燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  






01








――自分の右手には、やはりあの刀があった。

神田はハッと顔を上げる。
周囲は瓦礫の山。
空中を浮遊する卵型の、或いはかなり個性的な玩具のような外見の機械。
何も考えなくても分かった。
あれは、AKUMAだ。
悲劇と愛を材料に造られた、悲しい悪性兵器。
神田が、エクソシストが、倒すべき、壊すべき、滅ぼすべき「敵」。
そこかしこから聞こえる断末魔と飛び交う弾丸の中、自分は何をぼんやりしているのだろう。

「六幻、発動」

刃を撫で、神の兵器を呼び起こした。
界蟲一幻。
刀を払えば、飛び出した蟲達が一斉にアクマに襲い掛かる。
自分は、一人でこの任務に来たのだったか。
そんな筈は、流石にない。
此処へは、恐らく誰かと――

「ユウ! 何ぼーっとしてんの!?」

ばさり、ガシャリ、機械が斬り捨てられる音、瓦礫の崩れる音。
神田は振り返った。

「(嗚呼、どうして)」

アクマの断末魔は、寧ろ心地好いBGMになる。
どうして、こんなに心が温かくなるのだろう。
どうして、こんなに涙が滲んでくるのだろう。
残骸を踏みつけて、築き上げたその山の頂点に佇み、此方に笑顔を向けてくる彼は。
自分と同じ黒い団服を身に纏い、見慣れない、否、見覚えのあるあの武器を、担いで。

「(そうだ)」

彼と、自分は、今は黒の教団のエクソシストとして共にその役目を全うしているのだ。
この胸の呪符が効力を失うその日まで。
いつか「あの人」に巡り会う、その日まで。
神田は幼い頃のように口の端を上げて、彼に笑いかけた。

「悪い、――」









――おかしい

神田は目を開けて跳ね起きる。
いったい何事だ。
周囲を見渡す。
自分が背凭れにしていたのは、蔦の這う住居のようだ。
随分長いこと手入れがされていないことが分かる。
動く者は自分の他にない。
先程までの神田と同じように壁に凭れたまま眠る女は、しばらく何も口にしていないのだろう。
喘ぐようにしながら、痩せた頬にそれでも幸せそうな笑みを浮かべて眠る男。
朽ち果てた人骨やら、啄まれた死者。
これから朽ちる死体もある。
息をしている者は、二人ほどしかいなかった筈だ。
眠りに就く前に、そう彼が、が断じた覚えがある。
もう救われない者達から、神田は目を背けた。
真っ先に確認すべきは、自分の隣で地面に横たわる少女と、折り重なるように眠り続けている金色の安否だ。

「チッ……」

胸糞悪い夢だった。
夢の中でさえ、自分達はイノセンスの餌として生きていて。
神と教団の駒として生きていて。
こんなことを願ったことなど無いのに。
あの夢の続きはどうなるのだろう。
団服を着た彼と共に、アジア支部に帰還するのだろうか。
記憶より少し年を取ったあの研究メンバーが出迎えてくれるのだろうか。
食堂に駆け込み、彼はまた丼にマヨネーズをこれでもかと盛り付けて、美味しい美味しいと頬張るのだろうか。
この奇妙な現象は、そんな願いを神田が抱いているのだと、判断したのだろうか。

「馬鹿馬鹿しい」

夢ならせめて、甘い夢を見せてみろ。






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