燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  






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ファイガの酒場「シシィの赤い石」で話を聞いた師弟は、翌日、ファイガの町で情報を集めた。

酒場で聞いた通り、シシィの巡礼は夜間だけに行われるものだそうだ。
魔女シシィの伝説に則って四つの巡礼地を回っていくのだという。

一つ目、ニクシー村の魔女の頭蓋骨に祈ると、目の病が治る奇跡が起きる。
 
二つ目、ピトニラの森の小屋で頭のない魔女のミイラに祈ると、どんな怪我でもたちまち治ってしまう。

三つ目、森から出てヴァラの小川のほとりで魔女の右手の小指の爪に祈ると、恋愛が成就する。
 
そして四つ目、ヴィドス村の魔女の手拭いに祈りを捧げると、死者が蘇る。
 
他国にまでは聞こえてこないが、ケレン地方では地域特有の信仰として著名な巡礼らしい。
特に、頭蓋骨とミイラの奇跡はこの地方で知らぬ者はないというほど有名なのだそうだ。
三つ目の魔女の爪は、真面目な願いをかけるというよりは、ほんのおまじないだ。
ヴァラの少年少女であれば一度は経験済みだとか。
四つ目の魔女の手拭いに関しては、実践する者はあれど、信じる者は少なかった。
事実、前三つの巡礼地が観光客や巡礼者の往来で繁盛している一方で、ヴィドス村は収益も人通りも少ない寂れた印象があったという。

それが二年前の春、巡礼者の一人が死者を実際に蘇らせたという話がにわかに広まった。

きっかけは地方新聞の一面記事だ。
宿屋の前で微笑む女将とその娘、そして二人に肩を抱かれる青年。
青年は夢見心地の表情で「私はこの人の娘」だと語った、とある。

それだけならば、偽りのスクープだと受け流されたに違いない。
悲しみの果てに、亡くした娘が蘇ったという幻想を抱いた憐れな男を食い物にしただけだ、と。
しかしその後、一週間後に一人、三週間後にまた一人、一か月後にもう一人、と同様の発言をする巡礼者が数多く現れるようになった。
分かっているだけでこの三年弱の間に、実に三十人以上が「死者が蘇る奇跡」の恩恵を受けたという。

――どうやらこの奇跡は、ひと月に一人以上のハイペースで発生するらしい。
 
この噂は、あっという間に広まった。
今では打って変わって多くの人々が、一つの望みをかけてヴィドスへの巡礼を重ねているという。
ヴィドス村は急激に三つの巡礼地を圧倒する繁栄を見せるようになった。
 
さらに、ケレン地方での話題性の高まりだけでなく、ハンブルクなど近隣の州から新たな巡礼者が増えている。
結果的に地域全体の暮らし向きがここ二年間でかなり良くなったそうだ。

ここまで聞いて、クロスはすぐに汽車の切符を手配した。

「イノセンス?」

見上げてくる漆黒に首を振る。

「いや、アクマだろう」

私はこの人の娘――では、「この人」はどこへ消えたのか。
姿形は青年のままなのに、本人の意識は「娘」だというのだ。
これは奇跡でも、イノセンスによる奇怪でも何でもない。
魔女の手拭いによる奇跡には、間違いなく千年伯爵が関与している。
 
こうして二人は汽車に乗り、ヴィドスの最寄りであるイヴォナ駅にやって来たのだった。

イヴォナは小さな駅だった。
弁当屋を売っている屋台が一軒。
要るか、と一応に訊ねてはみたものの、首をきっぱり横に振られることは分かり切っていた。
そうだろうなと頷きながら、その前を通り過ぎる。

通り過ぎてから思い直して引き返し、クロスは店主に声を掛けた。

「ヴィドス村へはどう行けばいい?」

店主はクロスの出で立ちに少したじろいだ。
けれどすぐに、クロス達が歩こうとした方向とは反対の道を指差す。

「北をまっすぐですよ……って、えっ、お客さん、此処から巡礼かい?」
「ああ、そうだ」
「ヴィドスは巡礼の最終目的地だよ? もし願いを叶えたいなら、ニクシーから順に巡ってこなきゃならんってのに」
「は? 四つ全部をか、面倒だな」
「それだけの願いをかけるんだ、手間を惜しんじゃならんのですよ。
まったく、汽車で来ちゃったのか……あれなら、八つ前のファイガ駅まで戻るといいよ。あの町の隣がニクシーだからね」
 
願いを叶えたいわけではなく、クロス達はただ順路を辿って事の真相を暴きたいだけなのだが。
そう思っていると、下方から声がした。

「……魔女シシィの巡礼をすれば、本当に、願いが叶うの?」

店主は、クロスの団服に埋もれるように立っているには今初めて気が付いたという顔で、目を丸くさせた。
まじまじと見つめられて、が団服を握る力を強める。

「キミも巡礼に行くのかい」
 
が頷く。

「何にもしないで引き返すのは嫌だから……今、一回行って、道を歩いてみる」
 
店主は気の毒そうに眉を下げた。

「そうか……大丈夫、願いはきっと叶う。巡礼は夜だ。眠いかもしれないけれど、頑張るんだよ。エネルギーが必要だろう、うちの弁当買っていくかい」
 
が慌てて首を振る。
即座に断っておきながら、その割に申し訳なさそうな顔をするのでクロスはつい笑ってしまった。
 
渋って何とか弁当を買わせようとする店主と別れ、北への道を歩く。

「オットーさんは、ニクシーからずっと歩いて来たんだね」
「そうみたいだな。帰りに汽車を使ってれば、もうとっくにファイガに戻ってる筈だ」
「うん……じゃあ、オットーさん、奇跡、起きちゃったのかな……」
 
