないの、メイちゃん」

狩沢がハッと、門田を見た。
声を発した客は見覚えの無いサラリーマンで、先程から一人険しい顔をしていた人物だ。
門田は、ゆっくり客に振り返った苺の右手を、後ろから掴んだ。
その手は、いつの間にか彼のエプロンのポケットへ滑り込んでいる。

「おっかしーなぁ、今『メイちゃん』って、聞こえた気がするー」

――ねぇ、かどたん?

振り仰いだ琥珀の硝子が色を持って光り、氷が背筋を撫でる。
門田はポケットの中で苺の右手を強く握り込んだ。
力任せに、彼の手に握られていた鋏をもぎ取る。
ポケットから自分の手だけを出し、狩沢に鋏を預けた。

「空耳じゃねぇか?」

苺がぼんやりと硝子玉を揺らす。

「……そう?」
「ああ、オレには聞こえなかったぜ」
「ふぅん……あ、ユマ、とっくん、紐! 教えてあげるー」

にこ、といつも通りの笑顔で、苺は何事も無かったように奥へ向かった。
安堵の息をついた狩沢が、意地の悪い笑みを客へ向ける。

「メイくんはちゃんと男の子なんだから。そこは弁えてもらわないとー、」

彼には、ちらりと鋏の輝きが見えてしまったのだろう。
可哀相なほど真っ青になりながら、そのサラリーマンはじりじりと後ずさった。

「……マスター、怒っちゃいますよ?」
「ひ……ッ!」

慌てて逃げ出す彼の背に、ばいばーい、と狩沢が手を振る。
門田は一息ついて、次の客から注文を取った。

「狩沢、オムライス」
「はーいっ。全く、困っちゃうよねー、あーゆーお客さん」
「……そうだな」

何にせよ、この有名なスポットで白昼堂々の流血事件が起こらなくて、本当に良かった。
視界の隅に、のほほんと笑う苺を収める。
池袋に愛される彼が、他の誰よりも、何よりも、狂気に愛されているだなんて。
余計な人間が知る必要はないのだから。









  BACK  TOP  NEXT


121223