燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  






 13









 フィナスを嗜めたのは、ほんの気紛れだった。
 今回この屋敷の事件を暴くきっかけになったのは、彼の評判の悪さだ。
 事前に聞いていた通り、事件当日の台本をなぞるように彼らが動いていたのなら、フィナスがライアンをどう虐めていようがはそれを見逃していただろうし、そうする他なかったろう。

 どうやら異常事態が起きていると分かったのは、アーロンに迎えられた時だ。
 扉の内側にエゴールの気配がした段階で「やられた」と気付いた。
 もう聞いていた通りの展開にはならないだろうと覚悟していたが、まさか大人と子供の居場所まで変わってしまうとは思わなかった。

 となれば、現在ここで動いて食事をしている人々は、「事件の日のままの彼ら」ではない。
 彼らは既に死んでいる。
 ここに居るのはアクマの能力もしくは奇怪で甦った「何か」だ。
 けれどせめて今日、今夜のパーティーくらいは、彼らの魂が慰められるような時間にしてやりたい。
 そう思ってしまったので、つい口を出した。
 その結果が、何故かヘンリーから向けられるこの熱い眼差しである。
 先程までは嫉妬心の籠った目を向けられていたはずなのだが。

。ありがとう、弟のこと」
「俺は別に何も……」
「あいつは身内から見てもあんまり性格が良くないから、あんなふうに誰かに認めてもらったことが少ないんだ」

 今を生前と表現していいのかは疑問だが、生前も死後も家族にさえこんな評価を受けるのは流石に不憫ではある。

「それに、天邪鬼だからいつまでも意地を張って、どんどん態度が悪くなる」
「なんか、すごく苦労してるんだな」
「うん、そうなんだ」

 そう言いつつ苦笑いを浮かべるヘンリーは、なんだかんだで弟が可愛いのだ。

「僕もこれまで、あんなふうにあいつを肯定してやればよかったのかな」
「さあ、俺が部外者だから冷静に聞いてくれたのかもしれないよ。身内じゃ上手くいかないこともあるだろ」

 それに、少し空気をいじって注意を引き付けた。
 ヘンリーでは上手くいかないかもしれない。

「ああ、そうかもね……でもこれから参考にさせてもらうよ」

 彼には、彼らには「これから」が無いのだ。
 それを思うと、詮無いこととはいえ胸が苦しくなる。
 笑顔をつい作り損ねた。
 ヘンリーが怪訝そうにの顔を覗き込むので、その視線から逃れようとした時、外から大きな音が聞こえた。

「何の音……」

 思わず口走ったが、これは間違いなくラビの<鉄槌>が何かを壊した音だ。
 ヘンリーが答える。

「どうかした?」
「え、……聞こえなかった?」
「何が?」

 よく見れば、トランプを出しながらライアンと話すフィナスも、応接間の大人達も、誰もその音を気にしていない。

「いや、……なんでもない。先にゲームを始めてて」

 事件の登場人物達には、聞こえていないのだ。
 は状況を確認するため、大広間に出ようとした。
 後ろから「そうだ!」と明るい声がする。

「ヘンリー、待ってて。この間、お父様が素敵な万年筆をくれたのよ! 見せてあげる」

 アニーが居間を飛び出していった。
 不自然だろうが、もう構うものか。
 はアニーを追い駆ける。

「待て、アニー!」

 彼女は止まらない。
 化粧を直したペネロペ達の前を横切り、食器をまとめるライラの前を横切って、螺旋階段を駆け上がっていく。

 二階の踊り場で、アニーが足を止めた。
 彼女の背後から、は廊下を見る。

「アニー嬢!? ……ここに近付いてはダメです!」

 廊下の中ほどで、エゴールが切迫した表情で叫んだ。
 破壊されたアダムズの部屋の扉から、ルビーが出てくる。
 綺麗に結われていた髪が乱れているが、彼女はそのまま髪飾りを外してしまった。
 手櫛でさっと見た目を整え、一度こちらを振り返る。
 の目の前で、アニーがビクッと肩を跳ねさせた。

 母と娘は数秒見つめ合い、そして母親は口元だけ釣り上げて笑う。
 その頬には、頬を拭った手には真っ赤な血が跳ねていて、アニーが震えながら後退った。
 ルビーは確かにアニーを牽制して、しかし何も語らず自室へ入る。

