燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  






 07









 ぱっちりと、自然に目が開いた。

 ラビは光に導かれるように顔を傾けた。
 大きな窓にかけられた豪奢な金の刺繍がなされた重たいカーテンは、たっぷりのドレープをそのままに開かれている。
 内側には繊細な小花が散りばめられたレースのカーテンが下がっていて、それがぼんやりと光を透かしていた。

「そっか、カーテン……下ろさないで寝たっけ」

 そうだそうだ、と一人で納得し、誰に憚るでもなく両手両足を存分に伸ばして大欠伸をした。

「んーっ、ぐぐぐ、ぐあーっ。よく寝た!」

 なんと素晴らしい寝心地だったろう。
 肌のどこにも引っかかることの無い柔らかな布地の寝具。
 寝る前には上掛けの布団を少々重たく感じたが、その重さが良かったらしい。
 足の疲れもすっかり取れている。
 軽すぎる布団は快眠には向かないのだろうか。
 意外だ。

 軽やかなノックの音が聞こえる。
 ベッドから出たくないと思っていると、答える前に扉が開かれた。

「失礼いたします。……おはようございます。ごゆっくりお休みになれましたか」

 執事の下僕か。
 ラビ達より少し年上の青年だ。

「おはよ。めちゃくちゃよく寝たぜ……このベッド丸ごと教団に引き取りたいくらいさ」
「お気に召したようで幸いです」

 小さく微笑む彼は必要以上に部屋に踏み込むことはせず、扉の横で姿勢を正した。

「居間に朝食をご用意してございます。よろしければ、こちらに運ぶことも出来ますが、いかがいたしますか?」
「下行くよ。オレ以外の二人はどうしてんの?」
「エゴール様は、私がお訊ね申し上げる前に下へ。様も先程下へ降りられました」
「そ。んじゃ、オレもすぐ行く」
「かしこまりました」

 下僕が下がってから、ラビは名残惜しく枕に頬を擦りつけた。
 離れがたい。

「(オレより早くが起きてる)」

 もしも普段の任務と同じように「任務だから寝ない」などと抜かしたのだとしたら、なんと勿体ないことをしたのか。
 後で詰問すべきだ。
 ラビは、軽く服を整えた。
 任務中は寝る間だろうと団服を脱がないというエクソシストは多いが、昨晩のラビはジャケットだけは脱いでいた。
 や神田のようなロングコートでない分、着脱が苦にならないのが良いところだ。

 顔を洗って眼帯を直し、バンダナを上げれば準備完了だ。

 唐草のレリーフがあしらわれた繊細な手すりを撫でながら、階段を降りて居間へ入る。
 真っ先にラビに気付いたのは執事のブレイクだったが、それと同じくらい素早く立ち上がって会釈をしたのがエゴールだった。
 彼の斜向かいに座っていたティアラが驚いた顔でラビを振り返り、それから取り繕うように微笑んだ。
 少し目が腫れている。

「やあ、おはよう。よく眠れたかい?」

 オリバーは、昨日の気まずさの欠片も見せない。
 ラビは少し鼻を掻いた。

「おはよーさん。人生最高の寝心地だったぜ、なあ、?」

 ん? と顔を上げたはデニッシュを摘んでいた。
 あらかじめ料理を大皿に並べられた料理を自分で好きなだけ取っていけるビュッフェスタイルだからか、彼の前にはデニッシュやサラダ、フルーツなどが並んでいる。

「うん。あのベッドが教団にあったら、二度と部屋から出ていけないよな」
「ははは、それは光栄な評価だ。任務成功の暁には、教団にベッドを寄贈しようか?」
「あー、そりゃ遠慮しとく。最高の提案だけど、エクソシストが任務に行かなくなったら教団は終わりさ」

 ラビはざっと料理を見渡した。
 既に四人も円卓についているというのに、ソーセージケーキも、マフィンも、ポーチドエッグも、カリカリのベーコンも、何もかも取り放題だ。
 全種類をたっぷり皿によそって、ティアラの隣席に座る。

「毎日あれで寝てたら、学校のベッドは眠れないんじゃねェ?」
「ふふ、お陰様で、学校ではお寝坊いたしませんのよ」
「言うねぇ」

 まったく、嫌味が上手だ。
 ラビは笑いながらポーチドエッグを頬張る。

「朝飯も美味いっす」

 ブレイクに向かって言うと、彼は小さな会釈を返した。

「料理人に伝えます」
「そういや、あの霊媒師サンは?」
「エレジー様は今朝早くにお目覚めになられまして、すぐお帰りになりました。昼前にロンドンで打ち合わせを控えているそうで」
「ふうん。間に合うんかな……」
「ラビ、いま皆で話をしてたんだ。今日の予定のことだけど」
「ん、どうする? 今日は……、」

