燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  






 08









 この地の伯爵令嬢と、ヴァチカン所属のエクソシスト。
 刑務所にはそうそう訪れない上客を、刑務所長のグリーンはあからさまな手揉みと共に出迎えた。

「これはこれはお嬢様、こんなむさ苦しい所へようこそお越し下さいました。エクソシスト様方も、ささ、どうぞお茶でも……ごゆるりとお寛ぎください」
「まあ、ご親切にどうもありがとう。けれどグリーンさん、わたくし達、ここに寛ぎに来たわけではございませんのよ」
「ええ、ええ、よーく存じておりますよ。伯爵から直々にご連絡を頂きましたからね」

 にこにこと、非常に愛想の良い対応をされているが、どうも居心地が悪い。

 原因はいくつかあるが、そのうちの一つが目の前にあるソファだ。
 正面に所長のデスク、それに面したテーブルを囲むように二人掛けのソファが三セット置かれている。
 六人全員が座れる計算になるのだが、所長が席を勧めたのはティアラと二人のエクソシストだけだった。
 残りの三人にはティーカップも出されない。

「(はーん。くっだらねぇ)」

 ラビは、自覚するほど冷酷な顔で笑いながら、自分が勧められたソファにサマンサを座らせた。

 ブックマンの後継者として何者にも心を許さず――というのが師であるじじいことブックマンの教えだ。
 だから、こんな態度を師に見られでもしたら飛び蹴りを食らうかもしれない。

 にも言われたが、昨夜の食堂での話し合いからこちら、どうも感情的になっている自覚がある。
 ラビの考えでは六年前の事件はとにかく謎が多く捜査が不十分で、犯人をライラだと確信する決め手が無い。
 それなのに、誰もが彼女ひとりを犯人と決めつけて、理不尽に咎を負わせた。

 それが、なんだか不憫に思えたのだ。

 何故ライラが犯人として「選ばれた」のかといえば、ひとえに彼女の立場が弱いからという以外に理由がない。
 身分の上下だなんて、人はくだらないことを考える。
 目の前でこうして繰り広げられる明確な差別が、昨日からのラビの感情をさらに煽っている。

 ポピーやサマンサが使用人だからと蔑ろにされるのは気分が悪い。
 エゴールに至っては同じ黒の教団の団員なのだ。
 本人達がエクソシストを崇めるのは勝手だが、仕事内容の違いもよく知らない他人に、ローズクロスの有無だけで仲間を侮られる謂れはない。

 これは偽善だろうか。
 ただ、行き過ぎた正義感に酔っているだけか。

 けれど、隣を見ればラビに同意するように頷くの姿がある。
 彼がポピーを座らせるのを見て、「別にオレがおかしい訳じゃない」と少し安堵した。

「ごめんな、エゴール。座れる場所は三つしか無いそうだから」

 エゴールの「心得ております」という返事を聞いて、がグリーンに微笑みかけた。
 穏やかな微笑、というよりも遥かに深くにっこりとしたその笑顔に一滴含まれた毒が、室内を満たす。
 直撃を受けたグリーンよりも女性陣の方がぎょっとした顔でを振り返るので、ラビは笑った。

「大勢で押しかけるなんて、仕事の邪魔だったよね」
「めめめっ、滅、相もっ、ございませんっ」

 この刑務所の維持費の大部分はベリル伯爵家の寄付で成り立っているという。

「犯罪者といえど、死刑にはなっていない者達だ。彼らの反省を促す一助になればいいと思っているのだが」

 朝食の席でオリバーが語ったところによればそのような思惑があるらしいが、残念ながらその寄付金は受刑者に使われるのでなく、大部分が所長や看守達の懐に消えているようだ。
 戸棚に並ぶ高級な紅茶やシガーケース、グリーンが身につけているきらびやかな宝飾品などを見ればすぐに察せられる。

 暮らし向きが良くなった分、仕事にも良い影響を及ぼしているならばオリバーの援助も報われるだろうが、エゴール達への態度を見れば、それも怪しい。

「俺達はライラ・ジョンソンと面会が出来ればすぐに帰るから。面会は自由だって聞いていたから来たんだけれど、気を遣わせちゃって申し訳ないな」
「それはっ、いえっ、そのっ……」