 ――明確な殺意が、の空気に触れる。

 アニーはやエゴールには気付いたふうもなく、真っ青な顔で転がり落ちるように螺旋階段を駆け下りていった。

「エゴール、子供達を見てて。いざとなったら結界装置を」
「承知しました!」

 言い置いては破壊された扉の中を覗き込み、声をかける。

「ラビ」
、やられた! このザマさ」
「元からそういうシナリオだからな」

 男二人の死体をそのままにしてラビが部屋を出た時、隣室の扉が開いた。
 ルビーが小瓶を手に使用人の階段室へ走っていく。
 は迷わず彼女を追いかけた。

「ルビーとメイソンが逢い引きしてたみたいさ」
「夫婦揃って不倫かよ」

 後ろからラビの足音がする。

「もう、俺達の存在は『なかったこと』にされてるよな。アニーが動き出してから、誰にも声が届かない感じがする」
「オレもさ。二階で事件が動いてから、どれだけアーロンを呼んでも聞こえてなかったっぽいぜ。脚本が元に戻ってるんかな?」

 そうだな、と頷こうとしてふと違和感を覚えた。
 それを深く検証する前に、二人はルビーを追って階下の厨房に入る。

「ディラン、お湯を沸かして子供達に紅茶を淹れてやって。茶葉は私が入れておくわ。私は上に行くから、ライラに持たせて」
「えっ、奥様?」
「オスカーから新しい紅茶を貰ったの。伯爵家のヘンリーも飲むんだから、厨房にある適当な物なんて使わないでちょうだい」
「かっ、畏まりました」

 片付けを始めようとしていたシェフのディランは、慌ててヤカンに火をつけ、ルビーに背を向けた。

 その瞬間だ、ルビーがティーポットに小瓶の中身を全量注ぎ込んだ。
 その上から何食わぬ顔で茶葉を落とす。
 そして、彼女は厨房を出て、小部屋の扉を開けた。
 ここまで来るとにはもう間取りが分からない。
 あれは何の部屋だったか、と首を捻るとラビが呟いた。

「ライラの部屋さ」

 扉を塞ぐように押し入ると、その部屋の机の上に、ルビーが小瓶を置くところだった。

「アンタが事件の犯人だったんだな」

 ラビの声が怒りを孕み、熾火のように熱を持つ。
 炎を吹き上げているわけではない、けれど決して触れない温度でルビーの背中を刺し貫く。

 奇怪の「脚本」が元に戻ったのなら相手に言葉が聞こえない可能性もあった。
 しかし、その心配は杞憂だったようだ。
 ルビーが振り返り、ラビを嘲るように見上げる。
 そんな仕草さえ艶かしいのだから、生前は余程人気のあった女優なのだろう。

「……まさか、エクソシストが此処に来るなんて。どうしてバレたんだろう」
「貴方が記憶に忠実に『脚本』を書いちゃったから――っていうのが答えかな、オスカー・メイソン」

 は<福音>を抜く。

「脚本家の? ……なるほど、夫よりそっちに愛があったってワケか」

 バンダナを直したラビは、すぐさま乾いた声で笑った。

「アホくさ」

 痴情のもつれでアダムズがメイソンを、ルビーがアダムズを殺害した。
 それを見てしまったアニーを殺すため、ルビーは毒物を使って子供達の口を封じた。
 これから子供達が死んだ後で、最後に、二階の出来事を粗方知っているイスラ・フィーネを殺害して真相を煙に巻こうというのだろう。

 人は咄嗟に脈絡のない嘘は付けない。
 紅茶ではなく、あの毒物の小瓶こそが、アダムズを殺害するためにメイソンに手配させたものなのだろう。

「とんでもない!」

 ルビーの皮を被ったアクマが、メイソンのように陽気に笑う。

「試練を乗り越えて絆を深め、ついにひとつになった恋人たちのストーリーだ。これは売れるぞ」
「売れねェっつの! 観客殺しちまってるんじゃ世話ねェさ!」

 アクマはきょとんとした無邪気な顔をして、それから腹を抱えて笑った。

「確かに! 一理ある! あっはっは!」
「っだー! ムカつく、コイツはオレが叩くぞ!」

 相手のペースに乗せられて自分の思い通りに振る舞うことが出来ないなんて、ラビにしては珍しい。
 ライラへの思い入れと、マイペースなアクマの雰囲気が反発して空回っているのだろう。