 マフィンを齧りながら窓の外を見遣るが、どんよりとして今にも降り出しそうだ。

「かなり『いい天気』さね」
「そう、『いい天気』なんだ。今晩片がつけばいいとは思うんだけど。その前に、……刑務所に行ってみたいと思って」
「刑務所? ああ、メイドか」

 極論、エクソシストはアクマの討伐さえすれば良い。
 ただ、は任務のたびにアクマの材料になった人間の心情を慮りその背景を知りたがる。
 それに今回は、得体の知れない事件の渦中に身を置くことになるから、事件をよく知る人物に話を聞きたいのはラビも同じだ。

「馬車で三時間もあれば行けるらしい。急げば……夕方には戻って来られるはず」
「んじゃ、さっさと食って行こう。って言いたいところだけど、ちょっと待って、めちゃくちゃ美味いからおかわりしていい?」

 が咽せる。

「もちろん。それくらい待つよ」
「それでね、ラビ様。わたくしと侍女と、家庭教師のテイラーさんもついていって宜しいかしら。わたくしも……ライラの話を聞きたいの」

 思いがけないところからの提案に、ラビはティアラをまじまじと見た。

「言っちゃ悪いけど、お嬢様が行くようなところか?」
「お父様は、良いと」

 伯爵を見遣ると、オリバーはゆっくりと頷いた。

「皆様のお邪魔にならなければ」
様も、良いと」
「テイラーさんも現場にいた人だから、道中、少し話せたらいいと思って」
「なら、別にオレも構わねェけど……」

 オリバーは既に食後のコーヒーを飲んでいる。
 ティアラはブレイクから紅茶を受け取り、エゴールは口を拭いている。
 は食べるとなると食事が速い。
 早くもフルーツの皿に取り掛かって、桃のコンポートにフォークを刺しながら、彼が顔を上げた。

「けど?」
「いや……めちゃくちゃ急かされてるみたいだから」
「急かしてないって、ゆっくり食べろよ。聞いた? ブレイクさん。この屋敷の食事は絶品だって、絶対シェフに伝えてくださいね」

 そう言っただけでなく、控えていたブレイクも控えめながら笑っている。

「確かに、承りました」



 ***



 昨日の四人乗りの馬車にと共に乗り込む。
 向かいの席にはティアラと、髪を引っ詰めた背の高い女性が座った。

「サマンサ・テイラーと申します。サマンサとお呼びください」

 エゴールとティアラの侍女ポピーは御者台に乗っている。
 ラビとは軽い自己紹介を済ませ、早速本題に乗り出した。
 事件の話をするならばエゴールの助力が欲しいところだが、まさか彼を中に入れて令嬢を外に出すわけにはいかない。

「早速だけど、事件の話を聞きたい」
「長い話です。既に、事件の概要はご存知と伺いましたが……」
「お二人は、ライラが犯人かどうか疑っていらっしゃるのよ」

 サマンサが首を傾げる。

「私も疑っております。けれど、使用人の証言など警察には信用されませんでした。私の話に聞く価値は無いと思われますが」

 が微笑む。

「あなたが持っているのは重要な情報だよ。俺達は、この奇怪を解決したいと思ってる。どんな事でも対処できるようにしたい。屋敷で何が起きるのか、細かく知っておきたいんだ」
「では、……あの、私が思っていることを正直にお話ししても?」
「思うままに喋ってもらった方がオレらの為になる。思うこと、見たもの、全部喋ってもらいたいさ」

 ラビの答えに、ティアラも口を添える。

「お二人は、あなたの話を信じてくださるわ」

 ティアラの後押しで、サマンサはようやく深く頷いた。

「……あの日、私はずっとアニーお嬢様とライアン坊っちゃまと共におりました。パーティーの始まる前から、……お二人が亡くなるまで、ずっと」

 彼女の膝に、ティアラがそっと手を置く。

「お嬢様は赤いドレスをお召しになりました。元は、母親のルビー様と揃いの予定だったのですが、ルビー様のお気が変わられて。あの赤いドレスは、お嬢様にとてもよく似合っていらっしゃいました」

