燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
01
ラビは瓦礫に寄りかかって、ぼんやりと空を見上げた。
時間帯を考えれば、太陽は高い位置にあるはずだが、どんよりと垂れ込める雲がその光を遮っている。
戦闘の余波を受けて散らばった薔薇の花の香りが鼻をくすぐる。
今にも降り出しそうな空模様だ。
せめて雨になる前には汽車に乗るなり宿に入るなりして落ち着きたいところだ。
三日前、ラビとは室長コムイから指令を受けてロンドンの郊外にやってきた。
なんでも、ひと月前からフルリスという村で突如住人の誰とも連絡が取れなくなったというのだ。
様子を見に行った役場の人間も、知り合いを訪ねて村へ立ち寄った人々もまた、同じように行方知れずになってしまったのだとか。
皆が困惑する中、「馬鹿げた噂を信じて人が寄り付かなくなった隙に、オレが取引を独占してやる」と豪語した商人と連絡が取れなくなり、町の警察が捜査を始めた。
商人の馬車の轍を辿ると、村の外に壊れた馬車が、そして商人が着ていた衣服の一部が見つかった。
馬車を牽いていたはずの馬は消えていた。
そんな話を聞きつけた探索部隊は調査を開始し、結界装置越しに「村の中にアクマが蔓延っている」という報告を残して全滅した。
このままでは、この村を根城にしてアクマが近隣を荒らし回ってしまうだろう。
この村の中にとどまっているうちに破壊してしまわなければ。
ラビとが到着してみると、フルリス村は報告通り、アクマの巣窟だった。
生存者は皆無。
村の外に出ようとするアクマを<鉄槌>で殴り、<福音>で撃ち抜き、<聖典>で一斉に仕留める。
自分達を襲おうとするアクマをまた<鉄槌>で殴り、<福音>で撃ち抜き、<聖典>で防御する。
ただひたすらにそれを繰り返して丸一日と半分、ようやくラビと以外の物音が全て消えたのだ。
「……お前、何体倒した……?」
「分かんない……数えてない……お前は」
「オレ途中で何体かまとめてぶっ飛ばしちまった……」
「でも、覚えてるんだろ……思い出して数えれば……?」
「今そんなことしたら、寝る……」
「あっ、そ……」
たった二人のエクソシストに対して下す任務にしては、大規模すぎたのではないだろうか。
きちんと数えていないにしても、確実に各々、三桁は相手取ったはずだ。
いや、やむを得ないことだというのは痛いほど分かっている。
黒の教団はいつだって人員不足に嘆いていて、中でもエクソシストは限られた人数しかいないのだから、一箇所にそう何人も派遣するような余裕は皆無だ。
ラビが師匠のブックマンと共に入団してすぐの頃には、歴史的な大敗北も喫した。
あれから一年程度では、劇的に団員が増えるなんて奇跡は起こり得なかったし、あの時の犠牲者数を補う人員を確保するだけで精一杯だった。
しかし、だ。
貴重なエクソシストだからこそ、もう少し安全を考慮して三人での任務にしてくれてもよかったのでは、と思わなくもない。
いくらラビが、自分はそこそこ戦える方だと自負しているとしても。
いくら同行者が、二つのイノセンスと適合しイノセンス三つ分の働きをすると評判の・だとしても。
せめて、ここに神田かリナリーでもいてくれたらもう少し楽だったろう。
「(……や、それは高望みだな)」
二人揃って息も絶え絶えにぐったりと項垂れていたから、相手の異変に気付くのが遅くなった。
どさっと音がしたので顔を上げると、が地面に倒れていた。
「おいおい、」
声をかけるも、呻き声しか返ってこない。
「マジか。おーい、!」
考えてみれば、敵の数が多すぎてもかなり思い切って<聖典>を多用していた。
一気に複数のアクマを相手取る技は、彼曰く「第二開放」に値するもので、身体への負担が大きい。
脈も呼吸も、早くて弱いがあるにはある。
ぺちぺちと頬を叩くと、彼は少しだけ目を開けた。
「……ごめん、……帰ろっか……」
そうして地面に投げ出した手に力を入れて起き上がり、立ち上がろうとするので、ラビは慌てて押し止める。
「いやいや、背中貸すから、乗れよ」
「ううん、大丈夫……」
「だいじょばねェさ! いいから、ほら」
こういう時は有無を言わさず押し切ると良い、とは神田の言だ。
あまり人を寄せ付けないあの黒髪の剣士と、人好きのする黄金色の神様は、比較的よく一緒に行動している。
サポート派、特に探索部隊などからすると、神田をおちょくったりからかったりできるは凄い、という話になるのだが、ラビからすれば逆だ。
単に負けず嫌いなのか、意地っ張りなのか、格好つけなのか、はたまた「教団の神様」だからか。
