燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  






 02









様、ラビ様、お待ちしておりました」

 南西部アンバーレイ地方の丘の町ベリルで二人を待っていたのは、敏腕探索部隊員エゴールであった。
 凛々しく生真面目な太い眉が印象深い。

 が朗らかに微笑んで彼に近寄っていく。
 二人の身長はつい先日まで同じくらいだったが、最近身長の伸び始めたがエゴールをほんの少し追い越していた。

「久し振り、今日はよろしく。ラビと任務に出たことはある?」
「いいえ、任務では初めてです。ラビ様、よろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げられ、ラビはつられて頭を下げる。

「なにもそんな堅苦しくしなくたって」
「これが彼の流儀だから。な?」
「ええ、どうにも落ち着かないもので。早速ですがお二人とも、馬車へどうぞ。道すがら説明させて頂きます」

 そう言ってエゴールが指差すのは、黒く艶めく四輪の大型馬車だった。
 ラビは思わずひえ、と呟いた。
 が感心したように馬車を見上げている。

「でかい馬車だな」
「でかいどころの話じゃねェよ。今どき、貴族でこんな金のかかるモン……」

 御者が此方を見ているので、ラビは曖昧な愛想笑いを向けて言葉をぼかし、を馬車へ押し込んだ。
 ラビが続き、最後にエゴールが入って扉を閉める。

 鞭のしなる音、馬の鼻息。
 ゴトン、と馬車が動き出した。

「ラビ様の仰る通りです。昨今は伝統ある貴族の名家よりも、ひょっとすると起業家の御宅の方が余裕があると聞きます。そういう観点から申しますと、ベリル伯爵家はかなり裕福な貴族と言えるでしょう」
「そうなんだ。じゃあ、例の気前のいい話も、口から出まかせってわけじゃないんだね」
「恐らくは。僕も数日前から滞在しておりますが、贅沢な生活をされてますね。もっとも……」

 もともと御者に聞こえるような大声は出していないが、エゴールは声を潜めて少し笑った。

「先程、御者のミスター・ネイサンから伺いましたが、こちらの馬車はお屋敷でも一番上等な馬車だそうですよ。ベリル伯爵の御一家が揃ってパーティーにおいでになる際に使われるとか」

 ラビは、意図が分かった。

「見栄を張るとき専用ってワケ」
「そういうことですね」
「まったく、貴族も大変なんだな……」

 肩を竦めるへ穏やかに首肯を返し、エゴールが背筋を伸ばした。
 抱えていた資料の束を二人にそれぞれ手渡してくれる。

「資料はこちらです」

 書類を受け取った金色は、暗い馬車の中で早速紙を捲っている。

 エゴールはしばらく二人が思うままに読み込む時間をとってくれた。
 とはいえ、文字を読むことには長けている二人なので、さして時間はかからない。
 ラビが全てのページに一通り目を通し終わった頃、エゴールが軽く咳払いをした。

「西の湖畔に建つローリー家の屋敷が、件の幽霊屋敷です。六年前まで、屋敷には銀行頭取のアダムズ・ローリー氏の御一家がお住まいでした。六年前の七月二十八日、アダムズ氏の誕生パーティーの最中に殺人事件が発生したのです」

 資料一枚目に貼り付けられている白黒の写真が、幽霊屋敷のものだろう。
 窓から見える琥珀色の石造りの建物とは違って、随分と濃い色をしたレンガ造りの豪邸だ。

「殺害されたのは当主のアダムズ・ローリー氏をはじめとして、長女、長男、雨宿りに立ち寄った女性、客として招かれていた脚本家、そして今から向かうベリル伯爵家の長男と次男でした。他に、アダムズ氏の妻が後日行方不明になっております」

 ラビとは顔を見合わせる。

「一晩で七人……結構な大量殺人さ」
「アクマが七体生まれてもおかしくないな」
「犯人は捕まってんのか?」
「はい。屋敷のメイドが犯人とのことで、即日逮捕されております」
「メイドぉ? 暗殺者の間違いじゃねェの」

