燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









13.残されたものは









「――俺もう、が何考えてんだか、分かんねぇさ……」

衝撃の昨日から一夜明けて、ラビは鍛錬中の神田を捕まえ、話を聞かせた。
話し終えたラビを、彼は怪訝そうに見た。

「見知った奴だろうと何だろうと、アクマなら倒す。当たり前だろ」
「それくらい分かってるさ! けど……」

の横顔を思い出す。
感情の無い瞳。
アクマの狂気の表情よりも恐ろしかった、あの怜悧な眼差し。

「……あんなの、まともな人間のやることじゃないさ」

神田が荒く溜め息をつく。
刀を仕舞い、汗を拭きながら言った。

「そもそもお前、あいつが何考えてるか、一度でも分かったことあんのか?」
「それは……」

言われて、思い返す。
彼が気持ちを口にしたことなど、果たしてあっただろうか。
分かった気には、なっていた。
しかしよくよく考えればそれは、笑っているから嫌ではないのだろうと、一方的に思っていただけにすぎない。

「チッ……」

冷たい舌打ち。
ラビは何も言い返せず、黙った。
神田はもう一度溜め息をつく。

「前にも同じこと、あったんだよ」

ラビは呟いた。

「……仲間の形したアクマを?」
「地下水路で」

全く同じ場所で、繰り返された悲劇。
仲間の為に自らを顧みない彼の、誇りを踏みにじったであろう惨劇。

「そ……それで? は?」
「変わらなかったぜ、いつもと」

神田はフン、と鼻を鳴らす。

「心配して来た奴らに、微笑ったんだ」



「理解なんか、出来ねぇよ」

神田が吐き捨てる。

「ここの奴らは、理解しようともしなかったけどな」

だから、あいつを神って呼んだんだろ



俯くラビを置いて、神田は出口へ向かう。

「……少なくとも、お前が考えてるほどあいつは強くないぜ」

バタンと乱暴に扉が閉められた。
残されたラビは、謝罪の言葉をぽつぽつと考え始める。
笑顔の意味は一つでは無いと、知っていたのに。









ゴーレム越しに言っていた通り、シャワーを浴びてきたらしい。
濃い色の金髪が、しっとりと濡れている。
司令室の棚に手を伸ばし、彼は適当な書物を開いた。
こちらに背を向けながら頁をめくる。
コムイは汗をかいた掌を、軽く握った。

「……
「怒鳴り声、久し振りに聞いたね」

笑って言われた言葉が、逆に胸を刺す。
彼はこちらを見ていないのに、コムイはその背中にまともに目を合わせられなかった。

「その……疑ったりして……」

謝罪を遮って、が首を横に振る。

「何も言わなかった俺が悪いんだよ。コムイが謝ることじゃない」

本をぱたんと閉じ、元の場所に仕舞う。
は振り返って微笑った。

「ごめん、不安にさせて」



近頃、の笑顔を見るたびに、神田の言葉を思い出す。
「聖典」の副作用を告げた、約一年前のことだ。
神田にとって、は唯一認めた戦友なのだろう。
他人のことで激昂する神田を見たのは、あの時が初めてだった。

『あいつが笑ってるからって、いつまでも甘えてんじゃねぇよ』

最初は言葉の意味を量りかねた。
気付けなかったのだ。
どんな局面でも、の言葉が染み渡る理由に。
誰に対しても主張の軸は変えないのに、彼の言葉が万人に安らぎを与える理由。
彼の微笑みが、まるで自分だけの味方のように思える、その理由に。



「……ごめん」

コムイが呟くと、彼は肩を竦めた。

「だから何でコムイが謝るんだって」

さもおかしそうに笑って、僅かに伏せた瞼から、コムイを見上げる。

「部屋、戻るね」

向けられた漆黒に返事をする前に、は扉を開け、出ていった。
こうして彼はいつも、笑みで本心を隠す。
決して他人に気持ちを明かさないから、誰も彼の考えていることを知らない。
知らないから疑わない。
微笑みに惑わされ、そこに包まれた中身に、誰もが希望を持つのだ。

「……会えて、良かったね……」

地下水路で彼が呟いた言葉を繰り返す。
この意味くらいは、聞けば教えてくれただろうか。
それともまた、希望が周囲に溢れて終わるのか。
何が本当で、どこからが嘘なのか。



ただ、目許に浮かんでいた隈だけは、彼の本心だと信じたい。









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(主人公16歳)

090927