 それでもは「任せるよ」と頷くつもりだった。

 けれど、やめた。

 アクマの表情が気になる。
 嗜虐心を剥き出しにした三日月状の目。
 唇も人間では有り得ない形に歪ませて耳の上まで口の端を吊り上げている。

「ワタシが書いた脚本通りに、この屋敷の時間は進む。本当なら、書きかけの脚本を披露することは無いんだが、……飛び入りのエキストラのために全て書き直すなんてことは、流石のワタシも不可能でね」

 言いながらアクマが転換する。
 学者のような帽子と白い巻き髪の鬘をつけたような細身の姿、おそらくレベル2だ。
 ラビが<鉄槌>を構えてを扉へ押し遣った。

、上行け! 子供達を殺されたくねェだろ!」
「無駄だ! 止めることは出来ないぞ!」

 長い腕の先は万年筆のペン先のように鋭い。
 それをブンと振り回すと、あっという間に小部屋の壁は崩れた。
 は踵を返す。

「任せた!」
「おう、任せろ!」

 階段へ向かう通りすがりに厨房を見て驚いた。
 ディランの皮が剥け、卵型のアクマが現れる。

 咄嗟に<福音>を構えて発砲した。
 凍結弾で凍りついたアクマが砕けるのを確認して、階段へ向かう。

「ディランが、アクマに……?」

 もしや、登場人物が全員アクマになっているのか?
 それにしては、この屋敷で殺された犠牲者の数が少ない。
 アクマ全員の欲望を満たすほどの犠牲者は出ていない。
 この屋敷以外でもアクマの被害があっただろうか。
 それに、アクマになったメイソンの脚本に沿って素直に役柄を演じている理屈も分からない。
 主従関係でもあるのか。

 もしも登場人物全員がアクマだとするならば、はアクマしかいない地上一階にイノセンスを持たないエゴールを送り出してしまった。
 彼の身の安全が最優先だ。狭く暗い階段を駆け上がる。

 階段室を飛び出す。
 確か、この地上一階は大広間の隣にある食堂と居間、そして応接間が続き部屋になっていたはずだ。
 一番近い食堂の扉を開けて、中に走り込む。
 居間に入るライラの背中が見える。
 声をかけたら子供達の死を阻止できるだろうか。
 否、きっともう何も間に合わない。
 だって、――この屋敷には、殺意が満ちている。
 屋敷全体が殺意で満ちている。

 はライラの背中に照準を合わせた。

 ――凍結弾!

 メイドが凍りつき砕け散ると、彼女が持っていた紅茶のトレイが床に落ち、大きな音を立てた。
 アクマを殺すにあたって高揚したことなど一度もないが、現在生きて見知っている人間を撃つのは普段と少し感覚が異なる。
 どちらにせよあまり気分の良いものではない。

 少女の甲高い悲鳴が聞こえる。
 居間へ入ると、壁際に退避したエゴールの背中にアニーがしがみついていた。
 二人の視線の先には、ヘンリーとフィナスだった卵型のアクマ。
 は連射弾で兄弟を撃ち抜きながら、左の手首に歯を立てる。

「<聖典>――第二開放」

 二人を守りつつ残り十体を相手にするには、こちらの方が手っ取り早い。

 空中に黒い血液の球を浮かべる。

 エゴールには動かないよう伝えて、大広間へ繋がる扉を開け、居間から応接間への接続部に立った。
 応接間からオリバーの顔をしたアクマが、大広間からはサマンサの顔をしたアクマが飛んでくる。
 それぞれの後ろに押し寄せるのはマックス夫妻、ハーヴィー夫妻、アーロン、ペネロペ、死んだはずのアダムズと、オスカー。全員を視界に入れ、唱えた。

