燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
03
ラビ達を待っていたのは、驚くほど丁寧な出迎えだった。
四階建てに見える屋敷と、その両端にある小さな塔。
屋敷の正面には、使用人の男女がずらりと待ち構えている。
その数なんと、九人。
が目を丸くしながら、エゴールに耳打ちする。
「……伯爵って、何人暮らしだっけ」
「元は五人家族でしたが、事件後は三人家族です」
「使用人の数、おかしくない?」
「それを言うなら家のデカさがおかしいさ」
「それもそうだ」
意外にも質素な玄関扉の両脇には、左右対称の階段がある。
向かって右側の階段からシルバーブロンドの髪の男性が降りてきた。
馬車の窓越しにも分かるほど仕立ての上等な服を着ているから、あれがこの屋敷の主人、ベリル伯爵なのだろう。
三人が馬車を降りる頃には階段の下で蝶ネクタイをさっと直し、快活な笑顔を浮かべていた。
エゴールが前に進み出て、ラビとを手で示す。
「エクソシスト様方をお連れしました」
「やあ、ようこそお越しくださった!」
日常的に体を鍛えているのだろうか、教団の屈強な探索部隊員のような体格をしている。
後ろで控えめに微笑む伯爵夫人は、夫にハグでもされたら背骨が折れてしまうのではないかと思うほど華奢で、心配になる。
「わたしは当主のオリバー・ストーンです。こちらは妻のペネロペ」
「はじめまして。主人の願いをお聞き入れいただき、感謝いたします」
ラビは、返答までに一瞬だけ迷った。
今回の任務は、資金援助のかかった政治的な任務だ。
相手は有力なパトロンになってくれるかもしれないお貴族サマ。
いつものフランクな態度で接して良いものか、果たして。
「あー、ラビっす、ハジメマシテ」
ぎこちなく握手に応じるラビに、オリバーが軽く首を振った。
「聖職者さまに敬意を払うべきはこちらですよ! そう畏まらないで、楽になさってください」
「いやいや、……ホントに?」
苦笑いで返すラビの横で、がいつも通りに微笑む。
「では、お互い楽な感じでいきましょう。俺は・、エクソシストです。よろしく」
彼の「いつも通り」に慣れているのは、この場ではラビとエゴールだけだ。
がいつも通りに微笑めば、ペネロペも、後ろに居並ぶ使用人や自分達の背後に控える御者の青年に至るまで。
息を奪われる。
引き込まれる。
視線を取られる。
中でも、直接彼に相対するオリバーの硬直ぶりは際立っていた。
自分より頭一つ分は小柄なを前に、膝をついて頭を垂れてしまいそうなほど圧倒されている。
そうしないでいるのは、背後に使用人を従えているというせめてもの矜持からだろうか。
細かく震える手をギクシャクとに差し出した。
「もしや、貴方が『神様』……」
なるほど、この伯爵は、少なくとも世界各地のサポーターほどには内部情報に通じているらしい。
「そう呼ばれることもあります」
が肩を竦めて差し出された手を握ると、オリバーは微睡みから目覚めたように体を震わせた。
照れ隠しに咳払いをして、頬を掻いている。
「失礼、話には聞いていたのだが……感極まってしまった。まさかお会いできるとは……」
「オリバー、いつまでも立ち話なんてよくないわ」
しどろもどろな夫の傍から助け舟を出したのはペネロペだ。
彼女はラビ達に微笑みかける。
「エゴール様から伺いましたの。任務でお忙しかったとか……お湯を用意させますから、まずはお疲れを癒してください」
「そうだな、そうしていただこう。さあ、三人とも中へ。ゆっくりした後で、一緒にお食事でも」
神にまみえた衝撃から復活したオリバーが、毅然と階段を示した。
が玄関の扉を見遣り、こそっとエゴールに耳打ちしている。
「……この扉は?」
「そちらは使用人の皆様がお使いになるそうです」
「玄関、二つあるのか……」
「裏口もございます」
「……みっつ……」
のげんなりした声が後ろから聞こえて、ラビは思わず吹き出した。
先を歩く伯爵夫妻が不思議そうに振り返ったが、なんでもないと返し、夫妻の後に続いて階上の玄関に入る。
ラビはと共に足を止め、思わずぽかんと口を開けた。
