雷鳥 : 01
「其処のアンタ。鎧さん、アンタだよ」
心地好いバリトンに、アルフォンス・エルリックは振り返る。
「さっきから長いこと立ち止まってるが、どうした? 道にでも迷ったか?」
足許には、二つの旅行鞄。
暗い紫のピアス。
ストライプの入った黒のスーツを、あっさり着こなしたその男は、小首を傾げた。
声は、若い。
端正な顔立ちも、若い。
しかし短い銀髪が、彼の年齢を隠してしまっていた。
「いいえ、あの……兄を待っているんです」
「ん?」
男が目を眇める。
「随分若い声だな」
「これは、その」
「あー、いい、いい」
訝る声に説明をしようと口を開くと、いとも簡単に片手で遮られた。
口の端で、彼が笑う。
「こんな髪だろ。俺も、よく言われんだ」
こっち、来いよ。
アルフォンスは、誘われるまま、壁に寄り掛かる彼の隣へ歩を進めた。
「お互い相手が来ないんだし、ちょっと話さないか」
「貴方も?」
「ああ。アンタの……いや、キミの兄貴は? 買い物でもしてんのか」
問われて、吐けない溜め息を思い切り吐き出したくなった。
自然と俯けば、彼がどうした、と尋ねてくれる。
「うちの兄さん、身長の事気にしてるんですけど、さっき通りかかった人に小さいって言われて……
多分、ボコボコにしに行ったんです」
「止めろよ」
「そんな暇もなく、一瞬で追っかけてっちゃって」
「……そうか」
彼は腕を伸ばし、少し考えてから、労るように鎧の背を叩いた。
ほんの少し温かい気持ちになる。
肩を組もうと試みてくれる人なんて、鎧になってから初めて出会った。
彼とて平均的な身長で、別段大きい訳でもないのに。
「貴方は、誰を?」
「部下」
「部下?」
改めて、彼の年齢に思いを馳せてみる。
髪に目を遣らなければ、彼の外見は若いのだ。
とても部下を持つような歳には見えない。
「あの……失礼ですけど、」
「22だ。今年23。君は……13歳、か」
「えっ!」
突然言い当てられ、アルフォンスは飛び上がらんばかりに驚いた。
尤も、鎧に表情は無いのだが、声に含まれた感情を察してか、男は楽しそうに笑った。
「何で分かったんですか?」
「なんとなく」
彼は、組んでいた腕を解き、無造作にスラックスのポケットへ突っ込む。
「歳と上下は関係ない世界だからな」
「実力主義ってことですか? 凄いなぁ」
「ははっ。胡麻擂んのが、他より巧かったってだけだ」
陽が高くなってきた。
男がちら、と空を見上げ、日陰に身を移す。
光の色を見る限り、相当気温が高いのだろう。
「(一応、春なのになぁ)」
此処が南部でなければ、まだコートが居る季節なのに。
「キミは? 暑くないのか」
「大丈夫です。それで、部下の人は何処に?」
「水、買いに行った筈なんだが……何処まで行ってんだか、戻って来る気配がない」
「それこそ、迷子なのかもしれませんよ」
「迷子ねぇ……子って歳でも無いんだけど」
確かに。
アルフォンスでも、「子」と括られるのは些か自尊心に傷がつく。
働く大人なら尚更だ。
二人は顔を見合わせ、笑った。
「アルー!」
「兄さん! もう、何処まで行ってたの!」
赤いコートを脇に抱え、金色が駆けてくる。
小言をぶつけると、兄、エドワード・エルリックが不満そうにアルフォンスを見上げた。
「仕方ねーだろ! あんなこと言われちゃ、オレのプライドがだな……ん? 誰だアンタ」
エドワードの視線が、影にいた男に移る。
「失礼だよ兄さん。この人も、人を待ってるんだって。ちょっと喋ってたんだ」
やあ、と男が片手を挙げた。
エドワードが目を瞬かせ、ども、と会釈を返した。
「なんか、弟が世話になったみたいで」
「気にするな、俺が暇してたんだ」
「そっか。って、やばい、アル! 汽車が!」
言われて、アルフォンスは駅の正面にある時計を見遣った。
確か、席を取ったのは五分後の電車の筈だ。
慌てて男に向き直る。
「うわっ、ホントだ! すいません、ボク達、もう行きます!」
「ああ。付き合ってくれてありがとな」
気をつけろよー。
ひらひらと手を振る彼に見送られ、二人は駅へ駆け出した。
「急げ、アル!」
「兄さんが変なことしてるから!」
「オレのせいかよ!?」
「そうだよ!」
エドワードの旅行鞄を代わりに抱え、アルフォンスは兄に続き、汽車に飛び乗った。
直後、ドアを閉められる。
「危なかったー……」
緊張の糸が切れ、二人は座り込む。
ほぼ同時に、ガタン、と電車が動き出した。
エドワードが上着の襟を摘まみ、バタバタと扇いだ。
頭上のアンテナが揺れる。
「走ったの抜きにしても、今日は暑すぎる」
「かんかん照りだよね」
「さっきの人、よくあんな黒いスーツ着てたよなぁ」
道端で出会った銀を、琥珀の瞳を思い出して、アルフォンスはそういえば、と声を上げた。
「名前、聞かなかったや」
「そうそう会うことも無いだろ。オレ達、滅多に南には来ないし」
「そうだよね」
かっちり着込んだダークグレーのスーツ。
人の波を縫うように、背の高い、金髪碧眼の男がやって来る。
「遅くなりました、すみません」
「何処まで行ってたんだ」
「近くにはもう売っていなくて。ちょっと通りの向こうまで」
銀髪の男は、手渡されたコップをくい、と傾けた。
日向で火照った体に、氷の入った冷たい水が染み渡る。
「皆、考えることは同じってことか。美味い、ありがとう」
「どういたしまして。この暑さですからねぇ……水が売り切れなんて、耳を疑いましたよ」
年若い上司に頷き、金髪の男も水を飲んだ。
銀髪の青年が、壁に凭れて目を閉じる。
「ったく、さっさと中央に帰りたいもんだ」
部下はクスリと笑みを零し、上司の足許に置かれた旅行鞄を一つ、手に取った。
「行きましょうか。此処より、駅の方が涼しいでしょうし」
「そうだな」
青年も頷き、鞄を手に取る。
歩き出してすぐ、彼は視線を上げずに上方へ声を掛けた。
「なあ、バイル」
「はい」
金髪の男、バイルは、青年に降る陽を遮るように、彼の隣へ並んだ。
「エルリック兄弟に会ったぞ」
「……鋼の?」
一瞬呆けたバイルだったが、すぐ我に返って微笑を浮かべる。
「それはそれは……南に来た甲斐も、ありましたね」
「ああ」
青年が、至極愉快そうに笑った。
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