「『磔』」

 大きな釘に刺し貫かれたアクマ達が、重たい音を立てて床に落ちる。

「――主よ、彼らに赦しを」

 階下からの轟音。
 ラビの<鉄槌>は室内での戦闘に向いていない。
 下に向かうべきか。
 しかし下手を打つと、あの狭い階段では逆に戦闘の邪魔をしかねない。

「エゴール、アニー、そこは死臭があるから……東の書斎の方に移って」
「畏まりました。立てますか、アニー様」
「な、あ、む、むり……なんなの……なんで、……」

 エゴールの腕に縋りながらすっかり腰が抜けているアニーが、を見上げて震えている。
 アクマの書いた脚本から逃れた彼女には、再びとエゴールが見えるようになったのだ。

 この屋敷にいた中で、どうやら、彼女だけはアクマではないらしい。



 ***



 ラビが扱う<鉄槌>は、の武器とは異なり小回りが利かない。
 こんな狭い室内、しかも地下での戦闘にはまるで向いていない。
 けれど、それならそれでやりようがあるのだ。

「大槌小槌! 満、満……いや、ここまでさ!」

 槌をもう一回り大きくしてしまうと、やりすぎだ。
 アクマが振り回す長く鋭い腕を掻い潜りながら、ラビは部屋の扉を壁ごと殴り壊す。
 使用人達の部屋の壁を次々と破壊しながら、伯爵邸と似た中央の広間へとアクマを誘き寄せる。
 相手の腕の行動範囲も広がったけれど、これでラビの行動範囲も広がった。

 そうして移動している途中で、氷の塊を目にした。
 あの氷の塊、間違いなく<福音>の凍結弾だ。
 それ自体は見慣れている。
 けれど、何故ここに?

「(あれは、……シェフの、ディラン?)」
「ワタシの作品を邪魔するだけ邪魔して、逃げるとはね!」
「飛び入りキャストの出番も作ってこそ、一流の脚本家だろ!」

 まさかこの屋敷にいる者全てがアクマなのか?

 間合いを保って<鉄槌>を掲げる。

「なあ、ちょっと聞くけど、あの厨房のアクマは? この屋敷はお前のナワバリなんじゃねェの?」

 アクマは得意げに胸を張った。

「ワタシの分身さ。登場人物の分だけ、ワタシは自分のパーツを分離することができるんだ」

 パーティーの最中から感じていたが、このアクマの元になったオスカー・メイソンは陽気でよく喋る人物だ。
 話し方はこちらの神経を逆撫でするが、お喋りな点は大変助かる。

「はーん、なるほど。情報サンキューな」

 つまり、この一体を倒すだけでは足りない。
 しかも人間だと思って接していた上階の存在は全てがアクマの分身ということだ。
 一瞬、エゴールの安否が頭をよぎったが、すぐに考え直した。

 ――上の階に行ったのは誰だと思ってるんさ。

「オマエは面白い喋り方をする。次回の公演からは、オマエ達を最初から配役に入れてやろう」
「そりゃあ光栄さ。んじゃ、オレの見せ場用に、とっておきのモンでもご披露するかね」

 ラビは、鉄槌の周囲をくるくると回る丸い印の中から、「火」を選び、叩く。

「良い演出にしてくれよ。第二開放――判、マル火!」

 ここは地下だ。あまり大袈裟な攻撃をすれば、埋まってしまう可能性もある。
 かといって、レベル2を相手にただの打撃では歯が立たない。

 だから勝負は一瞬。

 一度きりで、確実に仕留める。

「劫火灰燼――直火判!!」 

 渾身の力でアクマに槌を叩き込み、ゴォッと巻き上がる炎の蛇を最小限の威力で鎮めてみせた。

 しばしそのままの体勢でアクマの様子を確認する。
 燃え上がったアクマが残した塵が火種として小さく爆ぜている以外に、動きはない。

 ようやく槌を下ろして、長い溜め息をつく。
 巻き起こした悲劇の大きさに反して、存外あっさりとした幕引きだった。
 もっと苦労するかと思ったな、と独りごちながら周囲を見回す。
 最小限の威力に抑えたつもりだったが、布や家具にはばっちり火が燃え移っている。

「……やっべぇ!」

 ラビは慌てて周囲を見回す。
 ここは資産家の屋敷だ。
 期待した通りに水道はあったが、流石に六年も無人だったので、厨房の水道は全く機能していない。

 これはダメだ、逃げるしかない。

 ラビは狭い階段を駆け上がって上階に戻った。
 上階は静かだ。

「おーい! 、エゴール! 無事かー!? ちょっとヤバいことになった!」

 居間に、大広間に、応接間に、アクマの残骸が転がっている。

「ラビ、こっちだ」

 声がしたのは、階段室の隣にある書斎だった。
 そこは、イスラの死体が見つかった場所でもある。
 覗き込むと、とエゴール、そして涙ぐんで座り込む少女がいた。
 即座に<鉄槌>を構える。