 サマンサは気丈な表情をしてしっかりした声で話しているが、震えた手でティアラの手を上から握り返した。

「ライラは少し不器用で、それに、ルビー様に睨まれてしまうと失敗を重ねてしまうたちでした。ですから、私は彼女と共にお子様方への配膳を行ったのです」
「じゃあ、あなたは子供達というより、ライラと一緒にいたんだね」
「そういうことになりますね」

 の言葉に、サマンサが頷く。

「前菜から、スープ、メイン、デザートに至るまで、ライラと共に運びました。私はローリー家のお子様方に、ライラはストーン家のお二人に、同じ食事を同時に運びました。ですから、ずっと一緒に動いておりました。もっと言うなら、ディナーの前に軽く食事をしたのも、階下の同じテーブルです」
「パーティーの前に彼女がどこかに毒を仕込んだりするのを見た?」
「見ていません。彼女はそれまでキッチンに近付く暇も、自室へ戻る暇もなかったと思います。それに、ライラは給金の大半を実家へ送っていましたから、余分に使えるような手持ちはありませんでした」
「パーティーの途中でライラが一人になるタイミングは無かったんさ? 必然的に、その時ゃアンタも一人になってたハズだけど」

 才媛は悪意を込めた挑発には乗らなかった。

「途中で彼女がスープを床に零しまして、その時は流石に布巾を取りに階下へ戻りました。私は、フィナス様にお話をしましたので居間におりました」
「きっとフィナスお兄様がライラを揶揄うか何かして、テイラーさんに叱られたのでしょ」
「ええ、お察しの通りです、お嬢様」
「わたくしのお兄様達への遠慮なんて、いいのよ。きっぱりお話しになって、テイラーさん」

 この次男の評判が悪いからこそオリバーも奇怪を解決する気になった訳だが、故人だというのにつくづく良い話を聞かない。

「大広間の食事が一段落した頃、お子様方はヘンリー様がお持ちになったトランプで遊ぼうとしておりました。アニー様は、何かをヘンリー様に見せようとして、今を出て大広間を通り、自室へ上がられました。そこで、ライラはお子様方に紅茶と茶菓子を差し入れようとしたそうなのです」
「アニーの部屋はどこにあるんだっけ?」
「子供部屋は地上三階です。アニー様は何も持たずに駆け戻っていらして……何やらひどく動揺しているご様子でした」
「動揺。どうして?」

 が口を挟んで、話を止めた。

「上に行って、目当ての物が無くなっていたのかな」
「盗まれたとか? にしては……」

 適当に相槌を打ったラビは、考え込む。
 ちょうどタイミングとしては、大人の女性陣が化粧を直していた時間だ。
 大人の男性陣は大広間から応接間に移動しようとしていて、結果的にそのうちの二人の遺体が地上二階で発見されている。

「……死体を見た?」

 呟くと、がハッとした顔でラビを見た。

「まさか。二人の死体が見つかったのは部屋の中だろ」
「部屋の中で見つかったからって、部屋の中で死んだとは限らねぇさ。足か腕でも持って引きずっていけば、女だって死体を動かすことくらいはできる」
「ラビ様、それは、……つまりアニーお姉さまが、ライラが死体を運ぶところを見たという……?」
「かもしれないっつう話。大体、ライラがその二人を殺したかどうかはマジで分かんねェさ。オレは、そんな時間は無かったんじゃないかって疑ってるけど」

 ラビは、昨日の話からその点が気にかかっている。
 ライラがアダムスとオスカーを殺すのは不可能ではないか。
 自分を虐める女主人、ルビーに殺意を抱くならまだ分かる。
 けれどその男性二人を殺すには動機が判然としないし、忙しくこき使われていたならばその時間も無かったように思えるのだ。

「なら、男二人が揉めていたのを見た? 二人は刺し違えでもしたとか」
「まだその方が納得出来る。二人ともルビーの夫と仕事仲間だろ? 例えば、オスカーとルビーが不倫でもしてたんなら、理由はバッチリさ」
「だとしたら、アニーの行動の意味がよく分からない。片方は父親だぞ? 他人と父親が命に関わる深刻な揉め方をしていたら、少なくとも母親のルビーか……そうだな、気心知れたオリバーさんに助けを求めるだろ。オリバーさんはアニーにとって、そんなに信用ならない相手か?」

 の疑問には、ティアラが首を振る。

「父は、わたくし達きょうだいと同じようにアニーお姉さまに接しておりました」
「アニーお嬢様も伯爵を慕っておいででした。いずれ義理の父君になられる方でしたから、ぜひ気に入られたいとおっしゃることもありました。緊急時に頼るには十分な人物であったと思います」