 グリーンは、ほぼ口を挟めない。

 は意図して自分の存在を希薄にすることもあれば、意図して周囲の関心を自分に向けることも出来る。
 空気を通じて自分の感情が伝わることに敏感だから、見せてはならないものは奥へ奥へと仕舞って隠している。

 だから、放たれた威圧感の分だけグリーンが萎縮するその様を見れば、ラビには分かる。
 もラビと同じように思うところがあって、グリーンを牽制しているのだ。
 その思惑に、乗っかろう。
 ラビはをちらと見て、肩を竦めて笑う。

「面会するための部屋ってのがあんだろ? そこにだけ案内してくれりゃ十分さ。な、アンタの仕事はそれで終わり」

 先程よりは親しみやすい笑顔で言ってやった。
 けれどこれではなんだか恐喝をしているみたいだ。
 少なくとも花嫁修業中の令嬢の前ですることではなかったかもしれない。

 グリーンがブルブルと震えながら首を振った。

「そそそその、少々お待ちください……いいっ、今、面会の準備をさせております」
「準備ぃ? 本人だけ呼んでくれりゃ構わねェって」
「ふ、風呂などに入れねば。皆様に失礼があってはいけませんので」
「はー、なるほど。囚人全員を風呂に入れるには、水も随分使うし、金も掛かるしな。普段は回数を絞りに絞ってる訳か。そういうことだろ?」
「グリーンさんって節約上手なんだ。人は見た目で判断しちゃダメだな」
「そういえば、ベリル卿も訪問の様子を詳しく知りたがっていらっしゃいましたよね」

 メモとペンを構えたエゴールが生真面目な表情を崩さずにしれっと述べると、有無を言わせぬ迫力がある。

「わたくし達、思い立ったからといって気軽に来てしまったけれど……面会のたびにそんなにあれこれと準備しなければならないなんて、知らなかったわね」

 どこかのほほんとした雰囲気で、ティアラが傍らのポピーに囁いた。

「ええ。私も刑務所のしきたりには詳しくありませんけれど、全員に対していちいちこんな準備をするなら、面会希望者がたくさん来た日は大変ですね」
「ほんとうに。お労しいこと」

 ティアラに悪意はない。
 純粋に感想を述べたのだろうが、なんだか嫌味に聞こえる。
 ラビだけでなく誰の耳にもそうだったようで、サマンサは家庭教師らしく額に手を当てて溜息をつき、グリーンは顔を真っ赤にして黙り込む。
 ラビ達教団のメンバーは、顔を見合わせて思わず苦笑した。



 ***



 面会室に入ると、大勢で一人を尋問するような構図になってしまうのではないか。
 それは若干、気が引ける。

 そんな懸念はあっさり吹き飛んでしまった。

 ドアを開けた瞬間に伝わる、荒んだ空気。
 過去のライラを知っているはずの女性陣が、彼女の風貌に揃って息を飲む。

 話に聞いていた通り、左頬には大きな火傷の痕。
 不揃いに切られた栗色の髪は濡れていて、灰色の服の肩口は水滴で色が変わっていた。
 目の下に酷い隈を作ったライラ・ジョンソンは、見下ろすラビ達を睨むように見上げ、口元だけで笑った。

「メンカイ、だなんて。誰かと思えば」

 しばらく喋っていなかったような、出し慣れていないざらついた声が、吐き捨てる。

「センセイと、オジョウサマじゃないの」
「……久し振りね、ライラ」

 用意されていた椅子に先に腰掛けたのは、サマンサだった。
 固まっているティアラを、ライラは睨めつけて、笑う。

「はは。お掛けになってぇー、なーんてお上品に言われないと、オジョウサマは座ることもできないのかしら」

 ライラが、ティアラの後ろに佇むポピーへと視線を移した。

「小さなおカバンさえ、自分で持てないんだものね?」

 ティアラの頬が、耳が、サッと赤くなる。

「いつまでも黙りこくって、昔のままね。幼くて、お可愛らしいオジョウチャマ。おいくつになったんでちゅかー?」

 確かに、ティアラの小さな鞄を持っているのはポピーだ。
 そうして挑発されてようやく、少女は動いた。

 持たせていた鞄の中から、先程馬車の中で見たものとは異なるピンク色のレースのハンカチを取り出す。
 それを、ライラに差し出した。

「髪、濡れていますわ。どうぞお使いになって」
「なぁに、それ。あたし、自分の髪が濡れていることに気付いてないとでも思われてるわけ?」

 辛辣な物言いに、ティアラが押し黙る。

 出発前に、昨夜の情報を軽くと擦り合わせた。ティアラは元来引っ込み思案な性格なのだそうだ。人と話をすることもあまり得意ではないならば、あまり前に出しては気の毒だろうか。