玄関の広間だけでも、教団の食堂ほどの広さだ。
白地に緑と桃色が散りばめられた三色の大理石で作られた柱は、どこかギリシャの神殿にも似ている。
「ひ、ひっろー!」
「教団とどっちが広いんだろ……!」
オリバーが機嫌よく笑った。
「ははは、そうおっしゃって頂けるのは光栄だ。でも、大広間はもっと凝った作りなのですよ」
「お、大広間……?」
正面にはガラス戸がある。
ガラス戸なのだから、当然その先の空間も見えている。
その、玄関ホールの二倍はある大広間は、最上階までの吹き抜けになっていた。
誰だか分からない肖像画が六枚も壁に飾られている。
豪華な暖炉の上には、どこの神話の神か分からない彫刻や、宝石の埋め込まれた謎の置物が並んでいる。
もう、言葉もない。
圧倒されているラビとの前で燕尾服の執事が一礼する。
「それでは、まずはお部屋へご案内いたします」
ラビは振り返ってエゴールに囁いた。
「幽霊屋敷より先に、こっちの屋敷の地図が必要さ!」
***
客間は、階段の先に一人一部屋で用意され、室内には浴槽まで準備されていた。
突然の訪問なのに、準備万端である。
三人はそれぞれ割り振られた部屋で身支度を整えてから、ラビの部屋に集合した。
「エゴールの部屋はどこなんさ?」
「俺の隣だよな」
階段の正面がラビ、その隣の角部屋が、西側の部屋がエゴールだそうだ。
驚くことに、この階には他にも客室があり、伯爵一家の部屋もあるという。
「僕は屋根裏部屋で結構ですと申し上げたのですが……」
「え、屋根裏もあるの?」
「つーか、四階にはどうやって行くんさ? 上に行く階段、見当たらねェんだけど」
この階は、地上三階。長方形の吹き抜けを囲む廊下は、どこに立っても階全体が見渡せる。
しかし、四階へ上がる階段がどこにもない。
エゴールがこの屋敷の地図を開いた。
「先程急いで作ったので、一枚しかないのですが」
ラビは少し気まずい思いで確認する。
「オレが言ったから?」
「お気になさらず。確かに広大なお屋敷ですからね」
文字は走り書きだが、線がきっちり定規で引かれているのが彼らしい。
階段で三階に上がった時、正面にあるのがラビが宛てがわれたこの部屋だ。
この部屋は南向きで、玄関ホールの真上にある。
隣室で南西の角部屋は、その隣の西側の部屋はエゴールに宛てがわれている。
一つ一つの部屋に玄関ホールと同等の広さがあることにも驚きだが、この階には他にも客室があり、伯爵一家の部屋もある。
広い。
「この階には部屋が十室あります。部屋数よりもひと部屋の広さに重点が置かれているとか。大きなパーティーで多くの客人を招いた際は、東西の小さな塔へお通しするそうです」
東西の塔は二階建てで、この本館とは大広間のある二階からのみ行き来ができるらしい。
「裏のメインガーデンの景色を楽しめるようになっているそうです。東西合わせて二十四室あります」
「俺、小さいの定義を見失いかけてる」
「全く同感さ」
地上に接する一階は使用人の仕事部屋や私室、厨房など、二階には先程圧倒されてしまった大広間や食堂がある。
が三階の一部屋を指差した。
「エゴールの隣の、この部屋は何? 部屋の中に階段があるの?」
「そうです。そちらは使用人の皆さんの階段で、この階段を上がると屋根裏の四階まで行けるのだそうです」
「屋敷の奥にはその屋根裏が無いね」
「はい、屋敷の北側は三階建てになっているのです。屋根裏は使用人の私室ということで、僕もそこでいいと申し上げたのですが、あいにく空きが無いそうで……僭越ながら、お二人と同じ仕様の客室をお借りしております」
探索部隊の中にはアクマを破壊できるエクソシストを特別視する者も多い。
エゴールははっきりと両者に序列をつけるタイプだ。
「一室空けてくださいって言うのも使用人さんに悪いしな」
「ええ、流石にそんな我儘を言うわけにもいかず……」
が宥めているが、彼としては流儀に反する行為で、相当に不本意なのだろう。
はっきり顔に書いてある。
「いいんじゃねェの。部屋が隣の方が、こうして連絡も取りやすいさ。それにしても、使用人は使うルートが違うんか。あっちは? 問題の幽霊屋敷の方」