 サマンサも拳を握って主張する。
 ラビは、一度頷いた。

 この二人が、父と雇い主に対して評価を甘くしている可能性は捨てきれないが、何故オリバーを頼らなかったのかというの疑問にも一理ある。

「自分の部屋に物を取りに行ったアニーは、部屋に辿り着く前に二階の事件に関わる何かを見て、引き返してきた。――二階の事件の真相がどうあれ、この事実はどうやら変わらなそうさ」
「アニーが二階に行った時、ライラは紅茶の準備をしたんだよね。あなたは何をしてたの?」

 が話を向けるとサマンサは肩を竦めた。

「私は、執事のアーロンと共に大広間や居間の食器を片付けておりました。居間の方は食べ盛りのお子様達でしたから、食器を下げるのも簡単で……カードのためにテーブルを整えて、一度キッチンに降りてから、大広間の片付けを手伝いに。その時にアニー様がお部屋へ上がられて、そして駆け戻って参りました」
「戻ってきたお姉さまと、何かお話をしませんでしたの?」
「いたしませんでした……声はおかけしましたが。彼女は居間へ入って……坊っちゃま達は既にカードを広げておりましたので、隅の椅子へかけていらして。私は、食器を下げたらお話を伺うつもりでおりました。キッチンへ向かう途中、紅茶を運ぶライラとすれ違いました。そして、シェフのディランに食器を預け、上へ戻ると……お子様方は……」

 声を震わせるサマンサは、決して泣かなかった。
 拳が震えている。
 体が震えている。
 ティアラが支えていなければ、きっと背筋を伸ばしてはいられない。

「お医者様がご到着するまでの長い間に、上階で旦那様やお客様が遺体で発見されたことを知りました。女性陣はお子様方と居間におりましたが、男性陣は大騒ぎでございました」
「それで、――」

 ラビが続けて訊ねようとするのを、の手が止める。

 何を言うでもなく、馬車の中の空気が彼の微笑みの下に置かれる。

 思わず息を飲む。

 厳かで強烈な威圧感ではなく、両手を器にして水を受け止めるような柔らかさで。
 柔らかいのに、その中身を決して零さない安定感で。
 サマンサの溢れる悲しみを、の微笑みが一滴残らず掬い上げる。

 暗い車内で、彼の漆黒の瞳を食い入るように見てしまう。

 釘付けになってしまう。

 心を吸い取られてしまう。

 サマンサは、瞬きもせずに見入っている。
 見入ったその瞳からほろりと一粒、流れた涙が頬を伝ってしまえば、もう次から次へと止まらない。
 同じように見入っていたティアラが、の微笑みに促されて傍らの家庭教師を見遣る。

「悲しんでいいのよ、テイラーさん」

 小さなハンドバッグからレースのハンカチを取り出して、サマンサの手に握らせた。

「六年も経っているからとか、大人だからとか……お二人はそんな下らない理由で責めたり貶めたりしないわ」

 掠れた声でありがとう、と呟いたサマンサは、渡されたハンカチを握り締める。
 それを口元に当てて嗚咽を堪える彼女を前にして、が肩を竦めて笑った。

「言いたいことはティアラに言われちゃったな」
「ほとんど様の受け売りですもの」
「はは、全然違うよ。俺から出た言葉じゃない。きちんときみの気持ちに芯を持った言葉だった」

 空気が和らぐ。

 リラックスした体勢で背凭れに寄り掛かり、座席にぽんと投げ出されたの手が、並んで座るラビの太ももに触れる。 

「ちょっと馬車酔いした……朝から食いすぎたかな」
「オイオイ」

 流し見ではなくきちんと顔を向けて様子を伺うが、昨日よりは遥かに健康そうだ。

 一見分からないくらいささやかに、太ももを指先で突かれる。

 それでラビは理解した。
 自分もいつの間にか前のめりになっていた姿勢を崩してダラりと背凭れに寄り掛かる。

「ったくー。気ィ抜けたさ」
「ごめんごめん。サマンサ、ちょっと休憩……落ち着いたら、悪いけどもう少し続きを聞かせて」

 頷いたサマンサに、は微笑みかける。

「到着までは、まだまだかかるみたいだから。焦らなくっていいからさ」



 ***



 「教団の神様」――そう呼ばれるエクソシストがいるのだと聞いた時は、鼻で笑った。
 師匠であるブックマンが歯牙にもかけていなかったから、尚更だ。
 大袈裟に祭り上げられて思い上がった少年がいるのだと、信じて疑わなかった。

