燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  






 12









 奇怪に巻き込まれて役柄にキャスティングされた人物は、基本的には事件当夜の動きをなぞって当事者と同じ言葉を発すると聞いていた。
 自由に動かせるのは、台詞を発していない間の口元だけだと。

「(どーゆーことだ?)」

 聞いていた話とまるで違う。

 雨宿りの客であるイスラ・フィーネはおらず、代わりに、門の外に置いてきた筈のエゴールが一人目の「雨宿りの客」として歓迎されている。
 これでキャストは出揃ったはずだ。
 ラビとは本来存在しない「二組目の雨宿りの客」となってしまった。

「なんだ、二人は僕と同い年なのか」

 伯爵の長男ヘンリーが理知的な声を上げると、その弟のフィナスはラビ達の頭から爪先までを値踏みするように見た。
 その横で申し訳なさそうに肩を竦めて立つのがローリー家の長男ライアンで、好奇心に満ちた瞳で身を乗り出してラビ達を見たのが姉のアニーだ。

 大人は大広間、子供は居間でパーティーをすると聞いていた。
 しかし、大事な「雨宿りのお客様」であるラビとが未成年で、伯爵の息子と同い年だと知ると、アダムズは部屋のセッティングを変えるようアーロンに命じた。

「せっかくだから、みんなで今日という日を楽しもう! 内輪の会だし、子供達も同席させてよろしいかな? オリバー」
「私は構わないよ。ヘンリー、フィナス、行儀よくするんだぞ」

 怪訝な顔でラビに視線を送ったも、同じことを確信したようだ。
 どうやら、台本が変わっている。
 ラビととエゴール、そもそも三人ともが役名でなく普段の名前でこの場に溶け込んでいることが何よりの証拠だ。
 侵入者は事件当夜の誰かの役を与えられる、その大前提が崩れている。

「(てことは、いつ何が起きるか予想が出来ねェってことさ)」

 それはそれで、緊迫感がある。

 アーロンとサマンサ、メイド服を着用したライラ、そしてラビ達が初めて見るシェフのディランによって大広間の大改装が行われ、パーティーは立食形式のものに変更された。
 がほっと息をついたのをラビは確かに見た。
 何せ、運ばれてくる料理の悉くが肉と魚料理だったからだ。
 コースで出されたら、全て断るのは無理だっただろう。

ったら、ドルチェばかり食べてるじゃない。甘いものが好きなの?」

 食事を切り上げてデザートを取りに動いたアニーが、通りすがりにの皿を覗く。

「そういう訳ではないけど、修道院ではこういうお菓子は珍しいんだ」
「清貧な生活っていうんだっけ?」
「うん。だけどお祝いの場で少し羽目を外すくらいは、きっと神様も見逃してくださると思うんだよね」
「あはは、結構都合よく解釈してるのね!」

 意識してか、は最初にアーロンと話して以降ずっと上品な英語を貫いている。
 言葉遣いはすっかり砕けているが、それでもアニーよりよほど堂に入った話し方だった。

「ねぇ、どれが美味しい?」
「チーズの焼き菓子が美味しかったよ。それと、あの小さなパイは絶品だったな」
「お花の形だ、かわいい! でも何が入ってるの?」
「パイナップルだと思う。取ろうか?」
「まあ、ありがとう! 親切ね」

 楽しげな二人を面白くなさそうにヘンリーが見ているので、ラビは少し彼をからかってやりたくなった。
 声をかけようとしたが、グラスの割れる音で妨げられた。
 音の方向を見れば、ライアンが転んで床に手をついている。

「あら、大丈夫? 怪我はないかしら」

 ペネロペが口元に手を当ててこちらを心配そうに見遣ると、彼女と話していたルビーが大きなため息をついた。

「心配症ね、ペネロペ。ただ転んだだけよ。赤ん坊じゃないんだから、気にする事はないわ。もう、みっともないったら……」
「手厳しいなぁ、ルビー。そんな言い方したら可哀想じゃないか?」

