燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
15.Epilogue
「お兄様のことも、ライラのことも、……アニーお姉さまのことも。お二人とも、どうもありがとう」
涙の跡を頬に残しながら、それでも見送りに来てくれたティアラは満足そうに笑っていた。
「あの子にアニーのこと言わなくてよかったんさ?」
ラビは、馬車で向かいに座るに訊ねる。
ラビがライラに執着していたのと同じくらい、はティアラに執着していたように見えた。
彼は窓に凭れて、小さく首を振る。
「幽霊になって何度も何度も殺されていたなんて、そんなこと聞かせなくたっていいよ」
そうして改めてアニーの置かれた状況を言葉にしてみると、あまりに残酷だった。
「確かに、余計なことか」
「だろ? 泣いちゃうって」
まるで彼女をずっと以前から知っていたような親しげな口ぶりだ。
「、この町に来たことあるのか?」
「初めてだけど」
なんで? と聞き返されて、ラビは曖昧に首を振った。
が不思議そうに、真っ直ぐにラビを見つめてくる。
丸い井戸の底のような漆黒の瞳が、暗がりの中で、窓からの僅かな灯りを纏って、深く深く、ラビを吸い込む。
見透かされる。
自分の中に渦を巻いて言葉にできない思いまで、全て。
その気まずさから逃れるように、自然と口を開いてしまう。
「、あのさ……これは、『ブックマン』のオレの言葉として聞いて欲しいんだけど」
そう前置きすると、は姿勢を正して微笑んだ。
ラビの言葉を待ってくれている。
「お前、どうやって『神様』の自分と『エクソシスト』の自分を分けてんの?」
軽く開いた唇を一度閉じて、沈黙を噛み締めてからが首を傾げる。
「どういう意味? 俺は……いつも、変わらない『』のつもりなんだけど」
「うっそつけ。絶対違うさ」
ラビは核心を持って言う。
「そうかな……」
彼は、ラビと似ている。
ひとりの人間なのに「ブックマン」の自分の上で四十九番目の「ラビ」を演じなければならない自分と、「エクソシスト」の自分の上で「教団の神様」を演じなければならないは、似ている。
二つの役目をこなすこと自体は難しいとは思わない。
けれど、二つの役目で心持ちが異なる時、自分がバラバラになるような気がする。
今、どちらの自分がここに立っているのか――見失ってしまう。
ブックマンに、感情は要らないのだ。
は、シビアな考え方をする男だ。
初対面のヘブラスカの間で、あっさり自分を道具と断じてみせた。
けれど、縋り付く人間と触れ合う時の彼は、人の感情を最優先に動こうとする。
その両立で、疲弊することはないのだろうか。
「(まあ、仮にあったとしても、こいつは『ラビ』には言わないんだろうけど)」
だから言ったのだ、「ブックマンのオレ」と。
はしばし考え込み、宙を見遣る。
「……強いて言うなら……」
「言うなら?」
「自分の価値を、ちゃんと認識しておくことかな」
「価値?」
確かに「教団の神様」にも「エクソシスト」にも余人には代えがたい唯一無二の価値がある。
「……責任感と使命感が大事ってこと?」
「いや、それは少し違うけど、」
緩く首を振ったは、それでも、眉を顰めるラビを優しい目で見返した。
「でも、お前はそうかもしれないよ、『ジュニア』。お前は俺とは真逆だろう? 価値を認識したら、自分を保つ軸になる」
心のうちを見透かす深い瞳は、それでいてラビを愛し子のように甘やかし、包み込む。
「価値を」
「エクソシストの役割は、分かりきってるはず。なら、……揺らいでいるのはブックマンとしてのお前かな」
こうして簡単に言い当てられると、背筋が冷えて鳥肌が立つ。
「どうしてお前はブックマンになったの? 使命がある……ううん、やりたいことがある……知りたいことがある……?」
暴かれている。
自分を、こうも簡単に。
自然と睨むように彼を見ていた。
がそれに気付いてふっと笑った。
「ほら、こうやって思い出すんだよ、ジュニア。思い出せるよ。大丈夫、お前は俺とは違うから、きっと何度揺れ動いても、自分に返ってくることができる。うん、そうだ。俺はいつも、……そうしてる」
参考になるかな? と訊ねられ、ラビは前のめりになっていた体を起こした。
「……うん、サンキュ、参考にしてみるさ」
正直、抽象的でよく分からなかったけれど。
それでも無遠慮に掘り返されたことで原点には立ち返ることが出来そうだ。
自分のスタートラインを思い出せ、きっとそういう事なのだ。
しかし、自分の価値を思い出す、だなんて。
その強い自負があってこその「教団の神様」か。
「(じゃあ、どうしてコイツは、)」
「――ラビ」
ぱちん、と思考が弾ける。
馬車の外では、今夜も雨が降っている。
「何?」
「誰も死ななくて、よかったな」
そう言って、彼が幸せそうに笑うから。
「ん、そーだな。みんな無事で、何よりさ」
ラビは、にっかりと笑い返したのだった。
――fin.
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