燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  






10








リナリーは宙を駆ける。
今はただ、自分の世界のために、駆けるのだ。
問題の建物はすぐに見えた。
上から下までベタベタと広告を貼り付けられた異様な外観。
あれがアクマの本拠地だろうがそうでなかろうが、元々何のための建物なのか、少し気になる。
この村の教会は、どうやら三階建て。
フランスには何度も足を運んだが、教会より大きな建物なんて、まずもって見たことがない。
――が、それが何であれ、今は壊すだけ。
リナリーは疑問を隅へ追いやり、頭の中を戦術でいっぱいにする。
木々を掻き分け、高く高く空へと舞い上がった。
遥か下方に、件の建物が見える。
あれが、もしもアクマの本拠地なのだとしたら。

「(絶対許さない)」

くるり、くるりくるり。
回転するごとに速さを増して、屋上に狙いを定める。

「やあああああああっ」

掛け声と共に脚を振り下ろした。
轟音、巻き上がる風と埃、着地して見上げると、建物の五階部分を抉ったことが分かる。
リナリーはもう一度飛び上がった。

「円舞『霧風』!」

イノセンスの強力な力が、自然現象ではない竜巻を起こし、建物の外壁を剥ぎ取る。
目を凝らした四階部分に、それは大きな機械の塊。

「見えた!」

走り込むと神田が、建物を見上げる。
リナリーは叫んだ。

「四階よ、二人とも!」

機械がゆっくりと動き、此方を向く。
まるでオルゴールのような形状の機械だ。
明白なのは、その裏側から飛び出る、ビックリ箱のピエロに似た顔。

「エ……クソ……シスト……」

喋り方はレベル1と似通っている。
しかし画一的でない、独特な形状がそれより上位の存在だということを示している。
ピエロが、にたりと笑った。
オルゴールのシリンダーがゆっくりと回り出す。
音は何も聞こえないのに、頭の中心がぼんやりとしてくる。

「(あ、やられた……)」

瞼が重い。
このままではまた墜落してしまう。
歯を食い縛ったリナリーとアクマの中間地点に、漆黒の壁が出現した。
下を見れば、周囲の建物を足場に駆け上がる二人の姿がある。
あのアクマから発されているものが何なのか、科学班でもないリナリーにはさっぱり分からない。
しかし「帳」が何とかその影響を断絶したのだろう、心なしか眠気が薄らいだ気がする。
神田やも、いつまで覚醒した状態でいられるか分かったものではない。
リナリーは宙を蹴って、漆黒を回り込み、建物の中に飛び込んだ。

「お兄ちゃん!」
「大丈夫? リナリー」
「うん!」

六幻と福音が、硬質な音を奏でている。
二人は向かい合うように立っていた。
一方向のみの攻撃に特化したアクマには、その手段は有効だ。
アクマから伸びるピエロの顔は、どちらへ攻撃を向けるべきか迷うように、ゆらりと揺れていた。
その顔を目掛けて蹴り込もうとしたリナリーに、否、室内に影が下りる。
見上げれば、またも大量のアクマが飛来していた。

「界蟲一幻!」
「回転――火炎弾!」

差し迫る危機はどちらか、どちらも気を抜けない。
二人が上空に武器を向ける中、リナリーは神田へ顔を向けたピエロに、今度こそ蹴り込んだ。
手応えはある。
その筈だが、やたらと頑丈らしいこのアクマは、またにたりと笑うだけでびくともしなかった。
が声を張り上げる。

「ユウ! リナリー!」
「何だ!」

怒鳴り返す神田の肩にポンと手を置き、そこを支点に彼は上階へ飛び移った。

「此処は頼む!」
「お兄ちゃんは!?」

肩越しに振り返ったが、場違いなほど穏やかに微笑んだ。

「残りのアクマを壊してくるよ」

任務の無いときに、もっとゆっくり見たい笑顔だった。
黄金色が遠ざかる。

「(大丈夫、皆で帰ればいいだけの話よ)」
「ぼーっとしてんな! いくぞ!」

神田の叱咤に、リナリーは頷いて体勢を立て直した。

「ええ!」






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