「エゴール、退け!」

 戦闘体制のラビを見て、アニーが震え上がってエゴールにしがみついた。
 が手を振る。

「ラビ、大丈夫。彼女はアクマじゃないんだ」
「は、……はぁ!?」

 エゴールがアニーを宥めている間に、がラビの袖を引いて部屋の外に連れ出す。

「人間ってこと? 何、アニーは生きてたんさ?」
「違う。でも、あの子はアクマじゃない」

 何で分かるんだ、などと愚かな質問はしない。
 どうせ「なんとなく」「空気がそう言ってる」「敵意がないよ」このどれかで返されるに決まっているのだ。

 生きていたわけではない。アクマでもない。
 では、まさか。
 さーっと血が下がる音がする。

「ま、ま、まさか……『アレ』……?」
「……そうかも……」
「ひえぇぇ……!」

 叫び出したいのを必死に堪える。
 が悪戯っぽく口許を緩ませた。

「どど、どうするんさ? 連れて帰んの!?」
「俺も迷ってるところ。もうこれ以上は出たとこ勝負だろ。……ところで、何がヤバいの?」
「え?」

 改まって訊ねられ、ラビもふと首を捻る。
 何か切羽詰まるようなことがあったか?

「あ、」

 ――あった。

「やばい。火事さ」
「……はぁ!?」

 今度はが叫んだ。
 二人は慌てて書斎に駆け戻る。

「エゴール! 火事だ!」
「悪ィ、やっちまった! 撤退さ!」
「えっ、ど、どういうことです?」

 揃って慌てた顔を見せたからか、冷静沈着な探索部隊員も流石に困惑していた。
 けれどモタモタしている暇はない、火が広がる前にこの屋敷を出ていかなくては。

「火判で攻撃したら家具に燃え移っちまって!」
「当たり前だろ、室内だぞ!?」
「これでも加減はしたんさ!」

 とぎゃあぎゃあ言い合いながらエゴールとアニーを急かす。
 二人の背を押して大広間を突っ切り、玄関の扉を開けた。
 エゴールが先に外へ出る。
 、ラビ、と続いたところで、足音は止まった。

 三人は振り返った。

「わ、……わたし、ここ、出られない」

 幽霊と呼ばれる存在の中には、場所や物に執着して離れることのできないものがあるらしい。

 赤いドレスに、赤いカチューシャ、赤い髪の毛。
 赤い少女の背中の向こう側で、燃え上がった炎によって階段室が赤々と燃えている。
 が歩み寄った。
 立ち尽くす少女の泣き腫らした頬を、そっと指で拭う。

「怖い?」

 唇を噛んで、噛んで、噛み締めて、アニーはふるふると首を振った。

「強がってなんか、ないのよ。ちょっと怖いけど」
「それは、強がってるって言うんさ」

 頬を膨らませてラビを睨み上げ、それから彼女は少しだけ笑った。

「もう、お母様がお父様を殺したところを見なくていいんだよね」

 が頷く。

「……もう、痛いのも苦しいのも、終わったんだよね」

 ラビも頷いた。

 事件の夜の記憶に囚われたアニーは、六年の間、雨が降るたびにアクマの脚本に巻き込まれ続けたのだ。
 幽霊は、怖い。
 けれど、彼女の六年間の恐怖と比べれば、なんてことのない恐怖だった。

「わぁ、本当に火事だ。私、火事って初めて見る」

 一度室内を振り返ったアニーは驚いた声を上げて、それから三人に向き直る。

「もう行って。……助けてくれて、ありがとう」

 気丈に言ったアニーの手を両手で包み、が頷いた。

 ――玄関は祭壇。燃え上がる部屋はステンドグラス。
 ポーチを降りたラビ達は参拝者。
 神様が敷いた即席の聖域の中で、黄金色が囁く。

「さよなら、アニー。よく頑張ったね」

 涙を零しながら笑ったアニーが、包まれた手での体を押した。
 ギィ、と軋みながら、扉は一人でに閉まっていく。

 赤レンガの屋敷の窓が、炎によって内側から明々と照らされる。

「――主よ、彼らに赦しを」

 祈りの言葉を残して、三人は屋敷に背を向けた。






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