 一晩で七人も殺すなんて、なかなかの手練だ。

「屋敷の執事と、子供達の家庭教師を務めた女性は現在ベリル伯爵家で働いております。ベリル伯爵夫妻も問題のパーティーに招かれており、事件当日は彼らが警察を呼んだそうです」
「自分達の息子達が殺されたんじゃあ、そうだよな」

 書類に目を落とし、それから今にも降り出しそうな窓の外を見た。
 道端で遊んでいた子供達が馬車を指差すのが見えた。

「さて、一方で、奇怪というのは、事件の半年後に発生し、現在まで断続的に続いています。雨の晩にローリー氏の邸宅を訪れると殺人事件に巻き込まれる――というものです」

 四ページ目をご覧ください、エゴールの指示で、ラビは紙を捲る。

「そちらに記載されておりますのが、六年前の事件当夜についての警察資料です。それとそっくり同じ出来事が、今も屋敷で繰り返されています。そして侵入者は事件の被害者としてキャスティングされ、衣服を残して姿を消してしまうそうです」

 が片手を挙げた。

「まず聞きたいんだけど、晴れの晩には絶対に、ない?」
「はい、雨の夜だけです。実は一昨日の夜、僕も屋敷に入ってみました。霧が出ていたのですが、ご覧の通り、無事です」

 探索部隊は危険も承知の役目だが、一人で突入してしまうのは勇敢というより向こう見ずだ。
 危険な任務に真っ先に志願するという噂は真実のようだとすぐに分かった。
 ラビは呆れて思わず笑ってしまう。

「オレ達を待てばよかったのに」
「いえ、事前の調査で分かったのですが、晴れの晩の肝試しは『失敗』するそうなのですよ。以前、霧の夜に失敗したという少年たちがおりましたし、それで……。中の間取りが分かった方が便利かと思いまして」

 が苦い顔で首を振った。

「確かに、間取りが分かるのはありがたいけど……無茶はしないで。次からは一人で行かないで、エクソシストを待って欲しいな」

 姿勢を正していたエゴールの、膝の上の手をそっと握り、が彼の顔を覗き込んだ。

「だって、お前が死んだら悲しいよ、エゴール」

 胸元をきゅっと絞られるような息苦しさ。

 言葉を、瞳を、直接向けられたのはエゴールだが、ラビまで一緒に惜しまれているような気がして、どうしようもなく申し訳ない気になる。
 この金色を悲しませてはいけないと、自分の中で誰かが首を振る。

 本人に自覚はないのだろうが、エゴールはに視線を釘付けにされていた。

 「教団の神様」が空気を束ねるというのは、一滴で致死量となる毒を空気中に混ぜられるようなものだ。
 あの漆黒に直接覗かれてしまったら、逸らすことは出来ないし、逃れることもまた、出来ない。
 恐らくは、空気を支配している自覚がある。
 教団の食堂や聖堂の中にいる彼を傍目から見ていると、時折その意図を感じる。
 ただし、少なくとも今は、彼の方も無自覚であるように見えた。

 一足先に我に返ったラビとは違って、完全に絡め取られたエゴールは掠れた声で「申し訳ありません……」と呟いた。
 が微笑む。

「……無事に合流出来て本当によかった」

 馬車の中の空気が一気に軽くなった。

 知らず強張っていた肩を解すと、向かいに座るエゴールもつられたのか、深呼吸と共に肩を上下させていた。

「ところで、どうして雨の夜だけなんさ? 例の事件の日に雨が降っていたからー、とか、そう言うこと?」
「え、ええ。恐らくは」

 元の調子を取り戻して、エゴールが頷く。

「雨の晩、ローリー邸を訪れると六年前の殺人事件が目の前で発生します。訪問者は事件の配役に組み込まれ、必ず一人は失踪者が出るのだそうで……たいてい、失踪者は衣服や、その切れ端を残して消えております」
「ははーん、なるほど。ベリル伯爵は中央の誰かさんと知り合いなんだろ? もともとアクマのことを知っていて、それでピーンと来たんかな」
「そのようですね。そこで、一刻も早くこの奇怪を解決に導いて欲しいと……つまりは、アクマを退治して欲しいと」
「けど、配役って言ったって……」

