雷鳥 : 18
















あの日。
夜半、緊急の電話で叩き起こされたバイルは、ざっと状況を確認してすぐ上司に連絡をとった。
電話口の震える声音。
当然だ。
バイル自身も、あの時の自分の声が震えていなかったなどとは、とても言えない。
電話ボックスの前で立ち尽くした彼は、骸の傍らに膝をついた。
事切れたその手を取り、兄の親友へそっと囁く。

「すまない、マース」

立ち上がり方々へ指示を出す姿は、至極いつも通りのオルニス・アドラーに見えた。
この数日を思い返しながら、バイルは普段とは違う立ち位置でオルニスを見た。
人間らしく神妙に俯いたブラッドレイの斜め後ろ。
日頃から着用している正帽、普段は仕舞い込んでいる礼装を纏い、彼は立っている。
帽子の陰には収まりきらない口許を引き結んだ、直立不動の姿勢。
それが崩れたのは、棺を埋めるその時だった。

「ねえ、どうしてパパ、埋めちゃうの?」

後輩の愛娘が、ぽつり呟いた。
無垢な言葉が参列者の涙を誘い、母の強さを挫く。
オルニスが一度大きく肩を上下させた。
バイルも渾身の力で震えを押し止める。
これは、自分達の無力が招いた結果だ。
一番守りたいものを守る為、欲しいものを得る為に、優先順位を付けた結果だ。
自分の選んだ道を、悔いてはいない。
それでも、失ったものの大きさに心が折れそうになった。

「先輩、オルニスは何処に」

葬儀の後で、ロイに声を掛けられた。

「私も捜しているところです。何かご用ですか?」

恐らく夫人と娘に会うのを避けて、身を隠したのだろう。
推測は告げずに問えば、捜し人の兄は眉を下げる。

「いえ、東部にいた私よりも詳しいでしょうから……何故殺されたか知っていれば、と」

いかにも悲しんでいる風だったが、バイルはそっと隣に目を移した。
リザの目が据わっている。
何か、狙って聞きたいことがあるのだろう。
その上司へと目を戻して、肩を竦めた。