奇跡という言葉に似つかわしくない表情だった。
とぼとぼと視線を落として歩きながら、が溜息をついた。

「奇跡が起きたんだとしたら、この二十日の間にあのパンパンデブが此処に来たってことだ」
「パンパンデブってだれ?」
「千年伯爵」
 
クロスは新しい煙草に火をつける。

「会わないに越したことはないけどよ。もし会うようなことがあったら、そう言ってやれ」
「ええ……喜ばないでしょ、そんなの」
「喜ばせてどうすんだよ」
「それは、そうなんだけど……」
 
もしもまだこの地に千年伯爵が逗留しているというのなら。
否、「方舟」の扉が此処に繋がっているのなら、遭遇する確率は低くない。
 
フードに隠れた黄金色を見透かすようにじっと見下ろす。
が顔を上げて、クロスを見た。
フードが背中に落ちる。

「師匠?」

 クロスは首を振って、片手で掴める小さな頭にフードを被せた。

「前見て歩け」
「はぁい。……千年伯爵って、ほんとに太ってるの?」
「嘘なんかつくかよ、見た目はパンッパンの風船みたいなヤツだ。オレのパーフェクトボディと比べると、憐れで涙が出るレベルだな」
「じゃあ、きっと師匠みたいに服も着ないで朝日を浴びてたりはしないんだね……」
「どうだろうな、あれで本人は自信があるのかもしれん」

周囲に人通りは殆ど無いので、千年伯爵だのイノセンスだのという言葉を気兼ねなく喋っていられる。
少し歩くと、イヴォナ駅から繋がる道よりもその途中で合流する小道の方が人通りがあったようだと分かった。
そちらが巡礼路なのだろう。
話に聞いた通りの人数が来訪しているのであれば、駅にはもっと人が溢れていてもおかしくはなかった筈だ。
 
「ヴィドス」と書かれた看板。
その下をくぐって、村へ入る。
正面の広場に佇む大時計を、夕陽が照らしている。

が体を硬直させた。
クロスはその肩を叩くように撫でながら、村の様子をぐるりと見回す。
聞いていた通り、急発展を遂げた村だという印象を受ける。
広場周辺と、北の方角の建物だけがいやに真新しい。
一方で、村の入り口である南側や、広場から少し離れた場所は古い建物ばかりが立ち並んでいた。
 
巡礼路から合流してきた人々は、食事処や宿を探しに各々散らばっていく。

「……そういや、巡礼は夜だけって話だったよな?」
 
日暮れとはいえ、何故この明るい時間に移動している巡礼者がこんなにも多いのか。

確認のための言葉に、傍らからは何のリアクションも無い。
触れた肩は引き攣ったようにひくひくと震えている。
ばっと屈んで覗き込むと、見開いた漆黒は瞬きもせず橙色の夕陽を直視していた。
 
否、見えてはいない。
けれど彼の視界は今、過去の黄昏に塗り潰されているだろう。

クロスは舌打ちを一つ零して、彼の上に影を作るように、夕陽を遮るようにの前に立った。
両手で肩を抑える。

、そんなに小刻みに吸うな。しっかり吐け」

いずれ、黄昏時にも戦えるようにしてやらなければならないだろう。
それは理解しているけれど。

「(らしくないのかもしれない)」

マザーが言う通り、こんなのは自分らしくない。
 
何も変わらない。
 
何も解決しない。
 
震える黄金色を自分の体に押し付けて、抱きしめて、彼の怖いものからただただ遠ざけて。
もうこれ以上の傷がつかないように、庇ってやるだけなんて。
途切れ途切れの掠れた吐息で、自分に縋る彼をただ怖いものから遠ざけるだけなんて。
 
絶対、らしくないのだけれど。
 
クロスに縋る手が、離れる。

「……なんで、……みんな、……あるいてるんだろうね」
 
暗い暗い声が呟く。
 
茫洋としたそれは、世の中の恐怖を煮詰めて、煮詰めたものが鍋にこびりついたような、そんな声色だった。
きっと唇は、殆ど動いていない。

「……へん、だよね……」
 
広場を行き交う人々が怯えたように、あてもなく周囲を見回す。
 
――見捨てないで。
 
――見捨てないで。
 
――見捨てないで。
 
たった今自らを侵食したその怯えがどこから来るものか、クロス以外の誰も知らない。

「……ああ、変だな」
 
この空間を無遠慮に無秩序に己の恐怖で蹂躙しておきながら。
この世界を憎みもせずしかし関心も向けず、同情を寄せる一方で本当はもう全部どうでもいいと。
こんな世界に用なんて無いんだ、と。
この世界は全部自分を処刑する場か何かだと。

クロスの前に佇む小さな男の子に、そうして世界を突き放されたが故の怯えなのだと。
クロス以外の誰も知らない。

「明日の晩の巡礼に加わる。今日は新聞に載ってたあの宿に泊まってみるぞ。いいな」
 
こくり、少年は素直に頷いた。
 
心底投げ遣りな仕草だった。






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200314