「ローリー邸も同じです。主人一家とは別で、使用人の階段があります。そうだ、ローリー邸には地下がありますので、潜入の際はお気をつけて」
「この屋敷には地下は無いんだ?」
ふわふわのタオルで濡れた髪を拭いていたが手櫛で髪を整える。
「はい。ローリー邸の方は地上三階が居住空間で、使用人の空間を地下に置いているのです」
「地下ってことは、窓が無いんじゃないか?」
「げーっ、使用人は陽の光も浴びるなってか?」
エゴールにしては歯切れも悪く、肩を竦めた。
「そうかもしれません。伯爵の領内で聞き込みをしましたが、ローリー一家については、資産家ゆえの妬みもあるのでしょうが、あまり良い評判は聞きませんでした」
その時、控えめだがはっきりと聞こえる絶妙な加減で扉がノックされた。
ラビが応じる前にエゴールが扉を開ける。
ここはラビに宛てがわれた部屋なのだから、別人が対応したら驚かれないだろうか。
「皆様こちらでしたか。お食事の準備が整いましたので、宜しければ下へお越しいただきたいのですが」
部屋に案内してくれた執事の声だ。
二人が立ち上がったのを確認して、エゴールは執事に向き直った。
「ありがとうございます、いま参ります」
三人で部屋の外に出ると、当主よりひとまわり年上に見える執事は、少しだけ目を丸くした。
「どうかしたんさ?」
「先程、浴槽を片付けにメイドが伺ったかと思いますが……」
ラビは頷く。
着替え終わったところで後片付けに困っていたら、ちょうどいい頃合いで現れたメイド達によって手際よく片付けられた。
も頷いているので、同じなのだろう。
そう言うと、執事は軽く首を傾げた。
「その際に洗濯物をお預かりしませんでしたか?」
「ああ、コレは団服なんで。オレら、同じものを何着か持ってきてるんさ」
やっと納得したように彼は頷いた。
「さようですか。お預かりした分は明朝にはお返しいたしますね」
が執事に微笑みかける。
「そういえば、お名前聞いてもいいですか?」
「これは失礼いたしました、私は執事のチャーリー・ブレイクと申します」
「ブレイクさん」
「使用人に敬称は結構です、様」
「じゃあ、お言葉に甘えて。さっきエゴールから屋敷の地図を貰ったんだけど、使用人の居住地は俺達も出入りしていいのかな?」
階段を降りる足を止め、ブレイクが振り返る。
「それは、調査の一環でしょうか?」
「そう。もうエゴールから聞き込みをされたかもしれないけれど、改めて俺達からも話を聞くことがあるかもしれないから」
「エゴール様にも申し上げましたが、主人の秘密や不利益になることはお話しできかねます」
使用人の鏡のような執事は、そう断ってから深く頷いた。
「ですが、調査に協力するよう、使用人には私から話を通しておきます」
「ありがとう。一番邪魔にならない時間帯はいつですか?」
の振る舞いは独特だ。
もともと立場の違いに固執しない上に、「神様」として傅かれることには慣れている。
けれど相手が身内でもなく随分歳上でもあるので、元帥に相対するのと同じくらいには丁寧な話しぶりだ。
ブレイクの側はその丁寧さも不要だと思っていそうだが、そこを一歩譲らせて、有無を言わさず自分のペースに巻き込み、懐に入るのが上手い。
否、自分の懐に入れるのが上手い、という方がいいのかもしれない。
「明日の昼過ぎでしたら」
「今夜は忙しい?」
「今晩は軽いお食事の後、交霊会が予定されております。ご存知でしたか?」
三人は互いの顔を見る。
「初めて知りました」
エゴールが代表して答えると、ブレイクは頷いた。
「奥様のご友人や、直近の幽霊騒動でご家族を亡くした方、それと霊能者の方が屋敷においでになります。教団の皆様方にとっては、興味深いものかと拝察致しますが」
有能な執事だ。
後に続いて階段を降り切り、ラビは訊ねる。
「それ、オレらも出ていいやつなんさ?」
「奥様は否とはおっしゃらないと存じます。こんなことは私が申し上げるようなことではないのですが……、」
吹き抜けの大広間を横切り、伯爵一家が待つ応接間の扉に手をかけたブレイクはそこでくるりと振り返った。