 陽気に笑いながらルビーの肩を抱いたのは脚本家のメイソンだ。
 仕事相手の馴れ馴れしい態度に、ルビーは慣れているらしい。
 振り払うこともなく肩を竦める。

「危ない、危ない! 破片は拾わなくていいぞ。アーロン、グラスを片してやってくれ」

 息子を慮ったのはアダムズ。
 アーロンがすぐさまこちらにやって来る。
 半べそをかいているライアンに手を貸したのは、先程まで不機嫌そうだったヘンリーだ。

「大丈夫か? ほら」
「あ、えっと、うん、……ありがとう」

 ぐすっと鼻を啜りながらライアンが立ち上がる。
 気遣わしげに彼を見下ろし、それからヘンリーは弟へと目を遣った。
 何も言わないが、フィナスがライアンの足を引っ掛けたのが今のアクシデントの原因だと分かっているのだ。
 フィナスは素知らぬ顔でジュースを飲んでいる。

「気を付けろよ。自分の家だから気を抜いていいと思ってるのかもしれないけど、絨毯を洗うのだって、タダじゃないんだからな」
「うっ……でも、僕は……」

 口ごもり、そのまま黙り込んだライアンがしおしおと項垂れる。
 どうせ彼らは死んでいるのだ、口を出そうがどうしようが何の実りもないけれど、ラビはライアンの背中を軽く叩いてやった。
 少年が顔を上げる。

「言い返せばいいのに。フィナスがお前に足を引っ掛けたんだろ? オレ、見てたぜ」

 ヘンリーがラビを鋭く睨み、それから表情を取り繕った。

「それは知らなかったな。すまなかった、ライアン。おい、フィナス! ライアンに謝れ」

 信じられないという表情で見上げてくる弟を、兄は肩を竦めていなす。

「たまたま歩き出そうとしたらぶつかったとか、そんなとこだろう? ほら、悪気がなくともぶつかった側が謝るのは当たり前だ」

 いや、悪気しかなかったけど。
 ラビが口を挟む前に、兄の意図に気付いた弟は薄く笑って頭を下げた。

「謝るのが恥ずかしくて誤魔化しちゃったんだよ。ぶつかって、ごめん」

 メイソンが大きな音で拍手をする。

「いい台詞だ! いずれ脚本で使わせてもらいたいね」

 部屋の反対側、上階へ続く螺旋階段の近くでは銀行幹部のマックス夫妻が、ヘンリーとフィナスの父、オリバーに声をかけた。

「自分の非を認めて潔く謝るなんて、なかなかできる事じゃない。さすが伯爵のご子息ですね」

 ライアンは俯いてしまった。
 それでも縋るように上目遣いで母親を見るが、ルビーの目は冷たい。
 美人が人を睨むと迫力があるものだ。
 すっかり怯えてしまったライアンは、小さな声で「別に、僕、怒ってないから……」と呟いた。

 空いた皿を下げるサマンサとライラが気の毒そうにライアンを見遣っているが、伯爵とその子息を前にして一介の使用人が口を挟むのは憚られたのだろう。
 サマンサに皿を預けて、ライラだけが布巾を手にライアンの元にやってきた。

「坊っちゃん、お膝は痛くないですか?」

 そうして彼女が床に膝をついて屈むと、微かに笑う声がする。
 フィナスだ。
 フィナスはライアンよりもずっと体格がいい。
 さらに顎を上げたことで、完全に彼を見下ろす形になる。

「自分の膝が痛いか、痛くないかも自分で分からないのか? それとも、ライラに膝をつかせるのが好きなの? いい趣味だな」
「さっきから聞いてれば。私の弟を馬鹿にするのもいい加減にして」

 にデザートの皿を預けて、アニーがつかつかとフィナスに歩み寄る。
 大人達に声が聞こえない程に近付き、未来の義弟を憤怒の表情で見下ろした。

「まさか学校でライアンが転んだりするのも、あんたが、……っんん、あなたが、足を引っ掛けたりしてるんじゃないでしょうね?」

 ルビーほど強烈な美人ではない。
 けれど、その気の強さは確かに母親譲りなのだと思わせる厳しい目つきだ。
 けれどフィナスは動じず、逆に大袈裟におどけてみせる。

「わあ、すごい濡れ衣だ! ねぇアニー、今、誰に物を言ってるか分かってるんだよね? 僕に今ここで大きな声を上げられたら、困るのはきみでしょ」
「あなたこそ、レディを脅すなんて褒められた態度じゃないわ。可哀想に、お子様だからまだ自分のお家が置かれてる状況を分かっていないのね」
「何ソレ。お前、うちの家を馬鹿にしてるの? 成金のくせに?」