 実際に出会ったのが、コレだ。

 ラビやブックマンの抱いた侮蔑など、あっさり打ち砕かれてしまった。
 本人は、侮られたことにさえ気付いていなかったのか。
 否、彼と親しくなった今なら分かるが、彼は恐らくブックマン師弟の先入観など見抜いていただろう。
 けれど、あの日へブラスカの前に進み出たには、優先するものがあったのだ。

「お前、それでいいんさ?」
「……だってもう、決めたんだ」

 彼は、自分を諦めていた。

「だから、いいよ……使って、コムイ」

 あの日の彼の関心は、もう自分自身になど無かったのだ。

 の関心は、彼自身には向けられない。

 だからか、「教団の」とは言うものの彼の庇護する範囲は広い。
 団員だけではなく、こうして任務の先で出会った人間にも、アクマにも、墓の下の死者にさえ、微笑みは向けられる。

 その微笑みが、動き出せないでいる人の背を押して、手を引いて、もう一歩を踏み出す力を引き出すのだ。

 そんな生き方に、疑問はないのか?



 ***



「あの方……ええと、雨宿りにいらした……」
「イスラ・フィーネ?」

 助け舟を出すと、サマンサはすぐに頷いた。
 大広間を担当していたわけでないのだから、飛び入りの客の名などうろ覚えでも不自然ではない。

「そうです。フィーネ様……彼女は、いつの間にか姿が見えなくなっておりました」
「彼女のこと、どのタイミングまで覚えてる?」

 口篭ったサマンサは、慎重に唇を開いた。

「最初は、お子様方の看病に加わっていました。それは覚えております。見知らぬ方でしたが、親身になってくださって。……それから、二階の方が騒がしくなるとそちらにも加わって……旦那様とお客様のご遺体が見つかると、大変なショックを受けていらして」
「雨宿りしたお屋敷でいきなり人が亡くなったりしたら、わたくしだってショックだと思うわ……」
「……つまり、イスラはそういう面では『普通の人』に見えたわけだ。世間一般で想定されるような常識的な情緒を持った人に」

 の声には、疑いの色が深い。

「どういうことさ」
「最終的に死んでるとはいえ、彼女はパーティーの飛び入り参加者……十分に『怪しい』部外者だろ」

 猟奇的な思想を持った部外者による殺人事件の可能性なら、ラビも一通り想像した。
 確かに、イスラは完全な部外者で、異分子だ。
 怪しむ理由はある。
 明らかな他殺体で見つかったのでなければ。

「オレも考えなかったワケじゃねェけど。でも、イスラは首を絞められてた、って資料にあったろ?」
「そうなんだよなぁ……。考えすぎか。もっと、シンプルな事件なのかな……」

 ラビは昨夜聞いた話を思い出した。
 あの霊媒師が、本当に奇怪による犠牲者の霊を喚んだというのなら。
 もし、肝試しでイスラの役を割り当てられてしまった「ウィリアム」の発言が六年前の事件を正確になぞっているとすれば、イスラ・フィーネは夜明けまでは生きていたことになる。

「ドクターが到着して、数時間して夜が明けただろ。その後、イスラはどこに行ったんさ?」
「ドクターを連れてきた使いの馬車を、今度は警察へ送り出して……五時頃、警察が到着するまで、居間ではお子様方が次々力尽きていかれて。私も、ライラも、お傍についておりました。ルビー様も、アニー様がお亡くなりになるまでは居間におりましたし、それからは旦那様のご遺体との間を行ったり来たりと……。でも、フィーネ様はどちらにいらしたかしら……居間にいたのは確かなのですけれど……ああ、そうね、」

 目を瞑り考えながら話すサマンサは、ふと眉を顰めた。

「彼女がいなくなっているのに気付いたのは警察が到着してからです。関係者が集められて、そこでフィーネ様がいないことに気付きました。警察が屋敷の中を捜索して……それで、書斎でご遺体が発見されたのです」

 あれには本当に驚きました。
 独り言のように呟く。

「いつの間に……と、誰もが驚いていて。そこで、突然奥様が――ルビー様がおっしゃったのです。『犯人はライラだ』と」
「ライラにはそんな暇なかったんだよね? サマンサは、彼女とほとんど一緒にいたんだろ?」
「ええ。けれど確かにお子様方への紅茶を準備したのは彼女です。その準備の時間に彼女が何をしていたのかは分かりません。準備に異様に時間がかかっていなかったか、と当時も警察から聞かれましたが、……どちらとも言えないというのが私の感想です」

 ラビは大きく溜息をついて、腕を組んだ。






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