「ご家族のためにも、一刻も早い解決をお願いいたします」
「さあ、それは約束できないな」
がさらりと告げる。
眉を吊り上げるブレイクへ、笑顔のまま答えた。
「俺達はイノセンスかアクマに関する事件しか解決できないからね」
「まあ、もし真相が幽霊屋敷とか呪いとかっていうんなら、今日来る霊能者の方が役に立つかもしれねェさ」
「解決に至らない可能性もあるというわけですか?」
「その場合は、もう素直に神父様を呼んで祈祷してもらった方がいい。亡くなった子供達のことを思うなら、どうか貴方からも頼んでみて」
渋面で唸ったブレイクは、唇を引き結んで強く息を吐いた。
「……畏まりました」
***
通された居間には、細やかな金属の枠で支えられた大きな水槽があった。
黒の縞模様に、鮮やかなオレンジ色の背中、透明なヒレをひらひらと靡かせる魚が泳いでいる。
が興味深そうに中を覗き込んだ。
「って、魚好きなの?」
「……いや、別に」
「ふーん」
「そちらはエンジェルフィッシュというお魚ですわ」
夫人のペネロペが、ソファから首を巡らせて微笑む。
「綺麗ですね。ペネロペさんは魚がお好きなんですか?」
「そういうわけではないのだけれど、息子達が亡くなってから飼うようになりましたの。ヒレが優雅で、名前の通り天使みたいでしょう?」
「確かに、見ていたら少し癒されるかも」
「ね。分かっていただけて嬉しいわ」
ラビは壁に飾られた羊の角を見上げた。
彼の方の趣味なのだろう、ここぞとばかりに胸を張ってオリバーが隣に並ぶ。
「きみはこっちの方が好きかい?」
正直、興味の度合いは魚といい勝負だし、ラビは骨を見上げるより肉を食べる方が好きだ。
しかしここは否定せずにいる方がいい。
「羊の角ばっかり……他は飾らないんさ? 鹿とか、山羊とか」
「いやあ、あの螺旋の形が好きなのだ。美しいだろう」
理屈は分からないでもないと頷きつつ、ラビはあるオブジェを指差す。
一本だけ、羊のものではない角が飾られている。
人の身長よりも長い、巨大な角だ。
もしかしたら、あれは角ではなく、牙だろうか。
「あれは? あんなデカい羊、いや、動物? 見たことねェ」
「マンモスの牙だよ」
「あっ、ああ、……なるほど!」
なるほど、あんなに大きな動物はそうそういない。
「たまたま手に入ってね。記念に飾ってみたのだよ」
「へぇー。実物は初めて見た。良いモン見してもらったさ、じじいに自慢しよ」
ぐうぅぅ、とラビの腹が鳴る。
ペネロペは此方を振り返り、も顔を上げる。
エゴールは、澄ました顔をしてブレイクと共に壁際に佇んでいた。
オリバーが申し訳なさそうに眉を下げる。
「すまないね、娘がさっき帰ってきたばかりで。すぐに着替えて降りてくると思うのだが」
「や、こっちこそ。ははは」
気まずい。
が大声で笑うのを必死に堪えている。
ペネロペもドレスと同じ黒い扇で口元を隠しているが、あれは確実に笑っている。
笑いが収まってから、彼女はふと首を傾げた。
「そういえば、エゴール様に伺ったのですけれど、生き物を召し上がらないというのはラビ様?」
「それは俺です」
が手を挙げる。
「パンとスープくらい頂ければいいので、気にしないでください」
「そんなわけには参りませんわ。ブレイク、配膳を間違えないように頼みますよ」
「畏まりました、奥様」
その時、ブレイクの脇の扉が勢いよく開いた。
濃い紫のドレスの裾が、本人より先に現れる。
入ってきたのは母親に似た小柄な少女だ。
「遅いじゃないか」
父に叱責された娘は小さく肩を竦める。
「ごめんなさい、お父様」
「エクソシスト様方にご挨拶を」
ラビ達と同じ年頃の彼女は、スカートを摘まんで小さく膝を曲げた。
父親に似たシルバーブロンド、癖のない髪がさらりと肩を流れる。
「お待たせして申し訳ございません。わたくしはティアラと申します」
「オレはラビっす、よろしく。……おい、」
何も言わないを促すと、彼は生返事をして微笑んだ。
「ああ、うん……・、エクソシストです。はじめまして」
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