 フィナスがアニーを睨み上げる。
 一触即発の場に割って入ったのはヘンリーとだ。

 ヘンリーは婚約者の肩を引き、さりげなく大人達の方へ目を走らせる。
 揉め事は避けたいという所か。
 本音としてはアニーも同じなのだろう。
 将来の嫁ぎ先である伯爵家の子供を非難するなんて、彼女こそ避けたかったはずだ。
 だから、ヘンリーが「僕からきつく叱っておくから」と言うと彼女は引き下がるしか出来なかった。

 一方はアニーの分の皿を持ったまま、少し離れた位置に佇んで微笑んでいる。
 それだけなのに、フィナスの視線はいつの間にか黄金色に絡め取られていた。
 釘付けになって呆然としているフィナスを見て、ライアンの方が戸惑っている。
 ラビは笑って少しだけ身を屈めた。

「おー、こわっ」

 内緒話のように囁くと、驚いたライアンがラビを振り仰ぐ。

「フィナス、ど、どうしちゃったの?」

 小声で訊ねてきた彼にラビはウィンクを返した。
 微笑んだままのは、ちょうど子供達と大人達の中間に位置する場所に立っている。
 彼の背中を境目にして、まるで透明な壁があるかのようだ。
 大人達は不自然なほどこちらに注意を払わない。

 この部屋の空気を操る者が、其処にいる。

「羨ましいなら、素直にそう言えばいいのに」

 が穏やかに言う。

「将来も約束されている、その上勉強もできて才能がある……ライアンのことが羨ましいなら、素直にそう言えばいい。彼はそれをひけらかしてきみを蔑んだりはしないよ」

 文脈で褒められていることに気付いたライアンの耳が赤くなる。
 の優しい声は、耳にまとわりつくように甘い。

「フィナス、きみはここにいる誰より、細かく考えを巡らせるのが得意だ。素直に謙虚に振る舞うことを覚えたら、きっと魅力的な人になれる」

 ライアンの耳など比べ物にならないほど、フィナスは隠れていない肌の全てを茹でられた海老のように真っ赤に染め上げている。

 羞恥ではない。

 はフィナスを性悪とは決めつけなかった。
 本人達に自覚はないだろうが、もう死んでいて成長もしない彼に対して、が向けた誠意と信用は、大きい。
 少年の心に燻るひねくれた悪意を、解してしまった。

 がふっと息をつくと、部屋を分割していた壁が溶けて消えた。
 アダムズの声がこちらまで聞こえる。

「私達はこれから大人のお喋りをするが、お前達はどうする?」

 アニーとヘンリーはハッと振り返りはしたものの、自我が麻痺して咄嗟に声が出せない。
 「神様」の支配力に慣れているラビが、ここは一肌脱ぐべきだ。

「オレ達はトランプでもするさ。な、ライアン」
「えっ、う、うん! お父様、あの、僕達……居間を使ってもいい?」
「もちろんいいぞ。なんだなんだ、初対面なのに珍しい、随分仲良くなったんだな」

 ライアンがラビを見上げて照れ笑いを浮かべた。
 可愛い弟分を持ったような気持ちになって、ラビは彼の髪をくしゃくしゃと撫でてやった。

 自分の可能性を信じて貰えた、その歓喜に震える弟の姿を意外そうに見つめたのはヘンリーだ。
 部屋を移る時にの肩を叩き、何事か話している。

 一方、アニーが早足でテーブルに近付いた。
 パイナップルのパイとチーズの焼き菓子を二つずつ自分の皿に乗せ、ライラを呼ぶ。

「これ、美味しいんだって。私もまだ食べてないから、あとでこっそり一緒にお茶しましょ」
「えっ、……よ、よろしいんですか? あたしも?」
「一人じゃ寂しいもん。ねえ、いいでしょ、ライラ? 階下に取っておいて、あとで私の部屋に持ってきてよ」
「そんな事しなくても、余ったものでよければいくつでも持っていけますけど……」
「もうっ! 違うの! 自分達の物にしておくのが大事なの! いい? あとで一緒に食べようね!」 
「ひゃっ、は、はいっ!」