 の出方を窺うと、彼は意外にも沈黙を保って女性陣を見つめている。

 唇を噛み締めたティアラが、椅子に座る。
 ポピーは部屋の隅で気配を消して佇むことに決めたようだった。

「違うわ。でも、そのままにしていたら、ライラが風邪をひいてしまうから」
「あたしに風邪をひかせるために来たのかと思ったけどね。ははっ、笑える……『伯爵令嬢と聖職者様がお見えになる! すぐに風呂に入れ!』だなんて。体を洗うなんて三ヶ月ぶり。あたしを水浸しにして、タワシで洗って、風邪を拗らせて殺してやろうって魂胆なんでしょ? それなら、冬にやるともっと効率がいいわよ」
「違うわっ……」
「忘れたの? あたしがアンタのお兄さんを殺したのよ。相変わらずノンキな子。まあ、オジョウサマなんてどうだっていいわ。――それより、」

 ライラがサマンサを睨む。

「アンタよ。この、裏切り者っ……あたしを見殺しにした女! あたしが生きていたら、いつか復讐に来るとでも思って、とどめを刺しに来たのかしらね。残念でした、生きていようが死のうが、どうせあたしはここから出られないんだから。安心して寝てなさいよ」
「あなたを助けられなくて悪かったと思ってるわ。でも、私の言葉では警察を説得できなかったの。ねえ、ライラ、お願い、聞いてちょうだい」
「どうして? アンタの言葉で説得できない、ですって? あら、そう。あたしの話だって、誰も聞いてくれやしなかったわよ。どうしてあたしばっかり話を聞いてやらなきゃならないわけ」

 細い両腕がしなり、薄い両手が机の天板を叩いた。
 見かけからは想像もできない大きな音が鳴る。

「正直に答えてみなさいよ。え? 今更、何しに来たの」
「あなたの話を聞きに来たのよ」
「はぁ?」

 机の下で脚が床を乱暴に踏みつけ、耳障りな音を鳴らす。

「あたしの話を聞く? 馬鹿言ってんじゃないわよ。惨めなあたしを笑いものにしようっていうんでしょ。これみよがしに、お綺麗な聖職者サマなんか連れてきちゃったりして。お祈りでもされるのかしら。ああ、分かったわ、反省の色が見えないって言いたいの?」

 全身に力をこめて暴れているのに、声は荒らげていない。
 大きな音は不快なのに、どこか守ってやりたくなる。
 だって、強い眼差しでサマンサを、ティアラを見つめるライラは、どこか泣きそうな顔をしているから。

「反省なんか、しないわ。あたしは、あたしを馬鹿にした奴らをみんな殺してやったの。それだけよ」

 大きな音がするたびに、ティアラがビクッと体を震わせる。
 サマンサは何度か物を言いかけて、そのたびにライラが発する音に言葉を遮られている。

「(眉毛だ)」

 眉が下がっている。
 だから、悲しそうに、嬉しそうに、寂しそうに、見えるのだ。

 ラビは一歩進み出て、口を挟もうとするサマンサの隣から手を伸ばした。
 ライラが机に叩きつけている掌を、上から力任せに押さえ込んだ。

 手加減なしで体重をかけて、彼女の手をグッと机に押し付ける。

「離して、誰よアンタ」

 ライラがギロリとこちらを睨み上げる。
 荒んだ迫力はあるが、間違っても怖くはない。

 怖がっているのは、ラビではない。ライラだ。

「聖職者サマさ。ラビって呼んでよ」
「知らないわよ。離して、あたし、反省なんかしないったら」

 ライラは、机とラビの手の間に挟み込まれてしまった両手をなんとかして引っ張り出そうと藻掻いている。
 彼女がラビのことを知らないにしても、無謀だ。
 此方はエクソシストだ。
 しかも、ではない。
 ラビだ。
 は体の使い方が驚くほど上手だが、単純な力勝負ならラビの圧勝である。
 力も筋肉も上背もある。