 が背凭れに背中を預けて息をついた。

「どういう風に組み込まれるんだろう? たとえば、侵入者は自我をなくして事件当夜の被害者と同じ行動をとるとか? それとも、侵入者は思いのまま動くことができるけど、被害者の一人と同じタイミングで死んでしまう?」
「いや、侵入者に意思があったら事件と同じ結末には至らないんじゃねェかな? 事の次第を知ってるやつが侵入したら、事件が起こる前にそれを阻止することもできるはずさ」

 エゴールが首を振る。

「生存者の話によれば、侵入者は自由意志での行動ができず、翌朝気付くと一人が犠牲になっているのだそうです。配役としては……リストをご覧ください。この、被害者の中の『雨宿りに立ち寄った女性』に当てはまるとか。確認したところ、再現されたパーティーの中に、その女性の幽霊らしきものは存在せず、犠牲になった者がその役を割り振られていたとのことです」
「犠牲になるやつが男か女かで、パーティー参加者の話してる内容だとか、そういう細かい違いが出たりしねェのかな」

 ラビは言いながら顎に手を当てた。

 被害者と、被害者の一人に当てはめられた侵入者が毎回死ぬ、雨の夜のパーティー。

「なあ、これ、どこまでがアクマの能力だと思う?」

 が先を促すように此方を見る。

「今分かってんのは、アクマが殺人パーティーで『雨宿りの女性』を殺すってことくらいさ。アクマが能力で事件を再現してるんだとしたら、アクマ自身はパーティーの間、どこで何をしてるんだろうな」
「そうだなぁ……」

 窓の外を見遣った彼の視線を追って、ラビも外を見る。
 広い農場の横を抜けると小さな森があり、その先の丘を目指して馬車は進んでいく。

「参加者の一人なのか、それとも『雨宿りの女性』に該当する人が一人になる瞬間を隠れて待ってるのか。……それか、幽霊屋敷とアクマが別物ってこともあると思う。幽霊屋敷は本当に幽霊屋敷で、そこにイノセンスがある、もしくはその場をアクマが利用した、とか」
「ははっ、本物の幽霊屋敷なんて……」

 ラビは笑い飛ばしたが、とエゴールの瞳は真剣だ。

「ちょっと待って、マジで言ってんの!?」
「うん、マジだよ」
「ないないない、無いさ、それはない」
「それが実は、ラビ様……」
「何さ!」
「僕は探索部隊として各地の奇怪を調査しているので分かるのですが、あながち無いとは言い切れない――」
「やめて!?」

 ひとしきり怖がっていると、そのうちがくすくすと笑い出した。

「ごめん、つい」
「しかし実際、説明のつかない騒動というものはイノセンスよりも頻度が高いのですよ」
「……ってこともあるからさ、可能性の一つとしては考えてみてもいいと思うんだよね」