 お母様には内緒よ、と小さくウィンクをして、少女は踊るような足取りで居間へ向かう。
 残されたライラはデザートの載った皿を見て幸せそうに微笑んだ。
 それからアーロンに呼ばれ、慌てて片付けを始める。

 ラビはライアンを居間へ押し遣った。

「ラビ?」
「もう一つデザート食べてから行くさ。先行ってて」
「うんっ」

 嬉しいと分かりやすく声が弾むのは、姉と似ている。
 まだ少し怯えながらもフィナスに声をかけるその背中を見送り、ラビは振り返った。

「(はヘンリーと一緒に居間に行った)」

 聞いていたものとはもうすっかり台本が変わっているが、事件が起こるならこの後だ。
 居間の子供達のことはに任せておこう。

 アーロン、サマンサ、ライラが片付けのためにくるくると働き、女性陣は化粧を直す。
 男性陣は応接間へ。
 子供達は居間へ。
 そうして人々が入り乱れる中、上の階へ向かった人物が数人いる。

「(いざって時はこの屋敷、壊してもいいんだよな?)」

 嗚呼、屋敷に入る前に確認をしておくべきだった。



 ***



 地上二階に足を向けた人物は、四人だ。

 螺旋階段を使ったのは、屋敷の主人であるアダムズ。
 脚本が変わった結果、彼の愛人であるイスラ・フィーネはこの場に来ていない。
 代わりに、どうやらエゴールが「エゴール」のままでイスラ・フィーネの立ち位置に置かれてしまったらしい。
 エゴールはアダムズに腰を抱かれ、顔を引きつらせながら上階へ連れられて行った。
 なんとか彼を解放してやらねば。

 もう一組は、螺旋階段ではなく使用人の階段室へ向かったようだ。
 その階段は当然階下へも繋がっているが、向かった場所は間違いなく邪魔の入らない上の階だろう。
 階段を使うべき使用人達はまだ広間の片付けをしている。
 ラビは少し考えて、階段室へ向かった。

 一人分の幅しかない狭くて急な階段を、一段飛ばしで駆け上がる。

 地上二階の扉を開けて廊下に出ると、部屋の中から突き飛ばされ押し出されたエゴールの姿があった。
 彼が出てきた部屋の扉が乱暴に閉められる。

「エゴール!」
「ラビ様、……中にローリー夫妻とメイソンさんが!」
「分かってる!」

 ラビは彼を押しのけて、ドアノブに手を掛けた。
 開かない。
 鍵が掛かっている。

「おい! ここ開けろ! ――何があったんさ?」
「アダムズ氏に連れ込まれそうになったんですが、既に中にルビーさんとメイソンさんがおりまして、……アダムズ氏が激怒して、僕を外へ」

 ドンドンと扉を殴りつけるが、中からの応答はない。

「埒が明かねェ。アーロンを呼んでくれ」

 頷くや否や駆けていったエゴールが螺旋階段の上からアーロンを呼ぶ。

「アーロンさん、上に来てください! 早く! アーロンさん!?」

 ラビはその声を背景にして、肩から扉にぶつかった。
 中からは揉み合う音と怒号が聞こえるが、さすが資産家の屋敷と言うべきか、無闇に扉が厚くて中の声が聞こえづらい。

 階段の方を振り返るが、アーロンが応じる気配がない。

「しょうがない、壊すぞ! これは非常事態さ!」

 大きな声で自分とエゴールに言い訳をする。
 ついでに、吹き抜けを通してアーロンにもこの声が聞こえているといい。

 ラビはイノセンス<鉄槌>を発動させる。
 室内で振り回せるサイズに調整し、掛け声と共に扉にぶち当てた。

「うおりゃあっ! ――おい、全員無事か!?」

 破壊された扉の中で、床に横たわるメイソン。
 メイソンに跨るアダムズが振りかぶったナイフが、妻の浮気相手に突き刺さる。
 そして、ベッドの上に仁王立ちしたルビーが振り下ろした銅像が夫の頭蓋骨に命中した。






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