そのどれもが正解なのだろうが、極端に他人に弱みを見せたがらないを簡単に背中に負ぶって運べる神田は、凄い。
肩に、背中に、重みがかかった。首筋に金色が項垂れる。
「、できたら自分で掴まってろよ」
ラビはよいせと掛け声をかけて立ち上がった。
<聖典>の副作用があるとき、が素直にそれを見せる相手は神田と自分くらいだろう。
それに、いつも誰にでも微笑みを向ける彼が、自分達二人にはたまに無表情を晒している。
付き合いの長い神田はともかく、なぜラビにまでそうして気を許してくれるのだろうか。
自分の踏み込み方が上手いからという理由より、ラビが純粋な教団のメンバーではなく、ブックマンの後継者という立ち位置だから、という理由の方がしっくりくるのが、どこか悔しい。
以前に訊ねたら、彼はからりと笑ってこう言った。
「お前は仲間だよ、ラビ」
線を引いているのはお前の方だろう。
そう付け加えられ、ラビの方が確信を突かれてドキッとした。
結局理由は分からないままだ。
けれど、彼の信奉者たちが目にすることのできない神様の一面を覗くたびに高揚する自分がいるのは間違いない。
特権を得たようで、なかなかに気分がいい。
「(とはいえこればっかりは、喜んでらんねェさ)」
――さて、コムイに任務完了の報告をしなければ。
それを済ませなければ、帰りたくても帰ることが出来ない。
ラビは難を逃れて無事だった公衆電話に辿り着き、電話台に凭れ掛かりながらゴーレムを繋ぐ。
通信班は今日もスムーズに室長へ連絡を繋げてくれた。
「よーっす、コムイ。任務完了したぜー」
『ああ、無事でよかった……二人とも連絡ないから心配したよ』
通信の向こう側からコムイがほっと安堵したような穏やかな声を返してくる。
「しょうがねェだろ、ずっと戦いっぱなしだったんさ……もう、ほんっとクタクタ。疲れたし、眠いし、腹も減ったし。今すぐベッドに寝っ転がりてェ」
『お疲れ様、ありがとうね。……いやあー、そんな時に、本当に申し訳ないんだけど……』
嫌な予感がする。
思わずうんざりした顔でコードに繋がったゴーレムを見ると、ゴーレムも困った目をしてラビを見下ろした。
『本当に本っ当に、悪いんだけど……近場でもう一件、行って欲しいんだ』
片手でも空いていたら、バンダナを毟り取って地面に叩きつけていたところだ。
「だーっ、今から!? これから!? オレら、二日位殆ど戦い通しだったんだけど!?」
耳元で大声を出したからか、が僅かに頭を動かした。
不明瞭な声で、なに、と呟いている。
『分かってる、悪いと思ってるよ! でもみんな今、ちょっと遠い国にいるんだよねぇ……キミ達が一番近いんだ。汽車に三時間揺られてくれたら、すぐ着くから! 現地に着いたら駅で探索部隊が待ってるし、宿よりいいベッドと食事を保証するから!』
「は? どーゆうことさ、それ……あー、いやいや、そういう問題じゃねェから! あーもう……」
『ところでは? 全然声が聞こえないけど』
「ならオレの背中でぐったりだっつーの!」
「ぐったりなんか、してない……」
「してっから。どう見たって」
、大丈夫、聞こえる? 具合は? コムイが通信の向こうで繰り返しているが、ラビの背中からは反応がない。
否、小さな声が返ってくる。
「任務なら、行こう、ラビ」
「……お前ももうちょっと考えてから物を言えよ……」
しょうがないな。
首を振り、ラビはゴーレムを睨んだ。
「コムイ、ほんとにその任務、宿よりいいベッドとメシが待ってんだな?」
***
「――ラビ。……おい、ラビ」
「んんぅー……あと五分……」
「そうか、置いていかれたいのか、知らなかったなぁ」
「ウソ! ウソ、ウソ、ウソ、起きるって!」
アイマスクの代わりにしていたバンダナを首元まで下ろすと、目の前で黄金色の彼がにっこり笑っている。
「おはよう、ラビ」
「の起こし方はいっつも冷たいんさ。もう少し優しくしてくれてもよくない?」
「十分優しかっただろ。ちゃんと予告したし、お前の意を汲もうと努力してやったし」
そう言って椅子に座り直した彼は、肩を竦めた。
「ありがとな。汽車まで、その……背負ってくれて」
「ああ、それは別に。気にせんで」
ガタンゴトンと汽車が揺れる。
窓の外は、まだ曇り空だった。
夕焼けは見えない。
外の光が弱いからか、それともラビをきちんと目覚めさせるためか、コンパートメントの中には灯りがついている。
気まずそうにはにかむのその顔色は、眠り込む前に見たものよりはまだ良いように見えた。
「で、結局、どんな任務だって?」
