燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  






09








この地のアクマ達に、もしも上下関係があるのなら。
の仮説は突飛なものに思え、しかし同時にそれなりの理解をもたらすものだった。
例えば、勝ち目の見えない聖戦に焦る黒の教団が、イノセンスに関して徹底的な研究をしているように。
して、いたように。

「(千年伯爵が、そうしない理由もないだろ)」

互いの聖戦に勝つため、最早手段など選ばぬだろう。
村ひとつを犠牲にすることくらい、敵方にとっては単なる実験の一端だ。
アクマがレベル2に進化するなら、当然レベル3にも4にもなることは想像がつく。
不思議なことに、イノセンスが開放の段階を上げるのとどこか似ているような気がした。
どれ程殺人の経験を詰めば進化するのか、千年伯爵が純粋な好奇心で確かめようとする可能性はある。

「思ったんだけど!」

隣を走るリナリーが、此方を振り返る。

「黒い靴なら、上空から攻撃できるよ。私、先に行って乗り込むね」
「えっ、いや、リナリー待って!」

が引き留めるが、彼女はまた風を巻き上げて駆け抜けてしまった。
神田も走りながら、呆然と行く先を見つめる。

「……あいつもたまに、話聞かねぇな」
「いや、お前に言われたくはないだろうけどさ……ああもう」

後でお説教だな。
呟いて苦笑するのこめかみに、じとりと汗が滲んでいる。
神田はチッと舌打ちを零した。
出会ったばかりの頃、彼の笑顔は記憶の中の「彼」とどこか重なって、苦手だった。
コムイと再会してようやくどん底から掬い上げられたリナリー。
何を考えているのか判然としない、常に柔和な表情を浮かべる師ティエドール。
技量も思考も卓越した、けれど盲目になってまだ間もない兄弟子のマリ。
あの頃の神田の周囲には、誰も彼も腹に一物抱えたような者ばかりで。
誰も彼も純粋な笑顔を浮かべる者はいなくて。
だからこその笑顔は、際立って無邪気で、無垢で、どうしようもなく過ぎし日の記憶を蘇らせた。

「オイ」
「何? 寝過ぎたことは謝ったろ」
「違ぇよ」

けれど、黄金色の彼が決して無垢でも無邪気でもなく、あの微笑みこそが歪だったのだと。
気付くのに、そう時間は掛からなかった。

「足手まといになるな、って言ってんだ」
「ああ、……そういうこと」

投げ捨てるような言葉の端に、荒い呼吸が窺える。
それでも、がいつものように微笑むことは、分かっていた。

「問題ないよ。さっさと片付けて、帰ろうぜ」

息の乱れも、汗も、動悸も痛みも何もかも、全て無かったようなふりをして。
このどうしようもない世界で笑い続ける。
無垢でも無邪気でもない。
それがやはり、「彼」の笑顔と重なるのだ。

「(あの夢は、幸せなんかじゃなかった)」

教団に弄ばれた自分達が、役目に縛られて世界の望むままに生を全うする夢など、反吐が出る。
頭を振って、思考を切り替えた。
前方、村の中にひとつだけ、いやに背の高い建物が見える。
上空には、回転しながらイノセンスを纏った脚を振り下ろすリナリーの姿。

「あれか!」
「行こう」

言うが早いか、がスッと神田を追い抜いた。
遅れてその背を追いながら、ふと、思う。

「(コイツは、幸せな夢を見たのか?)」

嫌だなんだと言いながら、あれほど深く眠り込んだからには。
さぞ美しい夢を見たのだろう。
さぞ美しく、絶望するほど幸せな夢を見たのだろう。






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