 そんなラビが、渾身の力で押さえつけている手は、硬い。

「やめてよ! なんなの、離せ! 離せってば!」

 硬いのは、骨に皮が張り付いているようにガリガリに痩せているからだ。

「じゃあ、机叩くのやめろよ」

 掌ではなく、骨を押さえつけているからだ。

「あたしに命令すんな! やめろよ! ああそう、鈍臭くって罪ぶかーいあたしを、力尽くで更生させようってワケ!」
「違ェよ!」

 頭の上から怒鳴ったけれど、彼女はこれっぽっちも怯まない。
 刑務所ではそんなことは慣れてしまっているのだろう。
 ライラは憤怒の表情でラビを睨み上げ、そして、――怯んだ。

「何で自分から悪者になろうとするんさ!」

 なんで、こんなに入れ込んでしまったのだろう。

 自分で自分のことが全然わからない。

 与えられた情報をどのように並べ替えても、彼女が犯人だとは、ラビには思えない。
 時間がない証拠がない動機がない手段がない。
 明白なのに、誰にも手を差し伸べられずに罪を着せられた。

 あたしじゃない、と。

 ただ一言言ってくれれば、ラビはを何としても説き伏せて、彼女の力になってやるのに。

 感情のまま震えながら怒鳴りつけると、ふとライラの顔がはっきりと見えた。
 先程までは、実はよく見えなかった。
 彼女はずっと俯いていたから。
 目だけがラビやティアラやサマンサを見上げていたから。

「だって……、アンタ達が言ってんじゃない」

 肩の力がすっかり抜けてしまうと、見ていて気の毒になるほど痩せ細った華奢な女性だった。

「あたしのこと、悪者って……アンタらが言ったんじゃない……」

 涙声に、頭が冷える。

 腕に触れた手に、頭が冷える。
 見下ろすと、が掠めるようにラビに微笑んだ。

 彼はティアラとサマンサの間に割って入った。

「はじめまして。俺はヴァチカンの聖職者、。俺達は最近ローリー家で起きている事件を解決するために、きみの話を聞きに来たんだ」

 口を挟ませずに説明して、それから空気を含むように微笑む。

 ティアラの、サマンサの、ポピーの、そしてライラの意識がぐっと彼に引きずられた。
 引き込まれた。
 掴み取られた。

「思い出すのは苦痛かもしれないけれど、教えてほしい。出来ることなら、詳しく」

 淡々と言葉を重ねるが、ラビの袖を引いて笑う。

「コイツは、昨日事件の話を聞いてからずっとこの調子だ。ライラが犯人なはずがない、他に犯人がいるはずだ、どうして今まで誰も救ってやらなかったんだ、って。そればっかり考えているんだよ」

 ラビ自身、ついさっきようやく自分の激情に言葉を当てはめることができたというのに。
 どうしてこいつは、すらすらぺらぺらとラビの考えていることを並べ立てるのだろう。
 まったく、これだから「」は恐ろしいのだ。

 落ち窪んだ眼窩に収まって存在を主張する榛色の瞳が、ラビを見上げる。

「……アンタ、何も悪いことしてねェんだろ。なら、悪ぶるなよ」

 堪りかねて言うと、も言葉を重ねた。

「自分から嫌われるような真似をしなくていいんだ。思ってることは全部言っていい。恨み言も、――会いに来てくれて嬉しい、ってこともね」

 ティアラとサマンサ、ポピーが息を飲む。
 ライラなど息も忘れて、零れ落ちそうなほど目を見開いてを凝視している。
 気持ち分かるさぁ、と頷いてラビは苦笑した。

「こーゆー奴なんさ。驚くだろ? 許して」

 唖然としてラビを見上げ、ライラがぽつりと呟いた。

「……あの、……離して」
「あ。痛かったろ、ゴメンな」
「いいの、……別に」

 痩せた頬を涙が伝う。

「別に、いいの」






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