燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  






06








傾いだ体を、掬うように受け止める。
静かな寝息を確認して、クロスは空間へ声を放った。

「居るんだろ、そこに」
「おやおや、珍しイ」

建物の陰から、浮かび上がるように現れたのは、大きな口に長い耳。
シルクハットにカボチャの傘を携えた、千年伯爵。

「今日も、我輩をしっかり無視して行くかと思いましたヨ」
「はっ、そうしたいのは山々だが」

金色を片手で抱え直し、「断罪者」を構える。

「何の用だ」
「お前ではありませン。我輩は『教団の神』に用があったのでス」

可愛らしく傘をくるくると回し、伯爵は軽く首を傾げた。

「上手く邪魔されてしまいましたガ」
「何をした覚えもねぇよ」
「白々しイ」

丸眼鏡の奥で、苦々しく寄せられる眉根。
主人の様子に、傘が若干震え上がっているのが笑える。

「追い詰めて追い詰めた、『神様』の本気が見られるところだったんですヨ」
「あぁ?」

本気とは、伯爵の癖になかなか面白いことを言う。
クロスは口の端で笑った。

「こいつはいつだって本気だろう」
「さァ? それはどうだカ。教団の神様は、『人間』なのですかラ、」

嫌らしい笑みがクロスを見返す。

「敵を排除したいという本能くらい、ある筈でしょウ?」

言われてみれば、改めて気付かされる。
彼が闘争心といえるようなものを顕した事が無いという、事実。
関わりの少ない伯爵だからこそ気付いたのだろう。
存在の大きさの割に、は余りにも近くに在りすぎて。
クロス達はそれこそが「普通」だと感じてしまっている。

「ま、彼も眠ったようですし、今日はお暇しまス。面白いものも見れましたからネ」

その口ぶりに、クロスは思考を手放して、怪訝に伯爵を睨みつけた。

「面白いもの、だと?」
「ウフフ。お前の焦った顔なんか、我輩、初めて見ましたヨ」

お前に用がある時は、彼を痛め付ければよさそうですネェ。
続けられた言葉に、思わず背が凍る。

「それではさようなラ、クロス。彼によろしク」

待て、そう言う前に、千年伯爵は姿を消した。
通りに一人立ち尽くし、クロスは唇を噛み締める。

――分かっている

自分の弱点が彼だということくらい、自覚している。
彼には思い入れがありすぎて、どうしても、手放せない。
けれど。

「()」

誰が何と言おうと、失う訳などないのだ。
クロスは彼を手放さないし、彼は決して、斃れたりしない。
失う筈が、ないのだ。

「……帰るか」

金色を両手で抱き直し、クロスはトマの元へ踵を返した。









無意識の下で頑なに信じる幻想の存在には、誰も、気付かない。





F I N .

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