 不謹慎さ……と肩を竦めたラビだったが、ふと資料の一節を思い出す。

「そういや伯爵夫人、交霊会にハマってるって?」

 エゴールが頷いた。

「はい。昨今の紳士淑女の嗜みとまで言われておりますし、奥様方のお茶会などでもよく話題になるのだとか。伯爵夫人は事件の被害者になったご子息達のことを今でも気に病んでおいでで、かなりの頻度で霊媒師の方を呼ばれるそうです」
「……じゃあ、伯爵夫人は幽霊屋敷の幽霊は、自分の息子達の霊だって信じてんのか?」
「で、伯爵の方は幽霊屋敷はアクマとかイノセンスの問題であって欲しい、って思ってるのかな?」
「話を伺うと、そのような印象をうけます。ベリル伯爵は、とにかく夫人の交霊会への入れ込みようが気の毒で心配だということを繰り返し主張されます。それに、事件が再現されるとなると、事件当夜の自分達とご子息達もあの屋敷に存在するということにもなるのです。こちらも、大変迷惑だと」
「確かに、そりゃあいい気分はしないさ」

 考えてみれば、ますます奇妙な話だ。
 死んだ息子二人が幽霊屋敷に現れるというだけならまだしも、伯爵夫妻を含めて生き残った参加者の「霊」も現れるとなると、本人達も複雑だろう。

 が資料を膝に下ろし、ぐっと窓枠に凭れた。
 目を閉じ、深く息をついて、それから彼は瞼を少し持ち上げる。

「伯爵と……その伯爵夫人、よく千年伯爵に出会わずにいるもんだね」

 伏し目がちの漆黒の瞳は、足元の何でも無い空間を見下ろしていた。

 伯爵夫妻がアクマではないか。
 筋は通る。
 伯爵家で犠牲になったのは息子ふたり。
 夫婦でアクマになるだけの数は揃っている。
 しかし、エゴールはきっぱりと首を振った。

「いいえ、これまでの滞在中、伯爵ご夫妻からは解決は急かされるものの、大変親切にして頂いております。……僕に、アクマを見分ける目のようなものでもあればよいのですが」

 ふふ、とが楽しそうに微笑み、ラビ達の視線を受けて肩を竦めた。

「ごめん。まあ、伯爵一家がアクマだとしたら、エゴールが今日まで無事でいられたわけが無いよな」

 何か愉快な点があったかとラビは少し気になったが、に話す気はないのだろう。
 彼は、話さないと決めたことは決して口を割らない。

「……けど、千年伯爵が彼女に目をつけていないのも、やっぱりおかしいとは思う」
「たまたま千年伯爵に気付かれていないだけということも……」
「千年伯爵は、悲劇を見逃したりしないよ」

 ――俺は、知ってる。

 呟くその声は、雨を含んだ地面のようにあまりに暗く、険しく、重たい音色で足元を這う。

 呼吸を摘み取られたのはエゴールだけでなく、ラビもまた同じだった。
 断言する口調とは裏腹に、の眼差しはぼんやりとしていて、鈍い。
 自分も疲れていて眠いし、やっぱりこいつも眠いのかな、なんて頭の片隅では考えることが出来るのに、口に出すことが出来ない。
 無遠慮に、無造作に、なんてことない些末なもののように、自分達の空気はいとも簡単に握り締められてしまう。

 の頬が窓枠に触れるのをただただ見つめていると、不意に彼の漆黒が見開かれた。

 ふっ、と空気が軽くなる。
 突然、息がしやすくなる。

 我に返ったように、がラビとエゴールを見つめ返した。

 ラビの目は彼の瞳に浮かんだ微かな戸惑いを捉えたが、はそれをエゴールに気取られる前に一瞬で雰囲気を取り繕った。
 爽やかな微笑みが、先程までの重い空気を拭い去る。

「夫人のことは、三人とも注意して見ておこう」
「そうだな。……くああー、まずはメシ食って寝たいぜ」

 大きく欠伸をすると、それを見たエゴールもつられたように口を動かした。
 唇は閉じているが、あれは間違いなくラビの欠伸がうつったのだろう。

「伯爵邸のベッドは、とてもふかふかですよ、ラビ様」
「そうこなくっちゃ!」

 ガッツポーズで拳を突き上げたら、ガンと天井を叩いてしまった。

 とエゴールが顔を見合わせ、ラビは拳をさすりながら、三人はしばし笑い合った。






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