燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  






7









日が昇る頃、ようやく地道な消火活動は終了した。
細かく砕かれ、水浸しになった瓦礫の中からブルーナの遺体が発見された。
足が瓦礫に挟まれた状態で、頭には大きな傷があり、これが致命傷だった。
 
遠巻きにしていた野次馬の多くは、延焼が無さそうだと見るや引き返していった。
宿に宿泊していた巡礼者は、迷いながら帰っていく者と、今晩巡礼をする者に分かれた。
 
消火に協力した二人の男は隣の料理屋の父子だそうだ。
馴染みの隣人を襲った不幸に、いてもたってもいられなかったらしい。
遺体に縋って泣き崩れるクラーラを息子が慰める。
父親の方は、クロスに感謝と謝罪を述べたのだった。

「正直ね、みんな、何かがおかしいとは思っていたんですよ。何せ、奇跡はあの宿の利用者にしか起こらない。
うちは料理屋だからまだいいがね……他の宿屋は大っぴらには言わないけれど、怪しんでいました」
 
料理屋の父親が言う。

「薄情な村だとお思いでしょう。さっきは私も必死でしたが……複雑な気持ちです。
ブルーナの行いが誰かの死を招いたのなら、きっと善行とは言えないのでしょうね。とんでもないことをしでかしたものです……」
 
クロスは彼の言葉を否定も肯定もする気にはならなかったが、煙草に火を点けてゆったりと煙を吸い込んだ。
男は自嘲するように口の端を上げる。

「……けれど、本音を言うのなら。やっと、うちの村も余所と同じように豊かになったところだったんですよ。
あんな裏があったなんて。しかもそれを、巡礼者に知られてしまった。……あなた達さえ来なければ、きっと平穏な毎日だったでしょう」
 
その言い草には納得できるところもあった。
事実、日々の暮らしのために飾らない本音そのものだ。
よく言った、とさえ思う。
 
つい笑ってしまってから、背後の気配に気付いた。
無事だった宿泊スペースから二人分の荷物を抱えて出てきたが、そこに立っていた。
 
男はハッとして口を噤む。
 
上半身を逸らしてバランスをとっていたは、男をじっと見つめてからクロスの傍に寄った。

「はい、師匠。あとこれ、帽子」
「おう」
 
帽子を被って鞄を持ち上げ、クロスは男に顔を向ける。

「そんな風に思うんだったら、せめてクラーラを励ましてやるんだな。……行くぞ、
 
クロスは先に立って歩く。
 
後ろに足音が続かない。
振り返ると、フードをかぶったままが男を見上げて佇んでいた。

「あの、本当は、ブルーナさんのお墓が出来るまでいたかったんだけど……」
「え、ああ、いや……その……」
「おじさんみたいな素直ないい人に弔ってもらったら、きっとブルーナさん、嬉しいと思う」
 