「さあ……通り魔か何かでは?」

ロイが眉を吊り上げる。
瞳の奥で、焔が燃え上がった気がした。
穏やかな仮面を取り去って、身内にだけ見せる素顔を剥き出し、バイルに詰め寄る。

「何か聞いてはいませんか。軍がヤバイとは、どういう……」
「――バイル、」

小道の先から声がした。
帽子の下から、鋭い視線が此方を睨め付ける。
バイルは姿勢を正し、リザがその冷たい瞳に息を飲んだ。
ロイが一歩踏み出す。

「戻るぞ」
「待て、オルニス!」

背を向けようとする弟を、兄が呼び止めた。

「少佐に何を言った? 何か心当たりがあるんじゃないのか!?」
「黙れ、マスタング」

静かな声が、ロイの言葉を今度こそ奪い取る。

「此処はアンタの縄張りじゃない。隙を見せるな」

立ち去るオルニスの背を見つめ、バイルは呟くように言った。

「一つ誤解があるようですね」

後悔に腑を焼きながら。
辛い涙を奥へ奥へと押し込めながら。
救いの糸を求めて。

「我々は、あの夜のことを何も知らなかった」

失礼します、と言い置いて、バイルはオルニスを追った。
曲がり角の向こうで待っていた彼は、ちらとバイルを見上げる。

「兄貴に何か言ったか?」
「いいえ、何も」

自分の判断は彼の判断で、彼の判断は自分の判断だ。
随分前に、そう決めた。
だから、その言葉を報告する必要はないのだと、自分に言い聞かせた。









巨体を認めて、オルニスは口を開いた。

「迂闊だぞ、アームストロング少佐」

彼はその場で立ち止まり、小さな目を瞠る。

「アドラー中将……!?」
「大総統閣下の命に背いたな」
「……っ!」

背をつけていた壁から離し正面から見据えれば、彼は怯えたように立ち竦んだ。
そんな必要は、ないのに。
否、今はそれくらいで丁度良いかもしれない。

「何故、その命令の事を……」
「それが今は問題なのか? 違うだろう」

間合いを詰めて、囁く。

「言った筈だ、アンタのような人が国をつくるべきだと。……自分を大事にしろよ」
「貴方は……何をご存知なのですか、閣下」

オルニスはアームストロングから目を逸らした。
小さく息を吐く。

「(嗚呼、空気が薄い)」

あの夜は何が起きているのか、全く分からなかった。
何故ヒューズの手に、ナイフが残されていたのか。
彼ほどの腕前なら、正対する相手など敵ではないのに。
書庫では武器を使えて、何故外では使えなかったのか。
そう考えていたオルニスを尋ねたのは、軍人に化けたエンヴィーだった。

「あの中佐、頭切れすぎ。まあ、いいよね? お前が守りたいのは、焔の大佐だけだろ?」

笑顔に戦慄を覚えたのは随分と久し振りで、そのまま廊下で固まってしまった。
オルニスの協力の為、知らぬ間に人質になっているロイとは違う。
ヒューズは交渉の道具にもなりはしない、知りすぎた人物だったのだ。
何を知っているか、なんて、言えない。
何も手を打てないまま、言える筈がない。
国民全員が人質のようなものだ。
腐った上層部と人造人間達を一時に片付ける策がないうちは、何も出来ない。
誰に言うことも出来ないから、今まで唯々諾々と要求を呑んできたのだ。

「大総統が知っていることは、俺も知ってる。俺が知っていることは、大総統も知ってる」

オルニスはアームストロングを見上げた。

「例外はない。……俺を含めて、全てを敵だと思え」

閣下、と呟く声を置いて、オルニスはその場を離れた。
ここまで言えば、もう少し警戒もしてくれるだろう。
だから、これでいい。
少し歩くと、兄と部下の声がした。
感情が滲み出すような、この兄の声音には聞き覚えがある。
人体錬成の後、目覚めて一番にこれに似た声を聞いた。
浅い息を、軽く整える。

「(嗚呼、空気が薄い)」

オルニスは呼び掛けた。

「――バイル、戻るぞ」









その日。
夕暮れ時に、来客があった。
禁じた筈の酒が仄かに香る。
足取りも気も確かなようだ、軽く引っ掛けて来たのだろう。
しかしエゲルは、いつものように拳骨を振るうのを躊躇った。
そうか、やっと今日葬式だったな。
年若い友人の訃報を思い出して、深く溜め息をつく。
扉を大きく開けた。

「入れよ」

ゆら、とオルニスが後に続いた。
きっと酒のせいだけではない、震える息の音が絶えず聞こえる。
居間に通すと、オルニスがいつものソファにどさりと腰を落とし、前屈みに俯いた。
組んだ掌に目を押し当てる。

「待ってろ、水持ってくるから」

言い置いて台所で水を汲む。
ヒューズの訃報は、流石に堪えた。
妻子を溺愛することばかりが目立つが、彼はとにかく愛情深い男だったように思える。
親友とその弟のことも常々気に掛けてくれていた。
ヒューズの明るさには、エゲルも励まされたものだ。
兄弟が味わった悲しみは、計り知れない。

「ほら、オルニス」

ローテーブルにコップを置く。
小さな声が聞こえた。

「……先生」
「ん?」
「もし、息が出来なくなったら、助けて」
「おう」
「俺、まだ……死にたく、ないんだ……」

声は途中から泣き濡れて、嗚咽が漏れ出す。
エゲルは背凭れに腰掛けた。
初めて会った、まだ子供の頃の彼のように。
自分を偽ることなく声を上げる姿を、久し振りに見た気がする。

「ごめん、マース……っ」

言葉の意を問うのは、エゲルがすべきことではない。
後ろ手にオルニスの背を叩いてやりながら、そっと鼻を啜った。









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