燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
神
判
の
綻
び
13
朝焼けの近付く森の中を村へと引き返すリナリーたちが見つけたのは、前の晩の巡礼者の物と思われる衣服だった。
それを皆で拾いながら村へ帰り着くと、不安げな顔で待っていたアナとクラーラに出迎えられた。
全員が無事に生きて戻ったことに女将は感激しきりで、あまりに涙が止まらないものだから、巡礼者たちに苦笑されていた。
三人はクラーラと巡礼者たちに勧められるまま朝食だけを宿で摂り、そのまま帰路につく。
いずれの巡礼者に対しても奇跡は起きなかったけれど、全員が一仕事終えたようなすっきりした顔になっていた。
別れ際にはアデラも結婚式が楽しみだと笑顔で話していたので、リナリーは安心した。
「私、まだ入団して一年ですけど、こんなに充実した任務って初めてです!」
感激しきりなのはアナも同じだ。
朝食の間も、朝食後のリナリーにリップの塗り方を伝授した時も、村を出てイヴォナの駅に戻ってきた今も、ずっとこの調子である。
が苦笑した。
「俺もこんなのは珍しいかな」
リナリーも、もう何度目になるかも分からない答えを返す。
「皆大きな怪我もないし、生きているしね」
「そうっ! それ!」
アナは弾むように答える。
事実、小さくジャンプまでした。
が眩しそうに目を細めた。
「本当に幸せそうに言うよね」
「当たり前です!」
くるりと振り返って、アナがにっこりと笑う。
「これ以上に幸福なことがありますか?」
リナリーはと顔を見合せた。
「ないな……」
「うん……確かに」
「そうでしょうとも! リナリーはコムイ室長にまた会えるし、様は、えーっと……」
「んー、ジェリーのアップルパイがまた食べられる、かな」
「り、林檎お好きなんです?」
がこっくり頷くが、アナは少し面食らっている。
気を取り直したように、彼女は「じゃあ、それにしましょう」と言った。
「好きな物を食べられるとか、好きな人に会えるとか、これ以上に幸せなことは他にないでしょ。私は、それがとっても嬉しいんですもの!」
「アナは」
金色が問い掛ける。
「アナは、何をしたいの?」
「私ですか?」
彼女は少し肩を竦めて照れた様子で、ふふ、と笑う。
「私は、好きな人のために自分磨きをしたいんです。昨日生き残れたから、今日もまた新しいメイクを試せるのが、幸せ。
――おじさん、こんにちは! 二人分、お弁当お願いします!」
幸せなだけの言葉でもなく、明るいだけの言葉でもないけれど、それを口にするアナは底抜けに明るい。
弁当屋の店主に弁当を注文するその後ろ姿を、が眺めている。
「いい友達が出来たね、リナリー」
不意に彼が言う。
リナリーは目を丸くして彼を見た。
「ともだち……」
「え、何驚いてるの。……素敵な友達だね」
友達、なんて。
や、神田、最近入団したラビなど、歳の近いエクソシストたちは物語に出てくるような友達という感じはない。
兄らしかったり、幼馴染みだったりという関係だ。
科学班のメンバーはコムイとも親しいせいか、どちらかというと家族という印象になる。
ジェリーや婦長や医療班のスタッフたちなど、よくお茶会に参加する女性陣は、確かに友達らしい。
けれどいつもリナリーとは少し歳が離れすぎている。
かつて同年代だった子は、イノセンスと同調させられて死んだ。
だから、一緒にお茶を飲んだり、戦争と関係のないことで笑いあったり、買い物の約束をしたりするアナは。
言われてみれば、誰よりもしっくりくる「友達」だった。
「――うん」
万感を込めて頷くと、彼がそれこそ幸せそうに微笑んだ。
アナは、このままイヴォナで部隊の合流を待つことになった。
地方で崇められる聖遺物を教団が押収するとなると流石に上の判断が必要になる。
アナの部隊長がその交渉にあたることになったのだ。
話がつき次第、手拭いを教団に持ち帰るという。
リナリーとの乗る汽車は既に駅に到着している。
駅員と車掌に確認をとり、いつもの手順で一室を空けてもらった。
が先に荷物を積み込んでくれるというので、リナリーは素直にそれに甘えた。
「ねえ、いつ頃本部に帰ってくるか、目途はついてるの?」
「多分そんなにかからないんじゃないかなぁ。隊長たちも今日中にヴィドスに着きそうだって言うし、リナリーたちの後を追って帰れると思う」
「そっかぁ……その間に次の任務が入らないといいんだけど……えっと、ほら、約束……」
「マニキュア! 大丈夫、ちゃんと覚えてるから。ポーチも買おうね、可愛いやつね!」
リナリーは嬉しかったから覚えていたけれど、彼女にとっては話の流れの口約束だったかもしれない、なんて。
そんな心配は杞憂だった。
それが、とても嬉しい。
「入れ違いになったら一番嫌だよね……じゃあ、本部にいる時間が半日でも被ってたら、行こう。こういうのは決めておかないとなあなあになっちゃうからね」
アナがうんうんと腕組みをして頷く。
「リナリーがお昼ご飯食べ終わるまでに私が本部に着いたら、すぐその日のうちに行っちゃおうよ。ね」
「それだと、アナが疲れちゃうじゃない」
「でも、それを逃したらきっとまたしばらく会えないんじゃない?」
それは確かに……とリナリーも腕組みをした。
「じゃあ、もし入れ違って私が任務に行っちゃっててもおんなじにしよう? アナがお昼ご飯を食べ終わるまでに私が本部に着いたら、その日のうちに!」
「それだと、リナリーが疲れちゃうじゃない」
「お互い様だと思うの」
「それもそうね」
あはは、と二人で声を合わせて笑ってしまう。
汽笛が鳴った。
時計を見上げれば、いつの間にか発車時間だ。
気付くとリナリーの背後、汽車の乗り口にが戻ってきていた。
「じゃあ、近いうちにね、リナリー」
「うん、忘れないでね、アナ」
リナリーはアナとしっかり抱き合ってから汽車に駆け込んだ。
の手を掴んで乗り込み振り返ると、リナリーの友達は汽車から離れてぴっしり姿勢を正して微笑んでいる。
「それでは、エクソシスト様方! 御武運を!」
「アナも、気を付けて帰ってきてね!」
隣でも同じように手を振った。
「次は、教団で。一緒にアップルパイ食べよう」
アナが快活に笑った。
「はい! 楽しみにしています!」
汽車が動き始める。
彼女の姿がだんだんと遠くなる。
白服が完全に見えなくなった頃、リナリーとはようやく座席についた。
リナリーの荷物は棚の上に載せられている。
ふと彼の手首を見てしまった。
鞄はそれなりの重さがあるけれど、傷口に負担はかからなかっただろうか。
「何?」
「あ、ううん。荷物ありがとう」
多分、リナリーが聞いてもは大丈夫と笑うだけなのだ。
「妹」に心配をかけまいという、「兄」の矜持か何かを盾にして。
妹じゃなければ、違う答えが返ってくるのだろうか。
「(……ううん)」
きっと彼は、誰にも同じように返すだろう。
進行方向に背を向けて、が先に座る。
「すごく楽しそうだったけど、何の話してたの?」
「え? さっき?」
リナリーはその向かい側に腰掛けた。
「あー、えっとね、……うふふ、ちょっと待って、ふふ」
話そうと思ったけれど、話してしまうのは不思議と勿体無いような気がして。
「……ないしょっ」
余計に気になるよと苦笑するを前にして、リナリーは何故だか止まらない笑いに肩を震わせたのだった。
Fin.
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200410