こちらこそすまないね、という言葉を、黄金色は遮った。

「あのね、迷惑かけてごめんなさい。……僕のせいなんだ。僕が迷惑かけると、みんな、死んじゃうんだ。ごめんなさい。だから、」
 
言葉を続けながらが「微笑んだ」。

男が体をビクリと震わせる。

「……だから師匠の事は、どうか、悪く言わないで」









クロスは新しい煙草に火をつける。

「伯爵は、ブローカーに巨額の謝礼金を渡すらしい。報酬目当てに協力する奴も珍しくないんだ」
「……ブルーナさんは、報酬目当てじゃないって、言ってた」
 
真っ直ぐ前を見つめながら歩くは、マントのようなコートを内側から握り締めた。

「みんなの願いを叶えるためにやった、って。……願いを叶えてあげるためだ、って」
「どんな風に説明されたって、お前は納得なんか出来ないだろう」
 
が俯く。

「できなかった。……できないし、したくない。でもっ、だからって!」
 
上擦った声は大きくなり、一呼吸の内に彼は肩を落とした。

「――だからって。あんな仕打ちを受けるのは、おかしい」
 
自分の感情ではない強い思いが、クロスの胸を穿つ。
 
――僕ならいい。
 
――僕に降りかかればいいのに。
 
――僕への罰なら、あんなものでは足りない。
 
――けれど、彼女は。
 
白黒のこの世界総てが自分を処刑するための刑場なのだと。
そうして自分を切り刻みながら息を吸う、彼の思いが。
クロスの胸を穿つ。
 
彼は、彼女を責めなかった。
クロスも、ヴィドス村にいた人々だって、彼の空気に呑まれた人は例外なく分かっただろう。
あの時、空気はただひたすら悲しくて、切なくて、やりきれなくて。
後悔にも似た息苦しさが込み上げてきたから。
 
夕刻の調理場での、彼女の後ろ姿を思い返す。
だからこそあの告白に嘘はなかったと確信できた。
言葉通り、彼女は既に奇跡を信じていなかったのだ。
自分とクラーラの身には奇跡が起こらなかったから、信じることをやめたのだ。
アクマの生態についても、全部承知の上で、巡礼者を憐れんでしまったのだろう。
折角の報酬さえも持て余していた。
高級な珈琲豆を買い込むくらいの行動では、豪遊というには慎ましすぎて泣けてくる。

「(まあ結局、そんなもんは全部、オレの想像でしかないわけだが)」
 
実際のところ彼女がどう考えていたのかは、もう誰にも分からない。
 
だからこそ。

「……本当は、報酬目当てだったかもしれねェぞ」
「ちがう。……巡礼者をみんな刈り取ろうとはしてたけど、あの人は、そんなことは考えてなかった」
「お前が気付かなかっただけじゃないか」
「ちがう」
「じゃあ、お前の言う通り、ブルーナは金目当てじゃなかったとして、だ」
 
クロスは手を伸ばして、もう役に立っていないフードを掴み、黄金色を露わにした。

「これから先、報酬目当てのブローカーに出会ったら、お前、どうする」
 
が、クロスを見上げる。
結ばれた唇が、震える。

「(憎めばいいのに)」
 
黄金色にとって、アクマの原点は両親だ。
愛を、当たり前の執着を利用された悲しみの結末として、アクマを認識した。

「(怒ればいいのに)」
 
悪意ある人間が他者の不幸や愛を利用して、私欲のために千年伯爵に悲劇を売り渡す。
そうしてまた誰かの死を招こうというのだ。
彼の嫌う、理不尽な死を引き起こす原因の一つだ。

「(恨めばいいのに)」
 
――けれど彼は、それが、できない。

「……神様が酷いことする前に、僕が一発殴っとく」
 
クロスは瞬きをした。

「神様は、罪の重さを分かってくれないから……釣り合わない罰を、与えられちゃう前に」
 
そうしたら、増えるのは僕の罪だけだから。
 
先に歩を進めるの背中を見下ろして、クロスは口の端を歪める。
 
難儀な奴だ、と。
けれど、彼なりの気持ちの整理の付け方にはおかしくもなってきて。
 
思えば、「彼」はあれでいて存外手が出る奴だったな、だとか。
 
思えば、その妻はあれでいて叱り飛ばす段になると平手打ちも辞さない人だったな、だとか。

思い返すと、どんな顔をしたらいいのか分からなくて。
唇が細かく痙攣するのを隠す手段は、帽子のつばを下げるくらいしか思い付かなかった。
 
大股の五歩で、小さな背中に追い付く。
とっくにフードを戻していたが、いつも通りにクロスの団服を掴んだ。

「ねぇ、師匠」
「……ん?」
「クラーラさんが、アクマにならないといいね」

大切なものが一つもないこの世界を突き放してしまいたいのに、自分より罪が軽い人間を見捨てられない。
世界から切り離されようとして、けれど自分と比べて何の罪も負わない人間が助けを求める手を掬い取ってしまう。

「そうだな」

そんな黄金色を、クロスは、フード越しにそっと撫でた。



Fin.






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200314