「あー、うん、実はオレもまだよく知らねェんだよな」
よいせとバンダナで髪を上げると、がきょとんと目を丸くしていた。
「何で? あれ、コムイからの通信って、俺の夢……?」
「いいや、ちゃんと現実さ。幽霊屋敷の奇怪らしいんだけど、現地に着いたら探索部隊のエゴールが待ってるっつうから」
「ああ、エゴール……あーっ、なるほど」
「な? オレもヘトヘトだったし、そんな時に通信で聞くよりアイツから直接聞いた方がよっぽど分かりやすいだろ」
エゴールというのは、ラビより六つ年上の探索部隊員だ。
一緒に任務に出たことはないが、人柄はよく知っている。
礼儀正しく、穏やかで冷静、情報収集の几帳面さと記憶力では右に出る者がいないと評判だ。
危険な任務があると真っ先に志願し、その度に大きな怪我もなく必ず生還するという。
殉職者が多く、人の入れ替わりが激しい探索部隊の中では珍しく、なかなかの古株である。
「オレが聞いたのは、ベリル伯爵の領地に幽霊屋敷があって、そこで何年か前の殺人事件が再現されてる、ってことくらいさ」
「ふうん。そういう幽霊屋敷なら、この国では珍しくもないと思うけど」
「観光スポットにすりゃあ儲かりそうなのにな。なぁんか知んねェけど、オレらがこの奇怪の原因を取り去ったら、その伯爵が中央庁に寄付までしてくれるらしいぜ」
「へぇ、随分必死なんだな……依頼主も、中央庁もさ。まあ教団は金がかかるんだろうけど」
自分達の団服ひとつとっても、黒の教団を維持するには多額の費用が必要だろうと簡単に分かる。
科学班の研究にも金がかかるし、教団の外では見ない高度な科学技術が利用した様々な機器もそこかしこに揃っている。
ジェリーが管理する、いつでも何でも食べ放題のあの食堂を維持するだけでも大変だ。
「寄付の額によっちゃあ、この依頼をとってきたヤツがルベリエに代わって長官になってもおかしくないと思うぜ」
「じゃあ、政治問題ってやつか。……そういうの、苦手だなぁ」
つまらなさそうに呟く彼に、ラビは思わず笑ってしまう。
教団のサポート派からは崇められ、エクソシストからは朗らかで確かな信頼を向けられ、科学班からは弟のように親しまれる「教団の神様」だが、中央庁が彼に向ける目は少し異なっている。
金は絡まないが、「教団の神様」は十分に政治問題の渦中に置かれる存在だ。
団員の士気を手軽に高めることができる都合の良い道具として利用すべきだと捉える者もいれば、「神」を騙って団員を惑わせ無用な崇拝を集める危険な存在であると主張する者もいる。
ただそこにいるだけで心を支配する彼本人の雰囲気にすっかりのめり込む者もいる。
そして、「神の寵児」と予言された存在を手元に引き寄せることが出来れば、自分も神の覚えがめでたくなるのではと考える輩も、中にはいる。
結局、ルベリエのように「神様」を上手く利用して聖戦を戦い切ろうと純粋に考える者の方が圧倒的に少なく、何かしらの利己的な思惑が、彼を見つめる視線の背後にぐるぐると渦巻いているのだ。
自身が駆け引きの道具にされている、それを、知らない彼ではないだろうに。
は「相手が望む姿」を見せるのが非常に上手い。
相手が自分に何を望み、何を願うのか、それを実現してみせるのが上手いのだ。
ラビはブックマンの後継者として、集団に溶け込むために同じような技術を身につけている。
けれど、はブックマンではない。
そんな必要はないのに、出会った時からそれが上手い。
ラビだって「自分が望む姿」を見せられていると気づいたのは彼が他人と向き合う姿を傍目から見た時だった。
意識してそうしているのか、そうでないのかは定かではない。
だとしても、そんな彼が中央庁の人間から自分がどのように見られているか、気付いていないはずがない。
一人で笑っていたら見咎められた。
「どうしたの」
「べっつにー?」
「変なの。そんなことより、伯爵って響きがなんか、嫌だな。千年伯爵みたいでさ」
「いーやいやいや、その伯爵ってのが重要なんさ! 奇怪はな、雨の晩にしか現れないんだって。だから、いいチャンスが巡ってくるまで、オレ達を屋敷に泊めてくれるらしいぜ!」
「幽霊屋敷に泊まるの?」
「何でそうなるんさ、伯爵の屋敷の方!」
「あ、そっち。だから宿よりいいベッドとメシが待ってるって言ってたのか」
「そうそうそう! 太っ腹だろ? はー、今夜はゆっくり眠れる……」
がちらと窓の外を見遣る。
「今にも降り出しそうだけどな」
「……言うなよ……」
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